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買ってよかったもの
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なんとか世界遺産登録が決った「明治の産業革命」遺産だが、7月4日の予定だった審議採決が1日ずれ込んだことについて、どうにも不思議な誤解が日本では蔓延している。いやはっきり言ってしまえば、日本のテレビや新聞の報道は、そもそもが事実誤認の誤報だと断言していい。 まず結論から言っておこう。ボンでの世界遺産委員会において、韓国は 「明治の産業革命」遺産の登録に一度も反対していない。 世界遺産委員会での決定が遅れたのは「韓国が反対した」からだと言うのは、報道機関があまりに常識を知らなさ過ぎる。世界遺産委員会は新規の遺産登録に関しては全会一致が原則で、会議が開かれる前には21の理事国すべてが賛成を表明するよう議長国が調整するのが慣例、会議における審議も採択もたぶんに儀礼的なものだ。 1996年の広島・原爆ドームにアメリカが反対、中国が棄権したことが例外中の例外で、以後20年近く全会一致が守られずに投票
安倍政権からの猛烈なラブコールで大臣になったはずの小渕優子さんが、いきなり事務所費の使途の問題が明るみに出て、辞任に追い込まれようとしている。なんでも後援会が上京した際の観劇のチケットを公費から出していたそうで、確かにそれ自体は褒められた話ではない。 だがこれだけなら、そんなに大騒ぎするようなことでもないはずだ。 小渕さんの後援会と言えば恐らくお父さんの代から続いている関係で、公私混同と言われればその通りであるにせよ「おつきあい」のレベル、買収とか政策を左右するとかの話でもあるまいし、同じ事務所費問題でも前の安倍政権や麻生政権の際に閣僚が辞任に追い込まれたような、事務所の存在自体が有名無実だったとかの重度な不正に、それが闇資金に横流しされていた疑惑だとかが、あるわけでもない。 メディアの猛烈なバッシングが始まるなか、小渕さんが辞意を表明したのは潔いし、傷口を広げないためにも賢明なやり方だっ
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 4年前に総理大臣だった時の吉田茂の出来の悪い孫も大変だったが、それ以上に大変な失言をやらかしてしまった。なにしろ歴史の基本的な知識についても、立憲民主主義の基礎についても、何重にも誤っているのだからどうしようもない。 ナチスが合法的な選挙で政権をとっているのは確かだが、そこから先の麻生理論と来たら、まずヴァイマール憲法が気がついたらナチス憲法になっていたもなにも、ナチス憲法なんて存在したことがない。ヒトラーは憲法を執行停止にしただけだ。その移行も「静かに」には行われていない。むしろ大衆の恐怖心を煽ることと弾圧の「大騒ぎ」の末だ。 なによりも、憲法を変えることが「静かに」「気がついたら変わっていた」なんて、民主国家では決してあっては
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 先日の外国人記者クラブでの会見で、橋下徹氏に過去、飛田新地料理店組合の顧問弁護士をしていたのではないか、という質問が飛んだらしい。 「料理店」というのはあまりに分かり易い、兵士の性欲処理のために従軍させた女性たちを「慰安婦」という偽善的な言い換えでで誤摩化したのにも通じる、あまりにあからさまな言い換え語だ。 橋下さんは「違法ならば取り締まられているはずだ」と質問をかわした。 つまりは「取り締まられず現状ずっと営業しているのに、本当に違法と言えるのか」と詭弁で話をかわしたのだが、質問した側には、女性を食い物にする遊郭の弁護士をやるほど倫理観が低いから、例の問題発言をしたのだろう、と批判する意図があるのも分かりきったことであり、橋下さ
大阪の映画館シネ・ヌーヴォがロマンポルノの上映をめぐって上部階マンション住民に訴えられているそうだ。 一見、住民側の主張は、トンデモで狭量な保守主義の偽善に見える。 ましてこの映画館から商店街を挟んだ向こう側が松島遊郭であることを考えれば、「ポスターが子供の目に触れる」っていうのだって「だからなんなんだ」と思ってしまう。 だが本当に、そんなに単純に住民を責められる話なのだろうか? 記事にあるようにこの映画館は法的な区分けでは「商業地」になるが、実際には店舗もあるけれど基本、住宅地という立地だ。家族向け住宅も多い。「子育てに悪影響が」と言われれば、一見確かに反論は難しい。 とはいえそれを言うのなら、商店街を挟んだ向こう側の松島遊郭だって、なかに普通に住宅も建っていたり、郵便局もあり、あたかもなにごともないかのように生活と遊郭が隣接しているわけで、やはり偽善に思えてしまう。 いや実際、偽善と
