サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
koshimo-blog.com
小霜和也儀、2021年9月22日午前7時05分、永眠いたしました。 享年58歳 生前のご厚誼に心より感謝し、謹んでお知らせ申し上げます。 葬儀・告別式に関しましては下記のとおり執り行いますので、併せてお知らせ申し上げます。 訃報 ←※クリックお願いします 小霜和也のマネージャーの坂根と申します。 小霜が大病をしてからの8年について、大変恐縮ながら私の言葉でご家族とも相談してつづらせていただきます。 8年前、希少がんである軟部肉腫を右鼠径部に患い、脚が不自由になりました。 でも、元々スポーツとは無縁だったため、行動範囲は全く変わらず駐車禁止等除外標章(身体障害者等用)のおかげでむしろ広がりました。 この時から、本人もご家族も私も「死」がとても身近なものになりました。 でも、本人いわく「ちょっといい人」になりました。 転移をしてはやっつけて、転移をしてはやっつけてを繰り返していました。 でもヤ
最近「フルファネル」という言葉をよく耳にしませんか。 「ファネル」が何ぞや、というのは(もし知らない方がいらしたら)各自調べていただくとして…。 僕の定義ではトップファネルが認知、ボトムファネルが刈り取り、それらを繋ぐミドルファネルが自分事化、となります。 たとえば認知とはTVCMで広く知ってもらうとかですね。 たとえば刈り取りとはリスティングや自社サイトを訪れた人へのリターゲティングバナーとかですね。 これらは、ずいぶん前から行われて来ました。 しかし、バラバラに行われて来たので、認知から刈り取りまで全体で一つのコミュニケーション設計を作ろうよ、という考え方を「フルファネル化」と言っているわけです。 実際、ミドルファネルをぶっ込むと、成果が格段に上がります。 昨年対比数倍といった数字が出たりします(僕の事例で「変わらず」などといったことはまだ一つもありません)。 ミドルファネルのキモは「
とにかく講演、セミナー、トークセッション、の依頼が多いです。 今年に入ってからは月に2回ぐらいのペース。 その中で、なんとなく感じ始めたことがあります。 冒頭で必ず「自己紹介をお願いします」と促されるのだけど、以前に比べて、自分をどう説明すればいいのかが難しくなってきたような。 「基本的には広告のクリエイティブディレクターです」。 と言いながら、クリエイティブディレクターという肩書に違和感を覚えたりしています。 自分が今、クリエイティブディレクターとしてやっていることを一言で説明すると、どういうことになるだろう? うーん。 結論。 広告クリエイティブディレクターとは、 「最適解をはじき出す」 職種です。 発注主は、いろんな事情を抱えていて、社会はどんどん複雑で厄介になっていて、表現の制約は狭まる一方で、それでいてメディアやツールの幅は拡がり続けている。 その中から「最適解」をはじき出すのが
今年は異常な忙しさで、 「これ以上働くと病むぞコレ」 というとこまで行きました。 それでブログも書く余裕がほとんどなかったんですが。 こういうニュースが出て来ちゃったので、いろいろ思うところあり…。 はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171217-00010002-bfj-soci&p=1 まず、はあちゅうさんに同情するし、事実だとしたら当然あってはならないこと。 そこは言うまでもなく。 広告業界で何か問題が起きたときにホント困るのは、十把一絡げにされちゃうんですよね。 僕も著名クリエイターの末席にいたりするので、 「どうせ小霜も同じようなことやってるんだろ」 みたいに思ったり言ったりしてくる人いるんです、きっと。 高橋まつりさんの事件の時も、あれについては僕は1ミリも関わっ
