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ドラクエ3
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路上観察を長く続けている者の一人として、どうしても視界に入ってしまう田舎の街角によくある「キリスト看板」の存在が気になって、一体どんな連中がこれを貼り付けているのだと長年思っていた所、「聖書配布協力会」という団体が宮城県伊具郡丸森町という場所に本拠地を構えて全国を巡りながら貼って回っているという事を知り、どうせなら近くに寄った折にこの丸森町とやらに行ってみようと考えていた。 丸森町というのは、宮城県の中で最も南に位置する自治体で、仙台市の南40キロ、福島市の北東30キロの位置にある。阿武隈川中流部にあり、福島県境に大きくめり込んだ形となっている。阿武隈急行線丸森駅から市街地へは、阿武隈川を跨ぐ昭和4(1929)年建造の古いトラス橋「丸森橋」を渡る事になる。 鉄橋のサビ具合からして凄まじいものがある丸森橋だが、補強工事中真っ只中で片側交互通行になっていた。現在は東側に新しい丸森大橋が架かって
国際テロ組織の台頭で世界中どこでも治安への不安を感じる昨今、この日本という国は治安の良さにかけては国際的に評価が高い訳で全国から外国人観光客が押し寄せる傾向もあるが、一方で一見平和そうなこの国では人間同士の些細な感情を元にした陰湿ないじめ、「村八分」というくだらない争いも絶えない。そういう意味では争いのない平和な社会を実現するのは人間社会がある限りは到底無理なのだろうと諦めている。 今回やってきたのは、岡山県北部の津山市である。名物はホルモンうどん、B’zの稲葉浩志と芸人の河本準一の出身地としてせいぜい有名なくらいで、外国人観光客も滅多に来る機会も無さそうな中国山地の田舎町といったところだ。ここに来たという事は、もう分かる人には分かるだろう。「津山三十人殺し」の事件現場を訪ねてきたのだ。 —-レポートの全文は「note」でお読み頂けます(有料配信です)—-
この記事で紹介されている仙台市追廻地区は現在立ち退きが完了し地区内に入る事が出来なくなっています。当レポートの取材は2010年5月当時のものです。ご了承下さい。 青葉城とも言われる、かつて伊達政宗公が築き上げ、代々伊達家の居城であった杜の都・仙台のシンボル「仙台城」。そのすぐ近くに、傍目から見ると目を疑うような不思議な街が存在する。そこは「川内追廻」(かわうちおいまわし)地区。追廻住宅と呼ばれる一帯だ。 仙台駅からも徒歩で来れそうな距離にある青葉城の真下、広瀬川沿いに開ける南北に長い平地には、戦後になって満州引揚者や戦災で家を失った市民の為に当時の住宅営団によって造成された「仮設住宅」の名残りが今に続いている。 戦後60年以上が過ぎ、仙台市側はあくまで仮設住宅として提供された土地であるとして、追廻住宅を更地にして青葉山公園として日本庭園などを整備する計画でいるが、一部住民が反発して立ち退か
鹿島臨海工業地帯などで知られる茨城県の南東部、利根川河口の銚子港をのぞみ、鹿島灘に面して大きく角状に出っ張った先端部に、波崎という街がある。現在の波崎町は神栖市の一部となっているが、この波崎の街を鹿島灘沿いに縦断する「波崎シーサイド道路」がかなりヤバイと聞いていたので、ドライブがてら立ち寄る事にした。 通常、東京方面から波崎シーサイド道路へは銚子方面から来る事になる。同じ茨城県の中でも限りなく端っこにあり千葉県銚子市と生活圏が近い土地柄で、東関東自動車道経由だと遠回りになってしまうからだ。 銚子大橋を渡って5分もすれば波崎シーサイド道路に辿り着く。シーサイドとは言うが、確かに海沿いを走っているとはいえ、防風林に阻まれて直接鹿島灘を拝む事は出来ない。 この波崎シーサイド道路、全国的にも稀な土地トラブルを抱えているオマヌケな道路として知られている。現在は神栖市の「市道」で、波崎町から鹿島灘沿い