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 公明党の山口代表が先日、訪中し、唐家旋元外務大臣に面会、なんとかお願いしたところ、習近平新主席も快く、アポなしにも関わらず会談を引き受け、山口氏から安倍晋三首相の親書を受け取り、日中トップレベル外交にも前向きな姿勢を示した。 その前に、鳩山由紀夫元首相が訪中し、やはり習氏に会っているし、 南京大虐殺記念館を訪問し、慰霊碑に献花。その翌日に、安倍首相が就任する前から打診していたのにまったく目処が立たなかった日米首脳会談が、日米外相会談で「2月の第3週に」とやっと決まった。 この一連の流れの関連性はあまりに露骨なはずだが、日本のマスコミはそこをなぜか、一社たりとも論評しない。 日本が中国相手に謝罪する方向性を示したので、オバマ政権もや
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 戦後史上最悪とたぶん言っていい総選挙が終わった。最初から争点なき総選挙という前代未聞の事態だった。それもかつてないバカバカしさという意味での前代未聞だ。 与党民主党と自民党は、3年前にはあれだけ明確な争点で闘ったのが、今回はその政策にほとんど違いがない。ただの泥仕合で、なにが理由か分からないまま「信を問え」「解散しろ」とのかけ声だけが政治マスコミを駆け巡り、野田総理は肝心の政治はそっちのけ、政局だけで「解散の時期は寝言でも言わない」等々…そして突然、負けるのが確実な、準備不足の総選挙だ。 一方で政界では、年内には総選挙はないと誰もが思っていた。だいたい、選挙が出来る状態ではないのは民主党も自民党も、その他のバラバラな政党の萌芽も同
トルコ第3だか第4くらいの都市、シリア国境にも近いアダナ市で行われたアルティン・コザ映画祭に『無人地帯』が招待されたのだが、同映画祭ではアンゲロプロスの追悼として『霧の中の風景』もフィービー夫人の立ち会いで上映されていたのだ。 なにしろゲスト対応がいい…というよりも映画そっちのけで海外ゲストは連日観光に連れて行ってもらえるという不思議な映画祭で、地中海まで海水浴に行くツアーの最中に、親しく話を聞いたわけなのだが、ところでフィービー夫人の髪型は、『永遠と一日』のヒロインにそっくりである…というか地中海岸のレストランのテラスで食事、となるとほとんどこの映画のワンシーンにすら見えて来てしまう。 実は「テオはあの映画があまり好きではなかった」という。 マルチェロ・マストロヤンニが元々は『蜂の旅人』と『こうのとり、たちずさんで』に出ているあいだにギリシャ語をほぼマスターしてしまったことが前提にあって
韓国の李明博大統領が竹島(韓国名・独島)を訪問して騒ぎになってまもないなか、一週間ソウルに滞在して来た。 無論これ自体は不人気に苦しむ政権末期の、それも「在日二世」のアキレス腱を抱える氏の、分かり易いパフォーマンスでしかなかったわけだし、この状況だから反日感情が…だなんて気にすることはない。 夏休みの観光シーズンのなか、ソウルの名所には日本人観光客が大勢訪れ、万事平和だし、僕は李さんのことより、与党の次期大統領候補が朴正煕の娘であることの方がよほど気になって、韓国の若い女性たち相手に、こればかり口走っていた。 「お年寄りが好きみたいなんですよね、うちの父とか」と若い女性たちの多くは呆れ気味。独裁者の父の七光り、言ってる中身は中身がないし、だいたいファッションセンスもダサ過ぎるし。 ソウルの前に、先月初旬にブラジルのサンパウロに行った際に、旧日本兵であった韓国人移民のキムさんに出会った。 ニ
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです これを言うとたぶん業界内で袋だたきにされるんだけど…ミニシアターの経営者の皆さんには申し訳ないんだけど…僕らの作っているような小規模な、独立系の映画が生き残って行くのに必要なのは、実はシネコンでも上映されるようになることです。 いやかつてフランス映画社配給作品専門館だったシャンテ・シネや、ユーロスペース、今はないシネヴィヴァン六本木など、ミニシアター文化最盛期にいろいろな映画を見ることがで育って来た世代としては、非常に恩知らずな話なのだが、資本の論理というものはそういう冷酷なものだし、時代は技術的にもメディアのあり方的にも激変してしまった以上、仕方がない面がある。 ミニシアターとは、小規模の公開でプリント数が少ないが、いい映画が評
