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釈迦牟尼仏陀の世界聖なるこころを体験しましょう アルボムッレ・スマナサーラ長老 解説 「慈悲の実践」のフルバージョンを紹介します。いままで皆様がたが実践してきた慈悲の瞑想は、慈悲喜捨の気持ちを凝縮した省略バージョンです。それは誰にでも簡単に暗記できる「慈悲の携帯バージョン」です。慈しみの実践をするたびに、こころがその影響を受けて、変わっていかなくてはいけないのです。慈悲の実践は、人間を優れた人格者に育てるための方法なのです。慈悲の省略バージョンを実践することで、人格が変わって幸福になった人々はたくさんいるようです。同時に、慈悲の実践のインパクトを感じていない方々もいるのです。 そこで、こころに確実に影響を与えることを狙って、慈悲の実践のフルバージョンを作成してみたのです。経典でお釈迦さまが慈悲について語られているところを沢山参考にしたのです。パーリ語のフレーズは、直訳してみてもうまく通じな
性欲は危険と苦しみにかぶる目隠し Lust is a fire storm. アルボムッレ・スマナサーラ長老 「好き」という人間の感情について、続けて説明したいと思います。 この概念を明確に理解すると、生命のからくりが明らかになるのです。「好き」と言えば、反対に「嫌い」という感情もあります。生きるということは、不可思議なものでも、神秘的なものでもありません。尊いものだ、生きることには大事な目的があるのだ、というのは単なる人間の主観的な感情にすぎないのです。生きるということは、「嫌い」を避けて「好き」を追うことです。とても単純な構成なのです。しかし、人は生きることを過剰評価するので、わからなくなっているだけです。 ブッダが、生きることは苦である、空しいものである、執着するに値しないものだと説かれても、人には、全く理解できない難しい話のように聞こえるのです。それは、自分の頭の中で「生」を過剰評
私たちは「自分を向上させたい」「改良したい」と考えてさまざまな試みをし、頑張ってはいますが、結果はすべてあだになっています。これは「自分を改良」するのではなく、「外の世界を改良」しようとしているからです。その結果、さまざまな苦しみが生じているのです。 (前号から続きます) ある食べ物を見て「これはどうすればおいしくなるか」と考えるのではなく、おいしく感じられるように自分の身体を適応させることが大切です。そうすると身体の能力が成長するのです。顔の肌が荒れて困っている人は、いろんな化粧品を塗って肌の荒れを隠すのではなく、肌が環境に適応するように肌を改良すればよいのです。化粧品には結構刺激の強い物質が入っていますから、そういうものを毎日顔に塗っていると肌が痛み、老化しやすくなります。ですから自分の肌を強くしたほうがよいのです。寒さや暑さなどの自然の問題に適応するのはあなたの仕事だよ、と身体に教え
六方を拝むシンガーラ シンガーラ(Singâla)という名の出来の悪い若者がいました。シンガーラの父親は亡くなる直前に息子のことを心配して「六方を礼拝しなさい」と告げました。シンガーラは父親の遺言を守ろうと決意しましたが、肝心の「六方とは何か」ということを知らなかったため、どうすればよいのか分からず、東西南北上下の六方をただ闇雲に拝みました。シンガーラは「人に言われたからやる」という性格で、自分で物事をしっかり理解しようとしません。ある日、この様子を見たお釈迦さまは、シンガーラに「人に言われたからやるのではありません。ものごとには意味があるでしょう。六方の礼拝の仕方はそのようなやり方ではありません」と言い、正しい六方の意味を定義なされました。六方とは人間関係のことであり、東が親子関係、南が師弟関係、西が夫婦関係、北が友人関係、上が宗教者と在家者の関係、下が主従関係です。これらの六つの関係を