東京、大阪に次ぐ日本第三の都市圏と常々言われる割には観光客にあんまり相手にされないのが名古屋という街だが、その玄関口となる一大ターミナル駅「名古屋駅」の中でも「駅西」とも呼ばれる太閤通口一帯がすこぶる怪しい。 十年一昔の東海地方におけるプチバブル到来、2005年開催の愛知万博も昔の話、せいぜい名古屋めしを食う為に立ち寄るばかりで観光客は素通り気味の名古屋の玄関口「名古屋駅」の新幹線乗り場に近い側の太閤通口(西口)。都会としての洗練さの微塵もない駅前風景。池袋の西口にもちょっと似てますね。 「駅裏」と呼ぶに相応しい街並みが揃っていて一歩路地に入れば如何わしいネオンサインが輝く暗黒街、それが名古屋駅太閤通口。JRセントラルタワーズやトヨタビルなど愛知万博前後で急激な変化を見せた名古屋駅だが、名古屋の街の発展は名古屋駅を境に完全に東側に偏っており、こちら反対側はまるで裏町そのもの。そして戦後は闇
神奈川都民、埼玉都民、千葉都民というのは東京都内に通勤する近郊の他県民を指して使われる言葉だが、世の中には山梨都民というのが居るらしい。 東京の大動脈、JR中央線に乗って都心から約1時間、高尾駅を境に中央線は山岳地帯に突入し、相模湖、藤野という神奈川県の奥座敷を抜けて、3つ目の上野原駅でもう山梨県に突入してしまう。 山梨県東部の上野原市、大月市などは県都甲府市より遠く離れ、甲府盆地とは何の縁もない地域で、都心から鉄道で1時間少々で出られるベッドタウンとして、主にバブル期で都心部の土地高騰を迎えた1980年代後期からニュータウンが次々建設された。 「山梨都民」としての象徴的な存在が上野原駅の一つ先、四方津(しおつ)駅を降り立った真ん前に広がっている。高尾駅からだとわずか20分少々で来られる山梨県。同じ中央線でもこちらは「中央本線」、ラインカラーもオレンジではなくブルー。 それが四方津駅前から
今年の猛暑ぶりもかなり基地外染みていて都内にとても居られないくらいクソ暑くてしょうがないので、こういう時には長野や山梨あたりの高原地帯にでも足を伸ばすのも良いかと思い何気なく中央道に乗って清里あたりまで出掛けたら、そのすぐ近くに外国人研修制度にまつわる不穏な噂を度々耳にする「長野県川上村」があるという事に気付いた。ちょうど夏場の時期になると農作業の繁忙期で外国人の姿を多く見かけるというので、少し立ち寄る事にした。 川上村は長野県南佐久郡に位置する人口4000人余りの村で、長野県最東端にあり三国峠を境に埼玉県秩父市と隣接している他、日航機墜落事故があった「御巣鷹の尾根」にも程近い。村の全域が標高1000メートル以上の高原地帯にあり、周囲を標高2000メートル級の山々に囲まれ、夏場でもかなり涼しい気候である。米の栽培には適しておらず昔から蕎麦を主食にしていた為「川上そば」という信州そばの内のブ
現在、日本は人口減少社会を迎えている訳だが、その一方で年々存在感を増しているのが外国人労働者である。 日本では出入国管理法の改正により、1980年代後期からブラジルやペルー等に住む日系移民の子孫を対象に労働目的での日本滞在が認められるようになり、日本各地の工業都市を中心に急激に在日日系ブラジル人の人口が増加した。 その中でも、日本最大の製造業であるトヨタ自動車のお膝元、愛知県豊田市にある保見団地は全国最大級の在日日系ブラジル人集住地として知られる。 保見団地があるのはトヨタ自動車本社などがある豊田市の市街地から北へおよそ8キロ程度離れた丘陵地帯である。愛・地球博の開催地だった長久手町にも近い。 昭和50年から街開きされた大規模団地で、最盛期の人口は12000人余りに達していたとされる。現在は9000人近い人口のうち約4000人が外国人、その内訳は殆どがブラジル人で、残りはペルー人などだ。
