サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
saisenreiha.hatenablog.com
以前「自己啓発、ニューソート、スピリチュアル関連文献」をメモしたが、その後も少しずつ文献を読み進めている。 http://d.hatena.ne.jp/saisenreiha/20141002/1412266192 島薗進『ポストモダンの新宗教』東京堂出版、2001年、48-52頁によれば、(新)新宗教の中には、ニューソート的な自分の心を操縦し、つねに明るく安定した状態に保とうという信仰を持つものがあるそうだ。古くは生長の家、ひとのみち教団、GLA、幸福の科学、白光真宏会、阿含宗、ワールドメイト、オウム真理教。さらにほんぶしん、自然の泉、法の華三法行、ESP科学研究所。また「明るさ」の強調は、新霊性運動や自己啓発セミナーなどの現象とも符節を合わせているとされている。(52頁) また吉本伊信が浄土宗系統の修行法から開発した「内観」という心理療法の技法が、ほんぶしんやGLA、幸福の科学にも影響
牧野智和『自己啓発の時代』読んだ。1990年代から2000年代にかけて、以前は不可視だった内的世界を技術的な働きかけの対象と見なそうとする「内面の技術対象化」が起こったこと、自己啓発メディアが自己をめぐる再帰性を止める基底的参照項をを示していることを明らかにしている。 牧野智和『自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究』勁草書房、2012年 自己啓発的な価値観は社会のメインストリームの一角を占めると言っても良いくらい、社会に深く浸透していると思うが、オカルト起源。スウェーデンボルグの影響を受けたニューソートという19世紀アメリカのキリスト教運動が源流。ナポレオン・ヒルのような成功哲学の本によって広まった。 自己啓発とニューソートの関係について。 速水健朗『自分探しが止まらない』ソフトバンク新書、2008年 バーバラ・エーレンライク『ポジティブ病の国、アメリカ』河出書房新社、2010年
アカデミックモブとは、誰かが時間と日時を指定して呼びかけて、そこに集まった人たちがアカデミック雑談をするという、お手軽な集会です。 私は、仙台で「仙台哲学カフェ」という、人々がカフェに自由に集まって色々なテーマについて話し合うというイベントを主催していました。しかし、関東に引っ越してからは、哲学カフェもできなくなってしまったので、また少し違ったことをはじめました。 哲学カフェでは、哲学から社会まで、色々なテーマを決めて、そのテーマについて話すということをしていましたが、今度はテーマを決めずに、でも学問研究についての色々な話を、気軽に、楽しくできる場所があれば良いなと思って、アカデミックモブという集会を考えてみました。 フラッシュモブという、ネットの呼びかけに応じて、人々が集まり、何かを一緒に行って、すぐに解散するというイベント形式があります。私は、そんな感じで、アカデミックな雑談をしたい時
Wikipedia用に、ミュンスター再洗礼派についての簡単な紹介記事を書いてみました。利用者名:Saisenreiha、利用者ID:555343 で、Wikipediaの記事「ミュンスターの反乱」に大幅加筆しました。 ミュンスター再洗礼派 ミュンスター再洗礼派(Täufer in Münster)は、1534年から35年にかけてドイツ北西部ヴェストファーレン地方の中心都市ミュンスターを統治した宗教改革急進派の一派である。 1. 活動の概要 ミュンスターの宗教改革*1 ミュンスター再洗礼派は、1532年から本格化したミュンスターの宗教改革運動から派生した宗教改革急進派の一派である。 ミュンスターで宗教改革が本格化したのは、1532年1月のことであった。既に1530年から、ミュンスター近郊にある聖モーリッツ教会 St. Mauritz でベルンハルト・ロートマン Bernhard Rothma
博士論文紹介「1525-1534年ミュンスター宗教改革・再洗礼派運動 〜都市社会運動の総体把握の試み〜」 私は昨年度東北大学大学院に博士論文を提出し、博士号をいただいたのですが、この博士論文について、少し紹介させていただきたいと思います。 課題 この論文で私が扱ったのは、論文のタイトル通り、ミュンスターの宗教改革と再洗礼派運動についてです。では、この論文は、他の宗教改革や再洗礼派運動研究とどこが違うのかと言えば、この論文が、運動の全体像を把握しようとしていることになります。 1960年代以降発達した宗教改革研究では、都市共同体に注目が集まりました。共同体の宗教的、さらには世俗的な自治権を拡大することが、都市で宗教改革を進めようとした市民たちの動機だったというのです。この考え方は、後にブリックレによって農村共同体にも拡張されました。 しかし、このような研究には大きな問題がありました。それは、