僕は無料広告学校というものを主宰しています。 月曜日の夜19~21時で十数名を相手に広告の基本的なストラテジーの考え方とクリエイティブについて教えてます。 今期は自宅の近所にある町会の集会所をお借りしてます。 その分、受講生たちに神輿のポスターを作らせたり、実際に参加させたりなど町会の手伝いをするということで。 これまでは講義が終わった後はケータリングで軽く飲んだり食べたりしていたのですが、集会所をあまり長く借りたり汚したりもできないので、今期からは2人ずつぐらいの少人数で、近所の料理屋で彼らの個人的な悩みを聞いたり質問に答えたりしています。 昨晩はあるコピーライター志望者から宣伝会議賞について聞かれました。 「防災意識を高めるコピー」というお題があったそうなのですが、何やらモヤモヤしたものがあったようで、それについてどう思うかと。 僕は、 「プロならそういうお題は出さない」 と答えました
NHKスペシャルで宮崎駿さんが人工知能の作り出すCGアニメに怒ってました。 その怒りっぷりが話題になってます。 僕が番組を観て感じたのは、宮崎駿さんもドワンゴの川上量生さんも、人工知能というものの捉え方を間違えられてるんじゃないかな、ということでした。 人工知能は間違いなく僕たちの未来を変えていくでしょう。 そこに希望を見出す人もいれば、不安を感じる人もいるでしょう。 多くの人たちはこう思っているはずです。 「人工知能は人間に取って代わるもの」 だと。 その象徴が、宮崎さんの人工知能アニメへの怒りだったように僕には見えました。 アニメとは生命を吹き込む実に人間的な作業であり、人間への敬意や愛がなければできるものではない、こんなものに取って代わることができるものか、もしそうなれば非人間時代の始まりだ、彼のそんな気持ちが「世界の終わりだ」という一言に込められていたように感じました。 で、僕はそ
電通の過労死事件が大きな問題、話題を生んでいます。 いろんな方がこの件についてSNSやブログで怒りや私見を表しています。 が、僕はそのどれにも違和感を覚えます。 その話をしてみたいと思います。 初めて会う人に広告の仕事をしていると言うと、「じゃあ生活は不規則ですよね」と返されることが多いです。 その通り。 広告業はクライアントビジネスだから、クライアントの都合に合わせて作業しないといけません。 僕はクリエイティブをずっとやって来ましたが、プレゼン作業や編集で午前様になることは珍しくないです。 休日返上、GW返上、などしょっちゅうです。 おそらく過去30年、自分は盆休みというものを取ったことがありません。 休日出勤すれば代休を取ったり、朝までの作業になれば次の日は昼から出勤できたりという制度は広告代理店にありますが、ただ、それがきちんと機能しているかというと疑問はあります。 大手広告代理店の
広告業界では、広告の扱いを受注するためにしばしばコンペ(競合プレゼン)が行われます。 各エージェンシーの提案を見て、最も優れた企画を出したところに仕事を発注しようということですね。 ただ、その「優れた」というのがくせ者で、いったいクライアントが何を基準に優劣を決めるのかはとても曖昧。 多くの場合は、自分たちのイメージ通りのものかどうかです。 なのでコンペとは言っても、純粋なフリーハンドの提案を見るというよりも、自分たちの考え方通りにやってくれるか確認するという意味合いが大きく、「全く想定外の提案だがこれがいいと思った」となるケースは稀少と言えるでしょう。 そんな中、エージェンシーの営業さんがよく口にする言葉は、 「獲らなきゃ始まらない」 です。 クライアントのオリエンテーション(ブリーフィングとも言います)自体に疑問を持つことはよくあります。 そこから疑い自分たちの信念に基づいて、こういう
僕のクライアントでとても頼りにしていた方が、急に退職された。 おそらく鬱病。 彼の異変に周囲の誰も気づかなかったらしいですが、突然電話で「もうこれ以上働けない」とだけ言って来なくなったと。 ショックなことでもあり、悲しいことでもあり。 すごく仕事ができて、温厚なのにブレず、上下のつなぎ役として信頼されていた、そんな方が戦線離脱です。 以前から感じていたこと。 なぜ皆、壊れるまで働かないといけないのだろう? その会社だけの話ではありません。 あちこちの企業で、過度のプレッシャーによって心を病む人が激増している実感があります。 昨今の世情不穏を、「まるで戦前に似た空気だ」と言う人は多いです。 でも僕からすると日本企業はどこも、何だかチャップリンの「モダン・タイムス」の頃に戻ってしまったみたいです。 ヘンリー・フォードが「流れ作業」を発明したことで、工場の生産効率が高まり、自動車が庶民に手が届く