福岡県、とりわけ北九州市や筑豊といった地域には様々な都市伝説があり、それもおしなべて物騒でヤバげな話ばかりあるものだが、そんな北九州市の西の外れ、筑豊の入口である直方市との境目にも近い八幡西区楠橋という場所に「正体不明の謎の城」がひっそりそびえている。 その城は地元で「楠橋城」「香月城」等と呼ばれている。城の周囲は山陽新幹線や九州自動車道、筑豊電気鉄道などの主要交通網が近接しており新幹線ないし電車や自動車でここを通り掛かる人々の間の無意識の中の意識にも刷り込まれるくらい目にされている。しかしネット上では「この城の正体を地元では絶対に触れてはならない」などと随分おどろおどろしい物言いがなされているのが目に付く。ええい煮え切らん。ならば実際に現地で城を見てみようという事になった。 —-レポートの全文は「note」でお読み頂けます(有料配信です)—-
トヨタ自動車のお膝元で自動車王国として知られる愛知県…この土地は県庁所在地であり日本屈指の大都会であるはずの名古屋市内ですら自動車社会の影響が強く、どんな貧民難民でも免許を取って軽自動車に乗り回すような土地。DQNが車を転がす率が高いのが愛知県の交通死亡事故数の多さに現れているのだが、それならもっと電車を使おうよという流れにならないのがこの地方の困った所だ。 自動車王国愛知県では軽視されがちな鉄道交通網…その傾向が顕著に現れているのが名古屋近郊各地にある赤字運営の新交通システムやよく分からないローカル線の存在。中でも名古屋市の北部を走る「城北線」というローカル鉄道があり、これが意味不明過ぎて凄いので是非乗車したいと思っていた。なにせ「全線複線高架の高規格線を1両編成の非電化ディーゼル車両が1時間に1本走る」という都会の中の田舎列車と呼べるべき謎の路線だ。 その「城北線」とやらに乗る為、始発
名古屋の繁華街と聞いて思い浮かべるのはせいぜい栄や大須や名駅くらいで、千種区の「今池」であると答える人は今の名古屋市民にどれだけいるだろうか…今池と言えばかつては名古屋指折りの繁華街で、市電が四方に走り、市内東部の交通の要衝としても人通りの絶えない地域だったと言われている。 名古屋市民の大動脈、黄色いラインの地下鉄東山線の藤が丘行き電車に乗って、名古屋駅から5つ目、栄から3つ目が「今池」である。市内東部が優良住宅地として栄えているはずの名古屋市内でもこの辺は中途半端な通過駅という以上の印象を持たなくなった感があるが、とりあえずここで降りる。ちなみに地下鉄桜通線でも来る事が出来るので、覚えておこう。 地上に上がるとそこは今池交差点。東西を広小路通と錦通が通り、南北を市道名古屋環状線が通る。今でも交通の要衝であるには変わりがない場所だが、地上の繁華街はドン・キホーテやパチンコ屋に占領されて漏れ
11月14日、我々は埼玉県庁にやってきていた。この日は現在の埼玉県が成立した明治4(1871)年11月14日(旧暦)を記念し「埼玉県民の日」として県内の公立学校は休校となり、県内各所ではド平日にも関わらず子供が街で遊ぶ姿が見られる日でもある。浦和にある埼玉県庁でも「県庁オープンデー」と称して、ご当地グルメ屋台やらご当地キャラショーなんかイベントが目白押しで、まあなんともゆるすぎる光景が見られた訳でありますけども… しかし、埼玉のように「県民の日は学校がお休みになります」という地域は全国47都道府県から見ると、実は稀なケースだったのだ。 「県民の日に学校休み」が全国共通ではなかった事実 県民の日は、各県成立の日を記念してそれぞれ制定されているものだが、全ての県が必ずしも県民の日を制定している訳ではない。 「県民の日」が制定されているのは秋田、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、