特別連載 ブッダの「禅定」と「悟り」をめぐる誤解と混乱に終止符を打つ画期的論考 仏教的に正しい禅定の作り方 藤本晃(慈照) 文学博士・誓教寺住職 瞑想って何? 禅定って何? 仏教の修行と言えば、どんなものが思い浮かぶでしょうか。白衣を着て滝に打たれる姿?法螺貝を持って山中を歩き回る姿?それともタイヤを五本も六本も腰に巻き付けて夕暮れのグラウンドを走り回る姿?実はこれらはどれも、仏教の修行とは関係のないものです。 仏教の修行と言えば、薄暗い僧堂で足を組んで(結跏趺坐)背筋を伸ばし、一時間も二時間もピクリとも動かずに座っている姿が、まず思い浮かぶのではないでしょうか。いわゆる瞑想修行ですね。この一見つまらなさそうな、ただ動かないでいることが、仏教の修行の重要なポイントなのです。 瞑想修行は今では大抵どの宗教でもやっていますが、その内容も方法も、各宗教でてんでんばらばらです。どこかの宗教が最初に
折々に説かれた初期仏教の法話集 このページでは、初期仏教に関する折々の法話記事をご紹介しています。 パティパダー不定期連載 スリランカの少女が父に語るブッダの教え こどもの法話 「無我」を語る幼稚園児の説法 すべては心象として捉えるべき 20種の有身見 無いのに有るという錯覚 折々の法話 ウ・レワタ大僧正 Ven.Bhaddanta Revata (Aggamaha panditta) 日本に親戚ができたことをうれしく思います ウィセッタ長老 Ven. Vicittasara sayadaw 法の宝【1】丸太のたとえ K. スリダンマーナンダ長老 Ven. K. Suri Dhammananda 仏教から見る女性 地球に平和を(上) スマナサーラ長老 Ven. Alubomulle Sumanasāra お布施について お釈迦様は科学者です 人は遺体を運んでいる 瞑想会などで唱える礼拝・三
テーラワーダ仏教はスリランカがイギリスの植民地であった時代に、イギリスの自国の宗教であるキリスト教を根づかせようという意図の下にイギリス人によって研究され、その欠点を指摘することによってテーラワーダ仏教に変わるキリスト教を伝播しようとしたのですが、どう考えてみてもテーラワーダ仏教の欠点を指摘することが出来ず、逆に自分たちもテーラワーダ仏教の教える真理に目覚めるものさえ出てきて、結局そうしたイギリス人の手によってヨーロッパに広がったという経緯があります。その最初がイギリスに設立されたパーリ語協会であったのです。その後、英訳された教典も作られ、それはヨーロッパ教典として日本にも入ってきました。日本では、お釈迦さまの直接の教えが書かれているということでこのヨーロッパ教典を研究してみようという何人かの学者が現われ、その結果南伝大蔵経として昭和の始めに70巻の本が出版されました。 この南伝大蔵経が日
ヒンズー教、イスラム教、キリスト教をはじめ、すべての宗教にたった一つの共通テーマがあります。 共通テーマというかどの宗教も同等に打ちだしているメッセージと言ったらいいか―それは「愛」という言葉です。例えばヒンズー教であれば梵(ブラフマー)から出て梵に帰ることを教えますが、梵に帰るための人間の仕事は愛を実践することと説きます。また、キリスト教とくれば言わずとも分かるように愛の心がその教えの中心となっています。 仏教でも、この愛という行為ないし言葉は否定しませんし、大切なものと教えるのです。 この愛という感情を、仏教ではどう考えるか――。 たいていの宗教では病気治しを掲げることが多いようですが、病気治しをよく観察しておりますと、病気を治してほしい人も治そうとする側もやさしい気持がある人ほど治っていく率は高いようです。子供が病気になった場合、母親は自分の身命を投げうっても何とか病気を治してあげた
感情で生きる人生には理性の出番がない Doing only what you like means indulgence. アルボムッレ・スマナサーラ長老 すでにご存じのことかもしれませんが、私たちは世の中のことを何でも、三種類に分けてみるのです。その三つとは、 好きなもの、気に入るもの。 嫌いなもの、気に入らないもの、合わないもの。 好きも嫌いも関係ない、普通なもの。 これは「もの」で終わらないのです。私たちがやっていることにも、三種類があるのです。 他人がやっていることも、好き・嫌い・どちらでもない、という三つに分けるのです。 自分自身がやっていることも、 好きでやっていること 嫌々でやっていること マンネリでやっていること という三つになるのです。 色彩が一万二万以上もあるかもしれませんが、実際にあるのは三原色(赤・緑・青)だけだそうです。 私たちもこの世界と様々な行為を「三種類」で
