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インタビュー
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こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、"大坂冬の陣"開戦!木津川口砦、鴫野古戦場跡、野田城址など「古戦場跡」をめぐる…です。 ■家康を辿る物語 慶長19年(1614年)10月11日、徳川家康は兵を率いて駿府を出発。23日に二条城に入りました。 同23日に将軍秀忠も6万の軍勢を率いて江戸を出立。家康も11月15日に二条城を出発すると、18日に先着していた秀忠と茶臼山陣城で軍議を行いました。 このとき、徳川方の動員した兵力は約20万。家康・秀忠ら徳川一門のほか、井伊・本多など徳川譜代、さらには伊達・上杉など諸大名が参陣。 なお豊臣恩顧の福島正則や黒田長政らは、寝返りの懸念から江戸に留め置かれました。 一方の豊臣秀頼のもとには、関ヶ原で敗れた真田信繁(幸村)や明石全登、長宗
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、真田幸村、九度山を出る!真田三代ゆかりの「真田庵」、軌跡を辿る「九度山・真田ミュージアム」です。 ■家康を辿る物語 合戦は避けられない…。そう判断した豊臣方は、旧秀吉恩顧の大名たちに参集を求めます。 しかし今は徳川の世…応じる者はありませんでした。そこで頼ったのは、関ヶ原の戦いで敗れ、戦を渇望する反徳川の牢人たちでした。 その一人が、真田信繁。後に「真田幸村」として広く知られることになる武将です。 幸村は、関ヶ原合戦で父・昌幸と共に西軍に加勢。上田城に籠城し、徳川秀忠軍を足止めするなど徳川方を苦しめました。 関ヶ原合戦の後、死罪となるところを兄・信之とその舅である本多忠勝の取り成しがあって、九度山に蟄居となっていました。 この幸村
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「茨木城」!秀吉恩顧の重臣・片桐且元失脚…大坂城を追われ茨木城へ退去…です。 ■家康を辿る物語 方広寺の鐘銘に端を発した徳川・豊臣の諍いは、やがてその火を広げていきます。 この事態を収拾するために奔走したのが、秀吉時代から長く豊臣家に仕えてきた片桐且元でした。 且元は豊臣家の家老でありながら、幕府から加増を受けるなど家康とも非常に近しい立場でした。 その且元が釈明のために駿府を訪れますが、何日たっても家康には面会できません。ところが、すぐ後に駿府を訪れた淀殿の乳母・大蔵卿には家康はすんなり面会し丁寧に接しました。 結局、且元が持ち帰った和解案は、「秀頼を江戸に参勤させる」「淀殿を人質として江戸に置く」「秀頼が国替えに応じ大坂
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、大坂の陣の引き金「方広寺鐘銘事件」!鐘に刻まれた"国家安康""君臣豊楽"をめぐり緊張走る…です。 ■家康を辿る物語 慶長19年(1614年)、思いがけない事件が起きます。のちに「方広寺鐘銘事件」とよばれるものです。 そもそも方広寺は文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が大仏を安置するために創建しました。しかしその後、大仏は慶長伏見地震により倒壊…。 秀吉の死後、その遺志を継いだ秀頼が大仏の再建に着手しますが、慶長7年(1603年)鋳造中の大仏から失火。炎上して頓挫しました。 慶長12年(1607)、秀頼は片桐且元を奉行として、再び大仏および大仏殿の建立に着手します。これには徳川家康も協力しました。 まず大仏が鋳造され、大仏殿も完成。慶
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「二条城」!家康と秀頼の対面がついに実現!歴史を動かす"二条城会見"です。 ■家康を辿る物語 慶長16年(1611年)、後陽成天皇の譲位に伴う儀式に立ち会うため、徳川家康は駿府から4年ぶりの上洛を行います。 その際、織田有楽斎や高台院を通じて豊臣秀頼の上洛を働きかけ、二条城での会見を要請しました。 加藤清正らの説得によって上洛要請を承諾した秀頼は、同年3月27日に大坂城を出立。 淀で宿泊したのち隊列を組んで出発すると、翌3月28日の8時ごろに会見場所の二条城に到着しました。 このとき家康は秀頼を、丁重に庭先まで出て迎えました。秀頼もそれに対して、丁寧な挨拶を返します。 さらに家康は、秀頼を先に御成の間に上げて対等な立場で会見