以前訪れた青森県八戸市の小中野遊郭跡。もうあれから2年以上も経ったが、この遊郭跡に来て次こそは泊まってやると思っていた明治時代の妓楼がそのまんま旅館として使われている「新むつ旅館」。 今回この旅館にしっかり宿泊出来たので当サイトでもレポートしたい。場所は小中野六丁目、縦横二本ある遊郭跡の街路のうち、縦の街路をずずーっと南端まで入っていくと建っております。 毎度ながら気まぐれな日程なので予約の電話を入れたのが前日だったんですが、まあ問題なく泊まれました。再度訪れた旧新陸奥楼の建物は重厚感溢れる唐破風もそのままに、全く変わらず残っていた。 玄関扉を開けると正面に広間、右手側に特徴的なY字階段がある。何度もネット上で見たりもしたがやっぱり実物を見ると嬉しいですね。客が泊まる部屋は階段を上がった先の二階になるが、夕食や朝食を食べる部屋や浴場、それに宿の主人の私室は全て一階廊下奥に棟続きになった別館
平成の大合併により栃木県日光市の一部となった旧塩谷郡藤原町に位置する「鬼怒川温泉」…そこは関東屈指の大温泉地で、東京都心から東武鉄道一本で行ける一大観光地でもある。この鬼怒川温泉は昭和の時代に隆盛を極め大小様々な旅館が林立していたが、近年は廃墟化する旅館が相次ぎ、資金力のある大型ホテルばかりが繁盛し客を取り込み、昔ながらの浴衣姿の観光客が闊歩する風情のある温泉地の情景は見られなくなった。 しかし、寂れつつもあるながらも見所が多いのが鬼怒川温泉でして、この温泉地にはかつて「赤線地帯」が2ヶ所存在していたという話を聞いた。そのうち一ヶ所は鬼怒川プラザホテルの近くにある「京街」、そしてもう一ヶ所は鬼怒川温泉ロープウェイの近くにある「花の町」だ。 湯の街公園から国道121号バイパスに出て少し北方向に歩き、ロープウェイ乗り場の手前の所で山側の路地に入っていく。目の前の高台の上が「花の町」と言われる土
東京から東武特急スペーシアで片道2時間。首都圏近郊の大温泉地として名を馳せる栃木県日光市(旧塩谷郡藤原町)にある「鬼怒川温泉」。かつて昭和の時代にレジャーの王道だったベタな温泉観光もとっくに衰退し、全国各地の温泉地が寂れていく中で、東京近郊で電車で行ける範囲で現在も観光客が安定しているような場所はここ鬼怒川か、箱根や熱海くらいなのではないか。 そう言えば我々が鬼怒川温泉に来て街並みをまともに見る機会は、これまで無かった気がする。有名過ぎるし関東近県なのですぐ行ける場所だと高をくくっていたのもあったが、実際に来てみると、北関東屈指の温泉街という勝手な想像で描いた風情とは少し違っていたものだった。ベタな昭和の温泉地には付き物の土産物屋は殆ど無いし、射的屋なんかも数える程しかない。 鬼怒川温泉の温泉街自体も南北に長いので、温泉街のメインが定まらずはっきりしないのもあるが、こうも土産物屋が閉まった
2014年5月、今年のゴールデンウィーク期間は曜日配列が悪いせいで一般市民の方々はあまり遠出をせずに割と近場で旅行を済ませたりしておられたらしいですが我々取材班も東京から車で2時間で来られる群馬県渋川市の伊香保温泉を訪れていた。 「石段街」とそれ以外で明暗が分かれる温泉街の現状 伊香保温泉にやってきたのは実に5年ぶりになる。伊香保と聞けば少し昔の人ならばアレな歓楽温泉街として認識されているかも知れない。つい最近までその傾向は続いていたしネット上で伊香保の地名とアレなキーワードで検索すれば人身売買だとか書かれた香ばしい記事があれこれ出てくる。しかしゴールデンウィーク中の伊香保の石段街に限ってはリア充観光客が闊歩する健全な観光地以上の印象が何も浮かばない。 前回訪問時は観光客気分が抜け切れずに中途半端なレポートを書いただけに終わったので今度こそはしっかり伊香保の深い所まで見ていこうと意気込んで