SonyがDV(デジタル・ビデオ)の第一世代を発売したのは確か1996年だったか、以降デジタル撮影の映画は、ドキュメンタリーや小規模のインディペンデント製作の強い味方となって来た。 従来のテレビ放送基準の画素数なので使い方にはいろいろ工夫が必要だった(とはいえ使い方さえ心得ていれば、16mm撮影より画質自体はいい)が、2003年にはSonyが日本ビクター、Canon、シャープと共同で発表したHDV規格をきっかけに、小型キャメラでもいわゆるハイビジョンの画素数で撮影できるようになった。 とは言うものの、手軽に35mm撮影並みの画質で映画が撮れるようになったからといって、作り手の側がそれを生かして来たとは限らない。 2006年のベルリン国際映画祭で初上映された『ぼくらはもう帰れない』は、完成フォーマットは35mmだが、撮影は(35mmで撮影する予算があるわけもなく)すべてPALのデジタル・ビデ
ちょうど一年前の大晦日には、このブログにこんなことを書いていた→ 「2010年-この国はいったい何を恐れているのだろう」 その時には3月11日の大地震ようなことが起こると考えてもいなかったし、あの日を境にこの国は大きく変わったはずだとも言える。先日、イタリア人の映画ジャーナリストに取材を受けたときにも、自分で「2011年3月11日は1945年8月15日と同じくらい重要な日付けだ」と言っている。 イタリアの日本映画ウェブサイト「Sonatine」 Matteo Boscarol によるインタビュー(英語) 同、レビュー しかし一年前に書いた昨年の総括と、その決定的な日付けから8ヶ月以上も経った今の現状を比べると、本質的なことはなにも変わっていないのだ、とも思えて来る。 平気で嘘をつく人々と、その嘘に平気で騙される人々。 もはやなにも筋が通らない、筋を通すことを誰も気にもせず、閉塞感を皆が愚痴
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 昨日、東京で数万人規模の反原発デモがあった。 大江健三郎氏がスピーチしたりで話題性を作り、古典的なデモとしてはようやくそれなりのデモになったことは評価すべきだろう。2003年2月のアメリカのイラク開戦に反対する世界同時デモは、僕が参加したベルリンでは15万人、それが東京ではたった5千人だったそうだし。 ただし今「反原発」でデモを行うのなら、古典的なデモでは済まない状況にあることを忘れてはいけない。 まだ震災からたった半年で、死者たちの喪に服す人たちや、その余裕もなく避難所で暮らす人も多く、仮設住宅に入っても今後の見通しがつかない人が9割を越えているという調査結果もある。 こと福島第一原発の事故で避難を余儀なくされている人たちの置か
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 本ブログでの報告が遅くなってしまったが、5月の末、政府によれば「計画避難」の期限となる直前に、福島における震災と原発事故をめぐるドキュメンタリー新作『No Man's Zone』の撮影で、飯舘村にロケに行って来た。 むろん現実は、あんな無茶で矛盾だらけの政府命令が、そう順調に進行しているわけもない。避難先が見つからない人も多く、また今さらこの程度の放射能を気にする年齢でもないのだし、残る人もいる。 ひとことで飯舘村と言ってもかなり広い。そのなかで最高の放射線値を記録した長泥の区長さんの家では、5月に子牛が生まれたばかりで、6月いっぱいまでは避難できないという。 一方で避難命令が遅過ぎた、80日近く時間がかかってしまったことも響いて
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 中島みゆき『顔のない街の中で』 この歌を菅直人首相に聴いて欲しいし、「放射能怖い」が露骨な被曝差別になってる人、「福島で今避難しないのは」とか恐怖を煽っている人たち、その一方でそれでも原子力発電は日本に必要だ(=多少の犠牲はやむを得ない)と思っている人すべてに、聴いて欲しいと思う。 見知らぬ人の笑顔も 見知らぬ人の暮らしも 失われても泣かないだろう 見知らぬ人のことならば ままにならない日々の怒りを 物に当たる幼な児のように 物も人も同じに扱ってしまう 見知らぬ人のことならば ならば見知れ 見知らぬ人の命を 思い知るまで見知れ 上の私製ビデオクリップは、作った人がフィリピンの貧民街での体験を反映させたものだが、今や同じことを、外国
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 黒沢清『トウキョウソナタ』より、ドビュッシー「月の光」 3月11日金曜日から、4週間が経った。その直前の木曜の夜にはマグニチュード7.1、最大震度は6強を記録する、普通ならそれだけでも充分に大地震と呼ばれるはずの余震で、東北地方は大停電だという。 先の見えない不安のなか、まず被災地の皆さんには心からお見舞い申し上げる他はない。 その皆さんを思うと同時に、4週間前の地震と津波で命を落とされた多くの方、まだ行方も定かではない人々の死をせめて悼もうとするとき、我々は映画を作っている人間ではあっても、それを伝え表現する言葉も映像もなく、今はただ音楽の力に頼るしかない。 というわけで、先日NHKで放映され、この震災を経てもまったく古びていな