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「名古屋城」!東海道の防衛と西国への牽制と…家康が天下普請で築いた天下の名城…です。 ■家康を辿る物語 大御所として駿府に移り住んだ徳川家康。年少の息子、9男義直、10男頼宣、11男頼房も駿府に移り教育を施されました。 この3人の息子たちは、のちに尾張・紀伊・水戸の藩主となり、幕府を支える「徳川御三家」の礎を築くことになります。 慶長14年(1609年)、家康は義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを決めました。 もともと尾張には清州城がありましたが、水害に弱い清州の地形や関ヶ原後の政治動向が移転の背景にあったとされます。 名古屋は江戸と大坂の中間に位置する要所。そこに堅固な要塞城を築くことで、東海道の防衛機能を高め
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「駿府城」!家康、駿府に移る。"大御所政治"の拠点として築いた巨城跡です。 ■家康を辿る物語 慶長10年(1605年)、徳川家康は将軍職を息子・秀忠に譲ります。しかし政治的な影響力は持ち続け「大御所」と呼ばれるようになりました。 家康は駿府に拠点を置くことを宣言すると、諸国の大名に命じて駿府城の普請を開始(天下普請)。慶長12年(1607年)に駿府城に移ります。世に言う「大御所政治」の始まりです。 家康の駿府・大御所政治は、秀忠の江戸・幕府政治を補助するような役割を果たしました。 主に朝廷・寺社・西国大名・外交を担当しましたが、家康の権威や有能な家臣団(駿府年寄衆)もあって、政治のあらゆる側面に影響力をもっていたことが窺えま
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、北政所ねねが秀吉を偲んで月を眺めた京都「高台寺」!豊臣と徳川の和睦の行方は?です。 ■家康を辿る物語 戦国の世を駆け抜けた一人の強い女性がいました。その女性の名は、ねね。 豊臣秀吉の正室。「北政所」(きたのまんどころ)という通称でよく知られる女性です。 秀吉を無名時代から支え続け、秀吉没後は、側室・淀殿との間に生まれた秀頼の後見として豊臣家の存続に尽力しました。 関ヶ原合戦後は秀吉の供養に専心していましたが、慶長8年(1603年)、秀吉の遺言であった秀頼と千姫(徳川秀忠の娘/家康の孫)の婚儀を見届けたことを契機に落飾。「高台院」と称しました。 その謹直な姿勢に家康の信頼も厚かったようで、家康の後援のもと京都東山に高台寺を建立。その
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「江戸城」!家康、征夷大将軍に就任。天下普請で"江戸城"を築く…です。 ■家康を辿る物語 関ヶ原の戦いに勝利して、ついに天下人としての立場を確立した徳川家康。 慶長8年(1603年)、朝廷から征夷大将軍に任命されます。家康は、江戸の地に幕府を開くこととし、ここに江戸幕府が誕生しました。 これと合わせて、家康は江戸の新たな町割りや江戸城の拡張に着手します。 神田山を崩して日比谷入江を埋め立てるなど大工事を敢行。全国の諸大名に普請を命じて(天下普請)、石垣や天守台の整備を進めました。 これだけ大掛かりな天下普請を号令した背景には、徳川幕府体制の強化はもちろん、大名たちに戦を目論む余裕を与えないことなどの意図があったと考えられます
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「彦根城」!徳川四天王・井伊直政の系譜を継ぐ大坂を睨む戦う城です。 ■家康を辿る物語 関ヶ原の戦いの後、石田三成が治めていた近江の地に入ったのは、徳川四天王の一人・井伊直政でした。 直政ははじめ佐和山城に入城しますが、その古い縄張りや三成の居城であったことを嫌って、琵琶湖岸に居城を移すことを計画します。 しかし直政は、関ヶ原で負った傷が癒えずに間もなく死去。家督を継いだ井伊直継と家臣らが直政の遺志を継いで、琵琶湖に面した彦根山に彦根城の築城を開始しました。 築城にあたっては、大津城や佐和山城など近江の諸城を破却または移築し、城の建設物に使用したとされます。 直政の死から20年を経た元和8年(1622年)、ついに彦根城は完成し
