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こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「岐阜城の戦い」!信長の嫡孫・織田秀信立て籠もる激戦のあと…です。 ■岐阜城の戦い 石田三成ら四奉行と毛利輝元が決起…。その報を受けて、家康は会津征伐を取りやめ、軍勢を西に向けることを決めます。 関東に参陣していた福島正則や山内一豊ら豊臣恩顧の武将らもこれに従い西進、ここに徳川軍を含めた関ヶ原「東軍」が形づくられます。 東海道を西進してくる東軍に対して、西軍に与した岐阜城主・織田秀信は木曽川沿いに陣を敷き、これを迎撃する構えを見せます。 しかし、池田輝政や福島正則ら東軍諸隊の木曽川渡河を防ぐことが出来ず、秀信軍は岐阜城に撤退、犬山城と大垣城に援軍を要請して城に立て籠もります。 しかし、犬山城は東軍に内応、大垣城からの援
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、関ヶ原前哨戦「伏見城の戦い」!鳥居元忠、決死の籠城戦…反家康の狼煙が上がる…です。 ■伏見城の戦い 慶長5年(1600年)6月、徳川家康は大坂城を発って、会津上杉征伐に向かいます。 それを待っていたかのように、前田玄以、増田長盛、長束正家の三奉行は毛利輝元に上坂を要請しました。 三奉行は、家康が犯した違背の数々を書き連ねた「内府ちがひの条々」を諸大名に送付し、反家康の旗幟を鮮明にします。 これらと動きを一にして、石田三成は秀吉の眠る豊国神社を参詣、家康を討つべく兵を挙げます。ここに後の関ヶ原「西軍」が起ちあがりました。 西軍は、家康家臣・鳥居元忠が留守を勤めていた伏見城に攻撃を開始します。 攻め寄せる三成ら大軍に対して、城方はわず
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「神指城」!関ヶ原へと繋がる幻の巨城跡…景勝、家康、それぞれの思惑は?です。 ■会津征伐 豊臣秀吉亡き後、政権運営の中枢を担ったのは五大老の一人、徳川家康でした。 政敵・石田三成を佐和山城に追いやり、さらに前田利長や浅野長政ら旧政権の重臣たちを屈服させると、その権力基盤を確固たるものとしていきます。 さらにその矛先は五大老の一人、会津を治める上杉景勝に向けられます。 家康は、景勝が進めていた新城(神指城)の築城や支城の改修は反逆行為であるとして詰問、上洛するように命じます。 景勝はこれを拒否。それどころか、側近の直江兼続が挑発的な返答(直江状)を認めて送り、家康を激怒させました。 慶長5年(1600年)6月、会津征伐の陣触れ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、石田三成襲撃事件勃発!家康の仲裁により三成は居城「佐和山城」へ…です。 ■石田三成襲撃事件 秀吉死後、政権の主導権をめぐって対立を深める石田三成と徳川家康。 慶長4年(1599年)初頭、家康が諸大名と縁組を進めていることを三成が糾弾、前田利家ら四大老を担いで弾劾状が送られます。 これに対し、家康も国許から兵を呼び寄せるなど対立が先鋭化しますが、家康が起請文を提出することで一旦は収束しました。 一方で三成は、加藤清正、福島正則、黒田長政ら武断派七将との確執も深まっていました。 同年3月、仲裁役である前田利家が病死すると、これら七将が堰を切ったように三成の大坂屋敷に攻め寄せます(石田三成襲撃事件)。 その動きを事前に察知した三成は、危
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、石田三成ゆかりの地「石田三成出生地」、秀吉との出会い"三献の茶"で知られる「観音寺」です。 ■石田三成 石田三成(いしだみつなり)。幼名、佐吉。 永禄3年(1560年)、近江国坂田郡石田村に生まれました。 長浜城主となった羽柴秀吉に仕官し、秀吉に気に入られて小姓となります。 織田信長が本能寺の変で落命すると、次の天下人を狙う秀吉を支え、自身も次第に台頭していきました。 秀吉が柴田勝家と雌雄を決した賤ケ岳の戦いでは、勝家軍の動向を探る偵察行動を担当、その勝利に大きく貢献します。 さらに上杉景勝の臣従や九州平定などでは外交や物資補給を任され、秀吉の天下統一に重要な役割を果たしました。 そうした功績もあって、三成は秀吉政権の実務を担う奉