夕張市役所前から夕張駅方面に下っていく道を辿ると、そこには中心市街地にも関わらずとんでもない寂れ方をした末期的な風景が広がっている。 最盛期と比べて人口10分の1以下になった夕張市の現実は、この廃墟だらけの街並みを見る事で体感できよう。今では全国から廃墟マニアが訪れる廃墟観光都市といっても良い状態だ。 パッと見た目には立ち並んでいる家の3割くらいしか人が住んでいる家が無い。特に廃屋はその荒れ方を見れば一目で分かる。長年放置されてカビで黒ずみ崩落した壁や天井などが剥き出しになっている。 1階部分が駐車場となっている廃屋。今でも一部だけ使われているようだが片隅には何十年も放置されていそうなボロ廃車が。昭和何年モデルなんだよこれ。 かつて市役所前のメインストリートであったはずの場所は物の見事に廃墟ストリートと化しているのだが、外壁塗装がボロボロに剥がれ落ちている3階建ての立派な鉄筋コンクリートビ
東京では高さ634メートルのスカイツリーの話題でもちきりな昨今であるが、東北の山形では「スカイタワー41」という超高層マンションが県内最高層建築として君臨している。その場所というのも山形市内ではなく郊外の上山市。田園地帯の中にポツンとそびえているその姿が滑稽でネット上ではネタにされまくっている物件だ。 ネット上でその写真を見て衝撃を受けた我々取材班、早速現地まで赴いて参りました。場所は上山市の中心市街地があるJR奥羽本線かみのやま温泉駅から南東の金生地区という新興住宅地の一角。41階建ての超高層マンションともあって遠くからでもよく見える。 東北地方のマンションでは最高層の41階建て地上134メートルという山形の地におおよそ不釣合いなタワーマンションは1999年に完成。千葉県のユーカリが丘ニュータウンを造成した「山万」の関連会社、旧第一勧業銀行の不動産部門とも言われた山万アーバンフロント(仙
名古屋の遊郭跡と言えば中村遊郭(名楽園)がまず筆頭に挙がるが、特に名古屋周辺の色街には「○○園」とついた場所が数多く存在しており、戦後は赤線地帯になりながらも売防法施行以後は消えていった訳なのだが、名古屋駅から東海道線でひと駅目の尾頭橋駅近くにも「八幡園」という遊郭跡がある。 そんな訳でやってきました尾頭橋へ。「ウインズ名古屋前」と書かれている通り場外馬券売り場に近くさらにナゴヤ球場もあって典型的なオヤジの娯楽ゾーンである。あとこの駅、東海道線しか止まらず並走する中央線は金山まで行ってしまうので注意。ともかく今回の目当ては遊郭跡です。 どうでもいいけど駅前の広告まで常滑競艇だし、どれだけギャンブル好きなんだよ愛知の連中は。 尾頭橋駅改札の真正面にある児童公園は駅利用者の自転車置場に占領されていて遊具が自転車に取り囲まれている異様な光景。 もはや公園として殆ど機能していないようです。駐輪場な
日本に生まれたならば誰もが人生の中で一度は目にした事があるかも知れない「世界人類が平和でありますように」と書かれた謎のステッカーやポールの数々。それらの出処は「白光真宏会」という宗教団体で、その聖地が静岡県富士宮市があるというので見に行った。 富士宮市北部、富士山西麓一帯の「朝霧高原」と呼ばれる高原地帯の一画に白光真宏会富士聖地という施設がある。富士山の麓と聞くとどうしてもオウム真理教のサティアンとか富士大石寺とかそういうものを想像しそうになるが、宗教団体を寄せ付ける吸引力があるんでしょうね富士山ってね。 朝霧高原にある白光真宏会富士聖地までは富士宮市街地から片道20キロ40分掛かる。国道139号から外れた少し分かりづらい場所にあるのでカーナビ任せにしておいた方が確実に来られる。来てみると…非常にだだっ広い。さすがに聖地だけの事はある。 ここが「世界人類が平和でありますように」の聖地だとい
