サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
kazetabi.weblogs.jp
今、世間を騒がせている細胞のことに限らず、科学の研究分野で、研究を続けるためには予算が必要だから、とうぜん、その予算の取り合いが起こる。しかし、その予算を配分してくれる立場にいる人間が、本質的に何が大事かをわかっていないお役所の人であるというのが、今の日本社会の色々なところで問題を起こしている。 その配分者は、自分の中に軸がないものだから、物事を判断する尺度がない。それゆえ、「メディアへの露出」=「世間で注目されている」といった安易すぎる基準で物事を決定したりする。 私の印象では、小泉政権の頃から、その傾向が強まっているように感じる。 それは、科学の分野だけではない。芸術表現の分野でも顕著だ。とくに東京の公的な美術館などでは、既に評価付けや権威付けがされている有名画家の名前だけで人を呼び込むという手法が当たり前になっている。つまらないことに、有名画家の作品はたった一点で、「フェルメー
We are sorry, but, the blog or user you are looking for can not be found. Checkout some of the blogs in our showcase.
写真をわかるとは?① 写真は見れば誰でもわかる、人それぞれ、好みの問題という言い方がある。そして、そうした考え方が、現在の写真の在り方を混沌とさせている。写真にも、言葉のように、わかるわからないという側面があり、その考えが、まだ整理されていないだけだと思う。 写真をわかるとは?② 「わかる」という状態は何段階かにわかれる。第一に、マークシートのテスト問題で「厳粛」という言葉の意味を選び出せる。第二に、文章の中に「厳粛」という言葉があっても、辞書を引かずに状況を理解できる。第三に「厳粛」という言葉を自在に使って、自分の文章を書ける。 写真をわかるとは?③ さらに、「厳粛」という言葉の意味はよくわかったうえで、語りかける相手や、場の状況に応じて、別の言い方に変換して伝えることができる段階がある。その上で、今感じている物事を説明するうえで『厳粛』という言葉が本当に相応しいかどうか思案する段階もあ
①写真を志す若い人達から展覧会のDM等をいただく。感性をうたっているけれど、なんだか理屈っぽいなあという印象を受ける。人間、考えることから自由になって感性だけの存在になることなんかできない。中途半端に考えているから理屈っぽくなる。徹底的に考えているものは、理屈を突き抜けている。 ②写真を志す若い人で、写真は感覚で撮ればよくて、思考は必要ないと思っている人が多い。でも、人間の感覚は、メディアや教育等の言語的影響を受けており、自分のものだと思っている感覚が、実は、他人から刷り込まれたり洗脳されているだけの場合がある。その状態から脱するプロセスで、思考は必要。 ③理屈抜きに感覚で撮りました等と胸を張って言う人間の写真は、だいたい、どこかで見たことのあるようなものが多い。他人の写真を見て学習することすらしない人達だから、自分では人真似などしていないつもり。それでもステレオタイプになってしまうのは
一昨日、荻窪のカフェギャラリー六次元で、映画監督の小栗康平さんがトークをすることになったので、見に行った。六次元のトークは観客も一体化したものなので、私も色々話しをさせていただいた。 このトークのなかで、とりわけ映像教育のことに関して、小栗さんの口調が強くなった。群馬県の小学校で映像教育をやろうということになったのだが、現場の先生達が「大人でも難しいものを子供が理解できないのではないか」と消極的だったらしい。また教育を行う上で、先生じたいが映像のことを何もわかっていないので、先生 の教育から始めなければばならなかったということも小栗さんは語っていた。 でも実際に教育を始めると、子供達は大人等よりも遥かに頭が柔軟で、作り物の”映像”と、リアルな世界との差異について、なぜそれがそうなるか、なぜそういう映像づくりになっているか、ということを驚べきスピードで吸収していったそうだ。 これは
今朝、永田町駅にスーツ姿の若者が数多くいて、その中に一人、バングラデシュかどこか彫の深い顔立ちのアジア系の若者が混ざっていた。 日本の大学卒業者の就職率が低下し、今回、補正予算案として政府は、新卒者の就職支援などの雇用対策や介護や医療といった今後成長が見込まれる分野での人材育成などに3199億円を計上するとともに、各企業に、積極的に若者を採用するよう働きかけていくという。 しかし、現在、企業は、たとえ若者の採用枠を増やしたとしても、日本人ではなく外国人を増やし始めている。パナソニックの場合、10年度は新卒採用1250人のうち、グローバル採用で750人。11年度は、新卒採用枠を1390人に増やすが、そのうち海外で1100人、残りの290人も海外から日本に留学している人達を積極的に採用するらしい。パナソニックをはじめ日本の一部上場企業の多くは、ビジネスフィールドが世界全体に広がっているので、日
