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大谷翔平
boogyman.hateblo.jp
歳末のアニメファン企画、年間のTVシリーズの中からベストエピソードを選出する「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」(昨今はNetflixのシリーズも含めているけれど)エントリ。参加サイトの一覧など詳細は、昨年に引き続き「aninado」でぜひ。 以下、コメント付きでリストアップ。 ■『86-エイティシックス-』第22話「シン」 脚本/大野敏哉 絵コンテ・演出/石井俊匡 総作画監督/川上哲也、杉生祐一 作画監督/成川多加志、真壁誠、伊藤美奈、波部崇、小川莉奈、稲田正輝、樋口香里、安田京弘 制作進行/西原雛子 クオリティアップの為の放送延期が話題をさらったが、その甲斐あって石井俊匡演出の極北といえる最高のクライマックスにたどり着いた。画面の「余白」がドラマの「空白」を埋める、究極に近いアスペクトレシオのコントロール。作り手の真髄を見た思い。 ■『明日ちゃんのセーラー服』第7話「聴かせてください」
年末が近づくと思い出すTVアニメのエピソード選出企画、「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」のエントリ。企画参加サイトの一覧は昨年同様「aninado」でチェック。 以下、コメント付きでリストアップ。 ■『ぶらどらぶ』第4話「サラマンダーの夜」 脚本・絵コンテ/押井守 演出/西久保利彦 作画監督/水野友美子、山内玲奈 『ぶらどらぶ』は一口で言うなら、「けったいなアニメ」だ。口に入れた瞬間は飲み込んでいいものか戸惑うのだけど、何度も噛んでいるうちに味わい方がわかってくる。『パト2』のセルフパロディ*1が顕著だった4話は、「本物」の演出である西久保利彦をわざわざ召喚し、映画では「幻」だったワイバーン隊をここでも「本物」の竜に置き換えるなど、押井守のテーマである「虚構と現実」のメタフィクションが内外で炸裂。押井ファンを待ってましたと笑顔にさせる一本だった。 ■『八十亀ちゃんかんさつにっき 3さつめ
京都アニメーションがTVアニメの世界へ帰ってきた。シリーズ第2期となる『小林さんちのメイドラゴンS』は監督を石原立也に引き継いでの再スタート。「シリーズ監督」にクレジットされた第1期監督・武本康弘との違いはもちろん、美術/色彩/撮影の各監督が変わったことによるビジュアルやルックの変化にも注目していたが、まず目に飛び込んできたのは、「石原印」の黒板(黒背景)+手描き風タイトル。 「だって 私は、」の書き文字→満面の笑みで迎えてくれるトール→タイトル。キャラクターを挟むのは初のパターンだが、石原監督の第1話では定番の演出だ。 『中二病』を除いて英語にしてあるところが洒落っ気だが、黒背景+タイトルの英語訳自体は『涼宮ハルヒの憂鬱』の頃からを用いられている。 タイトル以外で黒背景が使われる場合もあり、『けいおん!』第1期12話ラストの「おしまい」*1や『映画 中二病でも恋がしたい!-Take On
「世界に認められた才能」に「認められなかった才能」――平尾隆之監督の口癖だというこのフレーズは、平尾・荒木のマッドハウス同期である齋藤優一郎プロデューサー*1が月刊アニメージュ連載コラム「バリウタの愛を知りたい!!」で語った言葉だ。「世界に認められた才能」とは御存知、今 敏監督のこと。平尾監督は『千年女優』の制作進行として関わり、多大な影響を受けた。 さて、前置きはこれくらいにして、『映画大好きポンポさん』のいちばん気に入っている場面を語りたい。それはズバリ、「電話が鳴ると同時に受話器を取るポンポさん」だ。 理由を細かく話せば長~いのだけど、一口で言うと「バリウタ」恒例の進行時代を振り返るトークの中に「鳴った電話を瞬間的に取る制作進行の速度勝負」という、承太郎とDIOによる突きの速さ比べのようなエピソードがある。つまり、バリウタファンにとっては「これがマッド黄金期の制作が電話を取るスピード