昨年の3月、大腿骨を折って入院しました。 相部屋がいっぱいということでいきなり個室に入れられたのだけど、1日4万円近くもかかる。 脚が痛い上に財布も痛いとあってはたまらない。 「相部屋が空き次第、即、移して」 と頼みました。 しかし、入院するなり、その個室で毎日打合せをするように。 入院中なのにスケジュール表が埋まってしまった。 このまま相部屋に移ったとして、そこに広告代理店の人たちが何人も来て始終打合せ、というのはナンボなんでも他の患者さんたちに迷惑だろう。 なにしろ脚の骨折だからサロンに移動することもできないわけで。 で、税理士に電話して、 「この個室料って経費にならんかね」 と聞いてみたら、 「仕事で使ってるなら、ちゃんと理由があるわけなので、なるんじゃないですか」 と。 それで、相部屋はキャンセルして、会社経費で個室を使うことにしました。 以上の話は真実だけど、それを聞いて「そんな
もうずいぶん前、10年以上前になりますが、広告の仕事で清原さんと会ったことが一度だけあります。 それはポッカの缶コーヒーのキャンペーンだったのですけど、当時まだ彼は現役選手で、シーズン中は撮影の時間を取るのが難しいということになり、彼の過去の映像とTVのインタビューで話した台詞などを映画監督の行定さんにうまく編集してもらってTVCMを作りました。 ただ、ラジオCMはさすがに肉声がほしく、そのぐらいなら時間取れるということになったので音声の編集室でお会いしたわけです。 夕方から台詞録りが始まったんですが、彼が着いたとき、トレーニング帰りだったのか、でっかい全身から湯気がもうもうと立ち上がってました。 そんな人間をかつて見たことがなかったのでかなり面食らったんですけど、その時の彼は不機嫌そのもの。 ドカーッとソファに座って、 「で?何したらええねん」。 原稿を渡し、ちょっとこれだけ分量あって長
謹賀新年 明けましておめでとうございます。 皆さまは、ちびまる子ちゃん、ドラクエ、ピクサーと、コシモの共通点をご存じでしょうか。 今年で30周年なんですね。 自分が広告クリエイターとしてこの業界に入ってから早30年。 まだまだ現役としてやらせていただいています。 旧年は自分がクリエイティブに携わったほぼ全ての案件で想定を超えるKGI、KPIのスコアを出すことができました。 新年もスタートダッシュで新しいプロジェクトがいくつも始まります。 ここまで来られたのも、いま頑張れているのも、理解あるクライアント様、広告代理店様、力あるプロダクション様、様々な協力会社様、フリーの方々の支えによるものです。 改めてお礼を述べさせてください。 また、今後もより一層のご支援を賜れば嬉しい限りです。 よろしくお願い申し上げます。 小霜和也 拝 昨年度の活動ご報告 ・クリエイティブディレクター/コピーライターと
たとえばクリエイターが、このような商品、あるいはその画像をどこかで見たとします。 それで、何かビビッと来るものがあった。 おそらくそれは、 「生き物とか何か物体の、端っこと端っこだけが見えてるのって可愛いな」 ってことでしょう。 これを「元ネタ」としてデザインするとしたら、どこまでが「パクリ」「コピペ」で許されず、どこからが「モチーフ」「オマージュ」として許されるのでしょうか。 たとえば黒い猫を白い犬に入れ替えたら? 「別のもの」として権利関係の問題はクリアできるかもしれません。 でもクリエイターとしては恥ずかしい。 上記の写真は「La merise」という実在するブランド商品のものであり、その販売を妨害するおそれがあるわけで、確信犯としてやるのは職業倫理的に許されません。 では、ドラゴンだったら? ファンタジーの生物であり、魅力的に感じる人たちの層も違って来そう。 犬よりはずいぶんいい。
