サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM
02.03.18 ホツマふたたび 神代の文字と称する「ホツマ」を使って書かれた「ホツマツタエ」(ホツマツタヘ、もしくはホツマツタヱと書く人も)なる古文書について、いくつかの関連本が出ているという話を以前に書きました。こういう神代文字は偽作であり、大手の出版社が大々的に関連本を出すのは困る、と批判したのでした。 しかし、その後も、この種の本はやっぱり「不滅」でありまして、版を重ねているようです。松本善之助著『ホツマツタヘ』を読んだ方から、僕の批判は「あんまりな書き方なのではないか」との抗議をいただきました。 漢字伝来以前に文字が使われていなかったという証拠はあるか、一概に「ホツマ」を否定することはできないのではないか、とのご主旨です。 そこで、改めて、もう少し詳しく神代文字の矛盾について書いてみようと思います。 漢字伝来以前に日本に文字がなかったと決めつけることは、もちろんできないでしょう。
日本語学(国語学)の研究者のページ。日常接している日本語や、古典などのことばに関するよもやま話や、挿し絵作家としてのイラストレーションなどを掲載しています。
●第1位は独断と偏見で「ワンチャン」。ご協力ありがとうございます。 ●ご意見・ご指摘などはハッシュタグ「#今年からの新語」で ・募集時のページはこちら ご協力をいただきました「今年からの新語2014」の選考を終えました。といっても、選考委員は私一人ですが……。 予想外に多くの方から候補をお寄せいただき、整理に苦しむほどでした。お寄せいただいた語については、すべてデータベース化して、今後に生かします。 さて、それで、選び出した語は以下の10語です。 まあまあ妥当な語が集まった、と思うのですが、本当に妥当なのか、偏っているのか、判断しがたい部分もあります。 「こんなことば、以前から知っていますよ」と言う人も多いと思います。ただ、ことばが広まって親しまれるまでにはタイムラグがあります。〈一部で長く使われてきたが、今年特によく使われるようになったことばや用法でもOK〉(募集のことば)という意味での
04.05.09 「に続く」と「へ続く」 「に」と「へ」が変わると意味が変わるという話をしましょう。 岩淵匡『日本語反省帳』(河出書房新社)の中に、「に」「へ」の違いを説明しているところがあります。最初に「大学に行く」「大学へ行く」という2文を示し、「この二つの文の意味は同じでしょうか」と問いかけています。 「に」は、時間や空間における場所を表します。〔略〕これを移動の意味の動詞「行く」「移る」「進む」などと一緒に使うと、「郵便局に行く」〔略〕などのように目的地を表すことになります。 いっぽう、「へ」は、本来、「南へ向かう」「あっちへ行け」というように、目的地というよりも、漠然{ばくぜん}とした「方向」を指して用いていました。ところが現代語では、「郵便局へ行く」「南に向かう」とも言うようになったのです。(p.17-18) この説明からすると、「なあんだ、現代語では、『大学に行く』と言っても
99.11.14 気が付きづらい 山田俊雄氏は、近著『ことば散策』(岩波新書)の中で、「読みづらい」「見づらい」という言い方に注意しています(p.149以下)。山田氏自身は「読みにくい」「見にくい」の形を使うようで、「~づらい」という言い方が「私の耳底を刺戟する」と不快がり、「近来の日本語の微細な変化」であると指摘しています。夏目漱石はおおむね「~にくい」を使い、「~づらい」といえば『草枕』に「生きづらからう」とあるぐらいだとのこと。 これは、僕には意外でしたね。たしかに歴史的には「~にくい」よりも「~づらい」のほうがうんと新しいのでしょうが、どちらにも違和感はありませんでした。僕自身は、どちらかというと、「~にくい」をよく使うかな。でも、どちらの語形も行われていて、それはそれでいいんじゃないの、あまり目くじらを立てるほどのものでもないでしょう、というほどの感想しか持ちませんでした。 とこ
