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わたしは以前から「朗読」には音楽をつけないほうがいいという考えである。音楽の側がよほどの配慮をしないと、朗読が食われてしまうだろうと思っていた。最近、S.K.ランガー『芸術とは何か』(岩波新書E50)で、「同化の原理」というものを読んだ。ひとつの芸術ジャンルが他の芸術ジャンルを同化してしまうので、二つの芸術の同居はあり得ないというものである。 これは次のように結論づけられている。102ページ 「すべての作品は、ただ一種類の芸術のなかにその本質的な存在を保っている。さまざまな芸術によって組み立てられた作品は、ただ結合されたのではなく、そのうちの一つを除いて、他はすべてもとの姿ではなくなる。」 具体的にはいろいろな例があるが、朗読と音楽との関係では、詩と音楽との関係が近いだろう。101ページ 「すぐれた詩を巧みに作曲した場合を考えてみよう。その結果はすぐれた歌曲である。」 「詩的創作は、歌のな
ここしばらくAmiVoiceを使ってきましたが、ふと思いついてドラゴンスピーチを取り出しました。ちなみに、この記事の入力もドラゴンスピーチを使っています。久しぶりに使ってみて、その軽快さにまた感心をしています。 ただし、わたしの使っているドラゴンスピーチは半年以上の訓練を経たものです。かなりの数のユーザー単語を登録してあります。ほとんど、思い通りの入力ができます。あらためて、AmiVoiceとの比較で感心したのは、単音のひらがなの入力がスムースに行くということです。この点は、AmiVoiceでは難しい点です。 これまた述べておく必要があるのは、わたしのAmiVoiceは、まだ2ヶ月しか使っていません。ですから、今後の展開として、どのように成長するか予測がつかないのですが、これから、音声認識ソフトを購入する人にとっては次のようなことが言えると思います。 (1)今すぐに音声認識でそれなりの入力
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今回の芥川賞作家・川上未映子さんのエッセイが、東京新聞3月6日に載っていました。一目見て、わたしは文章の芸というものを感じました。 まずはお読みください。以下のセンテンスはわずか三つです。それをどのようにつないでいるか意識しながらお読みください。 「小説や文章の原稿依頼は前作が候補になったあたりからそんなに変わらずに、直線が先の方まで伸びてゆく、といった感じでしたが、さすがにこのたび芥川賞を受賞して、取材のご依頼などなどが集中して、この1ヶ月は多い日で一日で五件とかをほとんど毎日繰り返し、そして短編、コメント、朝起きてエッセイやそれにまつわるゲラの見直しなどをして、こういうのを多分「忙しい」というのだと思うのだけれど、実感としては、何かとてつもなく巨大なものが巨大な足を一歩踏み出して、ぶんと時間をひとまたぎ、それを下から見上げてた、というような感じであって、誰が何をしていたのかが、はっきり
このシリーズのきっかけは、「蜘蛛の糸」をテキストにして朗読の実験的なパターンを16通り録音してみたことです。そして、わたしの「蜘蛛の糸」のよみをまとめとして示しました。(参考=『Web表現よみ入門』) 第10回は、高低アクセントによる読み調子です。日本語のアクセントというと、高低アクセントというのが常識のように言われます。しかし、わたしの考えでは、日本語のアクセントにも強弱があります。というよりも、むしろ、強弱アクセントの方が優勢だと思われます。いわば強弱が8割で高低が2割くらいの感じです。 アナウンサーでも実際には高低アクセントではなく強弱アクセントで読んでいる人の方が多いのです。男性アナウンサーはほとんど強弱アクセントです。男性アナウンサーの高低アクセントには、2、30年前の古い録音などで出会うことができます。近ごろでは、女性アナウンサーの高低アクセントも珍しいものになりつつあります。
(1)学校風朗読―教科書を読み上げるとき文節で区切って止めを力む (2)ヒロシ風朗読―悲しみの感情がよみの全体を占めている (3)講談風朗読―2音節目を強くあげると講談風になる (4)落語風朗読―講談よりもややくだけた「語り口」である (5)女性アニメ声優風―口先の発声で鼻にかけると子どものようになる (6)天に向う朗読―聴き手に聴かせるのでなく自己に陶酔する感じ (7)テレビ特派員風―遠方の地から放送をつうじて人々に呼びかける (8)落語風朗読―(4)よりもリラックスして録音したもの (9)外国人吹き替え風―テレビで外国人の語りを日本語で吹き替える (10)高低アクセント朗読―高アクセントは女性の場合裏返りやすい (11)強弱アクセント朗読―男性アナウンサーの声の実質は強弱である (12)演劇風朗読―地の文もセリフも舞台上のナマの声でよむ (13)朗読的表現(演劇との比較用)―ナマの声を
今回は、こがわ法律事務所webnotesの「朗読と著作権(3)」についてのわたしのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある) ●「朗読」の創造性 こがわ氏は結論的にこう述べている。 「朗読」が原著作物のの「複製」でないとすれば公衆送信は、原著作物それ自体の公衆送信にはあたらない。 「公衆送信」という用語の意味は、インターネットで複数の人たちに見せたり聞かせたりすることである。「朗読」の場合には、ネットで録音を聞かせることになる。 ここでも問題は文字メディアと音声メディアのちがいである。音楽の場合、「複製」も音声メディアであるし、映画の「複製」にもメディアの変化はない。ところが、「朗読」は、原著作物をメディア変換している。それは創造的な行為である。 福井健策『著作権とは何か』(2005集英社新書)はアメリカの著作権問題の事例
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