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、豊臣秀吉没す…一代で栄華を築いた英雄、最後の大舞台「醍醐の花見」です。 ■家康を辿る物語 慶長3年(1598年)、豊臣秀吉は京都醍醐寺において、大々的に花見の宴を催しました。 その開催にかける秀吉の思い並々ならず、自らが下見に足繁く通い、殿舎の造営や庭園の改修を指示するほどでした。 さらに醍醐山一面を桜で飾るために、近隣諸国から700本もの桜を移植したという、派手好みの秀吉らしい逸話も残ります。 宴が開かれたのは3月15日。花見に招かれたのは北政所や淀殿など1,300人余りの女房衆、男性は秀吉と嫡男・秀頼、盟友・前田利家のみでした。 参加した女性たちは2回の衣装替えが命じられ、その衣装代だけで現在の40億円に相当する金額がかかった
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、京都に残る悲劇のあと「聚楽第」「瑞泉寺」!秀吉迷走…悲運の関白・豊臣秀次切腹事件です。 ■豊臣秀次切腹事件 豊臣秀吉に待望の実子・秀頼が誕生…。 秀吉はじめ家臣らが喜ぶなか一人、その報に恐れおののく武将がいました。 豊臣秀次。秀吉の甥で、実子のいない秀吉の後継者として、このとき関白に就いていました。 秀頼誕生によって自身は無用になるのではないか…。秀次の不安は現実のものとなります。 文禄4年(1595年)6月、突如として秀次に謀反の疑いが持ち上がります。 秀次は冤罪を訴えますが、秀吉は聞く耳を持たず…。秀次を高野山に追放すると、のちに切腹を命じました。 それでもなお、秀吉の怒りは収まらず、秀次の邸宅であった聚楽第を徹底的に破却。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「淀古城」!悲劇の娘は秀吉の側室に…茶々から淀殿へ…です。 ■家康を辿る物語 茶々、のちの淀殿。彼女は永禄12年(1569年)、近江国小谷で生まれました。 母は織田信長の妹・お市、父は近江国の戦国大名・浅井長政です。 長政とお市は夫婦仲もよく、茶々を含め一男三女に恵まれますが、長政が信長に敵対すると織田軍によって攻め滅ぼされます。 父の長政は自害、兄の万福丸は羽柴秀吉によって処刑。茶々はお市や妹達とともに城を脱出し、信長の保護のもとで育てられました。 天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が斃れると、母・お市は織田家宿老の柴田勝家と再婚。 このとき茶々も母や妹たちとともに、勝家の居城・越前北ノ庄へと移ります。しかし越前で
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、秀吉を支えながら次代への布石を打つ!名護屋城「徳川家康陣跡」です。 ■家康を辿る物語 豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」。 最初の出兵「文禄の役」(1592~1593)では、秀吉は実に16万もの兵力を渡航させました。 序盤は戦力や装備に勝る日本軍が快進撃を続けます。わずか1か月で首都・漢城(ソウル)を落とすと、秀吉軍は現在の北朝鮮の最北部まで侵入、朝鮮全域を席巻しました。 しかしその後は、朝鮮の義勇兵が決起、明からの援軍も到着すると、補給難に陥った秀吉軍は撤退しました。 この間、秀吉と明の間で講和交渉が重ねられますが、秀吉側には偽の明使節が、明皇帝には偽の講和使節が送られます。 一連のことは、大坂城に明使節が来
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「名護屋城」!秀吉の新たな野望"唐入り"…諸大名らが肥前名護屋に集結です。 (名護屋城遊撃丸から玄界灘を臨む) ■家康を辿る物語 小田原攻めに続き奥州平定を成し遂げ、国内統一を果たした天下人・豊臣秀吉。 秀吉はさらに狙いを海の向こう…明国の征服に定めて、朝鮮に出兵することを決定します。 その理由として、国内の領土を平らげた秀吉が家臣に知行地を与えるために領土拡大を求めたという説や、当時の東アジアにおける明の地位が南蛮諸国の来航により大きく低下していたためという説などが挙げられていますが、定かなことは分かっていません。 朝鮮出兵に向けた軍事動員の指令は、天正19年(1591年)9月に発せられました。 秀吉の命令に従い、諸大名率