この間の「博士ネットワークミーティング」で、歴史ネタをコンテンツ産業にいかに売り込んでいくかという話が出てきましたが、TWITTER上で突如として西洋史や東洋史ネタで面白い雑誌が作れるのではないかという議論が始まり、大変な盛り上がりを見せました。 個人的には、これは非常に重要な出来事だと思っています。というのは、西洋史をネタにして、10人以上の人が参加して小さいながらも「祭り」を行うことができたからです。今後歴史は面白いんだ、西洋史は面白いんだ、ということを歴史学の研究者の外側に伝えるためには、歴史に携わる者がワクワクしていたり、夢中になっていたり、盛り上がっていたりしている様子を見てもらう必要があると、私は思っています。そのため、このように歴史を使ってみんなで盛り上がる、祭りを行っていくことは、歴史学の需要を増やし、市場を広げるために不可欠なので、今後の歴史学会にとって極めて重要だと私は
「カレントアウェアネス・ポータル」さんで、オーストリアで開催された“EduMedia Conference”で行われた「学術会議中の参加者のTwitterの使い方」に関する報告が紹介されていました。報告はpdf で9ページという結構長いものなので、私はまだ読んでいませんが、面白そうですね。 http://lamp.tu-graz.ac.at/~i203/ebner/publication/09_edumedia.pdf http://current.ndl.go.jp/node/12984
はてなの取締役の梅田望夫さんが、インタビューで日本のネットの現状が残念だと述べたために大炎上して凄いことになっているようです。 ただ、素晴らしい能力の増幅器たるネットが、サブカルチャー領域以外ではほとんど使わない、“上の人”が隠れて表に出てこない、という日本の現実に対して残念だという思いはあります。そういうところは英語圏との違いがものすごく大きく、僕の目にはそこがクローズアップされて見えてしまうんです。 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045_3.html 私は日本の状況も英語圏の状況も良く知りませんがid:himaginaryさんの日記で、英語圏では超一流の経済学者がブログなどで議論を行っているのを見て、日本ではこういう超高レベルかつ実際の政府の政策決定に大きな影響を及ぼすような議論がネット上で行われたという話は、余り
私は以前ドイツで公開された『Sommer vorm Balkon』という映画を見た際に、「孤独と貧困」という日記を書いたことがあります。これは、現代ドイツでも近世の都市でも、貧困に落ちる人々の多くが家族などの安定した人間関係を持っておらず、社会的に孤立していることについて書いた文章です。 この「孤独と貧困」あるいは「貧困と人間関係」というテーマは、社会的排除の核心とも言える重要問題なのではないかと、私は感じています。私は、昨年公刊した「宗教改革期ミュンスターの社会運動 (1525-35年) と都市共同体 ―運動の社会構造分析を中心に―」(「西洋史研究」新輯第37号、2008年、86-117頁) という論文で、ミュンスター再洗礼派運動の支持者の社会階層を分析しました。そこで明らかになったのは再洗礼派になる傾向が強かったのは、子供を持たない独り身の成人女性、家を持たない貧しい成人男性だった蓋然
さる2月7日土曜日に、東北大学のグローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点」の開始記念式典と公開講演会があったので行ってきました。公開講演会と銘打ってあるので気軽な気持ちで行ったのですが、来場者のほとんどがフォーマルな格好をして来ており、受付で名札が渡されるなど、関係者以外が来ることを余り想定していない雰囲気だったので、少々申し訳ない気持ちになりました。 最初にCOEの趣旨説明や組織編成などが説明されていました。 最初の講演は、同志社大学の橘木俊詔先生による「格差社会の行方」でした。橘木先生は、最初に1998年の『日本の経済格差』を出版した後生じた論争についてコメントをしていました。また、先生は絶対的貧困と相対的貧困を区別し、OECDの調査で算出された日本の相対的貧困率15.3%は17.3%のアメリカに次いで先進国中第二位だったと述べ、絶対的貧困率が低いからと言って日本の貧困