東京オリンピックエンブレムの件で佐野君を非難している人が多いようだが、これは完全に的外れと言うものです。 なぜならば、クリエイティブの責任は「作る側」ではなく「選ぶ側」が負うものだからです。 今回、100以上のデザイン案が提出されたと聞いていますが、その中には見たこともないような斬新なものもあったでしょう。 おそらくそういったものと比すと、佐野君の案は「わりと普通」のデザインだったと思います。 では選考委員会がなぜ「わりと普通」のものを選んだかというと、斬新なデザインは「先鋭的」「独創的」な印象を与える半面「マイナー感」「小ささ」を与えがちですが、「わりと普通」なデザインは「メジャー感」「大きさ」を与えがちで、後者の方がこれから日本が目指す方向性、世界から期待される日本のイメージに合致していると考えたからでしょう。 そして、そのメジャー感を出しつつも、ある程度の独創性も欲しい、という中での
先日、小西利行くん、佐々木圭一くんと久しぶりに3人で飲みまして。 3人で揃って飲むのはもう10年以上ぶりかなあ…。 僕は広告代理店時代に彼らのトレーナーをやっていて、彼らからすると最初の師匠と言うことになります。 小西くんはPoolを立ち上げCDとして大成功を収めているし、佐々木くんは「伝え方が9割」で大ヒットを飛ばすなど、やはり自分の関わっていた人たちが活躍しているのは嬉しいもの。 それで、当然ながら昔話に花が咲き…。 その一つとしてこんなものがありました。 佐々木くんが初ボーナスをもらったとき、それで2人に奢ると。 いつも奢ってもらってばかりだからたまには自分が、と言い張るので、じゃあそうしてもらおうかと。 誰に聞いたのか 「ここはうまいらしいですよ!」 という寿司屋をどこだったか予約して、飲み食いしてお勘定になり、 「ここは僕に任せてください!」 とカウンターに向かったものの、頭を下
最近、CMやWEBムービーが、とにかく炎上します。 社会が複雑化する中で、誤解を招くメッセージを企業が思わず発してしまう、といったケースがどんどん増えて来ています。 そういう意味で僕がずーっと気になっているCMがあります。 「ガイアの夜明け」の枠でオンエアしているこの富士通のCM。 https://www.youtube.com/watch?v=x3cRGccfY-U トンマナはとてもヒューマンで、その街の足としてずっと働いて来たタクシー運転手さんが、子どもの飛び出しを事前に察知して事故を防ぐ。 そういった経験スキルを、これからはICT技術でみんなで共有できるよ、といった主旨。 でもこれ、見方によってはとても恐ろしい内容のCMとなります。 どういうことかというと、コツコツと磨いてきた職人の技を、これからはテクノロジーで全て奪い取ってやるぞ、という宣言になっていると言うこと。 「すごーい!で
np.無料広告学校第8期の募集が始まりました。 毎年十数名の枠に対してだいたい百名前後の応募があります。 今期はすでに問合せもかなり来ていることから見て、さらに狭い門になることは間違いないでしょう。 そこで、適切な人のチャンスが奪われないように、ここで少し「ふるい」にかけておきたいと思いました。 僕が「来てほしくない」人はどういう人か、以下に書きます。 まず、宣伝会議賞コピーが広告コピーだと思ってる人。 その手のコピーを書けるようになろうとして入校しても、間違いなく役に立ちません。 そういうコピーの書き方は教えません。 宣伝会議賞はもともと真木準さんが始めたものだったように思いますが、一般人向けにおもしろコピーを募集することで広くコピーというものの存在を知ってもらおう、というところに主眼があったはずです。 サラリーマン川柳を募集することで川柳になじんでもらい、その中から人によっては俳句の世
これは本にも書いたことだけど、CIというものについて実に多くの人が誤解しています。 CIとは、企業アイデンティティがその時代に合ってるかどうかを点検する作業。 もっと具体的に言うと、将来に向かってもっと効率的なビジネスモデルを構築し、それを社内外に知らしめる作業ということです。 CIコンサル会社ですらほとんどがそれをわかっていない気がします。 半年とか1年とかかけて、調査や会議を重ね、昔の電話帳みたいなレポートを提出して、企業はそれに何千万円も支払ったあげく、出て来たアウトプットは「僕らってこうだよね。世の中を良くするためにがんばってるよね」的な自己肯定スローガン。 企業側もそれで「やった感」を持っちゃうのが何とも、ハア、というかんじなのですが。 「僕らはこうだ」的企業スローガンを決めちゃうと、その企業はそこから一歩も動くことができません。 そんなスローガンはむしろ害にしかなりません。 企