現在、写真集づくりのために、二つの印刷会社と話をしている。 一つは、東京に拠点を置く、世間でよく知られた大企業。もう一つは、関西に拠点を置く、あまり知名度の無い企業。 私が写真集づくりで考えていることは、高付加価値のものを少数だけ作り、金額はそれなりに高くなるが、物の価値がわかる人ならきっと欲しいと思うもの。 現在、大手出版会社が作る写真集は、できるだけ大勢の人が買ってくれるように、標準的な大勢が好むような、犬や猫のペットをはじめとする無難なもの。しかも、標準的な大勢は、自分だけの強いこだわりで買うわけでもないから、安い価格でないと買ってくれない。だから、作りの粗末なものを低価格で売る。そうすると、ネットで氾濫しているような内容とさほど変わらなくなってしまうので、けっきょくは売れ残るという悪循環に陥っている。そうした流れに乗じたものを、出版界と切り離されたところで生きている私が、真似をする
「風の旅人」は、第39号(2/1発行)で一つの区切りとして、第40号から少し変えようと思う。一挙に全面改定するのではなく、まずは半分くらいを刷新するという感じで。 具体的に、今、私の中にあるテーマは、 1.地方 2.旅 3.身体性 物事を簡単に言い切ることはできませんが、敢えて言うならば、20世紀と21世紀の価値観で一番違ってくることは、20世紀が、『価値観を与えられる』時代であったのに対し、21世紀は、一人ひとりが自らの関係性と身体感覚を総動員しながら、『それぞれ、価値観を整えていく』時代になっていくのではないかと私は思う。 20世紀の価値観の伝達の主力は大手メディアであり、そこから発信される一方向の情報伝達によって、一人ひとりの身体感覚と切り離されたところで大勢が導かれ、その構造の上に規格品の大量生産型の消費経済と、広告社会が成り立っていた。 しかし、もはやメディア広告に盲
photo by Sebastiao Salgado セバスチャン・サルガドは、今日の写真家のなかで、もっとも偉大な写真家の一人として位置づけられる。 写真作品の優劣は、見る人の好みの問題だと言う人もいるが、そういう趣味的なレベルのことではなく、長年にわたって世界の一流の写真家たちに影響を与えていることや、その活動への注目度ということにおいて、サルガドは際だった存在であることは間違いないだろう。 以前、編集部に写真の売り込みにやってきた女性が、編集部に飾ってあるサルガドのポスターを見るなり、「最初に申し上げますが、私とサルガドは、種類の違う写真家です」と言った。 サルガドの横には石元泰博さんのポスターがあり、他にも錚々たる写真家の写真が並んでいるので、「実力」の違いではなく、「種類」の違いだと布石を打っておきたかったのだろう。それだけ、サルガドは好きで嫌いであれ、写真家にとって、意識
〜放浪のすすめ〜11/29(日) 18時~ 吉祥寺の 「on going」 で、海老原優さんと私で、トークを行います。予約制:定員30名 予約制→ http://www.ongoing.jp/galle... 『風の旅人』の次号は、彼岸と此岸2 ~この世の際~というテーマで編集を行っています。 このなかで、私が特に意識しているのは、経験と通して獲得してきた”記憶”と、生来の”記憶”の関係についてです。 ”世の際”というのは、もはや地理的なレベルだけで論じられるものではないでしょう。人間が認識できる範囲で言語化できる記憶と、認識の曖昧な領域で言うに言われぬ懐かしさを感じながら言語化しにくい記憶との接点もまた、私達一人一人にとって、”世の際”ということになるのではないかと思います。 自分が獲得してきた記憶は、人それぞれであり、そこの部分でのつながりを求めすぎると、それぞれの言い分によって
今日、写真学校に通う若い人の写真の売り込みを受けた。最近は、写真の売り込みに関しては、電話など安易な方法を取る人のものは忙しくて対応していられないので受けていないが、アポもなく、匹夫の蛮勇で大阪からやってきたと言うので受けた。 彼は、比較的硬派の写真を撮る写真家を多く輩出している学校の生徒だ。 一目でその学校の先生の影響を受けている写真だとわかった。しかし、彼は、自分の写真と活躍している先輩写真家との違いは、「人との距離感」にあると言う。 街角で撮影したい人に声をかけて、それから撮る写真というのは不自然だと彼は思っているらしく、街角で通りすがりの人のすぐ傍から厚かましく撮っている写真が多い。 そして、相手に躊躇することなく距離を詰められることが写真表現を行ううえでの自分の特性だと思っている。写真学校の先生などでも、それが写真家としての才能だから、その才能を伸ばしなさいと言う人は多い
『風の旅人』 編集長 佐伯剛による、写真に対する考察今日、写真学校に通う若い人の写真の売り込みを受けた。最近は、写真の売り込みに関しては、電話など安易な方法を取る人のものは忙しくて対応していられないので受けていないが、アポもなく、匹夫の蛮勇で大阪からやってきたと言うので受けた。 彼は、比較的硬派の写真を撮る写真家を多く輩出している学校の生徒だ。 一目でその学校の先生の影響を受けている写真だとわかった。しかし、彼は、自分の写真と活躍している先輩写真家との違いは、「人との距離感」にあると言う。 街角で撮影したい人に声をかけて、それから撮る写真というのは不自然だと彼は思っているらしく、街角で通りすがりの人のすぐ傍から厚かましく撮っている写真が多い。 そして、相手に躊躇することなく距離を詰められることが写真表現を行ううえでの自分の特性だと思っている。写真学校の先生などでも、それが写真家とし