庵野秀明作品における岡本喜八へのリスペクトはよく知られたところだ。古くは『トップをねらえ!』の『激動の昭和史 沖縄決戦』オマージュ、近年でも『日本のいちばん長い日』が『シン・ゴジラ』のベースになっているなど、その影響は計り知れない。とりわけ『ブルークリスマス』から引用された使徒識別用の「パターン青」は岡本オマージュの最たる例だろう。 さて、ここから『シン・エヴァンゲリオン劇場版』と1991年公開の映画『大誘拐 RAINBOW KIDS』の内容に触れる。 『大誘拐』は天藤真の同名原作を映画化した作品で、岡本喜八晩年の傑作だ。出所したてのスリ師・空き巣・かっぱらいの3人組が莫大な土地を持つ柳川家当主の営利誘拐を企てるが、計画は思わぬ方向へ転がり、当主本人の意向によって100億円の身代金を要求する破天荒な大誘拐劇に発展する――という前代未聞の誘拐ミステリ。愛嬌と老獪さを備える柳川とし子の奇想天外
『空の青さを知る人よ』は秩父三部作の集大成と謳われているが、「超平和バスターズ」作品としても、完結編的な映画だと思う。演出にしろ作劇にしろ、語り口に迷ってしまうほど密度があり、一つ一つに込められた意味が重い。言ってしまえば、「だれから/どこから」語るか、慎重に選びたくなる映画かもしれない。 「だれから」についてはまず、この2本の記事を押さえておきたい。*1 【藤津亮太の「新・主人公の条件」】第11回 「空の青さを知る人よ」相生あおい 舞台は秩父、せつなく不思議な四角関係(小原篤のアニマゲ丼) 「新・主人公の条件」では相生あおいにスポットを当て、彼女がどうして主人公であるのか解説されている。中でも荒井(松任谷)由実の「卒業写真」と過去/現在/未来の時間のあり方をつなげる鮮やかな手練には思わず拍手を贈りたくなる。公開当時、エンドロールの「写真」に引っ掛かりを覚えるといった感想をいくつか読んだが
『この素晴らしい世界に祝福を!』は何度観ても笑って騒いでたまにしんみりして、心の底からスカッとした気持ちにさせてくれるアニメだ。今回はそんな『このすば』に登場する水の女神・アクアの「輪っか」について書いてみようと思う。 アクアの髪型はかなり変わっている。後ろに大きな"輪っか"を作り、青い球体の髪飾りで留めるという、特徴的なスタイル。毎朝欠かさずセットするアクアの苦労がしのばれるが、感心してしまうのはその輪っかを使った演出の遊びだ。たとえば第1期8話「この冬を越せない俺達に愛の手を!」Aパート、ウィズの店内をうろつくアクア。 スーパーマリオ風にジャンプして「の」がコインのように獲得されるアイキャッチから、「輪っか」の左右運動→付けPANでアクアが顔を出すというカット繋ぎ。「の」と「輪っか」の形、上方向への意識をかけたパロディ的かつ映像的な工夫がおもしろい。 また8話には、アクアの髪型でしか成
性質的にTVアニメは予期せぬ出会いが起こりやすい。 『22/7』(ナナブンノニジュウニ)第7話「ハッピー☆ジェット☆コースター」は集団食中毒という突発的でエキセントリックな導入から、まさしく予期せぬ物語になった好例だ。主役は一人食中毒を免れた戸田ジュン。倒れたメンバーの穴埋めに東奔西走する羽目に陥っても、ジュンはへこたれず次々と仕事の難題をこなしていく。22/7のメンバーとして「いま」を走るジュンが人知れず背負ってきた「過去」の出来事、そして躊躇いのないヴィヴィッドな演出の数々。この話数に於けるもう一人の主役は、その演出だと言ってしまいたいくらいだ。 回想が始まってまず目に飛び込んでくるのが、逆光で咳き込むジュンと鮮やかすぎる青一色に染められた空。 影色と青による強烈なハイコントラスト。ジュンはずっと影の中にいる。日向を歩いていても心には影が落ちているのだろう。雲ひとつかからない澄み切った