2011年3月、僕はいわき市の避難所に炊き出しに行きました。 当時は放射性物質が東京にも大量に来てると騒がれていて、西に疎開する人が多くいました。僕はへそ曲がりなので逆に福島第一原発に最も近い避難所にボランティアに行ってやろうと思ったんです。 CM撮影の現場では、「ケータリング」と呼ばれる業者さんが食事を作りますが、けっこう工夫が凝らされていて美味い。映画やドラマではコンビニ弁当ですませたりということもあるようですが、CMでは食事の質は非常にうるさく言われます。おそらくクライアント商売というカルチャーでそうなっているのでしょう。 僕は被災者の方々はすでに自衛隊のカレーや豚汁には飽きているだろうから、美味いケータリング業者を雇って避難所に行こうと考えたわけです。 そこである業者さんに声をかけたところ、彼らは「それなら自分たちのお金でやりたい」と言いまして、初回は彼らが主体、僕らがサポートする
今日、小保方さんが記者会見を開きましたね。 どうなんでしょう。今後、彼女は世の同情票を集めることになるのでしょうか。 テレビでSTAP細胞の話題になると、コメンテーターの誰かが決まって 「結局、STAP細胞があるかどうかでしょう」 「可能性を潰すのはもったいない」 「小保方さんだけを悪者にしてはいけない」 などと言います。 報道ステーションの古館氏も「STAPがあるかどうかだけをみんな知りたい」と。 ネットの書き込みを見ても、似た感想を持たれる方が多いようです。 が、ハッキリ言わせていただければ、そういった視点は間違っていると思います。 ズレズレです。 STAP問題について一般の人たちは小保方さんを擁護、あるいは同情しがちのようですが、僕の親しい研究者たちは皆さん激おこぷんぷん丸です。 これはきっと、「お金」について無頓着でいられるか否かの差でしょう。 いわゆる「研究費」というものの多くは
SNSをやっていると、突然罵倒されることがある。おまえはバカだ、何もわかってないゴミだ、最低の広告屋だ、などと。 勝手に友達申請をして来たり、フォローして来たりして、ただ罵り上げて勝手に去って行く。そういう人たちの過去の言行を見ると、誰かの批判や誹りばかり。 そして、彼らにほぼ共通するキーワードがある。 「反原発」だ。 反原発ということなら、僕は3.11のとっくの前から反原発だ。自宅の電気は天然ガスによる自家発電でまかなっている。この装置は百万円以上かかった。発電は電気を使用する場所に近いほど効率が良い。都心のど真ん中に発電所があればエネルギー効率は2倍になる。 3.11の直後は、福島第一原発に最も近い避難所で炊き出しをやろうと言うことで、ケータリング業者を連れて行った。当時は宅配便のトラックも近づくのを拒否していると言われていた。南相馬は大きな避難所がないということで、いわきに行った。余
僕のような独立系のCDが広告代理店から受ける依頼は、ほとんどが競合プレゼンです。代理店内のクリエイティブチームにCDとして参加して、プレゼンを勝利に導いてほしいと。けっこうな重責を担わされます。 大きなキャンペーンとなるとマーケティング(ストラテジー)プラン、クリエイティブプラン、メディアプランなどと複合的なプランの提案になるのですが、やはりクリエイティブが要となることが多いのです。 さて、では競合プレゼンに勝つにはどうすればいいか。 誰も発想できないような素晴らしいクリエイティブを考えて提案すればよい? 全く違います。 どんなに偉大なクリエイティブを思いついたとしても、クライアントのオリエン、求めているものと違ったらそれは選ばれません。 営業さんはクリエイターの暴走を鎮めるために、よく「勝たなきゃ意味ないんで」と言います。 まずクライアントに受け容れてもらえる案を考えましょうよ、勝たない
