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hiyokomagazine.hatenablog.com
こんばんは・・内気で団体行動が超苦手なのに小4の時に地域の少年野球チームに無理矢理父親に入団させられて以来、野球嫌いになった中島です。 それはさておき、この前突然「俳句」を始めてみました。 「ニシキゴイ」という和風な俳句 SNS アプリで作って投稿しています。 ニシキゴイ - 俳句と写真のSNS Imajin Kawabe ソーシャルネットワーキング 無料 ツイッタの FF さんで短歌のアプリで詠んでる人の投稿を見て、これの俳句版もないかな?と思い立ったのがきっかけです。 とは云え、俳句だけだと自分にはいまいちアレなので、こんな風に自分で撮った写真の上に文字を乗せられるアプリがいいな、と。 答えなき 解を求むる 頑固者 五七五の 17 文字しか投稿できないシンプルな SNS です(字余り・字足らずは1字まで)。 もういくつ 寝ると桜か 春よ来い 写真と文字の相乗効果が気に入ってます。このブ
楽しいオフ会の自慢話です。不快な方はそっ閉じで。 先日、ほし氏 (id:star-watch0705)が東京に来てるってんで、編集長から連絡とってみれば? と言われてホイホイDM送ったわけです。そしたら、ほしさん、(たぶん)いやな顔せずにレスポンスくれて。谷中行く予定です~なんてね。 谷中といえば谷中銀座しか行ったことない僕は、ほいほい、日暮里ね、と確認もせずに当日を迎えました。朝は雨でちょっと心配だったけど、すぐに晴れてきた。 「日暮里? 遠いですね」 はい、上野集合でした~(爆)ふぉんと (𝒇𝒐𝒏𝒕) (id:fonttoto)さんもご一緒とのこと。鬱々としたツイートは絡みにくいが、会うといつも元気そうなんだよね(笑) やっぱ人間一人で部屋にこもると頭がおかしくなるよね。一人の時間も大事なんだけどバランスも大事。僕もはたから見たらコンディションがバレバレなんだろうねぇ。 山手線
この夏は津軽方面を自転車で走った。 立佞武多の館や斜陽館などいくつか目的地があったが、津軽ですら30℃を超える猛暑で脚も回らず、遮光式土偶の駅舎で有名な木造駅などいくつかを訪れることができただけだった。 その道すがら気になったのはあちこちにあるお地蔵さまだった。多くはガラス戸のついた祠(ほこら)に祀られていて、最初の頃は雪のせいでこうなのだろうと思うだけで、しょせんはお地蔵さまと通り過ぎていた。しかし、あまりにあちこちにあるものだから、写真でも撮るかと自転車を止めてのぞき込むと、よそにいるお地蔵さまとは大きく違っていた。 一番の特徴は大きな十字が描かれた四角い前掛けをしているところ。前掛けと言うよりも頭陀(ずた)袋を掛けているようにも見える。 また、トップの写真のように顔に何か書いてあるものも見かける。その時に思い出したのは、津軽には化粧地蔵という風習があるということだ。これは津軽と北陸の
『写真と文』の変わり目が来ている気がしますが、季節もちょうど変わり目。空がすっかり秋っぽくなりました。あとどういうわけか、最近私が外を歩いているといきなりスズメバチに襲われるため、とっさの回避が欠かせません。回避といえば旅行もそう。いかにインバウンド的な混雑を回避しつつ、快適に楽しめるか。ここがカギでしょう。 hiyokomagazine.hatenablog.com ↑前回の記事。 それはいいとして、また旅行にいきました。念頭にあったのは日常からの回避。会社と自宅との往復、唐突に来る多種多様な勧誘、米不足、政治不信、そこらで伸び放題の雑草などがじわじわと心を蝕み、そこに追い打ちをかけるようにスマホの画面が割れました。もう限界だ。汚染した精神を直接ゴシゴシ洗いてぇ。となれば、人は温泉に浸かるほかないのです。ということで、心のよく洗えそうな温泉宿を訪ねました。 行ったのが連休でしたので、今回
描いた人 名前:むつき X:https://twitter.com/mysl_hatena blog:https://mysl.hatenablog.com/
今年も無事に誕生日を迎えた。少年老い易くなんとやら、振り返れば尾崎豊の歳をとうに超え、カート・コバーンの歳を超え、ジョン・レノンよりも年上に、天才バカボンのパパより年長に、そしてついには「サザエさん」の波平の年齢と成り果ててしまった。 マジで勘弁してほしい。幸いにも髪の毛の方はハゲ散らかす有様にはなっていないけれど、波平は衝撃である。マジで危機感持った方がいい。 なんだか4にたくなるな・・だって、波平っすよ??家では浴衣着て「左様」とか言うのか。番組を見始めた頃はカツオとかワカメの年齢だったのに。 例えば「新世紀エヴァンゲリオン」なんかでも、テレビ見てた時はミサトさんとか加持君より少し年下くらいだったのが、今や碇ゲンドウよりも年上なのだ(多分)・・光陰矢の如し、残酷な天使のテーゼである。 左様。もう腹をくくった。観念しよう。つまりは長くても余命 10 年くらいしかない意識で生きていこうと思