東日本大震災の被害などでも思い知らされたように日本が地震国家で昨今の耐震偽装事件で知られる某姉歯物件などを見てもマンション業界やデベロッパーへの不信感が際立つ今日この頃ですが、四国の高知には建築基準法を無視して一個人が自分の脳内設計図だけで創りあげてしまった物凄いマンションが存在する。 それが沢マンこと「沢田マンション」。今更説明の必要もないくらい有名な物件である。通称軍艦マンションと呼ばれる通り間近に見ると軍艦そのものの佇まいである。昭和46(1971)年着工以来、創造主である沢田嘉農氏とその妻や子孫が一家総出で創りあげてきた日本でも稀に見る「手づくりマンション」だ。 建物を正面から見るとその独特なマンションの全景を窺い知る事ができよう。地上6階地下1階、設計から建築まで全て個人プレイというやりたい放題パラダイスの極致、ナイトスクープで紹介され桂小枝探偵もぶったまげた程の超有名物件。残念
福井県勝山市はただでさえ知名度マイナーな福井県の中でも山深い奥越地方に属していて、冬は豪雪地帯にもなる。土地勘が無ければ何があるのか意味不明な地域でもあるのだが、恐竜マニアの間では「福井県立恐竜博物館」という聖地があって勝山自体の知名度はさておき有名な存在である。この勝山に生まれた実業家が自らの財産を投げ打って故郷に錦を飾るがの如くぶっ建てた「越前大仏」という宗教聖地をいつか見に行きたいと願っていた。 越前大仏は恐竜博物館と共に勝山市の観光名所として一応挙げられているものの、訪れる観光客は滅法少なく、広大な面積に建てられた五重塔や大仏殿(金堂)といった建物があまりに豪華過ぎて周囲から相当浮いて見える。勝山市街地に程近い一画、駐車場に入る手前の道から既にヤバイ事になっている。兵庫県の山奥にある無量壽寺を彷彿とさせる異様なテンションだ。 見方によっては悪趣味なバブルの産物だとか税金対策だと白い
<※注意>このページで紹介されている「北の京・芦別」レポートは2011年7月の訪問時のものです。2012年8月に所有会社が代わり「ライフステージホテル天都」という名称で再オープンしましたが、2013年8月には撤退。現在は宗教法人「天徳育成会」の所有になっており、一般公開はされていません。 これぞバブルの遺産!北海道に君臨した巨大テーマパーク「旧北の京・芦別」と北海道大観音 (全6ページ) 「旧北の京・芦別」の中に入ってみましょう 悪趣味な昭和のセンスが光る「ホテル三十三間堂」 時代錯誤なゴージャスさが素晴らしい「ホテル五重の塔」 宗教テーマパークか「十二支苑神宮寺」を歩く 北海道大観音とタージマハル風インド大庭園 バブルの殿堂を見下ろす「北海道大観音」胎内巡り 「旧北の京・芦別」の中に入ってみましょう 日本における昭和のレジャーと言えば温泉、その中でも高度経済成長期に全国各地に生まれた大規
2014年3月末、どうやら色々な意味で節目を迎える時期となった。4月から消費税が5%から8%に増えるという事は庶民の財布の紐ばかりか、古びた施設を経営する側にとっても店じまいを覚悟する出来事となったようで全国各地バタバタと店舗閉鎖の知らせが届いている。 名古屋市西部、近鉄八田駅と伏屋駅の間、電車の車窓からも見えるレトロな佇まいの大型温泉施設「大名古屋温泉」も、この年度末に施設の閉館が決まった。ここには過去に一度も行った事が無かったが、3月30日が最終営業日だというのでわざわざ新幹線で東京からすっ飛んで最初で最後の入浴に来た訳だ。 あの有名な名古屋駅前の「大名古屋ビルヂング」も建て替え工事の為に解体されてしまった後、さらに名古屋の街からまた一つ「大名古屋」なるたいそうな名前を冠した施設が無くなる事になるのかと思うと、大名古屋温泉へ行かずには居られなかったのだ。 元々名古屋市の西側から愛知県海