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、決戦!関ヶ原「徳川家康最後陣跡·床几場」!家康気魄の前進、そして三成は?です。 ■家康気魄の前進 天下分け目の関ヶ原…。東軍の総大将・徳川家康は最初、西軍から最も遠い桃配山に陣を敷きました。 しかし合戦当日の午前11時ごろ、膠着する戦況を打開しようと戦火只中の前線にまで前進し、石田三成の正面に本陣を移しました。 一説には、ここから松尾山の小早川秀秋を鉄砲で威嚇したとも言われています。 こうした家康の動きが味方を鼓舞したのか、秀秋ら様子見の武将を動かしたのか…。ついに東軍諸隊が西軍諸将を潰走させ、関ヶ原は家康率いる東軍の勝利となりました。 関ケ原合戦後には、その家康本陣に置かれた床几場で、論功行賞の首実検が行われました。 夕刻から始
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、決戦!関ヶ原「関ヶ原古戦場決戦地」!ついに終結のとき…三成はなぜ敗れたか?です。 ■ついに決着!関ヶ原 天下分け目の合戦、関ヶ原の戦い。序盤は一進一退の攻防が続きます。 膠着した戦況を動かしたのは、松尾山に陣取る小早川秀秋軍の寝返りでした。 秀秋は猛然と山を下りると大谷吉継軍を急襲。さらに脇坂安治や朽木元綱らも裏切ると、西軍は総崩れとなります。 大谷軍は壊滅、吉継本人も自刃。宇喜多秀家・小西行長軍も潰走。秀家は憤慨して秀秋と刺し違えようとしますが、家臣に止められ関ヶ原から退却したと伝わります。 ここに至って、黒田軍や細川軍などを相手に善戦していた石田三成軍も壊滅状態に…。 三成家臣の島左近は被弾して負傷しながらも奮戦、最後は黒田軍
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、決戦!関ヶ原「大谷吉継陣跡・大谷吉継墓」!義に生きた大谷吉継、関ヶ原に散る…です。 ■大谷吉継 関ヶ原の戦いで、石田三成に味方し奮戦した戦国武将、大谷吉継。 もとは秀吉に小姓として仕え、このとき石田三成と出会い深い友情を結びます。そして織田信長家臣から天下人に至るまで、共に力を合わせて秀吉を支えました。 その秀吉亡き後、家康とも懇意であった吉継は、会津出征に参加するために領国の敦賀を出ると、途中で佐和山城の石田三成のもとを訪れます。 ここで三成から家康に対する挙兵の意志を打ち明けられました。吉継は再三再四思い止まるよう諫めますが、最後は三成の熱意に打たれ西軍へ参陣することを決めました。 そして迎えた関ヶ原の戦い当日。大谷吉継軍は、
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、決戦!関ヶ原「小早川秀秋陣跡」!戦いの帰趨を決する松尾山、秀秋離反す!です。 ■小早川秀秋離反 小早川秀秋。幼名は木下辰之助といい、豊臣秀吉の正室・北政所ねねの甥です。 幼い頃に秀吉の養子となり、後継者候補として養育されますが、秀吉に実子秀頼が生まれたことから、秀吉のもとをはなれて毛利一門の小早川家の後嗣となりました。 やがて筑前国主となった秀秋ですが、朝鮮出兵から帰国後に突如、秀吉から越前への減封転封を命じられます。 これにより秀秋は多くの家臣を解雇せざるをえませんでした。そんな失意の秀秋に手を差し伸べたのが徳川家康でした。 秀吉の死後、家康の働きかけにより筑前・筑後の復領が決定。所領高も59万石と大幅に増加しました。 このとき
