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松尾匡のページ 最近感じること このホームページは、下記場所に移転しております。http://matsuo-tadasu.ptu.jp/ ※ 新コンテンツができているかもしれませんので、なるべくトップページからお入り下さい。 02年8月12日 グローバル掲示板のアイデア 02年8月12日 「構造改革」の長期的帰結 02年8月13日 景気対策のアイデア 02年8月14日 多民族国家用議会選挙方法案 02年8月14日 タカ派のみなさんのための究極の景気対策案 02年8月15日 売春は女性差別か否か 02年9月7日 なぜ青色が見えるのか 02年9月8日 瀋陽事件の結末は右派のヤブヘビ 02年9月11日 テロに屈したブッシュ政権 02年9月12日 公選大統領制と議院内閣制の理想的な組み合わせ方 02年9月16日 北朝鮮は右派の聖地 02年9月20日 日朝会談について
松尾匡のページ 08年1月14日 犯罪の九割は失業率で説明がつく (追記:1月16日, 再追記:1月17日) 続報あり。以下の分析結果には「誤差の系列相関」という問題がありました。続報ではその解決に取り組んでいます。 再追記:08年1月17日 下の方の昨日書いた追記で、管賀江留郎さんからいただいた批判のエントリーの中で言われていた、「警察がデータを操作したため相関する」という「説」について、管賀さんご自身の説であるように表現した一文がありました。私自身、本気で言われていることかどうかは疑わしいと思っていましたが、ネタと断定することもできず、ああいう表現になりました。 このたび管賀さんとのやりとりの中で、これが管賀さんご自身信じておられない、いわゆる「釣り」のネタであることが明らかになりましたので、当該の表現を削除して訂正します。管賀さんはこれがひとつの積極的主張として一人歩
松尾匡のページ 07年12月25日 市民派リベラルのどこが越えられるべきか 【濱口先生のブログで】 前回のエッセーをアップロードしたら、間もなく、政策研究大学院大学の濱口先生がご自身のブログで取り上げて下さった。ありがたいことである。釈明みたいなものは、コメント欄でさせていただいているのでご覧いただきたいのだが、少し言い足りないところが残っていた。 そうするうちに、濱口先生のブログでは、次の二回のエントリーで、赤木智弘氏の新著『若者を見殺しにする国』へのご論評が掲載された(こことここ)。そうあの「希望は、戦争」と言った赤木氏である。濱口先生は彼の本を実に明解に批評している。これを読んでとても考えさせられ、しかもそれが前のエントリーのコメント欄で言い足りなかったことと大きく関係しているので、よく考えを整理してこのコーナーに公表しなければならないと思った。 しかしいざ考え出
松尾匡のページ 用語解説:疎外論 共産党支配下のソ連や中国などでは、人間の解放を掲げる思想の名のもとに、何千万人もの罪もない人々が殺されていった。 かつての日本軍国主義は、祖国と民族の誇りのために、多くの異民族を犠牲にしただけではあきたりず、特攻、バンザイ突撃、集団自決等々、何の戦闘効果もない無駄死にをすべての自国民に強要した。 今もなお、「正義」の名のもとに、「宗教」の名のもとに、「民族の誇り」の名のもとに、他人の命も自分の命も踏みにじる人々が絶えない。 そもそも、「考え方」「理念」「思い込み」「決まりごと」等々といったことは、どこにも物理的実体がない。生物的実体もどこにもない。ただ人間が頭の中で作りだした、人間の頭の中にだけあることにすぎない。 それなのに、これらの事どもは、一旦できあがると、それを作りだした生身の人間を勝手に離れて一人立ちしてしまう。そして、どこかにあたかも物理的実体
松尾匡のページ 07年10月29日 最低賃金引き上げは悪くない おととい昨日は、久しぶりに何も用事のない週末でした。ソファーに寝転がって学術論文を読むなどという至福の時間がすごせた。何だか罪悪感。 昨日論文読んだ後は、東大の松井彰彦先生のファンタジー小説『向こう岸の市場(アゴラ)』(勁草書房)を読みはじめたら、あまりのおもしろさに没頭し、一気に読み切ってしまいました。お勧めですよこれ。たぶんリフレ派のオタク達にとっては萌えどころ満載であろう(他人事)。 ヘロドトスやらペリクレスやらが出てくる古代ギリシャが舞台の、少年少女のビルドゥングスロマーンで、ギリシャ神話の神様達も出てきます。しかし、松井先生が書かれた本ですから、もちろん本当は経済学が主題なのです。 表向き、アテネと現代のアメリカの類比ばかりが目につきますが、本当はもっと言いたいことは広いと思います。 我田引