連日、たいへん興味深く、読んでいます。 ただ、藤原氏の主張には疑問を感じます。 僕は自分のブログで以下の通り、まとめてみたのですが、内部被曝については、専門の研究者でも、従来、考えられてきた毒の被害の構造とはまったく違う構造で起こっているのではないかと考えて研究している人もいるのではないでしょうか? http://blue.ap.teacup.com/documentary/1748.html >放射線に限らずどんな毒でも致死量というものがあり、あくまで量と蓄積と累積と確率の問題なのに、彼らはあらゆる薬が量によっては毒になる、あらゆる麻酔や抗精神薬が麻薬でもあることも、考えたことすら、ないのだ。 というのがこれまでの従来の科学で解明されていることなのであり、たとえば水俣病の水銀の場合などに言えることであったのだとしても、放射線、放射能物質の場合はもしかしたらそれとはまた違う原理があり、危険
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです Sacrificiul – Tarcovski 1/5 RO Sub “Offret Sacrificatio” (1986) Vezi mai multe video din film アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』(1986) 福島第一原発の事故については、僕なりに噛み砕いた概説をこのブログにも載せたが、基本の部分はそこまで分かり易い話だというのに、当事者側の発表もマスコミやジャーナリズムの報道も、すっかり混乱の極みになっている。 一昨日の、敷地内の土壌サンプルからの微量のプルトニウム検出を巡る騒動で「これでいよいよ最悪の事態だ」と色めき立つのに至っては、失笑ものである。土壌サンプルの採取はよく聞
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 一昨日のエントリーでは原発事故それ自体の解説、昨日は放射能についてパニックにならないための基本的な考え方をざくっと、できるだけ分かり易く説明してみたのは、普通の一般人でも分かる範囲までは理解して、少しでも不安やパニック、風評被害の拡散を押さえられればと思ったからだ。 なかには「お前は放射能の怖さを分かってない」と反発する人もいるかもしれない。 だがそれなら、奇しくもこの事故が現実になることなど(いつかは必ず起るだろう、と思ってはいても)誰も現実として考えていなかった先月のこのエントリーも見てもらえればありがたい。 広島から西に30キロほど、山口と広島の県境で開業する医師であった祖父は、1945年8月6日午前8時15分にキノコ雲を目
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 福島第一原発の事故についての昨日のエントリー、中学生の理科の知識でも分かることを目指したのですが(僕自身、大学は文系ですから理科は高校までしか勉強してませんし)「分かり易い」と好評いただきありがとうございます。 とはいえ、多くの人が本当に不安なのは事故そのものより、そこから漏れる放射能のことでしょう。 ただ放射能、放射線、放射性物質のこととなると、さすがにそう分かり易い話には出来ないのが困ったところ。皆さんがいちばん不安だろうし、実際にいちばん直接の被害があるかも知れないことなのに。さてどうしますかね… とりあえず一点、念のため誤解をといておくのなら、放射線による健康被害は、鳥インフルエンザとか新型インフルエンザとかHIVとか、昨
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 今や我が国最大のニュースであり、内閣官房長官がときには一時間おきに、毎日何度も記者会見してはそれが生中継され、テレビでも新聞でもネットでも、膨大な時間がその報道に当てられている。 だというのに、これほど何が起っているのかが分かりにくい事件もない。 原子力がどれだけ複雑なものとはいえ、この分かりにくさは異常である。 なにしろ事故だというのに、なぜ事故が起きたのか、その原因と結果がまるで説明されていないのだ。 いや実は官房長官の記者会見などで言及していないわけではない。ところが会見している本人がよく分かってないのか、その肝心なところが決して分かり易く強調もされず、詳しい説明もない。 どれだけ原子力が複雑な科学技術だとは言っても、実をい