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康、江戸をひらく!家康が最初に手掛けた運河開削…江戸を未来につなぐ"道三堀"です。 (和田倉門付近) ■家康を辿る物語 天正18年(1590年)北条氏の降伏後、豊臣秀吉の命によって、徳川家康は関東へ移封されました。 このとき家康が本拠としたのが、堅城・小田原城のある小田原でも武士の聖地・鎌倉でもなく、まさかの江戸でした。 当時の江戸は、葦(あし)が生い茂る低湿地帯が広がる未開の地…。新たに城や町をつくるのは至難のわざと思われました。 本拠とする江戸城に至っては粗末でとても城とは言えない有り様…。側近の本多正信が「せめて玄関だけでも新しくしたら…」と進言するほどでした。 それに対し「いらぬ立派だては無用」と一蹴した家康が、最初に取
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、豊臣軍の攻撃を耐え抜いた城「忍城」!"のぼうの城"の舞台"忍の浮き城"へ…です。 ■豊臣軍の攻撃を耐え抜いた城 豊臣秀吉の大軍による北条攻めにより、天下の堅城・小田原城も落城しました。 そのような中で、豊臣方の圧倒的な攻撃を耐え抜いた城があります。武蔵国にある忍城(おしじょう)です。 関東周辺の諸城攻略を進める豊臣軍。忍城には、石田三成や大谷吉継ら2万を超える軍勢が攻め込みました。 一方、守る忍城は、当主の成田氏長が小田原城に増援に出ており当主不在。城は一族の成田長親らわずかな留守部隊と近隣の領民だけの脆弱な布陣でした。 石田軍は、圧倒的な兵力をもって城を攻撃しますが、忍城は沼や川を天然の堀とした堅城であり容易に落とすことはできま
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「小田原城」!小田原評定の明と暗…関東の雄・北条氏滅ぶ…です。 ■家康を辿る物語 突如として目の前に現れた石垣山城…。その威容は小田原城の北条氏を狼狽させました。 城内では、徹底抗戦か降伏か長く議論が続いていましたが、ついに降伏へと小田原評定は傾いていきました。 降伏に向けた交渉は、水面下で小田原城主の北条氏直から徳川家康と織田信雄を窓口にして進んでいました。 そして天正18年(1590年)7月、氏直は自らの切腹と引き換えに城兵の赦免を申し出、秀吉に降伏を伝えたのです。 秀吉は、氏直の申し出が神妙であったことに加え、氏直が徳川家康の娘婿でもあったことから、一命は温存して高野山に蟄居謹慎を命じます。 一方で、主戦派の父・氏
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「石垣山一夜城」!一夜にして出来た?関東初の総石垣の城です。 ■家康を辿る物語 豊臣秀吉は大軍を率いて小田原に進軍、北条氏の籠る小田原城を包囲しました。 そのとき秀吉は、小田原城を見下ろす笠懸山(石垣山)を占拠。ここに城を築き始めます。 この城が、関東で最初に造られた総石垣の城、「石垣山城」です。秀吉は密かに築城を進め、完成後周囲の林を伐採しました。 そのため、北条方から見るとまるで一夜にして城が出来たように見えたことから、「石垣山一夜城」とも呼ばれています。 実際にはのべ4万人が動員され、天正18年(1590)4月から6月まで約80日間が費やされました。 秀吉はこの城に淀殿ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、徳川家康陣地跡「今井陣場」!続々進軍する豊臣勢…小田原包囲網が築かれる…です。 ■家康を辿る物語 山中城と周辺の諸城を落とした秀吉軍は、箱根峠を越えて小田原に進軍しました。 徳川軍約3万も三手に分かれて進撃、足柄城や鷹ノ巣城などを落とし、北条氏の本拠・小田原に向かいます。 そして天正18年(1590) 4月、小田原城の東方の今井村で合流、そこに布陣しました。 家康は土豪・柳川和泉守泰久の館を接収して陣所とし、周囲を土塁と堀で囲んで陣城を構築しました。 徳川軍に続くように、豊臣方の武将が続々と小田原に集結、北条包囲網を築きます。 この包囲網が築かれていく間、北条方からは抵抗らしい抵抗はありませんでした。 徳川軍はここから、北条方の玉