松尾匡のページ 07年10月4日 試しにちょっとやってみました──「経済学的発想」調査 追記:econ-economeさんのブログでのsunafukin99 さんのご指摘で、とんでもない書き間違いを発見! 下の「政府大小」の設問で、選択肢の数値が逆になっていました。これは、この設問が、もともと他の設問とは別にフェースシートの部分で「数学は得意か」といった質問と並べて尋ねていたために、A、Bの順を他の経済問題についての設問とそろえていなかったせいで起こったことです。このページに写す時にそのままコピーペーストして、何も考えずに1番から機械的に数字を書いてしまったのでした。分析のときに、この設問も他の経済問題の設問に含めて使うことにしたのですが、その際には、正しく、「小さな政府」ほど数字が大きいようにしてあります。したがって、分析結果に訂正はありません。ご指摘いただいたsunafukin
松尾匡のページ 07年9月26日 『経済政策形成の研究』ご論評について えー、予定通り21日夜公開講義を終えて二等寝台で京都に行き、10時から座長と報告をやって夜帰宅。23日、24日は、大学でのまちづくりフェスティバルの裏方。大盛況のうちに終わりました。その後の懇親会で、学外の人達が三々五々帰って行かれたあと、中堅教員でお互い「いかに研究ができないか」という自慢で大盛り上がりしました。 某同僚のある一日。大学にいるかぎりは研究なんかできないから、5時には帰って研究しようと思っていたら、その直前に学生が来た。相談にのっていたら9時になり、そこから帰ろうとしたら、今回のイベントのボスのH教授がきて、11時40分まで離してもらえなかったって。僕だったら「カミさんが怒る」という切り札で逃げ出すのだけど、ひとり身はつらいねえ。H教授の電話は「夜討ち朝駆け」と呼ばれて有名で、僕もなるべく
松尾匡のページ 用語解説:アソシエーション論 現在、マルクス派はじめ社会変革を志向する多くの論者の間で広まりつつある議論。「アソシエーション」とは、自立した諸個人の自由で対等なネットワーク的連合を指す。アソシエーション論の論者は、このような人間関係が社会の主要なシステムになる世の中を目指している。 【アソシエーション論の歴史】 19世紀にはアソシエーション論は広く見られた: 19世紀には、オーエン、フーリエ、プルードン、シュティルナーなど、多くの社会主義者の目指す理想像は、民衆が協同組合的に連合して民主的に生産する世の中だった。また、ミル、ワルラス、マーシャルといった、一般には資本主義擁護派の巨頭のようにみなされている論者達も、実は資本主義は永続せずやがては協同組合的社会に変わっていくものだと考えていた。このように、19世紀には、アソシエーション論は体制側にも反体制側にも広く見られた議論だ
松尾匡のページ 04年9月9日 羽入−折原論争を読んだ 羽入辰郎という人が『マックス・ウェーバーの犯罪』(bk1amazonYahoo!)という刺激的なタイトルの著書を出してデビューしたのを受けて、ベテランのウェーバリアンの折原浩が『ウェーバー学のすすめ』(bk1amazonYahoo!)という批判本を出した。北大の橋本努氏は、羽生−折原論争のホームページまで作っていて、この論争への参加者達の論評を掲載している。 まあ、私などは、ウェーバーについては大塚訳の『プロ倫』を岩波文庫でざっと通読しただけで、あとは山之内靖や佐久間孝正の解説を読んでいるだけのド素人なので、両著とも野次馬的に「へぇー、へぇー」と言いながらずいぶん楽しませてもらった。 羽入が言っていることは、「犯罪」とか「詐欺師」とかの挑発用のレトリックを全部除いて簡単に言えば、「『プロ倫』でウェーバーは、ルターが本当はBeruffと
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