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2009年2月24日のブックマーク (13件)

  • またすごいひとが現われた… - Apeman’s diary

    「南京の真実 情報交換掲示板」のスレッド147ですが。巣鴨拘置所の教誨師だった花山信勝氏が記録した松井大将のことばを「この文章から見えるのは、慰霊祭で復讐に駆られた兵と師団長が、誇り高いシナ人の死体を粗雑に扱い、作業する捕虜等に乱暴を加えた様子です」と解釈してしまう、豊かな想像力もなかなかのものですが、「天の安川」さんには及びません。 ゆとり教育で左翼教師に自虐史観をすり込まれたのでしょうが、自国を揶揄しておもしろがっているのかもしれませんが、ありもしないことを認めていたら、遠くない将来あなたの頭の上に核ミサイルが落ちてくることにもなりかねない。「日人の10万や20万、殺したとて何の悪いことがある。南京では30万人がと殺されたのを世界の人は『レイプ・オブ南京』の映画で知っているだろう。」と言って、核攻撃を正当化しかねない中国人達です。 これですぐに思いだしたのは、先日紹介した例のインチキ

    またすごいひとが現われた… - Apeman’s diary
  • 歴史修正主義者のみなさま、素人論議で「素人」を言いくるめて「素人」のブログのコメント欄に貼り付けても新しい学説としても真実としても確立なんてしませんってば。 - 村野瀬玲奈の秘書課広報室

    こんばんは この方、①があったかなかったについて、外国は全く興味ないって、ご存知ないのでしょうか? アメリカのなんとかいう大使(だったかな、ちょっと忘れてしまいました、汗)は、 狭義の強制―軍が直接拉致、誘拐したかどうかにこだわってるのは日だけで、我々はそんなことに関心はない。関心あるのは慰安婦達がひどい人権侵害を受けたことだ、 という趣旨の発言をしていました。 軍が直接連れてきたんでなければ、その後逃げ出さないように監禁して無理やり1日に何十人と強要しても何の人権侵害もないと、この方は感じるんでしょうね。 その感覚が信じられません。 ところで、この方はこのフィリピンの二人のおばあさんの話も、別にどってことない、と感じたのですかね? もしそうなら氷のような心の持ち主ですね。 村野瀬さん、こんにちは。 この手のコメントはノーサンキューということは、事実関係について「歴史修正主義者」の主張は

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/24
    ユダヤ人がイエスの処刑を要求した時点では、イエスなんてただの誇大妄想狂としか思われてなかったのじゃ。それがもとで、その後にキリスト教徒から迫害を受けることになるなんて分かるはずがない。
  • アブドゥ・ワージン - 村上春樹のエルサレム賞授賞について

    ■ 日人作家とイスラエルの賞 2009年02月23日付アル・ハヤート紙(イギリス)HP文化面 【アブドゥ・ワージン】 エルサレム作家フェア開会の夜、我々アラブ文化人は、日小説家、村上春樹に今年のエルサレム賞を拒否してくれと切に願っていた。ガザでイスラエルによって流された子供たち女性たちの血に敬意を払う意味で、その賞を辞退せよと要請する声は日にもあり、私達は、彼がそれに耳を傾けてくれると思っていた。アラブ紙の中には、性急に彼の辞退を広めたものもあった。しかしムラカミは、躊躇することなくエルサレムへ赴き、シモン・ペレスの手からその賞を受取った。罪無きパレスチナ人の血が未だ乾かぬその手から。その受賞について彼は、「言われた事とは逆の事をやったのだ」と文学的に描写してみせたが、それだけではないだろう。既にノーベル文学賞候補でもあるその作家は、世界的文学賞への途上にイスラエルが存在する事をよ

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/24
    アラブの支配者が一番恐れているのは自国の民衆。結局イスラエルとその占領政策は、彼らにとってその不満をそらすための格好の手段として機能している。パレスチナは「アラブ」からも見捨てられているということ
  • KSTK 裁判員制度導入は誰が決めたのか。

