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ブックマーク / freezing.blog62.fc2.com (8)

  • 坂のある非風景 それまでの女をすべて含む女

    隆明を介して出会う吉隆明 JAP on the blog(09/06) その亡霊、その模倣 miya blog(08/22) 中上健次は語る 南無の日記(08/11) ブランショを月明かりにして歩く 愛と苦悩の日記(01/21) 作品は過大評価を求めつづける 青藍山研鑽通信(12/01) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない M’s Library(11/09) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない(11/07) 停滞すべき現在さえ 斜向かいの巣箱(10/22) 東京旅行記 #4 azul sangriento(09/23) 東京旅行記 #1 南無の日記(09/21)

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/03/24
    以前こんなもの書いたのだけど 「二極構造と三極構造について」 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200711230000/ なるほどキャンディーズも三極構造であった。三人娘や中三トリオをひとつにしちゃったのね
  • 坂のある非風景 道は断崖と絶壁によって挟み撃ちにされている

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com わたしたちは、わたしたちに死を書き込むために言葉を選択したのである。この「言葉」という部分をシステムといいかえてみれば、これはちょうど、村上春樹のエルサレム賞受賞講演の中の「システム」を「記号」に置きかえてみよといった内田樹と同じことを、ただ逆向きに行っているだけである。内田樹の村上春樹への過大な評価は、読みかえの技術の妙にあったが、それを称えることは村上春樹の講演を称えることにはきっとならない。 そこで、僕たちひとりひとりはかけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」であり、その卵の側に立つという使命感と、それに敵対する壁としての<システム>の物語がはじまる。何が打倒されるべきなのか、システムである。何が守られる

  • 坂のある非風景 ジジェク・ノート #12

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com 知性なんてひとつの飾りにすぎないが、情熱さえここでは飾りのようだ。むろん飾りでいいのだ。過剰なのものと過少なものだけが目を引き、それらは不穏な寡黙となり、不穏な饒舌として立ち現れ、私たちを追い越してゆく。追い越してゆけばいいのだ。言葉はつねに何かを指しているが、言葉そのものを指す言葉はない、これが言葉に惹かれる理由かもしれない。 メタ読み、といったものがあり、メタ読み批判といったものがあるようだが、それでも何かについて語っているだけである。メタ読み批判は<ヘーゲル批判>として知られているものの反復、再上演だが、そうして小銭に崩され、亡霊となってまでヘーゲルは生きつづけなければならないのか。死してすべてのひとに忘れ

  • 坂のある非風景 政治について何か書いてみる

    第一に、社会には、詩で解決が考えられるような課題は、何ひとつ存在しないということである。小は、一の万年筆をつくることから、大は社会を変えることまで、詩によって解決できるのは、この社会に存在していないということである。詩は、無用のものであり、現実の社会のためには、なにひとつ直接役立つことはない。もちろん、詩にたいする「社会的要諦」などというものは、存在しないのである。 1960年、これはマヤコフスキーに対する批判として書かれたもので、マヤコフスキーは、詩は現実的な課題を解決する力を持ち、その要請で書かれると考えたが、それに対して吉は「そういう議論の仕方の底には詩の中で政治的であろうとし、現実の社会の中で詩的に生活したいという倒錯した心情がある」と指摘している。 倒錯の根底にあるのは、きっとこのときも抑圧と抵抗の物語であり、その中でもっとも楽な選択、おそらく享楽的な選択が倒錯を招いている。

  • 坂のある非風景 もう誰もぼくの名をよんでくれなくていい

    Author: M ペンを折ることさえ、ここではもう「別の手段による詩の継続」を意味しているにすぎないという宿命に、それからも耐え続けた。 freezingm▽gmail.com ◇『山哲也詩集』 思潮社 現代詩文庫180 ■ほぼ15年以上前から知己を得ている詩人で、そういった理由で読みにくさを感じていた。論理性、批評意識といったものがことばの選択に反映していて、それがひとつひとつのことばの発露を制御しているといった印象をずっといだいていた。流れるような意識が現れるときも、それは操作されたものではないのかと思っていた。自然そっくりの反自然、徹底的に拒まれた感傷だけがたどりつく感傷といった印象である。以前、「偏在する空虚」という題で『一篇の詩を書いてしまうと』の書評を書いたことがある。どこにも発表していないその文を引用する。 ◆偏在する空虚 ■山哲也の詩集『一篇の詩を書いてしまうと』に出

  • 坂のある非風景 ユートピアの交替劇

    ファシズムが共産主義の描いたユートピアの挫折、崩壊によるユートピア交替劇だった、といった歴史の読みを思い出すが、戦後左翼の無様さの揺り戻しが、村上春樹だったというとき、戦後左翼の見せた未来、ユートピアなんてたいした希望じゃなかった、そんなふうにも感じられる。「"村上春樹"的なるもの」とは、ユートピアの喪失が、喪失そのものの状態でみたされ、癒される時代の登場を象徴しているのだろうか。 諦念の深さ、失望の大きさが裏切られた希望の大きさを明るみに出す。しかしそれは通常は別のもので補完されてしまうだろう。村上春樹の(登場人物の)お洒落なナルシシズムは、他者へのニヒリズムを見事に補完するものだった。ニヒリズムで共鳴するものを、ナルシシズムが癒しつづける。他者(世界)へのニヒリズムで共鳴し合うふたりが、お互いの絶望によって愛し合うといった可能性も、むしろそれだけが愛の可能性であるかのように、ここに開か

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/07
    "村上春樹"的なるもの」と真っ向から対峙し、熱烈なファンに邪魔されながらもそれを乗り越えていくのは、チャイルドでもブラザーでもない、村上春樹自身"
  • 坂のある非風景 最後の英雄の最後

    隆明を介して出会う吉隆明 JAP on the blog(09/06) その亡霊、その模倣 miya blog(08/22) 中上健次は語る 南無の日記(08/11) ブランショを月明かりにして歩く 愛と苦悩の日記(01/21) 作品は過大評価を求めつづける 青藍山研鑽通信(12/01) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない M’s Library(11/09) 十一月の白さは、その白さに尋ねなければならない 僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない(11/07) 停滞すべき現在さえ 斜向かいの巣箱(10/22) 東京旅行記 #4 azul sangriento(09/23) 東京旅行記 #1 南無の日記(09/21)

  • 坂のある非風景 追悼、山本哲也

    3月12日午後6時32分、大腸がんのため福岡市西区の病院で死去、71歳だった。 今でも、いくつかの詩集を開くことができる。思潮社の現代詩文庫180『山哲也詩集』に至るあなたの軌跡を追いながら、今でも、どこかナイーブで、変わることのないスマートな知性を湛えて語りはじめるあなたのおもかげを、思い出すことができる。 私の最初の詩集を、それから5年後に知り合ったとき、あなたは買って持っていると言った(その詩集を持つ未知のひとと直接出会ったのは、ついにあなただけだった)。詩誌『九』に誘ってくれた。詩を発表するたびに新聞紙上で取り上げてくれた。そんなあなたの評価がどれほど私の孤独感を癒してくれただろう。私は、あなたに受けた恩を、ついに直接あなたに返せない恩を、別の詩作者たちに返すという責務を、あなたによって負わされてしまった。 『伊勢物語』と『文字所有者たち』について講演する山哲也、屋で出会う山

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