日本テーラワーダ仏教協会のWebサイトをご覧いただき、ありがとうございます。 「仏教」という言葉を聞くと「それって宗教でしょ?」「私にはちょっと…」と感じる方もいらっしゃると思います。特に日本では、さまざまな背景から、宗教的な事柄に対する拒否反応が強いようです。 ところが、今から2500年以上前に説かれたお釈迦様(釈迦牟尼仏陀)の教えは、「自分で確かめる」「権威ある人から言われたことでも盲信しない」などの特長を持った、いわゆる宗教とはほど遠い教えです。そして、その教えは「苦しみをなくす」ことを目的に説かれています。 2500年以上前に説かれた教えですが、人間の苦しみの根本的な原因は、今も昔もそれほど変わりません。そのため、お釈迦様の教えに触れた方は「なんという現代的な教えだろう」という感想を持たれます。完成された智慧と慈しみによって説かれたお釈迦様の教えは、とても理性的で、慈しみにあふれ、
先月は、私たちの日々の生活は「損・得」「出る・入る」「与える・得る」という関係で成り立っていることをお話し致しました。損得勘定を無視して、いい加減に生きている人は「損」ばかりの苦しい人生を送ることになるのです。では、損得を勘定する人の場合はどうでしょうか? (前号から続きます) 損得を勘定する人は「得」をする 自分の損得を勘定する人は、相手の損得も勘定することができます。 ですからその人は、相手の気持ちが理解できる、自我を張らない善い人間になります。それから、財・知・人の三つの分野で得をするのです。財というのは財産や金銭、物のこと。知とは知識のこと。人とは人間関係のことです。損得を勘定する人は「どうすれば役に立つか」とか、「自分や皆にとって何が得か」ということを常に考えて行動しますから、その生き方は有効的で友好的なものになり、他人にも好かれ、人気者になります。他人の甘言に騙されて悔しい思い
お釈迦様が実際に話された パーリ語の仏教用語解説 パーリ語仏教用語の解説を通して、テーラワーダ仏教の世界を紹介するコーナーです。 『パティパダー』に連載されていた記事を、WEBサイト向けに編集して掲載しています。見出しの並びは初出の『パティパダー』掲載順となっております。 インデックス
毎月更新される スマナサーラ長老の法話集 このセクションでは、協会機関紙『パティパダー』に毎号掲載されているスマナサーラ長老の巻頭法話をご紹介しています。 このサイトには本誌より遅れて掲載されますが、『パティパダー』誌上には毎月、時節に沿った書き下ろしの法話が連載されています。最新の法話に触れたい方は、ぜひ入会もご検討ください。
特別連載 ブッダの「禅定」と「悟り」をめぐる誤解と混乱に終止符を打つ画期的論考 仏教的に正しい禅定の作り方 藤本晃(慈照) 文学博士・誓教寺住職 禅定は何段階? ではその禅定とは、どんなものでしょうか?どれだけの段階があるのでしょうか? 禅定は全部で九段階に分けられています。それは三つのグループに細分できます。一つ目は四つのグループ。二つ目も四つのグループ。三つ目が、一つだけ異色のものです。 最初の四つのグループは「色界四禅」と呼ばれます。色界とは、世界を欲界・色界・無色界の三つに分ける時の色界です。五道輪廻の地獄から六種類の天(六欲天)までが欲界。欲界の天よりレベルの高い世界に梵天があり、それがさらに色界梵天と無色界梵天に分けられます。でも梵天も輪廻の境涯です。存在すること自体が輪廻なのです。 欲界は、眼耳鼻舌身の五つの感覚器官から入る情報や物質的な感覚を楽しんだり苦しんだりする世界です
はじめに この礼拝の言葉を唱えます 日本テーラワーダ仏教協会で開催する瞑想実践会・法話会などの始めに唱える礼拝の言葉をご紹介します。言葉の原文・日本語訳・音声ファイル(読誦:スマナサーラ長老)をご用意しました。一言ひとことの意味を、心で確認しながら静かに唱えてみてください。 これらの言葉を唱えることの意義については、スマナサーラ長老による『瞑想会などで唱える礼拝・三帰依・慈悲の瞑想について』で詳しく解説されています。またミャンマー僧侶キラサ師による『仏教徒は祈らない』も参考になるかと思います。併せてご覧ください。 礼拝文 Namo Tassa Bhagavato Arahato Sammā Sambuddhassa. ナモー タッサ バガヴァトー アラハトー サンマー サンブッタッサ(三回) 阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼したてまつる。 三帰依 Buddhaṃ