    裁判員制度が,平成21年5月21日から実施されますが, 『裁判員制度導入は誰が決めたのか』 『なぜ裁判員制度が導入されることになったのか』 未だにそうした問いが散見されます(それ自体は,悪いことだとは思っていません)。模範解答は,「裁判員制度は,裁判員法に基づいて実施されるものであり,裁判員法は,国民の代表者たる…(中略)…よって国民自身が選択し導入した制度である。」というほかないのだと思いますが,今改めて,ざっと制度導入の議論・手続の流れを整理しておきたいと思います。 初めにまとめてみた上での私の感想を述べておくと,「市民の司法参加」ということの価値(これは裁判員法1条にもそのことが規定されている)がしきりに議論ないし強調されているのが印象的でした。現在,裁判員制度のアピールに際しては,「負担は重くない」「やりがい」「勉強になる」ということが全面に押し出されているように思います。しかし,

  • 『ハイエク 知識社会の自由主義』サポートページ

    今では「社会主義がだめだ」というのは常識だが、つい20年ほど前までは、世界の人口の半分近くを社会主義国が占め、日でも「社会党」が野党第一党だった。「資主義から社会主義に移行するのが歴史の必然だ」と信じる人がかなりいて、朝日新聞などは中国文化大革命を賞賛していた。 特に知識人の世界では、こういう「進歩派」が多数を占めていた。それは欧米でも同じで、共産党の勢力はそれほど大きくなかったが、社会民主主義は広く支持を受けていた。1930年代には、資主義の世界が大恐慌に沈む一方、ロシアは順調に成長を続けているように見えた。だから今ではとても想像がつかないが、そのころ社会主義を批判するのは非常に勇気のいることだった。 戦前の日では、共産党が軍国主義に抵抗する勢力として(ごく少数ではあるが)最後まで残ったため、戦後その権威は高かった。ハイエクどころか、ワルラスもメンガーも「近代経済学」という特殊

    『ハイエク 知識社会の自由主義』サポートページ
  • 「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る

    赤木論文は、「負け組⇒勝ち組」のメッセージ。このメッセージに対して応答するとは、二つの応答が必要だと考える。一つは「勝ち組⇒負け組」で、それが「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」。いろいろブックマーク・コメントをお寄せいただいてます。ありがとうございました。そこでid:kmizusawaさんも指摘しているように、これは「身も蓋もない話」だ。しかし、「負け組」とは、定義上、「奪われた人」なのだから、「負け組」に何ができるわけでもなく、「勝ち組」であるにせよ私一人に今すぐどうこうできるわけでもなく、あのように答えるしかない。しかし、その身も蓋もなさを確認することは大事な出発点である。というのも、この身も蓋もなさを確認することによって、「勝ち組である私」と「負け組」というフレームワークがそもそも間違っているのだ、ということに気づかざるをえないからだ。そこで、赤木論文への応答としては、「

    「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る
  • 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    正直、これできちんとした応答になっているのか自信はない。ないけれども、素通りもできないので考えたことを書いてみる。赤木智弘(id:ClossOver)「「丸山眞男」をひっぱたきたい」について。 今日、飢えて死ぬ人がいる。今日、凍えて死ぬ人がいる。etc...。多少なりとも手を伸ばし、誰かの役に立つような何かをちょこちょことやってはみても、まだ全然足りない。一人の力はとても小さいから、また他人よりは自分のことの方が大事だから、できることをそれなりにやったとしても、いつでも全然足りない。だから、社会の仕組みそのものを変えようと考える。うまくいくかどうかさえ分からないのだが、しかし、仮にこれがうまくいったとしても、そのうまくいったその日までに死に行く人には間に合わない。明日、何もかもがうまくいくとしても、今日、死に行く人には間に合わない。 左派であるとは、こうした状況を変えようとする、ということ

    「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 映画「オーストラリア」が反日映画ってホント!? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    あちらこちらで無駄なあがきうざい宣伝活動絶賛実施中の映画「オーストラリア」ですが、関連してこんなのを見つけますた。 1 : すずめちゃん(アラバマ州):2009/02/15(日) 17:11:03.26 ID:5ImaYcZ0● Yahoo!映画レビューより http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id331364/rid17/p1/s2/c2/ アポリジニはオーストラリア人によって虐げられていたのが歴史的事実ですが、この作品にはそのような描写はありません。みんな仲良しこよし、精々がアポリジニの酒場入店拒否程度でしょうか。そうだ、汚れ役は憎い日にやらせればいい。日軍の登場です。まず派手にダーウィンを空爆させ殺しまくります。ここまでは事実なのでしょうがないのですが、なんと、その後、日軍は上陸するのです。そして、物語上重要なアポリジニ