2010年代中盤、格闘小説『餓狼伝』に登場する竹宮流の秘奥「虎王」が、何故だか(一部の)アニメを賑わせていた。仕掛け人は板垣恵介版・マンガ『餓狼伝』を愛読していたであろう演出家、中野英明。 以前、中野英明回で虎王が使用されるたびに記事を書いていたのだけど、移行に伴って消えてしまった。新たな発見もあり、その足取りをまとめ、もう一度振り返ってみたい。 ■『ベン・トー』7話 「オムっぱい弁当 752kcalとロコもっこり弁当 1100kcal」(2011) 伝説の序章は『探偵オペラ ミルキィホームズ』で目立ち始めていた頃、脚本家・ふでやすかずゆきの紹介で参加したらしい板垣伸監督の半額弁当バトルアクション『ベン・トー』。《氷結の魔女》と呼ばれる槍泉仙のプール虎王は、足技が得意なキャラクターらしいアレンジで一連の流れも綺麗に決まっている。この足を振り上げたところから始まるカット割りは、『餓狼伝』22
年の瀬が近づくと始まる企画、今年放送されたTVアニメの中からエピソード単位で10本選ぶ、「話数単位で選ぶ、TVアニメ10選」。 以下、コメント付きでリストアップ。 ■『風が強く吹いている』 第23話「それは風の中に」 脚本/喜安浩平 絵コンテ・演出/野村和也 作画監督/千葉崇洋、名倉智史、折井一雅、高橋英樹、鈴木明日香、森田千誉、稲吉朝子、下妻日紗子 松下慶子プロデューサーの担当するTVアニメを「話数単位」でいったい何本選んできただろう。箱根駅伝を舞台にした本作、最大の魅力は「思いをつなぐこと」に対するドラマだ。最終回はその集大成と言える。抜群の「走り」作画は言わずもがな、個人的に身を震わせてしまったのは、ハイジの父親がラジオで息子の激走の模様を聴いている場面。 父親の表情を映さず、ストップウォッチを持つ手の動きによる心理描写、次にハイジの目をアップをつなぐという憎いコンテワークだが、おそ
平衡感覚という言葉がある。比喩的にも使われるが、からだのバランスを敏感に察知し、それを保つ感覚のことだ。であるならば、野崎まどの同名小説をTVアニメ化した『バビロン』第2話に登場する平松絵見子こと「曲世愛」(まがせ あい)は、人の平衡感覚を失わせる能力を持った女、と言えるかもしれない。 第2話「標的」はかなり特殊なスタイルのエピソードだった。主人公である正崎善の部下・文緒厚彦が突然の自殺を遂げ、その死に疑問を持つ正崎が見つけた平松という女性。特殊と書いたのは、平松に行われる事情聴取の演出に対してだ。階段を上っているのか下りているか分からない平松の的を得ない受け答えを大胆かつ官能的に、そして意図的に「奇を衒って」描いている。 ■異なる3つの画面アスペクト比/カラースクリプト(ライティング) 「標的」を特徴付けている最も前面的な演出は、シーンに合わせたアスペクト比の変更だろう。正崎による事件の
詳しい素性はわからない。けれど、非の打ち所がないその実力はファンならだれでも知っている――それが木上益治という人だった。 監督を務めた『MUNTO』シリーズのDVD特典でオーディオコメンタリーに出演したり、メイキング映像に顔出しをしている以外、ほとんど露出がなく*1、京都アニメーションに来た経緯などをわずかに周辺のスタッフが話す程度で、多くは謎に包まれていた。 そこへスポットを当てたのが、「週刊女性」2019年10/22号(10/8発売)掲載の記事。専門学校時代から京都アニメーションに入社するまでの経緯を関係者に取材し、まとめたものだ。興味深い話ばかりだったが、個人的に気になったのはあにまる屋に所属していたときのプロレスに関する部分。 あにまる屋は別名“野獣屋”と呼ばれる、一風変わったアニメ会社で、毎日のように近くの寿司店で飲み会を開いていたという。 「普段は口数が少なくて黙々と仕事をする
