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  • [書評] 『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』堤清二 三浦展(中公新書) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    セゾングループ元会長での堤清二さんと、「アクロス」元編集長、今話題の『下流社会』や『非モテ!』の著者であるマーケター三浦展さんの対談集。 堤清二さんが、小説家・詩人としての名前である辻井喬名義ではなく、ゼゾングループを率いてきた経営者として対談に臨まれているところが、言い過ぎでもなんでもなく、このの最大の魅力であると言ってもよいと思います。 9月4日に書いたエントリでも触れましたが、兵庫県尼崎市塚口にある「つかしん」という街型ショッピングゾーンについて、ほんの数ページではありますがきちんと率直に触れられていました。「つかしん」は、今はグンゼの経営になっています。私はここ最近は訪れたことがありませんのではっきりしたことはわかりませんが、ブログ検索などで見ると、まあまあ市民に愛されている施設ではあるようです。 私は大阪育ちですので、セゾングループの文化はあまり享受していません。でも小さいなが

    [書評] 『無印ニッポン 20世紀消費社会の終焉』堤清二 三浦展(中公新書) - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    これは、元電通関西の堀井博次さんの言葉です。大阪の面白CMムーブメントの中心人物で、彼の制作チームは堀井チームと呼ばれ、金鳥や関西電気保安協会など、数々のヒットを飛ばしました。確か電通を定年退職されてから、電通テックの非常勤をされていたと思うのですが、今はどうされているのでしょうか。 私は堀井さんと面識がありません。でも、一度だけお見受けしたことはあります。私がまだCIプランナーをしていた頃、電通関西CRのミーティングルームで某タイヤメーカーのポスターの打ち合わせで、電通関西の制作チームと揉めて、場がどんよりしていた時に、通りかかって、ポスターをのぞき込みながら「NAGIは難儀やなあ」と一言つぶやいて去っていかれました。もう17年前になるんですね。 「広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや。」 この言葉、至言だと思います。上手いこと言うなあと思います。広告は芸術ではない、と

    広告を芸術に利用するんやない。芸術を広告に利用するんや。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そんなふうに思ったことが何度かあります。そんなに多くないけど。大学時代はジャズをやっていて、やっていくうちに、ああ、この分野、自分にはまったく才能がないな、と気づきました。そういうことに気づくには、けっこう練習を重ねて、それなりに個性的なバンドサウンドができてきて、聴く人が「君らのバンドは独特の音だね。いいよね。」なんてほめてくれるまでかかりましたけど。下手っぴのままでは、才能がないことさえわからないものです。不思議なもので。 でも、それは、この人にはぜったい勝たれへん、みたいなことではありませんでした。そんな気持ちにさせられたのは、仕事として広告の制作をしはじめてから。いちおう、これでもお金をもらって広告をつくらせてもらっていて、それなりの自信も自負もある、そんな感じの自分の中に、「ああ、この人にはぜったいに勝たれへんな」という気づきは、猛烈な痛みとなって入ってきます。 まあ、私なんかは

    この人にはぜったい勝たれへん - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2009/01/30
    『あいつには負ける、みたいな感情は、じつは敬意というものの中身だったりするんじゃないかという気もして、そうだとすると、人間というのは、なんと複雑なものだのだろうと思うんですね。』
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 川瀬さんの言葉

    面識もないし、表現技術の分野で言えば、私はそれほど影響も受けていないのですが、とある外資系広告代理店のクリエイティブに川瀬稔さんという大先輩がおられました。ボルボのグラフィック広告「安全ピン」でカンヌグランプリを穫った人というと分かる人はいるんじゃないでしょうか。 コマーシャル・フォトという業界誌に今月の優秀作を集めたマンスリーというコーナーがあって、一人の評者が優秀な広告を批評するのですが、川瀬さんが評者だったときにお書きになったあとがきみたいな短い文章が頭の中から離れずにいました。少し辛口なその言葉は、いつも私の心のどこかを刺激しつづけていてました。 ずいぶん前の文章だから、もう読むことがないだろう、と思っていたのですが、今日、アートディレクターとその話をしていたとき、彼女はその雑誌の切り抜きをきちんとファイルしていて、再び読むことができました。辛口なので人によっては反発もあるかもしれ