「Google Books」では、古い文献がpdf でダウンロードできるようになっている場合があるので、なかなか侮れません。また、本文がテキスト化されて検索できるので、索引や辞書代わりにも仕えて非常に便利です。 日本の図書館が持っていないような史料が平気で上がっているので、古い著作権切れ文献を使いたいときには、先ず「Google Book」で検索してみるというのが習慣になりそうです。 再洗礼派関連の史料集も出てきます。 Joseph Niesert, Münsterische Urkundensammlung, 1826. また、「Internet Archive」というサイトでも、様々な文献が検索できます。「Google Books」の情報も検索できるので、こちらで検索した方が効率がよいかも知れません。 こちらでもミュンスター関連の貴重書を見ることができます。 Ludwig Keller
エインズリーの『誘惑する意志』で有名になった双曲割引の基づく時間選好ですが、日本でも色々論文があるようです。CiNiiで「時間選好」で検索すると36件が引っかかります。 Wikipediaでも、「Intertemporal choice」の項があります。 和田,良子, 異時点間の代替性とリスク態度を区別する実験, 敬愛大学研究論集 67,265-283,20050000(ISSN 09149384) (敬愛大学経済学会 編/敬愛大学経済学会/敬愛大学・千葉敬愛短期大学) http://ci.nii.ac.jp/naid/110004634605/ 和田,良子, 現在バイアスの存在と異時点間のセルフ・コントロール問題を扱うモデルの実験による検証, 経済文化研究所紀要 9,125-144,20040300(ISSN 13492446) (敬愛大学経済文化研究所/敬愛大学・千葉敬愛短期大学) h
「ライフハッカー」というサイトで、「アメリカで、採用時に重要となる能力は?」という記事がありました。この記事によれば、以下の通りです。 問題解決能力と決定力…………………… 50% 口述と筆記でのコミュニケーション能力…… 44% カスタマーサービスや記憶力……………… 34% パフォーマンスや生産性…………………… 32% 他方、バーバラ・エーレンライクの『捨てられるホワイトカラー 格差社会アメリカで仕事を探すということ』東洋経済新報社、2007年によれば、アメリカでホワイトカラーになるためには、性格とコネが最も求められるそうです。 採用されるときに一番重視されるのはイメージなので、とにかく「勝者の振る舞い」をする、つまり自信たっぷりで、後ろ向きなところを欠片も見せない、ポジティブさの固まりのような態度でいることが求められるのだそうです。また、イメージが重要なので、見た目を良くすることが
一年に一度、日本の歴史学を概観するための貴重な機会となっている「史学雑誌 第117編 第5号」の「2007年の歴史学界−回顧と展望−」ですが、今年はビザンツ中世史で重大な問題提起がされていました。 「回顧と展望」記事の執筆はきわめて重い仕事であるが、評者はあえてわが国のビザンツ史研究の全般的な問題点を糸口としたい。それは、研究者に社会や学会全体から要請されるべき学問的誠実さが、しばしば蔑ろにされてきたことである。明らかに剽窃や盗用に該当するような行為、欧米の著名な研究者の学説をあたかも自説であるかのように語る行為、自説に都合のよいように研究史を恣意的に改変・軽視する行為に対し、警鐘を鳴らしたり自重を求めたりする意見がこの場で表されることはほとんどなかった。こうした学問的不正が、日本語で書かれた業績が欧米の学者からは一切参照されず、加えて国際的な学術交流も乏しいという、学会の特殊な構造に起因
日本の社会的ジレンマ研究の第一人者である山岸俊男先生のサイトで、過去に発表された論文がpdfファイルでダウンロードできます。 審査付き論文 紀要論文 また、「日刊イトイ新聞」で、長文のインタビューがありました。 信頼の時代を語る。山岸俊男さんの研究を学ぼう。 たぶん、集団を作って、 その中だけで生きていくのは、 すごく簡単な生き方なんですよね。 西洋が、なぜそういうやり方をしないで 集団の境界を弱めて、効率をよくしようとするか? ・・・そこに興味があるんです。 その原因としては、基本的には 商業的な考え方から、来ると思います。 集団の中にある限界を定めて、 その中で人々を支配する人にとっては、 集団主義はむしろ都合のいいシステムなのですが、 そうやって集団の境界を定めてしまうやり方は、 商業にとっては、完全に「敵」になりますから。 「第3回 人類史上、99.9%が集団主義の社会だった・・・