『ロード・エルメロイII世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-』第6話は恒例のあおきえい絵コンテ回。偶然なのか狙っているのか、TROYCAの加藤誠監督作品(『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』『やがて君になる』)にあおきえいがコンテ参加するときは決まって6話だ。パトレイバーの松井刑事なら、TROYCAのマニア向けサービスと読むかもしれない*1。 今回メモしておきたいのは、主に構図感覚。Aパートで多用されたシンメトリー、ダッチアングル、真俯瞰など左右のバランスや対角線を意識した構図が、まるで魔術的に作用していたかのような錯覚を起こさせる。「潤沢すぎて過剰な反応を呼んだ結界術式」という話の肝を画面構成でなぞらえ、見せていたわけだ。 シンメトリックな人物配置、水平・垂直を意識したカメラアングルで印象付けていく演出は、過去の「TROYCA6話」でもお馴染み。 最近よく使われている9
新海誠最新作『天気の子』は身も蓋もなく言えば、「東京」の映画だ。「東京」と「新海誠」の関係は過去の作品群を振り返っても明らか。時に憧憬として、時に焦燥として、そして交差する場所として扱われている。もしかしたら、新海誠という人を映す鏡のような場所なのかもしれない。 『天気の子』の始まり方で印象的だったのも、じつはそれだ。アバンタイトル、病室で母親の横に座る陽菜が雨に濡れた窓ガラスに映り込み、その奥には東京の街と海、雨雲が広がる。 反射/映り込みをファーストシーンに持ってくる演出は、新海作品ではお馴染みと言える。『秒速5センチメートル』や入口を同じにした『言の葉の庭』、また『雲のむこう、約束の場所』にも同様のカットがあり、いずれも「東京」を舞台に"反射"している。 そこに映っているものはそれぞれの「東京」を象徴するものといっていい。だから予告(予報)にもあった陽菜のカットがアバンで使われている
新海誠は「東京」の人だ。東京生まれという意味ではなく、東京を眺め続け、絵筆を取る人。都市の象徴たる高層ビル群を、せわしなく人の行き交う駅のプラットホームを、線路の脇に植えられた桜並木を、東京を彩る景色として描いてきた。『天気の子』は最新の「東京」アニメーションと呼べる作品だ。東京に家出してきた森嶋帆高は高い現実の壁に阻まれ、困窮する中でひとりの少女と出会う。祈ることで晴れにする力を持つ少女、天野陽菜。そんな孤独な少年と"晴れ女"のふたりは、ある選択によって世界の形を決定的に変えてしまう。 その物語の文脈は一見、かつて少女を救うのか、世界を救うのか、選択の銃口を突き付けた『雲のむこう、約束の場所』に似ている。陽菜を救うため、懸命に走る帆高が見上げる巨大な積乱雲は、遠くそびえるあの「塔」のようだったし、意図的にイメージを重ねているのかもしれない。しかし人々の嘲りや警笛を物ともせず、ひたすらで燃
新海誠監督の最新作『天気の子』の公開がいよいよ目前まで迫っている。 予告編を見ても明らかなように『天気の子』のテーマに「雨」が深く関係しているのは間違いない。連日降り続く雨と“100%の晴れ女”というキーワード、それが世界をどんな風に動かしていくのか、封切りが待ち遠しい。 ところで、新海誠監督は「雨」に並々ならぬ思い入れを持つひとだ。その結実した形のひとつが様々な雨によって移り変わる心情を細やかに描いてみせた『言の葉の庭』であり、「雨と新海」の極北といってもいい。 では、新海誠がいつから雨を降らせてきたのかというと、古く自主制作時代からだ。 季節は春の初めでその日は雨だった。だからの彼女の髪も僕の体も重く湿り、辺りは雨のとてもいい匂いで満ちた。 1999年公開の短編アニメーション『彼女と彼女の猫』はこんなモノローグで始まっている。ブレてないな、と思わせるのは、ただ雨が降っている状態を描くの