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「玉縄城」!北条早雲が築いた難攻不落の城もついに降伏開城…です。 ■家康を辿る物語 小田原の西の護りとして、鉄壁の防備線を敷いたはずの山中城が突破された…。 しかも、豊臣軍の前にわずか数時間で落城したという事実は、北条氏に大きな衝撃を与えました。 このとき山中城を守備していた北条氏勝は、落城の責任をとり自害しようとしますが、家臣に制止され居城の玉縄城に戻ります。 この際、諸将が集まる小田原城を素通りして玉縄城に入ったため、北条氏政から疑念の目を向けられました。 玉縄城は徳川家康軍に包囲されましたが、氏勝は抵抗らしい抵抗をせずに降伏開城。 以降、氏勝は下総方面の豊臣軍の案内役を務めて、北条方諸城の無血開城に尽力しました。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「山中城」!圧巻の障子堀と畝堀…北条氏が築いた一大要塞城です。 ■家康を辿る物語 秀吉の宣戦布告を受けた、北条氏政・氏直父子率いる関東の雄・北条氏。 北条氏側はこの日の来ることを想定し、小田原城の拡大修築や支城の築城・改修を進めていました。 特に重点的に整備を進めたのは、東海道を進撃する秀吉軍に備えた関東西部、箱根山方面。 本拠小田原を守る支城として、山中城や足柄城、韮山城の築城を進め、城砦も整備して迎撃態勢をとりました。 しかし、秀吉軍の兵力と勢いは、北条氏の想定を大きく上回るものでした。 天正18年(1590)2月、豊臣秀次、徳川家康ら先鋒隊が出立すると、秀吉自身も3月に出陣。同月には北条氏の支城や城砦に次々と攻め寄
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、城ぶら「小田原古城 八幡山古郭」!戦国の風雲児・北条早雲、進撃のあとです。 ■家康を辿る物語 難攻不落の城・小田原城。この城があるから、豊臣秀吉の大軍を迎えても北条氏は動じませんでした。 この小田原城に目を付けたのが、北条氏の始祖・北条早雲(伊勢宗瑞)でした。 小田原城の始まりは平安時代末期、相模国の豪族・土肥一族が当地に居館を構えたこととされます。 応永23年(1416)上杉禅秀の乱で土肥氏が失脚すると、駿河国の大森頼春がこれを奪い相模・伊豆に勢力を拡大。この頃小田原城(小田原古城)を築いたと伝わります。 明応4年(1495)、伊豆国を支配していた早雲は、大森藤頼が守る小田原城に攻め入ります。 逸話によると、早雲は藤頼に対して進
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「小峯御鐘ノ台」!北条氏の鉄壁ディフェンス"小田原城の総構え"です。 ■家康を辿る物語 天正18年(1590)、豊臣秀吉は20万もの兵を動員して小田原征伐を開始しました。 しかし、秀吉の全国統治に反感を抱く北条氏政・氏直父子率いる小田原勢は、早くからこれを迎え撃つ準備をしていました。 小田原周辺に支城を築城あるいは改修、それらにつながる城砦の整備も進めます。 そして何よりも、北条氏には天下の堅城・小田原城がありました。 小田原城は、上杉謙信や武田信玄すら攻め落とせなかった難攻不落の城です。 北条氏は秀吉来襲に備えて、その天下の堅城をさらに強固なものにすべく、拡大修築を進めました。 世に言う「小田原城の総構(そうがまえ)」
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦「長久保城」!秀吉軍が続々と集結、箱根越えの軍議を開く…です。 ■家康を辿る物語 名胡桃城事件をきっかけに、ついに戦いの火ぶたを切った小田原北条討伐。 秀吉の動員令により、全国からなんと21万もの軍勢が関東・小田原に向けて出陣します。 これまで北条氏と秀吉との講和を模索してきた家康でしたが、北条氏の強硬な姿勢に断念。 秀吉に三男・長丸(後の秀忠)を人質として送り北条氏と断交する姿勢を示すと、先鋒部隊を関東に向けて出陣させました。 天正18年(1590)、家康は自らも軍を率いて、箱根越えの拠点となる長久保城に着陣します。 そこに西国から出征してきた武将らが集結。ついには秀吉も入城し、そこで山中城や韮山城などの攻略に向けた軍
