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ノーベル賞
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強制労働企業の歴史的責任と立法 はじめに 強制連行の全国調査をおこない、全国地図や連行先の一覧を作成するなかで、三井・三菱などの財閥系企業への連行が多いことがわかりました。また、連行企業の現在名の一覧、連行者名簿の整理、未払い金の一覧などを作成する中で、多くの企業が存続していること、未払い金が支払われることなく保管されていることなどがわかりました。 日本での強制連行企業裁判が終わり、立法が課題となっています。韓国・中国では被害者への賠償を求める被害者団体の動きもあります。そのなかで、韓国では戦犯企業リストが提示され、日本でも強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動がたちあがりました。グローバル化のなかで日本の企業はメガバンクの統合にみられるように企業統合をすすめていますが、戦時の強制労働問題は未解決であり、その清算が求められていると思います。 ここでは、強制連行企業の歴史的責任と立法とい
三菱高島炭鉱への朝鮮人強制連行 はじめに 一、朝鮮人「募集」の開始 二、炭鉱と性的奴隷 三、戦時下の増産と朝鮮人強制連行 ①増産と連行の開始 ②朝鮮人連行者総数 ③連行者の年齢 四、朝鮮人連行と労働の実態 ①一九三九~四二年 ②一九四三~四五年 五、労務管理の強化と死亡者数の増加 六、未払金額 七、三菱の歴史認識と被害者の活動 おわりに・参考文献 はじめに 三菱高島炭鉱へと戦時期に多数の朝鮮人が連行された。高島は長崎港から約一四・五キロメートル先にあり、端島はさらに五キロメートル沖にある。端島から南の野母半島までの距離も五キロメートルほどある。逃亡は困難だった。連行された人々にとってそこは「圧政のヤマ」「生きて帰れぬ地獄島」であった。端島は「軍艦島」の名でも知られる。桟橋近くに残る門は「地獄門」とも呼ばれ、周囲の高い堤防は逃亡を止める壁の役割もはたしていた。 端島坑は一九七四年に、高島炭鉱
関東大震災虐殺事件の追悼碑について 関東大震災での虐殺事件に関する碑は人間の尊厳とその方向性を問いかけるものである。それらの碑は平和と人権の拠点となるものである。以下、各地の追悼碑についてみていく。 ●追悼関東大震災朝鮮人犠牲者碑 関東大震災朝鮮人犠牲者行事実行委員会 一九七三年九月建立 東京都墨田区横網町横網公園内。 この碑はJR両国駅の北方の横網町公園(旧被服廠跡)にあり、碑の右方には東京大空襲犠牲者追悼碑がある。朝鮮人追悼碑には「この歴史を永遠に忘れず在日朝鮮人と固く手を握り、日朝親善・アジア平和を打ちたてん」と刻まれている。左側には建立の趣旨が記されている。あやまった策動と流言蛮語のために六干余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われたとし、一事件の真実を識ることが不幸な歴史をくりかえさないことになるから、民族差別をなくし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎とする、としている。
麻生炭鉱での朝鮮人強制労働 はじめに 麻生は筑豊での石炭生産によって富を蓄積し、中央政界に進出した。この麻生の石炭採掘現場では多くの朝鮮人労働者が働いた。ここでは麻生での朝鮮人の強制労働について、一九三〇年代から四〇年代にかけてみていきたい。 麻生の歴史については『株式会社麻生商店二〇年史』『麻生百年史』があり、これらの社史から麻生の石炭開発の経過を知ることができる。 麻生での朝鮮人労働については、一九三二年の麻生朝鮮人争議や連行期の特徴などが、林えいだい『強制連行強制労働』に記され、同編『戦時外国人強制連行関係史料集�U朝鮮人1上』(以下『林・史料』と略記)には『闘争日誌』や争議団の名簿・ビラ、『株式会社麻生商店朝鮮人鉱夫労働争議概況』などの史料が収録されている。 麻生系炭鉱での事故については日本鉱山協会『重大災害事変誌』に一九二〇年代後半からの事故例が記されている。そこには麻生綱分炭鉱
2007・11 野宿者死亡事件に関する抗議 資料 �@女性野宿者への浜松市の不適切対応に抗議する申し入れ書 2007年11月27日 浜松市長 様 MAOS UNIDAS(野宿者支援グループ) ファミーリア(居宅生活者自助グループ) 11月22日木曜日、14時30分頃、浜松市役所庁舎正面入り口手前左側の路上に、ひとりの人が倒れていました。周囲を数人の市職員が取り囲む様に立っていましたが、倒れている人に手を差し伸べる人はなく、不自然な印象を受けました。すぐに駆け寄り近付いてみたところ、その人は、普段は浜松駅前バス・ロータリー付近で野宿をしている知的障害を持つ女性でした。市職員はまるで来庁する市民の目から女性の姿を隠すようにして立ち、そのうちのひとりはマスクをし、手袋までしていました。 女性の顔色は血の気がなく、青白くなっており、眼は瞬きもせず、見開いたままでした。頬に触れてみましたが冷た
浜松基地PAC3導入と ミサイル防衛問題を考える 2006年2月19日浜松集会での 杉原浩司さんの話の要約 ●ミサイル防衛とは こんにちは、「核とミサイル防衛にNO!キャンペーン」の杉原です。 在日米軍の再編問題でミサイル防衛(MD)の問題を多くの人が見落としていると米シンクタンクの研究員が指摘しています。MDは再編=同盟変革の「カンフル剤」なのです。 はじめにMDの歴史に簡単にふれます。MDの源流は1980年代レーガン政権時のSDI=戦略防衛構想です。当時、このSDIに対して、軍拡競争を促進する、戦略的安定性を損なう、ソ連がSDIに同調するか不明、同盟国の安全保障を脅かす、莫大なコストに見合う効果がない、技術的現実性がない、ABM条約(対弾道ミサイルシステム制限条約)などの軍備管理取り決めに反する、新たなコンピューター戦争を招来する、といった批判がありましたが、これら
三菱財閥による強制連行・ 戦時労働奴隷制について はじめに 三菱財閥は三井財閥と並んで日本の帝国主義戦争を支えたコンツェルンである。三菱財閥の主要な生産は鉱業と重工業にあった。それらの現場には戦時下、数多くの朝鮮人・中国人が連行された。また、アジア各地での侵略戦争とそれによる占領地の拡大によって、三菱は各地で資源略奪に向けての事業をおこなった。そこでは現地の民衆が戦時動員された。 戦時下日本へと三菱財閥関連で連行された朝鮮人は一〇万人を超えるとみられる。アジア各地で三菱が動員した人々も数多い。連行先で死亡してもその連絡がないまま、遺骨が今も現地に残されているものもある。最近では、九州の三菱鯰田炭鉱、北海道の三菱美唄炭鉱での死者の未返還の遺骨が発見されている。連行状況や証言などからみて、連行された人びとは強制労働のなかにあった。その状況を労働奴隷制としてみていくこともできるだろう。 ここで
人権平和・浜松は浜松地域での人権平和に関する活動を紹介するページです。 人権・平和にむけて自主的に企画をたてて運動をすすめています.
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