カフェという場所がなんか苦手です。 カフェで振られたとか、とんでもなく恥ずかしい目にあったとかじゃないんです。 急いで席を立ったおじさんに思い切り飲み物をぶちまけられて逃走されたことくらいはありますけど・・・ それはまだ根に持ってますね! それはともかく、なんか落ち着かなくて、気持ち的にゆっくりできたことがほとんどないんです。 カフェって屋内で狭い所が多いじゃないですか。あのぎっしり人が詰め込まれてる感じが無理なんです。 もしかしたら人の多い都内だからそう感じるのかもしれません。 ずっと前からなんとなく苦手意識がありました。 隣との距離がすごく近いので、周りの人の会話が常に聞こえてきますよね。 これが落ち着かないんです。 どんなに親しい友達と話していても、耳が周りを向いてるんで楽しくないんです。 顔は真面目な顔してるんですけど耳はダンボになってます。 集中してない時の会話ってなんか楽しくな
七年間、川を歩いてはその様子をブログに記している。 今まで東京をメインに日本各国、ときには海外の川に赴き、合計70もの川を歩いた。川歩きでは、主に最初の一滴が流れる(流れていそうな)水源地域から歩き始め、「山登り」とは真逆の「川降り」と称して可能な限り川の隣の道を歩き、最後は川が海に流れ込むのを見届けるというのが一連の流れだ。距離が長い日は一日で20kmほど歩くが、これは高尚な理由があるわけではなく、何度も川沿いまで公共交通機関を使って移動するお金を節約したいという貧乏性の発想からくる。10kmまでは楽しく歩けるのだが、それ以上を超えてくると何でこんなことをしているんだろうという思いがこみ上げ、でも10kmで切り上げるのは貧乏性の性質から惜しく、今にも折れそうな足と心に鞭を打ってゴールを目指して歩き続けている。 川を歩いていると色々なことが起きる。電車の駅が近くにないため、バスやレンタサイ
ずっと気になっていた土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。 「一汁一菜」とは、ご飯と具沢山の味噌汁、漬物の3品のこと。「ハレとケ」の「ケ」、日本人の日常の食事はその一汁一菜で充分ですよ、という提案である。 おそらく美食の限りを尽くしてきた和食文化の権威が言うのだから、何しろ説得力が違う。家族の食事作りに、毎日の献立にと頭を悩ませている忙しいお母さん達には助け船のような提案であったろう。 「ああ、これでいいのね(母)」とバカ売れにバカ売れしたようで、図書館でもずっと貸出中。一年近くも経ってからようやく借りて読めたのであった(← 買えよ)。 節約と健康目的も兼ねた自炊を習慣化したいと常々考えていた私にも「これでええんや」と(内容も読まずに)、目からウロコを落としまくり&タイトルだけで刺さりまくりだったものである。 で、読んでみた感想であるが、題名通りである。しかし、確かにその道で
こんにちは。 写真と文に参加させていただきます、ピリきゅうと申します。 はてなブログでは7年ほどブログを続けております。インターネットで人と仲良くするのが苦手なので、はてなブログ界隈でも誰とも仲良くすることなく、ニヤニヤと壁に字を刻み続ける感覚でブログの執筆を続けてきたんですが、先日壁から「ズボッ!!!」と手が出てきて「ずっと見てました」なんて挨拶をされたもんだから、もうびっくり。なんてことでしょう、壁の先にも人類がいたんです。海って奴があったのです。それから先は、初めて親を見たヒヨコの如く、その人の言うことには抗えず全て受け入れるやらしい身体になってしまったんですが、その人が「写真と文やらない?」と持ちかけてきたもんで、三つ指付けて「やらせていただきます」と参加する運びとなりました。 ひとりぼっちの私に人と接する喜びを教えてくれてありがとう。はてなブログよ、𝐓𝐡𝐚𝐧𝐤 𝐲𝐨
このまえ、ようやく宮崎駿監督の最新作、『君たちはどう生きるか』を観てきた。観客は私を含めて6人ぐらい。すっかり落ち着いた(閑散とした)雰囲気のなかで観ることができた。結果的に、みんなで肩を寄せ合って和気藹々としながら観るような内容では無かったため、人が少なくてかえって「助かった」というのが本音。 ということで、せっかく観たわけだし、感想でも書いていきたい。実際に映画を観ていないとイメージの難しい表現の混ざった、まとまりの無い文章になるのを前もってご容赦いただきたいところ。ネタバレも若干含むので、ここで引き返すか、進むか、貴方にお任せしたい。 さてさて。はっきりいって、映画の内容は難解。唐突で捉えどころのない場面変化の連続で呆気にとられる。内容を受容するために、なんとか比喩を探ったりしたくなるものの、追いつかないほどに展開が早く、荒々しく進む。予想以上に血も流れ、今までのジブリ映画では観たこ
年々、自分が阿呆になってきていると感じる。 開始二文目にして文章の構造に触れるのも気が引けるが、ひとところに所属し続けているかは別の話なので置いておいて、身分のみの話をすると、児童よりも生徒よりも学生よりも「会社員」である期間がぶっちぎりとなってしまった。 ランドセルを背負(しょ)った時間よりヒールを履いた時間が長く、給食を食べた回数より日中にカフェインを摂った回数が多く、「休みたいのに休めない」頻度と踏ん張りどころは増え、花火でなくてお中元、クリスマスでなくてお歳暮、といった具合に。 扶養に入っていた頃の脳内はもっと妄想で溢れかえっていて、空を飛び魔法を駆使して強敵をばっさばっさ倒し、当時過剰摂取していた漫画や小説の推したちとかわるがわる親密になっていた。インプットとアウトプットが目まぐるしく、文章も絵もたくさんかいていた。閃(ひらめ)きも意欲もセンスも彩りもあった。 元来器用ではないの
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