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、小田原合戦の発火点「名胡桃城」!連郭式山城、馬出、智将・真田昌幸の仕掛けとは?です。 ■家康を辿る物語 徳川家康を臣従させ、権勢を揺るぎないものとした豊臣秀吉。 天正16年(1588)4月、後陽成天皇を聚楽第に招き、全国の諸大名にも列席を命じました。 この聚楽第行幸に北条氏政・氏直父子も列席を求められましたが、氏政はこれを拒否。 一時は家康の執り成しにより事なきをえますが、秀吉は北条征伐の機会を窺うことになります。 そんなとき、秀吉に格好の北条征伐の口実を与える事件が勃発しました。 天正17年(1589)10月、北条麾下の沼田城主・猪俣邦憲が、真田領の名胡桃城を奪い取ってしまったのです。 これは、秀吉が発した大名同士の私闘禁止を命
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、秀吉の妹にして家康の妻「朝日姫」…運命を惑わされた女性ゆかりの京都・静岡の史跡…です。 (朝日姫の墓のある瑞龍寺(静岡)) ■朝日姫 家康の秀吉への臣従。そのかげにひとりの女性がいました。 その女性の名は、朝日姫(または旭姫)。秀吉の異父妹とも同父妹とも言われる実妹です。 家康をどうしても臣従させたい秀吉は、家康が築山殿を失ってから正室不在であることに着目。 妹の朝日を嫁がせ家康を妹婿にすることで、形式的な従属を強めようと考えました。 このとき朝日姫には夫がいましたが、それを秀吉は強制的に離縁させたとも言われます(諸説あり)。 天正14年(1586年)、大坂を出た朝日姫は浜松に入り、家康と正式に婚姻しました。その年はまさに、家康が
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、苦難の時代の家康を支えた糟糠の妻"お愛の方"ゆかりの宝台院へ…です。 ■家康を支えた女性~お愛の方 家康と共に戦国期を生きた女性、お愛の方。2代将軍・秀忠の生母です。 彼女は、家康に望まれて側室となると、その命が尽きるまで家康を支え続けました。 お愛の方は、はじめ三河の武将・西郷義勝の妻となり、一男一女を授かりました。 しかし幸せも束の間、義勝は武田家との合戦で帰らぬ人となります。お愛の方は、幼子を抱えたまま未亡人となりました。 その後、母の元に身を寄せていたところを、同屋敷を訪れた家康に見初められ、その側室となりました。 2人の出会いについては、才色兼備の女性(お愛の方)がいるという噂が、浜松城の家康に伝わったことがきっかけであ
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、豊臣秀長邸跡「大坂城西の丸」!家康ついに上洛…会談前夜の思わぬ出来事とは?です。 ■家康を辿る物語 ついに豊臣秀吉への臣従を決意し、上洛の途に就いた徳川家康。 天正14年(1586年)10月26日、大阪に到着すると、翌日の会見に備えて秀吉の弟・秀長の屋敷に宿泊しました。 秀長邸で家康と秀長が会談していると、そこに思わぬ来客が…。 現れたのは、明日会見する予定の関白秀吉でした。秀吉は家康の手をとると、天下泰平のために臣従してほしいと話したとされます。 一方の家康は、秀吉の着ていた陣羽織を所望。秀吉がその理由を問うと、家康は…。 「もう二度と殿下に陣羽織を着させない」(戦いがあったときは家康が成敗する)と宣言したという逸話が残ります。