    映画「オーストラリア」が反日映画ってホント!? - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
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    PledgeCrew 2009/02/24
    シドニーに停泊していた米軍艦船を日本の特殊潜航艇が魚雷攻撃したという話はありますね。何年か前に海底に沈んでいるのが発見されたそうで
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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    PledgeCrew 2009/02/24
    「システム」内部の人間は「システム」に責任を負うからこそ、そこから生じる行為に対しても責任を負う。それも分からず、おまけに「システム」のレベルの差異も無視して話をごっちゃにしているのでは話にならない。
  • 『要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。』へのコメント

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    『要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。』へのコメント
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/24
    id:tari-G, 「近代的な行為概念・責任概念とは少なくとも非常に異質」だからなに? id:lmnopqrstu,id:kurahito,id:tmsigmundなどいつまでも他人のケツにくっついてないで少しは自分の言葉で喋ってみたら/「常識」を持ち出すとは脱力
  • 『mojimoji氏の金光翔批判はお門違いである――mojimoji氏自身の表象(=代理)方法を批判的に検証する―― - lmnopqrstuの日記』へのコメント

    世の中 mojimoji氏の金光翔批判はお門違いである――mojimoji氏自身の表象(=代理)方法を批判的に検証する―― - lmnopqrstuの日記

    『mojimoji氏の金光翔批判はお門違いである――mojimoji氏自身の表象(=代理)方法を批判的に検証する―― - lmnopqrstuの日記』へのコメント
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    PledgeCrew 2009/02/24
    id:tari-G, はぁ?なに、愚劣なこと言ってんの、「怨念」てなんのこと。誰が誰になぜ怨念とやらを抱かないといけないの/あなたの主観など知ったこっちゃない。批判内容はid:mojimojiさんの記事に尽きる。分からなきゃ同じ
  • mojimoji氏の金光翔批判はお門違いである――mojimoji氏自身の表象(=代理)方法を批判的に検証する―― - lmnopqrstuの日記

    22:11 タイトルにおける「金光翔批判」とは、mojimoji氏の「代弁すること、加担すること」*1における金光翔氏の表象=代弁方法に対する論難をまず優先的に指示しています。 1 リスクの表象1−1 id:mojimoji氏はリスクについて次のように述べている*2。 ゲーリングから表彰されることを断れば、命に関わる時代がありました。それでもなお、抵抗はなされますが、どのように抵抗するかは、報復のリスクを考慮しながら、一人一人がやるしかないことです。そのリスクは、絶対に他人では肩代わりできない。そこでなされる抵抗を、小さければ小さいままにでもかまわないから、ちゃんと評価するべきです。そこに抵抗がなされないことは批判するしかないと思いますが、その場合でさえ、絶対に他人が肩代わりできないリスクの存在をわきまえているべきです。http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/2009

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/24
    お門違いな批判をやっているのは誰?「インチキ左翼」と言うに至っては笑止。自分はインチキではないとそっくり返るのは無知と傲慢の証拠、自称前衛党が使ってた「エセ左翼」という常用句とそっくり、それだけでだめ
  • 要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090223/1235394696 ごく簡単に。と思ったけど、結局、随分長くなった。 一億総懺悔とは違います 責任が、全員にたいするひとまとまりの責任としてあることは述べましたが、全員が同じように果たすべき、という話をしているのではありません。一億総懺悔の話とは、全然関係ありません。皆に責任があるということと、皆に等しい責任があるということは、別の話です。村上の責任を問うときに、自分の責任について考えるからこそ、それは当に村上に対して問える責任なのか、ということを反省的に考えられるのです。 逆に考えますが、天皇の責任を考えるときに、日社会に生きた一人の人間としての責任を考えないではいられません。戦後に生きてその相続者たる自分の責任を考えないわけにはいきません。それらは同じではありません。同じではありませんが、一つのあ

    要求することについて - モジモジ君のブログ。みたいな。
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/24
    「……これでわからないなら、ほとんど絶望的ですけれど。」まったくだ、彼らにあるのは甘ったれた鈍感さと無知による思い上がり、おまけに知的な軽薄さだけ。インチキでお門違いな批判をしているのはだれだ。