兵庫県川西市、能勢電鉄多田駅近くにある散髪屋の外観が電波過ぎて訳が分からないというので見にやって来たけど想像以上の電波ぶりで頭がくらくらしました。兵庫県 川西の電波床屋「外八理容」の衝撃。書いてる文章の意味がマジで分からない件 逢阪 • 2014/03/22 1 兵庫県川西市と言えば大阪から阪急宝塚線またはJR宝塚線(福知山線)に乗って行く街で、神戸というよりは大阪のベッドタウンといった感じの所です。この街におかしな電波を放つ謎の床屋があるというので今回わざわざやってきたのである。 とりあえず大阪梅田から阪急電車に乗って川西能勢口駅で能勢電鉄にお乗り換え、梅田を出て片道30分ちょいで多田駅という無人駅に辿り着く。ちなみに阪急電車から能勢電は中間改札なしで乗り継げるがSuica・PASMOは使えません。皆様気をつけましょう。駅を出る時にちょっと困ってしまいました。 能勢電の多田駅、まあ駅前
日本各地のロードサイドで見かけるドライブインの数々。それは昭和の高度経済成長期とともに普及してきたドライバー達のオアシス。今は高速道路網の発達で下道よりも高速と効率を追う時代となり、あまつさえ高速のサービスエリアまでやたら綺麗なスイーツ仕様に生まれ変わり旅情もへったくれもなくなったものだが、どっこい下道に降りると昭和の時代から受け継がれてきたドライブインがまだまだ地方のあちこちに残されている。 新潟県燕市の郊外、旧西蒲原郡分水町を走る国道116号は新潟市と柏崎市とを最短距離で結ぶバイパス道路。その道すがらに建つ妙に古びたドライブイン「公楽園」。ここが今回の目的地である。公の楽園と書かれた店舗の屋号も素敵で渋いセンスであるがこの建物も相当渋い。 国道116号とほぼ並行して北陸自動車道が走るものの、高速代をケチりたい長距離ドライバーが多く交通量は激しい。公楽園のある辺りは地味にホテル街になって
北海道は何でもスケールがでかいが霊園に至るまで「でっかいどう」である。それを象徴するのが札幌郊外にある真駒内滝野霊園という場所。札幌市南区滝野に所在し最寄りの地下鉄真駒内駅から無料の送迎バスが出ているが、我々は例によって札幌駅からレンタカーを借りて現地に赴いた。 この真駒内滝野霊園、まず面積があり得ない程広い。約95万平米、東京ドーム20個分らしい。そんな広大な土地に約3万~4万とも言われる大量の墓が並んでいる。本州の、それもとりわけ狭苦しい東京や大阪なんぞに住んでいる人間には想像力の及ばないスケールだが、実際現地に訪れてみてもあまりの広さに途方に暮れてしまう。 恐らく無駄に広いだけでは来るきっかけにもならなかっただろう。なのにここを訪れたのには訳がある。奇妙な銅像や石像が広大な霊園内各所にこれでもかと設置されていて見るからに異様なのだ。 霊園の玄関口からして既に普通じゃない。表の門や手前
東西に長い山口県、下関から岩国まで相当の距離があって中だるみしそうな程なのだが、何気に見逃せない街がちょいちょいある。今回やってきたのは山口県の中部を代表する街らしい「徳山」である。元々は徳山市だったが平成の大合併で「周南市」という市名に変わっている。徳山は戦前の徳山海軍燃料廠の時代から瀬戸内コンビナート地帯を形成する工業都市である。 まずはJR徳山駅前へ。新幹線も止まる立派なターミナル駅ですよ。アサヒビールのでかい広告看板が目印で、ちょっと古臭さを感じる駅舎。実はこの徳山の街、やたらめったら東京の地名で溢れ返っている。その勢いが尋常ではないので、ちょっくら観察する事にしよう。 徳山駅前には山口県でも屈指の繁華街が広がっているが住所を見ると「銀座」の地名が。まあ別に銀座という地名は普遍的に全国の商店街に使われている訳でこれ単体だと珍しくも何ともないのだが… アーケード商店街の反対側、つまり
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