ドイツに行って思ったのは、店員や事務員が余り感情労働をやっていないことです。日本と比べると全般的に無愛想で、仕事も大雑把でいいかげんで、日本のサービスに慣れていると、何て酷いと思うようなことも良くあります。 そして分かったのは、別に店員や事務員の愛想が悪かろうが、仕事がいいかげんだろうが社会は回るし、たいした問題はないということです。日本のサービスは消費者にとっては素晴らしいかもしれませんが、あんなにサービス水準が高くなくてもそんなに困りません。 これは逆に言えば、日本では不必要な過剰サービスのために労働者が余計な仕事を押しつけられているとも言えるわけです。私は安い時給で、声色を作り、作り笑顔を浮かべて必死に感情労働をするバイトの店員を見る度に、日本で働くのは大変だと思うわけです。何故そういうことを日常的に感じるようになったかというと、ドイツのスーパーの労働条件の違いを毎日見ていたからだろ
バーバラ・エーレンライク、曽田和子訳『ニッケル・アンド・ダイムド アメリカ下流社会の現実』東洋経済新報社、2006年 を読みました。以下は、この本に関する私的なメモです。 先ず、全体的な感想としては、アメリカの貧困層の生活は想像以上に酷いと言うことでした。低賃金であるため働いているのに困窮するというのは日本も同じですが、アメリカでは日本よりも仕事を見つけるのも採用されるのも大変だし、企業の労働管理が厳しいので仕事もきつく、住宅条件が悪いために、ワーキングプアを取り巻く状況はより一層厳しいようです。 仕事を見つけるのが大変 フロリダ州キーウェストでは20社に願書を出してどこからも連絡が来なかった。p. 25 職に就くために尿検査と性格検査を受けなければならない 大企業の81%が採用前の薬物検査を義務づけている。p. 25. 検査をしても欠勤や事故や労働移動は減らず、逆に生産性が低下していた。
OECD諸国におけるホームレスの定義及びモニタリングに関する調査 OECD諸国におけるホームレス政策に関する研究(その1) ANALYSIS OF THE DEFINITION OF HOMELESS PEOPLE AND FRAMEWORK FOR MONITORING HOMELESSNESS Study on homeless policies in OECD countries (No.1) 長谷川 貴彦 英米両国におけるホームレス政策の再構築の方向性に関する考察 OECD諸国におけるホームレス政策に関する研究 (その2) ANALYSIS OF THE WAY HOMELESS POLICIES ARE RESTRUCTURED IN THE USA AND UK 長谷川 貴彦
id:Shorebirdさんのブログで、エインズリーの『誘惑される意志』についての日記が上がっていました。その中で、双曲割引がどのように進化論的に説明できるかの仮説が書かれていました。 ありそうなのは,個人の効用の評価関数が不安定だということだ.今欲しいものは明日には欲しくないかもしれない.2年後ならなおさらだ.この評価期待値の低減率が時間に対して一定でなく,ある条件が満たされているうちは小さく,何らかの事情が生じて必要でなくなると急に大きくなるのであれば双曲割引の方が合理的だろう. もうひとつ考えられるのは,将来に入手が確実だということは動物でもヒトの農業以前の環境でもあまりなかったであろうということだ.入手確率は一定割合で逓減するのではなく(それなら指数的に割り引くべき)ある条件の満たされているうちは低減率が低く,どこかで(嵐があったり,別の誰かに食べられたりして)急に入手確率が低くな
【CJC=東京】主要なイスラム教学者138人が、世界中のキリスト者に宛てた声明「私たちとあなた方の間の共通の言葉」を10月11日発表した。声明の日付になっている13日はイスラム教徒の断食月のラマダン明けの祭りを控えてのもの。 (中略) 声明は、ローマ教皇、正教会総主教14人、東方正統教会の首長5人、カンタベリー大主教、ルーテル世界連盟議長、バプテスト世界連合議長、世界メソジスト評議会総幹事、世界改革教会連盟総幹事、世界教会協議会総幹事ほか「あらゆるキリスト教会指導者」に宛てたもの。 この声明を受けたキリスト教側は戸惑いを隠せない。世界平和への不可欠な段階となるものなのか、反応も歓迎から慎重なものまで様々だ。 バチカン(ローマ教皇庁)の諸宗教対話評議会議長のジャン=ルイ・トーラン枢機卿は、声明に新たな立脚点があることは評価している。英国国教会(聖公会)の霊的最高指導者カンタベリー大主教ローア