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、決戦!関ヶ原「石田三成陣跡」!"大一大万大吉"の旗たなびく三成本陣"笹尾山"です。 ■激戦!関ヶ原 ついに決戦の火ぶたが切られた天下分け目の戦い・関ヶ原…。 開戦から数時間が経過して、戦局は形勢を見通せない混戦の様相を呈していました。 特に激戦が繰り広げられたのは、石田三成が陣を敷いた笹尾山でした。 ここに、東軍の黒田長政や細川忠興らの軍勢が、三成の首を獲ろうと怒涛のごとく攻め寄せました。 一方の三成側も、猛将・島左近が獅子奮迅の戦いを繰り広げ、一進一退の攻防を続けます。 ただ、こうした激戦の地がある一方で、まったく戦端が開かれない場所も多くありました。西軍には家康と内通している武将も多く、彼らは戦闘に参加せず傍観したのです。 三
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、戦地に響く銃声…火ぶた切られる関ヶ原!歴史に残る開戦の地へ「関ヶ原古戦場開戦地」です。 ■いざ開戦 慶長5年(1600年)9月15日。決戦の地、関ヶ原に東西両軍が集結します。 徳川家康率いる東軍は約7万、石田三成率いる西軍は約8万…。総勢15万人もの軍勢が関ヶ原を埋め尽くしました。 戦端が開かれたのは午前8時頃…。朝から霧に包まれていた関ヶ原に喚声が響き渡ります。 東軍の松平忠吉・井伊直政軍が西軍の宇喜多秀家軍に向って発砲したことで、決戦の火ぶたが切られました。 松平・井伊軍の動きに呼応して、先陣を任されていた福島正則軍も射撃戦を展開。 さらに藤堂高虎軍は大谷吉継軍に攻めかかり、石田三成軍には黒田長政や細川忠興らの軍勢が攻め寄せま
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、いざ関ヶ原「徳川家康最初陣跡」!家康は古の内乱ゆかりの桃配山に布陣!です。 ■いざ関ヶ原へ 慶長5年(1600年)9月14日。美濃大垣の赤坂に着陣した徳川家康。 石田三成ら西軍の立て籠もる大垣城に向かうと思いきや、軍勢を西に進め、三成の本拠・佐和山城を攻めて、さらに大坂城を落とす方針を示しました。 この情報を得た三成は、東軍の進軍を食い止めるべく闇に紛れて大垣城を出ると、防衛線とする関ヶ原の地に向かいました。 そうした西軍の動きを家康も察知、そして東軍諸将に全軍進軍を命じます。向かうは、美濃大垣から西に進んだ関ヶ原…。 こうして翌9月15日、決戦の地・関ヶ原に三成率いる西軍と家康率いる東軍とが集結します。 三成は関ヶ原の北西に位置
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「大垣城」!石田三成が西軍の本営を構えた要塞城、幻の決戦地です。 ■石田三成、大垣城へ 打倒・家康の兵を挙げた石田三成…。 家康との決戦を期して、東西の交通の要衝である大垣城に軍勢を進めます。 三成は、城主の伊藤盛正に城の明け渡しを迫ると、盛正を説得し退去させて城を接収。 慶長5年(1600年)8月11日、城内に兵を入れて、大垣城を西軍の本営としました。 一方の東軍も、福島正則らの先鋒隊が岐阜城や竹ヶ鼻城など美濃の諸城を次々と攻略。 8月24日、大垣城の西北わずか4㎞の赤坂に集結します。諸将は当地で家康の到着を待ち、大垣城の西軍と対峙を続けました。 そして9月14日、ついに家康本隊が赤坂に着陣します。すわ大垣城決戦か…。 し
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「大津城の戦い」!京極高次、懸命の籠城戦…猛将・立花宗茂を足止めす!です。 ■大津城の戦い 石田三成が中心となって毛利輝元や宇喜田秀家らが集結。反家康の西軍が構成されます。 そんな中、それまで西軍に従うかに見えた大津城主・京極高次が突如、東軍に寝返ります。 高次は手勢3,000人を率いて大津城に籠城。防備を固めました。 大津城は琵琶湖に面した舟運基地であり、東海道・中山道を城下に束ねる交通軍事の要衝、西軍にとって失ってはならない城でした。 慶長5年(1600年)9月7日、毛利元康や立花宗茂ら総勢1万5千の軍勢が大津城を包囲します。 寡兵の城方は夜襲を仕掛けるなど抵抗を見せますが、精鋭で知られる立花軍の攻撃に次第に追い込