前回のエントリーで、大会社に媚びない中小企業のあり方について書いた。 そのことについて、「そういう優れた中小企業の採用なんて、めったにない。確率が低い」とか、「その中小企業の社長が、若い社員に充分な給与を与えるとか、将来の保証をしてくれないのであれば、意味がない。搾取にすぎない」といった意見のやりとりが、他のサイトで交わされた。 私の書き方が悪かったのか、その「中小企業の採用条件」が趣旨にすりかわってしまったのだが、それほど、「採用時に良い条件で採用されること。そして、その後を保証してくれること」に対する関心が高いということなのだろうか。そういう言い方をすれば、「当たり前だろう、生活していくために、お金が必要なんだから」ということになる。 しかし、技術も経験も無い状態で、「仕事でお金を生み出す段階」に至っておらず、「仕事や技術を教えてもらう段階」で、高い給与を要求することじたいがナン
〜放浪のすすめ〜私たちは、目先のことしか見ていないと、目にしている部分は見えるけれど、まわりにワケのわからないものもたくさんあるので、世界が混沌のようにしか感じられない。そして、常に、それらの動きに心が乱される。 しかし、もう少し長いタイムスケールで見ると、それはただの混沌ではなく、全体として異なる位相に転じようとする激しいエネルギー状態であることがわかる。 やかんで湯を沸かす時、やかんに近づき、その周辺だけ見ると、白い蒸気が吹き出す混沌状態だが、少し身を引いて部屋全体を見渡すと、それは液体から気体に転位しようとする場における凝縮したエネルギー状態であり、その先に、気体になって広がっていく安定した状態があることが見てとれる。 液体は液体として安定し、気体は気体とした安定するが、液体から気体へと水の位相が変わる時、(人間から見ると)乱れているように感じられる状態がある。 液体や気
私が優れた写真家だなあと思う人は、他の優れた写真家の写真をよく見ている。 ”自己表現”だけを目的に写真を撮っている人の多くは、他人の写真にはあまり興味がないようだが、優れた写真家は、他の写真家の写真をよく研究している。他の人が達成している仕事を敢えて自分が行う必要はないと思っているし、他の優れた作品を見ることで、眼力がついて、他の人が見過ごすようなことが見えるのかもしれない。 また、彼らは道具の癖を知り尽くしている。カメラのことは当然のこと、フィルムの癖なども知り尽くし、光の状態によって、どのフィルムをどのように使うべきか、瞬間に嗅ぎ分けている。また、道具の一つとしての自分の身体も大事にしている。たとえば足場の悪いところでスローシャッターで撮ってもブレないだけの筋力がある。筋肉質ではなく細身であっても、骨の周りや腹にしっかりと筋肉がついているなあと感じる人が多い。さらに水中写真の中村征夫
中野正貴さんの東京シリーズ第3弾、「TOKYO FLOAT」が、河出書房から発行された。人が誰も写っていない「TOKYO NOBODY」、他者の部屋の窓から東京の風景を撮影した「東京窓景」に続いて、今回は、東京都内の川をひたすら下り、水上から「東京」を写しとったものだ。 ビルが建ち並ぶ地上の現実のなかで、私たちの眼差しは狭く固定されているが、流れゆく水の上から見る東京は、妖しく流動的で、艶めかしいものがある。 東京の地上の現実は、人間の意識が周到に計算して作りあげたものだが、水は人間の意識とは無関係に、自由気ままな表情を見せる。私たちは、ビルの建ち並ぶ「こちら側」の現実を確固たるものと考え、そのうえで様々な計画を立てて人生を設計するが、私たちの意識の及ばない水の「あちら側」の世界から見ると、私たちの「こちら側」は、はかない現象のようにしか見えてこない。でもそれがゆえに、切ない気持ちがし
一昨日の夜、ある開発会社の創業社長さんと5時間にわたって話しをした。 その会社は、例えば自動車の速度メーターを背後から照らし出す光源などの開発会社で、日本の自動車メーカーの40%以上のシェアを持つ中小企業だ。安全性にも関わる特殊な部品なので、不良品の発生率が極端に低いことや、耐用年数が非常に高いことが強みになり、日本だけでなくアメリカのビッグスリーなど大手自動車メーカーの信頼を長年にわたって獲得している。 そうした製造開発メーカーの存在は、日本の消費者にほとんど知られていないが、彼らは間違いなく日本経済を支えている。以前、証券会社の取締役と話しをした時、現在、日本の株式市場は低迷しているが、世界でもっとも活気を呈しているのはロンドン市場であり、ロンドンに集う投資家が注目している日本企業は、消費者によく知られた企業ではなく、部品などにおいて高い技術をもって世界の様々な企業のニーズに応えら
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『風の旅人 編集便り』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く