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 川瀬さんの言葉
    aozora21
    aozora21 2009/01/29
    『川瀬さんは教育のせいにして、その犠牲者たる若い人を擁護して/当時の私は、この言葉を読んでから、感性とか個性という言葉を簡単に使うことをやめようと思いました』そうよね、人のせいにしてちゃ始まらないわ。
  • あるクリエイティブ・ディレクターさんから聞いたTKの話 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    お金が身を滅ぼすというか、なんかどんよりとした気分になってしまいました。これからマスコミやブログなんかでいやというほどTKについてのやな話がいっぱいでてくるでしょうから、私は、あるクリエイティブ・ディレクターとの雑談で聞いた、ほんわかしたエピソードを。もうかれこれ10年以上前なので、真偽のほどは保証なしですし、あくまで聞いた話なので、そこらへんを加味して読んでいただければ幸いです。 そのクリエイティブ・ディレクターさんは、全盛期のTKとCMの仕事をご一緒したそうです。TKが華原朋美さんのプロデュースをしていた頃で、globeの人気も最高潮だった頃。当時、取り巻きが50人くらいいたそうで、ちょっとしたCMの打ち合わせをするのにも、その取り巻きたちを通さなければならず、大変だったとのこと。で、やっとこさTKと話すことができると、ただの音楽好きの兄ちゃんで、「あっ、それ面白いじゃん、じゃあ、こん

    あるクリエイティブ・ディレクターさんから聞いたTKの話 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2008/11/07
  • 吉野家で牛丼かっこんでいる41の男が考えていること - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    なんか「なぜ吉野家は券機を置いていないのか。」というエントリがはてなブックマークで数多くブックマークされて、たぶんお盆休みと重なったことでエントリが少ないこともあり、はてなブックマークのトップページからなかなか落ちず、その間に多くのサイトにも取り上げていただいたり、ココログのアクセス集中ブログのトップになったり、そんなこんなでアクセス解析が今まで見たこともない状態になっています。こんなこともあるんですね。(あ、それと、この場を借りて。はてブのタイトルと文の吉野屋を吉野家に修正していただいた方、ありがとうございます。) でもまあ、アクセスがいつもより多いからといってパソコンが発熱するわけでもなく、サイレンが鳴るわけでもなく、街で女の子から声をかけられるわけでもないので、いまいち実感がありませんし、ブログというのはパーマリンクの集合体なので、エントリ単位で読まれているみたいで、新しいエント

    吉野家で牛丼かっこんでいる41の男が考えていること - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2008/08/17
    の話はおもしろいです。私は無職だけど…
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): なぜ吉野家は食券機を置いていないのか。

    有名な話ですのでご存知の方も多いかと思いますが、吉野家に券機が置いていなくて、代金後払いなのは、べ終わって店を出るお客様に「ありがとうございました。」の挨拶をする機会を店員さんが逃さないようにするためなんですね。 券制や料金前払い制は効率がいいのですが、店員さんが用事をしている間にお客さんが店を出ると、挨拶する機会を逃してしまいます。ラーメン屋さんなんかで店を出るとき無言なことってよくありますよね。まあそんなもんかなと思うので、あまり不愉快にはなりませんが、客としては「ありがとうございました。またどうぞ。」なんて言われるほうが気分はいいですものね。 バブルの頃、さかんにCI=Corporate Identityが重要だと言われました。CIは、大きくVI=Visual Identity(視覚的なアイデンティティ:ロゴとかシステムデザインとか)とBI=Behavior Identity(

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): なぜ吉野家は食券機を置いていないのか。
    aozora21
    aozora21 2008/08/15
    両替するのをその都度客にことわるのはどの店舗も共通なんでしょうか…
  • 続・翼をください - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    と言っても、「翼をください」の続編が発売されたというわけではなく、私の書いた「翼をください」というエントリの続編だから「続・翼をください」です。前のエントリの中で、私はこんなこと書いちゃってます。 「翼をください」に話を戻します。この曲の2番の歌詞、今はこう歌われています。 子供のとき 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている でも作詞の山上路夫さんが書いた歌詞は、この歌詞ではありませんでした。オリジナルはこうです。 今 富とか名誉ならば いらないけど 翼がほしい はてなブックマークのコメント(参照)で、kanimasterさんより『「子供のとき…」は最初からありました。改変ではなく、カットされたバージョンだと思います。』とのご指摘を受け、そうだっけなと思い、ちょっと調べてみました。すると、私の間違いでした。ごめんなさい。オリジナルは、こうですね。ちなみに2番の歌詞です。 今 富とか名誉ならば

    続・翼をください - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2008/06/10
    「今 富とか名誉とかいらないけれど」なんて歌ったら「欺瞞だ!」と叫ばれそうですw/レコード持っているけどA面の「竹田の子守歌」しか聴いたことがなかった。学校ではよく歌われる。
  • すべてはコミュニケーションの問題なんだ、と言い切ってももいいかもしれないなあ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    語弊はあるけど。コミュニケーションの問題と見えるものでも、当は別の問題がある、という論議も分かるけど。私がコミュニケーションを領域とする広告屋なんて仕事をしているから言うわけじゃなくてね、ここ最近の個人的な出来事から、ああコミュニケーションが悪かったんだな、なんて思わせられる感じがあって、これ書いています。 例えば、医師とのコミュニケーション。私の母親の具合が悪くなって、医師と話したわけですよね。かなり状態が悪かったんです。こっちとしては必死だから、今の状況を一生懸命話すわけですよね。で、その今の状況は、とりあえず解決。しばらく経つと、また次の問題が発生して、こちらとしては不安になるわけですよね。あれだけ話したのに、という思いも当然あります。 で、どうしようもなくなって、大阪にいる私の妹が医師に電話で話したんですね。それこそ、専門家たる医師にまかせなきゃ、という考えも当然あるし、こっちは