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「岐阜城の戦い」!信長の嫡孫・織田秀信立て籠もる激戦のあと…です。 ■岐阜城の戦い 石田三成ら四奉行と毛利輝元が決起…。その報を受けて、家康は会津征伐を取りやめ、軍勢を西に向けることを決めます。 関東に参陣していた福島正則や山内一豊ら豊臣恩顧の武将らもこれに従い西進、ここに徳川軍を含めた関ヶ原「東軍」が形づくられます。 東海道を西進してくる東軍に対して、西軍に与した岐阜城主・織田秀信は木曽川沿いに陣を敷き、これを迎撃する構えを見せます。 しかし、池田輝政や福島正則ら東軍諸隊の木曽川渡河を防ぐことが出来ず、秀信軍は岐阜城に撤退、犬山城と大垣城に援軍を要請して城に立て籠もります。 しかし、犬山城は東軍に内応、大垣城からの援
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「伏見城の戦い」!鳥居元忠、決死の籠城戦…反家康の狼煙が上がる…です。 ■伏見城の戦い 慶長5年(1600年)6月、徳川家康は大坂城を発って、会津上杉征伐に向かいます。 それを待っていたかのように、前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は毛利輝元に上坂を要請しました。 三奉行は、家康が犯した違背の数々を書き連ねた「内府ちがひの条々」を諸大名に送付し、反家康の旗幟を鮮明にします。 これらと動きを一にして、石田三成は秀吉の眠る豊国神社を参詣、家康を討つべく兵を挙げます。ここに後の関ヶ原「西軍」が起ちあがりました。 西軍は、家康家臣・鳥居元忠が留守を勤めていた伏見城に攻撃を開始します。 攻め寄せる三成ら大軍に対して、城方はわず
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「神指城」!関ヶ原へと繋がる幻の巨城跡…景勝、家康、それぞれの思惑は?です。 ■会津征伐 豊臣秀吉亡き後、政権運営の中枢を担ったのは五大老の一人、徳川家康でした。 政敵・石田三成を佐和山城に追いやり、さらに前田利長や浅野長政ら旧政権の重臣たちを屈服させると、その権力基盤を確固たるものとしていきます。 さらにその矛先は五大老の一人、会津を治める上杉景勝に向けられます。 家康は、景勝が進めていた新城(神指城)の築城や支城の改修は反逆行為であるとして詰問、上洛するように命じます。 景勝はこれを拒否。それどころか、側近の直江兼続が挑発的な返答(直江状)を認めて送り、家康を激怒させました。 慶長5年(1600年)6月、会津征伐の陣触れ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、石田三成襲撃事件勃発!家康の仲裁により三成は居城「佐和山城」へ…です。 ■石田三成襲撃事件 秀吉死後、政権の主導権をめぐって対立を深める石田三成と徳川家康。 慶長4年(1599年)初頭、家康が諸大名と縁組を進めていることを三成が糾弾、前田利家ら四大老を担いで弾劾状が送られます。 これに対し、家康も国許から兵を呼び寄せるなど対立が先鋭化しますが、家康が起請文を提出することで一旦は収束しました。 一方で三成は、加藤清正、福島正則、黒田長政ら武断派七将との確執も深まっていました。 同年3月、仲裁役である前田利家が病死すると、これら七将が堰を切ったように三成の大坂屋敷に攻め寄せます(石田三成襲撃事件)。 その動きを事前に察知した三成は、危
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、石田三成ゆかりの地「石田三成出生地」、秀吉との出会い"三献の茶"で知られる「観音寺」です。 ■石田三成 石田三成(いしだみつなり)。幼名、佐吉。 永禄3年(1560年)、近江国坂田郡石田村に生まれました。 長浜城主となった羽柴秀吉に仕官し、秀吉に気に入られて小姓となります。 織田信長が本能寺の変で落命すると、次の天下人を狙う秀吉を支え、自身も次第に台頭していきました。 秀吉が柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いでは、勝家軍の動向を探る偵察行動を担当、その勝利に大きく貢献します。 さらに上杉景勝の臣従や九州平定などでは外交や物資補給を任され、秀吉の天下統一に重要な役割を果たしました。 そうした功績もあって、三成は秀吉政権の実務を担う奉