98.10.04 「こだわる」に代わる語 論じ尽くされたことかもしれませんが、「素材とだしにこだわる」というような「こだわる」の使い方については、多くの人が不快に思うようです。「こだわる」は、「つまらないことにこだわる」のように、マイナスの意味のときに使うべきだ、という意見をよく目にします。 いっぽう、国語学者の故山田忠雄氏は、『私の語誌2 私のこだわり』(三省堂,1996)という本で、そういう「こだわる」を批判する識者を、逆に批判しています。つまり、この用法はちっとも間違っていないという主張です。 『私の語誌2』は、珍といえば珍な本で、全270ページまるまるを「こだわる」の意味の考察に費やしています。ほとんどは1994年前後の「朝日新聞」の用例に基づき、「こだわる」には 1.それだけを唯一・至上の目標として追求する。若しくは、それを手中から離すまいとする。 2.関心が一定の枠内に限られ、
99.01.26 教科書の活字 ご存じの方も多いかもしれませんが、中学校の国語教科書では、明朝体活字のデザインを修正して使用しているようです。 僕が初めてこれに気づいたのは1994年のことでしたが、もっと以前から行われているのかもしれません。ただし、僕の習っていた東京書籍版は、今も昔もふつうの明朝体のままです。 明朝体活字というのは、手書きの文字とはかなり異なっています。そのままの形を筆写すると誤字になってしまうことがあるため、教育的配慮からデザインを変えたものと思われます。たとえば「糸」という字は、明朝体では上半分がチョンチョンと点を継いで書いたようになっていて、全体では8画に見えますが、手書きでは上を「く」の字のように続けて書き、6画になるのが正しいのです。小学校の教科書は教科書体活字を使っているので問題ないとしても、中学校では明朝体活字を使うため、指導上問題が出てきます。 そこで、た
01.04.04 「とりな」の作者 1980年、香川県の中学生だった僕たちは、定年間近の書道の先生から、ひらがな・カタカナの書き方を徹底して教えこまれました。 「活字のかなを真似てはいけない。たとえば、『し』はこんなに鉤が急ではないんだ。『き』と『さ』の形の違いは、棒が1本多いか少ないかだけではないんだ」 というような話は新鮮でした。手本に従って半紙に練習したものを提出しにゆくと、「お前はひらがなが巧いのう」と言われ、それ以来かなを書くのが好きになりましたから、大恩のある先生です。 さて、その先生は、ひらがなの手本として「いろは」を使われました。一方、カタカナの手本としては、「いろは」ではなく、目慣れぬ歌を使われました。 トリナクコヱス ユメサマセ ミヨアケワタル ヒンカシヲ ソライロハエテ オキツヘニ ホフネムレヰヌ モヤノウチ 「いろは」と同じく、日本語のかなを1回ずつ使って作った歌で
98.08.04 ことほどさように 国語の授業で、「○○ということばを使って文を作りなさい」という問題が出ることがあります。ことばの使い方を覚えるにはとてもいい出題じゃないでしょうか。難しいことばがうまく使えたときは、とてもうれしいものです。 僕には、いまだにうまく使えないことばがあります。いや、多くあるのですが、その一つが「ことほどさように」。これ全体で、ひとつの副詞です。用例を探そうと思っても、出てくるようで、なかなか出てこないことばです。 辞書を見ると、「英 so...thatの訳語という」とあり、続けて「あることを述べて、その程度であることを強調する語。それほど。そんなに。」と説明しています。 ちょっと、まだすっきりしません。第一、「ことほど」とは何だろうか? 「これほど」とは違うらしい。 また、「それほど。そんなに。」という説明も不十分のような気がする。「それほど」と「ことほどさ