    すべてはコミュニケーションの問題なんだ、と言い切ってももいいかもしれないなあ。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • このブログは私です。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ちょっと理想論にすぎるかもしれないけれど、ブログというものが、このブログは私です、というふうに進化していけたらいいのに、と思います。ブログをはじめてもうすぐ1年になりますが、私にとってはブログというものは思ったよりもいいものであるな、という実感があります。このブログを始めてから知り合った人たち。その中には、私よりも前にブログをやっていたり、はじめたりした人もいます。その人たちのブログは、その人の実際を見て、そのブログを読んでも、それほど印象は変わりませんし、そのブログはその人自身であるように感じられます。 また、実際にお会いしたことのない人、お名前を知らない人でも、ブログは、ツールというかメディアの特性として、ひとりでいるときの思考を書き記すものであるので、実際に顔をあわせているときにわかる表情の変化や、不特定多数に届けられるブログには書けない様々な個人的な事情は知り得ないにしても、その分

    このブログは私です。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2008/05/26
    『孤独な思考だからこそ、そうした年齢や所属の壁を超えられるところもあるのでしょうね。それは、何と言うか得難い経験です。』/利害関係がないのがとにかくいいです。
  • 続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リテラシーについて考えるとき、ひとつの出来事を思い出します。職場にて。私の席の隣に座っている、年配のクリエイティブ・ディレクター。彼は仕事で調べものがあったらしく、私に、ちょっとこの言葉の意味、ネットで調べてくれないかな、と言いました。私はちょっとめんどうだなと思うものの、Googleを使ってその言葉の意味を調べ、彼に教えました。すると、彼は、私に次から次へと依頼をするようになってしまいました。 何回か、そうしたやりとりが続いたとき、少し先輩のアートディレクターが、かなり思い詰めた口調で、その年配のクリエイティブ・ディレクターに言いました。 「それくらい自分で調べたらどうですか。迷惑なんですよ。」 私はそのとき、確か、いえいえ、こんなの簡単だから別にかまわないです、とか言って、その場を繕ったりした覚えがありますが、今も脳裏に焼き付いているのは、その年配クリエイティブ・ディレクターの寂しそう

    続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2008/05/11
    『基礎になる能力を超えるリテラシーを要求する言説は/より豊かになるといった利己的な領域に限定的に使われるべき』『ある種の公共性に類するものにリテラシーが適応されるとき、それは抑圧につながる』
  • 「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある。孤独が自問する。革命とは何か。もし人間における矛盾を断ち切れないならばだ。 吉隆明『マチウ書試論』 とまあ、ちょっと頭良さ気な引用から始まった今日のエントリですが、こういうことを書きたくなる日もあるってことで、付き合ってやろうという心の広い方は、気軽にお付き合いの程を。 この『マチウ書試論』を吉隆明さんが書いたのが1952年(昭和27年)。当時は、まだ印刷インキ会社の一技術者だったそうです。吉隆明さんと言えば、共同幻想や対幻想などの概念

    「関係の絶対性」という言葉をあらためて考えてみました。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2007/12/06
    『それは理論の言葉ではなく、詩的な洞察なんだろうな、と最近思うんですね。そして、こんな商売をやっているとわかるんですが、論理の言葉は案外消費されてなくなってしまうけど、詩的な言葉はいつまでも残る』
  • 推奨してるわけでは決してなくて、お嫌な人には拒否する権利があってもいいのかな、ということなんです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    otsuneさんという方から先日のエントリにコメントをいただきました。(otsuneさん、はじめまして。コメントありがとうございます。)長くなりそうなので、エントリにさせていただきました。コメントをきっかけに、いろいろ考えたので、そのコメントに答えるかたちで書いていきたいと思います。まずはコメントを再録します。 「自分のサイトをcocologからハイパーリンクされないようにする機能があるといいですね」というのもアリなのでしょうか? もしくは「自分のをレビューされないようする機能があるといい」とか。ソーシャルブックマークという他人の領域に書ける事を外部から制限するという発想は独特ですね。(もちろん名誉毀損・脅迫などは法的に駄目なので論外です) まずハイパーリンク制限に関しては、それがウェブの質である限り無理でしょうね。こういう答え方すると、私がリンク制限をしたいみたいに思われる可能性もあ

    推奨してるわけでは決してなくて、お嫌な人には拒否する権利があってもいいのかな、ということなんです。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    aozora21
    aozora21 2007/11/21
    そのうち慣れると思いますが…。はてブを弾くWebサービスが生まれたりして@@
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