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、豊臣秀吉没す…一代で栄華を築いた英雄、最後の大舞台「醍醐の花見」です。 ■家康を辿る物語 慶長3年(1598年)、豊臣秀吉は京都醍醐寺において、大々的に花見の宴を催しました。 その開催にかける秀吉の思い並々ならず、自らが下見に足繁く通い、殿舎の造営や庭園の改修を指示するほどでした。 さらに醍醐山一面を桜で飾るために、近隣諸国から700本もの桜を移植したという、派手好みの秀吉らしい逸話も残ります。 宴が開かれたのは3月15日。花見に招かれたのは北政所や淀殿など1,300人余りの女房衆、男性は秀吉と嫡男・秀頼、盟友・前田利家のみでした。 参加した女性たちは2回の衣装替えが命じられ、その衣装代だけで現在の40億円に相当する金額がかかった
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、京都に残る悲劇のあと「聚楽第」「瑞泉寺」!秀吉迷走…悲運の関白・豊臣秀次切腹事件です。 ■豊臣秀次切腹事件 豊臣秀吉に待望の実子・秀頼が誕生…。 秀吉はじめ家臣らが喜ぶなか一人、その報に恐れおののく武将がいました。 豊臣秀次。秀吉の甥で、実子のいない秀吉の後継者として、このとき関白に就いていました。 秀頼誕生によって自身は無用になるのではないか…。秀次の不安は現実のものとなります。 文禄4年(1595年)6月、突如として秀次に謀反の疑いが持ち上がります。 秀次は冤罪を訴えますが、秀吉は聞く耳を持たず…。秀次を高野山に追放すると、のちに切腹を命じました。 それでもなお、秀吉の怒りは収まらず、秀次の邸宅であった聚楽第を徹底的に破却。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「淀古城」!悲劇の娘は秀吉の側室に…茶々から淀殿へ…です。 ■家康を辿る物語 茶々、のちの淀殿。彼女は永禄12年(1569年)、近江国小谷で生まれました。 母は織田信長の妹・お市、父は近江国の戦国大名・浅井長政です。 長政とお市は夫婦仲もよく、茶々を含め一男三女に恵まれますが、長政が信長に敵対すると織田軍によって攻め滅ぼされます。 父の長政は自害、兄の万福丸は羽柴秀吉によって処刑。茶々はお市や妹達とともに城を脱出し、信長の保護のもとで育てられました。 天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が斃れると、母・お市は織田家宿老の柴田勝家と再婚。 このとき茶々も母や妹たちとともに、勝家の居城・越前北ノ庄へと移ります。しかし越前で
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、秀吉を支えながら次代への布石を打つ!名護屋城「徳川家康陣跡」です。 ■家康を辿る物語 豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」。 最初の出兵「文禄の役」(1592~1593)では、秀吉は実に16万もの兵力を渡航させました。 序盤は戦力や装備に勝る日本軍が快進撃を続けます。わずか1か月で首都・漢城(ソウル)を落とすと、秀吉軍は現在の北朝鮮の最北部まで侵入、朝鮮全域を席巻しました。 しかしその後は、朝鮮の義勇兵が決起、明からの援軍も到着すると、補給難に陥った秀吉軍は撤退しました。 この間、秀吉と明の間で講和交渉が重ねられますが、秀吉側には偽の明使節が、明皇帝には偽の講和使節が送られます。 一連のことは、大坂城に明使節が来
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「名護屋城」!秀吉の新たな野望"唐入り"…諸大名らが肥前名護屋に集結です。 (名護屋城遊撃丸から玄界灘を臨む) ■家康を辿る物語 小田原攻めに続き奥州平定を成し遂げ、国内統一を果たした天下人・豊臣秀吉。 秀吉はさらに狙いを海の向こう…明国の征服に定めて、朝鮮に出兵することを決定します。 その理由として、国内の領土を平らげた秀吉が家臣に知行地を与えるために領土拡大を求めたという説や、当時の東アジアにおける明の地位が南蛮諸国の来航により大きく低下していたためという説などが挙げられていますが、定かなことは分かっていません。 朝鮮出兵に向けた軍事動員の指令は、天正19年(1591年)9月に発せられました。 秀吉の命令に従い、諸大名率
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