おれの部下なりたい人いるかね。肩書きはコピーライターになると思うが、「言葉いじり」は求めない。アイデアを出せる人。広い意味でアシストしてくれる人なら採用したい。 これまでnp.で何人か若いコピーライターを採用してきた。しかし残念ながら、ことごとくやめたり、やめさせたりしてきた。採用する時は大いに見込みがありそうで、期待をかける。ところが仕事になるととたんに使えない。成長しない。この現象はなんだろうかと悩んでいたのだが、一つの仮説に辿り着いた。 採用時、彼らは自分の表現力をアピールするために、宣伝会議のコピーライター養成講座で書いたコピーを持参することが多い。そういった表現物や、あるいはこちらから出した「〇〇のコピー」「〇〇のCM企画」を考えなさい、といった課題への回答を見て独創的なものがあれば評価するわけだが、そこに落とし穴があることに気づいた。それが独創的であっても「出題側の意図をどこま
np.無料広告学校の第五期が始まった。今期は過去の講義録を読み、その厳しさをわかった上で応募して来ている人たちばかりだから例年より質が高い気がする。しかし広告の基本的なストラテジーを考えさせてみると、詳しく解説していたにもかかわらず、ほとんどが腰砕け状態。うちの事務所の新人にしてもほぼ例外なくそうだけど、巷のコピー塾や広告学校出身でちょっと広告の匂いをかいだ人ほど、広告について間違った認識を持っている。商品USPやターゲットインサイトという言葉すら知らない、ぐらいではもう驚かなくなったが、広告表現に臨む姿勢についても変な理解をしている。ゴルフを始める時はちゃんとしたプロに習えという話を聞いた。いいかげんな人に教わると、まちがった癖がついてしまって後から大変なことになると。それに近い印象がある。さらにどうしようもないのは、就職してから上司の指示を馬鹿にする人。あるエージェンシーのコピーライタ
もうずいぶん前、博報堂でコピーライターをしてた頃、ある営業さんが新しい仕事を持ってきた。それは「はがき」だった。化粧品会社のエスティローダーが顧客に送るはがきのコピーを書いてくれというもの。仕掛けのある凝ったDMとかそういうものでもない、ただの官製はがき。当時博報堂はエスティローダーの扱いが全くなく、その営業さんが個人的なつてを利用してようやくそのはがきの仕事をもらってきた。僕はなんじゃその仕事はとやや呆れながらも受けることにした。周囲には「そんなの適当にやれよー」という人もいたが、受けたからにははがきであれ新聞15段であれ頭の使い方は変わらない。先輩ADといっしょに3案ほどラフを作った。それをボード張りしてプレゼンした。手のひらサイズのちっこいボードを並べながら「A、B、C、3案ございまして…」というプレゼンはなんだかギャグのようだったが、得意先は感激したらしい。それがきっかけで大きな競
いま、あなたは自宅の、あるいはオフィスのPCでこのブログを見ているだろうか。あるいはカフェでスマホやタブレットで見ているだろうか。だとしたら、目の前に木やガラス、ステンレスの「板」があると思う。それは一般的には「テーブル」あるいは「デスク」などと呼ばれたりもするはずだ。その、「板」と「テーブル」の違いは何だろうか。 その違いは、価値だ。板は売れない。たいした価値がない。しかし、誰かがそれを「テーブル」と呼んだ瞬間、1万円になったり10万円になったりする。人間が、「テーブル」という意味づけをすることで初めて、ただの板は価値を持つようになるわけだ。 価値というものは、人間がどういう意味づけをするかによって決まる。たとえば宝石。こんなものは何の実用性もない。ただ光の透過性が高くて数が少ないというだけのものだ。でも、それを身につけることでその人のステータスがわかる、という意味を持ったり、女性に贈る
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『小霜和也のブログ | noproblem 小霜和也』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く