ダンバーという研究者によれば、人間の言語が生まれたのは、社会的な紐帯を保つためだそうです。集団で生活する霊長類は、毛繕いという社会的コミュニケーションを通して集団のメンバー同士の相互信頼を増大させるそうです。しかし、集団の規模が大きくなりすぎると、毛繕いをしてコミュニケーションを取るために、余りに時間と労力が掛かりすぎてしまうため、毛繕いよりも効率よくコミュニケーションできる言語が発達したのだそうです。また、誰が信用できるのか、できないのかを情報交換するために、噂話を行うようになったそうです。 この説を鑑みると、特に私的なコミュニケーションでは、一見それ自体は有用性がないように見える、とりとめもないおしゃべりや噂話が支配的であることにも納得が行きます。つまり、話している内容ではなく、話していることそれ自体が言語によるコミュニケーションの目的と言うことになるのでしょうから。ハイデガーなどはこ
「南ドイツ新聞」のサイトを見ていたら、ドイツの過労自殺についての記事がありました。「Überlastung im Job. "Die Arbeit hat ihn umgebracht" (過労。「仕事が彼を殺したんだ!」)」 この記事によれば、フランスで連鎖的な過労自殺が起こり社会を揺るがしたが、ドイツでもこの問題は人事ではないそうです。ドイツでは、過労自殺の問題はタブーのようで、実態も把握されていないと言うことです。しかし、過重労働のためにうつ病などの病気になる人は激増しているそうです。 日本でも、失業者や非正規労働者が激増する一方、正社員の仕事の負担が激増しており、精神的プレッシャーや過労のためうつ病になったり、自殺する人は増えております。特に働き盛りの30代のうつ病が増大していることは、NHKでも特番が作られるなど、社会的問題として認知されてきていると思います。程度には大きな差があ
先日「貧者の尊厳」という日記を書いたところ、id:sumita-mさんからトラックバックを頂きました。自分の研究関係の日記に言及を頂くというのは、おそらくこのブログ始まって以来の出来事なので、嬉しく思うと共に、恐縮しております。 非常に示唆に富む文章だと思う。ただ、「名誉(honor)」と「尊厳(dignity)」という2つの概念をほぼ交換可能なものとして使っているのはどうかなと思う。というのも、ピーター・バーガーはこの2つの概念を近代社会と前近代社会(伝統社会)を分かつメルクマールとして使用しているからである。 (中略) ここでの引用に付け加えれば、重要なのは、個人を「役割」に結びつけることによって、より宗教的に言えば様々な守護聖人を介して神へと結びつけることによって、居場所を与えていたコスモロジーが、それを支えるplausibility structureとともに、機能しなくなった、或
少し前に話題になった赤木智弘さんの「『丸山眞男』をひっぱたきたい」と「続『丸山眞男』を ひっぱたきたい」」がネットで公開されていました。 この文章は、社会的尊厳を得られない者が、社会的尊厳を得るためには、日本人であるという属性だけで尊厳と社会的承認が得られる右派が力を持った方が合理的であり、社会的エリートに対してより優位な立場に立ち、より多くの尊厳を得るためには、戦争という流動的な状況の方がより合理的であることを説明したものです。つまり、現在の社会的弱者が、他人からの承認を得たい、尊厳を回復したいと思った場合、戦争を望むインセンティブが発生するので、そのようなインセンティブが発生しないような社会を作った方が良いですよと勧めている文章です。 基本的に、現在の社会の問題を強調するための極論なのですが、私がこの文章の中で面白いと思ったのは、ここで問題になっているのが、物質的条件そのものではなく、