『リズと青い鳥』の登場人物の中で、おそらく最も物怖じせず、鎧塚みぞれに正対するキャラクターは「図書委員」と名付けられた彼女だ。 心が揺れる、感情が揺れる、ポニーテールが揺れる。様々なものが「揺れる」本作にあって、図書委員は下級生でありながら、職務を忠実に全うするブレないキャラクターとして描かれている。 最初の出番はAパート、リズの文庫を読み耽るみぞれに下校の時間を告げる場面。 「下校の時間でーす。すみやかに退出してくださーい」 「下校の時間でーす」 「あのー」 「カギ、しめるんですけど」 次はBパート、向日葵が咲き始める頃、文庫の返却に来たみぞれに対して、 「あの」 「返却日、一ヶ月も過ぎてるんですけど」 「他にも借りたい人がいると思うんですけど――」 「……」 「図書館の本はみんなの本なんです(けど)」 無言を貫くみぞれを責め立てている風に見えなくもないが、内容はほとんどコメディ。パッケ
「岡田麿里の描く絵コンテ」に興味があった。映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』は都合7人が絵コンテにクレジットされているが、個性派揃いの演出陣にあって目を引く絵コンテ/岡田麿里の存在感。いったいどんなコンテを、そもそもどんな絵を描いているのか。特装限定版にビデオコンテが収録されると知り、いちばん先にそれを見ようと思っていた。 『さよならの朝に約束の花をかざろう』はA~Gの7パートで構成されており、掴みのアクションを見せるBパートのコンテを小林寛、農場の穏やかな生活を描いたCパートを副監督の篠原俊哉が担当し、岡田麿里と縁の深い2人が前半を受け持つ形。中盤にあたるレイリアを救出しようと動くDパートには塩谷直義(レナトが暴れるシーン)、橘正紀*1が振られ、Eパートのドレイルを引き受けたのはコアディレクター・平松禎史。終盤のメザーテが戦争を仕掛けられるFパートには乱戦、出血なんでもござれの安藤
22/7「あの日の彼女たち」キャラクターPV day06 丸山あかね、day07 戸田ジュンが公開されていた。今回は詳細なスタッフ情報が掲載されており、一部で噂されていた通り、アニメーション制作はCloverWorks、監督に若林信、キャラクターデザイン・作画監督には堀口悠紀子。さらに小林恵祐、小林麻衣子、江澤京詩郎、大山神らの名前が並び、“スーパー”制作進行・梅原翔太を含め「エロマンガ先生8話組」が中心にクレジットされている。 22/7「あの日の彼女たち」day07 戸田ジュン PVで描かれているのは、レッスンの合間の一幕だったり、ファミレスで注文するメニューを悩む姿であったり、短編映画のワンシーンを切り取ったような些細な出来事。登場する人物はPVによって異なるが、基本的にふたりの少女だけ。フィルムから滲み出る少女と少女の関係性、何となく伝わってくる背景。決して雄弁ではないけれど、寡黙で
格別な詩情が溢れ出したアニメ、そう呼びたくなる。先日、完結を迎えた原作の最終回も読んでいたが、TVアニメ『恋は雨上がりのように』の締め括り方は澄明な感慨を抱かせるものだった。 徹夜で執筆活動を行う近藤と起き抜けにストップウォッチアプリを操作するあきら、ふたりの朝を描くところから始まる最終回は、自分の中に生まれた小さな契機を雨宿りから羽ばたかせるもの。何が良いかというと大げさじゃないことだ。 進路希望調査も、勇太に走り方を教えてあげることも、日常にくっ付いて回る延長線上の出来事。それを凝りすぎた装いでない、自然なタッチで切り取っている。 本社に向かう近藤がファイルを忘れていったのも、「ありがち」な光景のひとつだ。小雨の降る中、小走りでファイルを届けるあきら。以前怪我を悪化させたあきらが、人並みではあるけれど走って「忘れ物」を届けてくれた。それはファイルに留まらない、近藤が失いかけていたものだ