ことばをめぐるひとりごと その18 諸刃のやいば 「馬から落馬する」というような言い方を、「重言」といいます。「馬」を1回使えばすむところを2回使うのが表現としては重複するんですね。似たような例に、「後で後悔する」とか「犯罪を犯す」とか「被害を被る(受ける)」とか、いろいろあります。 「射程距離」というのも、『朝日新聞の用語の手引き』などによれば重言なのだそうで、「程」というのが「距離」の意味を表すのだとか。僕はそれを知って、他人が「射程距離」と言うたびに、「『射程』でいいんだよ」と訂正していた時期がありましたが、最近はやめました。 というのも、重言は、聞き慣れないことばの理解を助ける面もあるからです。「シャテイ」だけでは一瞬何のことだか分からないけれど、「距離」をつけることで理解がスムーズになります。「あるいはまた」「二度と再び」などというのも似たことばを重ねていますが、こうなると誤りと
ことばをめぐるひとりごと その32 智に働けば? 以前に、森鴎外作「舞姫」が難解だという話をしました。この難しさの原因は、鴎外が文語文をあまり理解していないせいもある、というのが、僕の(ひどく不遜な)結論でした。 しかし、口語体の小説でも、ちょっと古くなると読みにくいですね。世態風俗は年々変わるので、小説に書かれている情景が目に浮かびにくくなるのです。たとえば 飯田橋へ来て電車に乗つた。電車は真直に走り出した。 これは夏目漱石の「それから」の終局部分ですが、この「飯田橋」というのは、さっと読むと総武線の駅かと思います。実際はそうではなく、ましてや地下鉄東西線の駅でもなく、まあこれは市内電車の駅なのでしょう。歴史的には、このころ甲武鉄道(現・中央線)が飯田橋駅まで延びていたはずで、蒸気鉄道も走っていたと思いますが。 近代小説を読むとき、予備知識の不足を補ってくれるのが、文庫などの巻末に付いて
ことばをめぐるひとりごと その21 極北とは何ぞや わりとよく聞くことば(意味)なのに、辞書に載っていない、という場合があります。 『広辞苑』の編者・新村出は、昭和30年に初版を出したあと「スモッグ」ということばを載せなかったことを気にしていたとか。当時は公害問題が深刻ではなかったので、ついつい見落としたか、無視したのでしょう。「スモッグ」は、昭和44年の第2版ではさすがに載っています。 新語・流行語ならともかく、前から使われているようなことばでも、たまに辞書に載らないことがあります。たとえば「極北」ということばです。 ここは、加藤芳郎という、日本漫画界の極北の偉業を称える会である。(山藤章二『忘月忘日II』) いつも読まない小説雑誌なのに、たまたま目にした。すらすら読めて、読んでいったらだんだん凄くなって、私小説の極北と言われる作品を読んだのと同じくらいの感動があった。(「週刊文春」19
ことばをめぐるひとりごと その16 生き延びる『人麻呂の暗号』 本屋に行くと、新潮文庫の棚に、藤村由加著『人麻呂の暗号』『額田王の暗号』という本が並んでいるはずです(追記2参照)。もしお暇ならば、手にとってご覧ください。どうでしょう、読むに堪えるでしょうか。 この本が初めて単行本で出たのは1989・90年のことです。当時、なぜか〈『万葉集』は古代朝鮮語で解読できる〉というような趣旨の本が相次いで出されました。この本や、李寧煕著『もう一つの万葉集』(文藝春秋)などがそうです。かなりマスコミで取り上げられたので、ご存じの方も多いでしょう。 これらの説に対しては、当時、専門の立場から周到な反論が出されました。安本美典氏の『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』(JICC出版局)や、西端幸雄氏の『古代朝鮮語で日本の古典は読めるか』(大和書房)などがそうです。また、「週刊朝日」(1990.2-9, 2-