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、石川数正出奔!ゆかりの「松本城」へ…戦うための黒い天守にこめた思いは?です。 ■家康を辿る物語 小牧・長久手での局地戦では勝利を収めた家康でしたが、天下の趨勢は秀吉側に大きく傾いていきました。 秀吉は、主君であった織田信雄を実質的に服従させると、自らを長とする政権を樹立。これにより信長から続く織田の天下は終焉、新たに秀吉が天下人となったのです。 勢いを増す秀吉は、紀州・四国・越中を攻略。天正13年(1585年)には、朝廷から関白の宣下を受けました。 天下の版図が秀吉色に塗り替えられていくなか、家康は、秀吉に対抗するのか臣従するのか、難しい判断を迫られます。 三河家臣団は紛糾します。一本気な家臣たちの多くは、天下の形勢を見ることなく
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、一触即発!家康対秀吉「小幡城」「龍泉寺城」!小牧・長久手の結末は?です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 長久手の戦いで、池田恒興と森長可を討ち取るなど勝利をおさめた家康。しかし深追いすることなく、小幡城に引きあげました。 一方、秀吉は敗報を聞き、すぐに出陣して長久手を目指しますが、本多忠勝に行軍を妨害され、戦場近くの龍泉寺城に入ります。 龍泉寺城は小幡城とは約3㎞の距離…。秀吉は翌朝に攻撃することを決めますが、夜のうちに家康は小幡城を出て小牧山城に帰還しました。 戦いは再び膠着状態に戻ります。ここでの戦況打開は難しいと判断した秀吉は、矛先を織田信雄に向けます。 その本拠・伊勢長島
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、羽柴軍と徳川軍が激突"長久手の戦い"!猛将も散った「長久手古戦場」へ…です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 家康不在の三河を攻めるというに奇襲策に出た羽柴軍でしたが、徳川軍は忍びの情報でこれを察知しました。 徳川軍は密かに小牧山を出ると、後方を進む羽柴秀次軍を急襲してこれを壊滅。さらに堀秀政軍を圧迫して、前方の池田・森軍と分断することに成功しました。 ここでようやく徳川軍出現の報を得た池田恒興と森長可。三河に向かう途上で占拠した岩崎城から兵をまとめ引き返します。 そして、天正12年(1584年)4月9日、長久手の地で、徳川軍と池田・森軍が激突します。 兵数はほぼ互角、 一進一退の
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、長久手合戦を左右した家康の動きとは?家康本陣跡「色金山」と「御旗山」です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 膠着する戦況を打破するために、秀吉軍が家康不在の三河を奇襲する策に出ます。その編成は、第一隊・池田恒興、第二隊・森長可、第三隊・堀秀政、第四隊・羽柴秀次、総勢2万…。 天正12年(1584年)4月6日夜に密かに出陣した秀吉軍でしたが、その動きは忍びからの情報で家康軍の知るところとなりました。 家康軍は4月8日夜に小牧山を出陣。翌9日の明け方、水野忠重や榊原康政率いる別動隊が、羽柴秀次軍の背後から襲いかかります。 思わぬ奇襲によって秀次勢は四散、潰滅的打撃を被ります。秀次は自身
こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。 今日の夢中は、家康を辿る城旅「岩崎城」!池田軍の奇襲"三河中入り"、戦いの帰趨を握った岩崎城の動きとは?です。 ■家康を辿る物語 羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍が激突した小牧・長久手の戦い。 家康は小牧山城に、秀吉は楽田城に本陣を置き、両者は睨み合いを続けたまま動かず動けず、戦況は膠着状態に陥ります。 こうした膠着状態を打開すべく、池田恒興は森長可とともに、家康が留守にする三河に奇襲をかけることを秀吉に献策。秀吉の許可を得て進軍を開始しました(三河中入り)。 池田軍は、三河に向かう途上で徳川方の岩崎城を攻撃。これを攻め落とすと、この地で休息をとります。 しかし、その頃すでに徳川軍は、池田軍のすぐ近くまで軍を進めていました。 実はこのとき家康は
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