アニメーターの高木弘樹さんが亡くなられたという話を聞いた。正直、信じられない思いで一杯だ。あまりにも突然で心がざわめき立っている。 高木さんの膨大な仕事の中で一番心に残っているのは、ぴえろ魔法少女シリーズ、とくに『魔法のスター マジカルエミ』だ。15話「風が残したかざぐるま」の可憐なシェリー、ドタバタコメディのパワフルさが魅力の20話「危険なシャッターチャンス」、井上敦子さんとふたりで描かれた最終話「さよなら夢色マジシャン」のステージシーンなど、高木さんの絵はシャープでキレが良く、ファンの目から見て特徴的だった。 アニメアール、じゃんぐるじむ、亜細亜堂による強力なグロス体制が整っていた『マジカルエミ』にあって、亜細亜堂のアクションといったら高木弘樹(エミの途中でグラビトンへ移籍)。『クリィミーマミ』の仕事も質、量ともにすばらしいけれど、『エミ』はさらに洗練された巧さが光っていたと思う。 そ
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の画作りには圧倒される。風になびく髪の柔らかさ、皺の描き込み、繊細な表情芝居……TVアニメの水準はどこまで引き上げられるのか。見ているこちらが心配になってしまうほどだ。そんな高密度の画作りを支える重要な要素のひとつに色使いがある。キャラクター本体のノーマル色、影色、シーンカラー(夕暮れ、室内etc)に加え、周囲の環境やオブジェクトからの照り返し、反射色を使った設計が特徴的。 この光と色の設計で思い出すのが新海誠作品だ。2007年公開の『秒速5センチメートル』の時点でハイライトと影の境目に彩度の違う色を足す試みがなされていたし、環境光、間接光を用いた反射色で塗り分け、キャラクターの輪郭線も同色の色トレスという『言の葉の庭』(2013)を忘れるわけにはいかない。風景と人物の一体感が生み出す独特の叙情性、それが新海誠の構築した手法だった。 『ヴァイオレット・エ
先週の土曜日、公開初日に『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』を鑑賞。何も調べず劇場に足を運んで正解だった。これは未成熟な面映いラブストーリーであり、サービス精神に溢れた舞台探訪型ロードムービーだ。 近年、京都アニメーションは「コミュニケーションと変化」を描く作品を数多く制作してきた。本作も扱っている核は「変化」にある。そして同じ恋愛劇でも『たまこラブストーリー』と違うのは、「付き合ってからの変化」を描いていること。富樫勇太と中二病の小鳥遊六花はこれから先も一緒いられるのか。いつまで中二病を続けられるのか。純無垢のままではいられない――そんな変化への逃避行。 とはいえ、そこは石原立也監督。シリアスに振りすぎず、逃避行の影で行われるファンサービスが特徴で、『たまこまーけっと』のうさぎ山商店街を訪ねたり*1、ゲームセンターの景品にデラがいたりと(『無彩限のファントム・ワール
コミックマーケット93頒布、サークル・アニメ風来坊より発行された『若林信仕事集2』。発行責任者及び編集は若林信。TVアニメ『エロマンガ先生』第8話絵コンテ集だ。独特なスタイルであるのは、コンテの上に直接フキダシを重ねて解説文を書いていることだろう。 部分的に見えづらい文字もあるが、解説とコンテを一つの誌面に収めるという取り回しの良さ(映像と見比べたり、メイキングブックとしての手軽さ)は他のコンテ集にないアドバンテージ。言うなれば「絵コンテコメンタリー本」であるわけだ。特長的なアニメーターの仕事、脚本からの変更点、重要なシーンの演出意図などが記されており、ファンにとっては堪らない述懐が散りばめられている。 たとえばcut279*1。 ラストシーン、紗霧がカーテンに手を伸ばす前のACTION欄に書かれた「勇気を出して!!」という言葉。その解説は「ト書きでも何でもないですが気に入っています」。そ
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