98.08.16 不滅の日本語トンデモ本 以前に『人麻呂の暗号』という、でたらめの語源の本を批判しました。しかし、この種の「日本語トンデモ本」は、いくらでもあって、種が尽きないようです。 書店に行くと、某氏の『日本語(やまとことば)解読法』なる本が並んでいました。数ヵ月前に出版されたものらしい。どれどれ、と手に取ってみると、これが例によって「日本語トンデモ本」なのですね。 「雲」とか「悲しい」とかいう、日本語固有の語(大和ことば)の語源を、すべて漢字音で説明しようとする書物です。たとえば「くも」の場合、「雲」の古い漢字音である「」(イゥン、というような音でしょう)が、ああなってこう変化して、「くも」に変わった、というのです。 たしかに、大和ことばに見えるものでも、たどって行くと漢字音に由来するらしいものはあります。しかし、1冊まるまるこれで解釈されると、ちょっと面くらう。そうならそうでいい
ことばをめぐるひとりごと その20 「ダサい」はいつから あなたが「ダサい」ということばを初めて耳にされたのはいつでしょうか。稲垣吉彦『最近日本語事情』によれば昭和54年のことばとなっているようですが(井上史雄『方言学の新地平』に引用)、もっと前からあったはずです。僕がずっと昔、ある散髪屋で読んだマンガに「だせえぜ」を口癖にする編集者が出てきまして、それが「ダサい」を見た初めでした。何というマンガだったか……。 以前、このことばについてパソコン通信で情報を求めたところ、何人かの方からメールをいただきました。以下ではそれらをふまえ、「ダサい」の発生、流行、そして語源についてまとめてみようと思います。 ◆1◆発生 証言の中で最も早い使用例報告は、1961年札幌出身の方の「1970年代に入ってから」というものでした。(小学校の)同級生など皆が言っていたとか。 「あいつの服装はダサい」(かっこわる
◆昔から、小林信彦氏の小説が〈なんとなく〉好きでした。特に意識せず、新刊を目にするごとに買って読んでいました。ところがあるとき――というのは1997年ごろ、『イーストサイド・ワルツ』を読んでいた僕は、 「自分は、じつは小林信彦の小説が〈なんとなく〉ではなく〈とても〉好きなのだ」 と自覚しました。 トワ・エ・モアの歌「ある日突然」ではありませんが(古いですが)、目の前にいる女友だちが、友だちではなく恋人になった瞬間に似ているとでも申しましょうか。 ◆突然の意識の変容。さあ、そうなると、じっとしてはいられない。さっそく本屋に走り、まだ買っていない文庫本を買っておこうと探し回りました。 と・こ・ろ・が。 棚には、ほとんどないのですね、小林信彦作品。 「ウッソー、この間まであったはずだろう」 仰天して新潮文庫の目録をみると、小林氏の過去の作品はほとんど絶版になっているではありませんか。ほんとうに絶
NHK教育テレビ「ふるさと日本のことば」に出てきた方言語彙の索引です。作成者・Yeemar
・「「今年からの新語2014」は「ワンチャン」に決まりました。ご協力ありがとうございます。(2014/12/09掲載) ・「今年からの新語2014 実施について」を掲載しました。(2014/11/15掲載) ・2014/11/20に、PHPから私の新刊『不採用語辞典』が刊行されます。(2014/11/15掲載)
03.10.02 「始めまして」か「初めまして」か 「はじめまして」というあいさつをワープロで打ったら「始めまして」と出た。なぜだ、最初に会ったときのあいさつなのだから「初めまして」ではないのか、おかしいじゃないか。1997年、当時中学2年生だった三好万季さんの疑問はここに発しました。 『新明解国語辞典』を見ると「はじめる【始める】」の項に、「【始めまして】」と「始」が記されている。それなのに解説文は「初めてお目にかかりますという、挨拶(アイサツ)の言葉」と「初」が記されている――。 ショックを受けた彼女は、これは調べてみなければならないと大調査を開始しました。この成果は「シめショめ問題にハマる」と題されたレポートにまとまり、あまりにもよくできていたため、当時の新聞記事(たとえば「産経新聞」1997.09.23、「読売新聞」1997.12.14)などで多く取り上げられました。 三好さんはそ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『飯間浩明のことばのページ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く