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衆院選
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11章 善意が正義に罰されるとき 10章でご紹介したレキシントン町の*No Place For Hate(文中NPFHと省略)プログラムは、2000年にスタートしたときから実り多い活動をしてきました。 町議会などでの討論を険悪なものではなく建設的にするためのガイドライン「Guidelines for Civil Discourse」を作成し、司会役を勤める人々を教育するワークショップ「Leading and Conducting Effective Meeting Workshop」を企画し、キング牧師の栄誉を讃える記念行事を運営し、警察官や消防署員が多様性のある住民に対応できるように「ディバーシティ・トレーニング」を行い、町で諍いが起こったときに即座に対応する「緊急対策チーム(The Incident Response Team)」を設立させ、前章のような危機にはコミュニティをまとめる指
この本のタイトルを見かけたとき、「うまいなあ」と感心した。 「生きたい」と「活きたい」をかけているから「いきたい」がひらがななのだ。私もけっこうそんな生き方をしてきた。 京都で学生をしていた21歳のとき、子どものときから憧れてきたイギリスをようやく訪問し、社会人になってから貯金をためて短期間イギリスで暮らした。そこで出会ったスイス人の男性と結婚するつもりで、1ヶ月ほどスイスで暮らしたこともある。 だが、その夢が破れ、イギリスから直接東京に「移住」することになった。それまでアメリカに興味を抱いたことがなかったのに、東京で出会って結婚に至ったのはアメリカ人だった。約7年の東京生活の後、夫の仕事で香港に2年住み、家族と自分が「いきたい」場所を考えて、彼の故郷であるアメリカに移住した。 ボストン近郊での暮らしは20年を超え、生まれてから最も長く住んだ場所になった。つまり、生まれ故郷よりも「故郷」に
最近、アメリカ大統領選にからんで多くのコラムを書いているので、私個人の政治的立場と見解を情報公開しておこうと思う。 私はリベラル寄りだが、学生運動がまだ活発だった1980年前後の京都での大学生活では、(多くの異なるセクトに属する友人や知人がいたが)ノンポリを貫いた。ここには詳しい事情を書かないが、暴力的で自己満足な大学生の学生運動は、当時もそうだが、現在になっても嫌悪している。 私は、2004年の大統領選挙の予備選で唯一のイラク戦争反対候補だったハワード・ディーンを2003年の初めごろから支持していた。 だが、政治に興味を抱くようになったのは、もっと前のことだ。 無所属のバーニー・サンダース上院議員には10年以上前から好感を抱いており、2010年に彼がツイッターを開始したときからフォローしていた。 ヒラリー・クリントンは、彼女が「ユニバーサルヘルスケア」を導入しようとして孤高に戦って敗北し
大きな事件が起きる。 人々はそれに対して、自分の体験や信念をもとに強い感情を抱く。 それを表現し、多くの人と分かち合いたくなる。 そこで、ソーシャルメディアにあらゆる意見があふれる。 問題は、「すべての人が同じ考え方を持つわけではない」ということだ。 生まれ育った環境、現在暮らしている場所、実体験、仕事の内容、周囲にいる人の考え方により、人の考え方は変わる。 どんなに尊敬する人であっても、自分とは違うのだから、異なる考え方をして当然だ。 意見はいろいろあっていいと思う。 私は夫の発言に対して、「それは、裕福な家庭に生まれた背が高い白人男性の発想よ」と厳しく意見することがある。 もちろん夫はムッとする。 けれども、ふだんの私との信頼関係があるから、ムッとしながらも、聴いている。 その積み重ねが、(そういう意見を言う人が身近にいない夫の家族)と夫との言動の差になっているのではないか、と娘は言う
ソーシャルメディアやブログのおかげで、人々は自分が直接関わる小さな社会を超えて、いろいろな人と繋がることができるようになった。 私自身がツイッターやフェイスブックの繋がりから数多くの恩恵を受けているので、インターネットの普及は歓迎している。MacBookやiPhoneがなかった時代のことなんか、もう思い出せないほど頼りきってもいる。 なんでもそうだが、新しい便利なものには困ったこともオマケとしてついてくる。「それはいりません」と断りたいところだが、セットなので仕方がない。 インターネットの困ったオマケは、姿が見えない無数の相手からの中傷や誹謗だ。ある本のレビューにも書いたが、「他人を血祭りにあげたい」という心理が、ネットによって拡大している感じがある。 拙著『ゆるく、自由に、そして有意義に──ストレスフリー•ツイッター術』は、まだツイッターがここまで広まっていないときに書いたので、状況は当
娘がコロンビア大学を卒業するので、その式典でニューヨークに行ってきた。(Columbia Universityには多くの提携カレッジが含まれるが、アイビーリーグの『コロンビア大学』はColumbia Collegeのこと)。 嬉しいことに、Phi Beta Kappa(ΦΒΚ)という、最優秀学生だけが入会できる全米で最古の友愛会にも招待されたという。Columbia Collegeの卒業式(Class Day)直後に開催されたΦΒΚ入会式では、自らも会員であるコロンビア大学の学長が壇上で新会員を迎えた。 親として何よりも娘を誇りに思うのは、大学が与えるものを彼女が最大限に利用したことだ。 Neuroscience(脳神経科学)専攻で、Pre-med(医学大学院Medical Schoolへの進学に必要な科目をこなすコース)だった娘は、生物学、化学、物理、数学といったいわゆる理数系だけでなく
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