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 2011年2月11日、ムハンマド・ホシニ・ムバラク・エジプト大統領の辞任が発表されたとき、アルジャジーラの記者はこれを「人間の尊厳の革命」と呼んだ。 アルジャジーラのまとめ映像「エジプトの新しい夜明け」 今日現在、この「指導者なき」「民衆」の革命は、アルジェリアに波及している。 「指導者なき」であり、ほんの数週間前まではムバラク政権に有力な対抗勢力があったわけでもないが故に、先進国とくに日本のメディアは、やたらと今後の不安を強調するのだが、考えてみたらとてもバカバカしいことである。 30年間の強権的な秘密警察支配体制と、賄賂とコネで廻って来た政治の国で、有力な対立候補がすっと出て来るのなら、それもしょせんはその30年間の官僚的な腐
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです アモス・ギタイ『ヴッパールの谷で Dans la vallée de la Wupper』1993 昨年の東京フィルメックスと東京日仏学院でのフィクション映画中心の特集上映に続き、アモス・ギタイの今度はドキュメンタリー作品が、アテネ・フランセ文化センターで上映中だ。 アモス・ギタイ 越えて行く映画 Amos Gitai:L’esprit de l’exil インスタレーション/ドキュメンタリー 1月25日〜2月9日 アモス・ギタイ『フィールド・ダイアリー』1982 アモス・ギタイ『殺人のアリーナ』1996 95年11月に暗殺されたラビン首相の妻レア・ラビン これまで「イスラエルを代表する映画作家」というくくりで見られて来たこともあ
<Twitterで連続ツイートした江戸時代の歴史についての僕なりの見方、考え方をまとめてみた> 歌舞伎や相撲などが最近スキャンダルで叩かれることについて、「河原ものがやってたもののくせに伝統などと権威ぶるのは生意気だ」などといわんばかりのマスコミのバッシングは、露骨な差別であることの無自覚ぶりに唖然とする以上に、そうした伝統芸能がなぜ日本にあるのかについて無知過ぎる。 日本の伝統芸能とは、世俗権威の秩序外にあったことが重要なのだ 都市と結界と境界、墓地、河原 大阪や京都、東京だと旧江戸城から下町までの都市構造には、「世俗権威の秩序の外にある世界」への感性が未だに残っている。両国国技館は「川向こう」にあり、寛永寺と浅草寺と吉原と旧骨ケ原は江戸城の鬼門封じ、その延長上には日光東照宮。世俗権威の幕府ですらその権威秩序の外へ意識は持っていた 京都が何重にも渡る結界構造によって構成されている都市であ
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです 藤原敏史『ほんの少しだけでも愛を』(2011、編集中) どうも今の日本の「差別」をめぐる悲劇の根幹は、出自や民族、生まれつきの“障害” などで「生まれながらに差別される人々」がいることではないらしい。 逆に「マジョリティ」の側に自分が「生まれながらに差別する側なのだ」と思い込んでいるビョーキな人が多いことに、本質的な問題があるらしい。 でも本当にそんなことがこの社会の「差別」の本質だとしたら、非常にアホらしいわけで、しかも救いがない。 被害者が生まれるのは一方的に加害者側の責任でしかないが、加害者の側はただ自分の考えを再検証して、差別なんてアホなことをやめればいいだけなのだ。 なんで自分でまずできる、遥かに楽なことをやらないで「俺
題名は室町時代の禅僧・夢窓疎石の言葉で「別に工夫なし」。ここはそんな境地にいつか到達したい、日本ではまだ有名でない映画監督・藤原敏史が勝手に愚痴ってるブログです まず、誹謗中傷にしてもあまりに馬鹿馬鹿しい低レベルであることは、真っ先に指摘しておかなければなるまい。秋篠宮家の眞子内親王の婚約者・小室圭氏にまつわる「金銭問題」とは、彼の母との婚約を自ら破棄した「元婚約者」の、相当に馬鹿げて非常識な言いがかり、でしかない。 一般社会の常識で言えば、女性の側から婚約を破棄された場合でさえ、男が「金返せ」などというのは、女性の側が最初から結婚詐欺を目的としていたのでもない限り…まあ、あまりにもみっともなくて誰にも相手にされないだろう。 まして「元婚約者」は自分から、なんら正当な理由も示さずに婚約を一方的に破棄しているのは、よく読めば本人が最初から言っていた通りだ。 そもそも借金なんて存在せず、小室圭
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