日本宗教学会が発行している学術雑誌「宗教研究」が、CiNii で無料で公開されています。そのため、読みたい論文を、pdf ファイルで気軽に読むことが出来ます。個人的には、これらの論文や報告が面白そうだと思いました。 住家 正芳「宗教社会学理論における「市場」 : 宗教の合理的選択理論批判」 深澤 英隆 「全体会議V「宗教研究の方法と宗教理論」報告 第19回国際宗教学宗教史会議世界大会 特集:宗教-相克と平和」 山田 政信「ブラジルにおけるネオペンテコスタリズムの伸展」 ロング チャールズ・H 「宗教研究の理論と方法 : 宗教研究の新たなアルケー(宗教の概念とそのリアリティ)(特集:第六十二回学術大会紀要)」 以前ご紹介した学会のパネル・ディスカッションの報告も載っています。 渡辺 光一「人文科学研究におけるモデル化の意義(宗教における「語りえぬもの」と「示しうるもの」,パネル,特集:第六十
ロシアのウラル山脈より西のユーラシア大陸が一般にヨーロッパととらえられることが多い(ロシアはヨーロッパ・ロシアとアジア・ロシアとに分かれる)。 こうした定義のヨーロッパの人口はキリスト紀元の初期には約3,300万人であった。その後、ローマ帝国の衰退・混乱、それにつづく疫病や飢饉、他民族の侵入などによって、ヨーロッパの人口は減少し、600年頃には1,800万人と55%減となった。 その後、14世紀中頃まで、中央ヨーロッパの森林地域における多数の開墾事業が行われ、中世における人口増傾向が続き、7,000万人に達したが、14世紀のペストの大流行、次世紀まで続いた百年戦争による荒廃によって人口減に転じた。 16世紀には、こうした失われた人口が回復し、30年戦争(1618〜48年)の増加傾向の中断はあったものの、17世紀中頃には西暦1世紀の3倍に当たる1億人を越えるに至った。 ヨーロッパの人口が急速
この間双曲割引説への批判をご紹介しましたが、友野典男さんの『行動経済学』で紹介されている、双曲割引理論への批判は、もっと多岐に渡っています。 割引率は測れるか 先ず、双曲割引に限らない割引率の特徴として、以下の三つが挙げられています。(229頁) 割引の対象となる金額や効用が小さいほど、割引率は大きく、また金額が大きい場合に比べて急激に減少する。 割引率は、時間的な遠近によって大きく異なり、利得や損失の実現が将来遠い時点になればなるほど、割引率は小さくなる。 利得と損失の非対称。割引率は支払(損失)については、受取(利得)に比べてはるかに小さい値をとり、かつ受取に関する割引率の方が急激に減少する。 これは、様々な対象で測定され、かなり普遍的に見られる傾向だそうです。しかし、このような傾向は必ずしも確立された性質とは言えないそうです。フレデリックらの測定によれば、以下の理由で実験結果の解釈に
ケルンの聖テオドール教会 St. Theodorの司祭フランツ・モイラーさん Franz Meurer が、何と同じ地区に住むムスリムのためにモスクを建てようと教会で献金を集めたそうです。 元々このアイデアは、このモイラーさん本人のものではなく、聖テオドール小教区 St. Theodor と聖エリザベス小教区 St. Elisabeth 合同の司牧評議会で提案されたものだそうです。1992年の地震で彼らの教会が壊れ、立て直した後、プロテスタントの兄妹から聖書を贈られたことを思い出し、自分たちも隣人に何か贈り物をしようと考え、モスク建設の援助を思いついたそうです。 この両小教区が属す地区は、ケルンのヘーエンベルクとフィンクスト Höhenberg und Vingst 略して「ヘーフィ HöVi」と呼ばれる地区だそうです。この地区では、失業率が25%に登り、住民23000人のうち4000人が
猫屋さんが、次期大統領候補のセゴレンヌ・ロワイヤルが、ル・モンドのインタビューで、ローマ教皇の失言についてコメントしている部分を翻訳して下さっています。 ヨーロッパに関していえば、キリスト教がその長い歴史にあたえた影響を認識することと、ヨーロッパの基盤がキリスト教にあると主張することとは、別の問題でしょう。ヨーロッパはひとつの宗教でもないし、ひとつの地理的広がりでもない:それは、神を信じるものと信じないものが支える政治的プロジェクトなのです。私たちのムスリム同胞(concitoyens musulmans )は同等なヨーロッパ人なのであって、右派のあるグループの人々がいうように、ヨーロッパはキリスト教徒のクラブではないのです セゴレンヌ・ロワイヤルとベネディクト16世;翻訳文 猫屋さんが、「この部分は、フランスでの宗教に関するあるコンセンサスをよく現してるな、と思います。」と述べているよう
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ミュンスター再洗礼派研究日誌』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く