ゴータミー精舎は初期仏教(テーラワーダ仏教・上座仏教)を学び、実践する「お釈迦様のお寺」です。旧玉川上水の遊歩道に面した精舎では、スリランカやミャンマーの長老方の指導による瞑想会・勉強会などが開催されています。 精舎内には日本テーラワーダ仏教協会の事務局が置かれ、開門時には自由に瞑想できます。関連書籍、法話CD-R・DVDなどを販売中。ぜひお気軽に足をお運びください。
先月は仏教の視点の合理性をお話ししていました。 現代科学が『からだ』を科学するように、ブッダは『こころ』を科学する方法を説いたのですね。 科学というのは『事実』であり、事実は認める勇気を持たなければなりません。『こころ』の分野に限らず、現代でも、科学が解明した事実を「神の領域」などといった非合理的な論理で避けようとする人々も少なくないことなどをお話ししました。 条件を変えれば事実も変わる お釈迦さまは、事実を認める勇気を持ちましょうとお話しされ、最初に真理を語っておられます。つまり、すべてのものごとは無常であるという真理です。皆さんは『諸行無常』という言葉をご存知ですね。パーリ語で「sabbe saṅkhārā aniccā」といい、『諸行無常』の『行』は、日本語ではわかりにくいですが、パーリ語の「saṅkhāra」にあたります。 パーリ語の「saṅkhāra」という言葉は、やはり大変難し
プロフィール スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老。1945年スリランカに生まれる。13歳で出家となる。スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとられたのち、1980年に派遣されて来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会などで初期仏教の伝道、ヴィパッサナー実践の指導に従事されており、修行練磨の誠実温厚な人柄、的確流暢な日本語による説法で定評があります。 朝日カルチャーセンター講師の他、NHK教育テレビ『心の時代』への出演も反響を呼びました。 スマナサーラ長老は、お釈迦さまの根本の教えを通じて、仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであることを説かれています。 Our meditation master: Rev.Alubomulle Sumanasara Thero In 1945, Ven. Sumanasara, the master of Gotami Vihar
ヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。 人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。 区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。 簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触
親しみやすい物語として ブッダの教えが説かれています ジャータカとは、釈尊が前世に菩薩として修行していたとき、生きとし生けるものを教え導いたエピソードを集めた物語です。歴史的には『イソップ物語』や『アラビアン・ナイト』にも影響を与え、日本にも「本生話」「本生譚」としてその一部が伝えられました。 仏教の教えを親しみやすく説いたジャータカは、テーラワーダ仏教諸国で広く語り継がれています。ここではスマナサーラ長老によるジャータカの説法をご紹介します。 *協会機関誌『パティパダー』(2004年4月までは『ヴィパッサナー通信』)に連載
スマナサーラ長老による 質疑応答集 皆様から寄せられた、悩み苦しみ憂い悲しみ、仏教に関する素朴な疑問・質問、専門的な疑問・質問・反論などに、スマナサーラ長老がお釈迦さまの見方・方法からお答えになったものです。協会の機関紙『パティパダー』連載中の「釈尊の教え・あなたとの対話」と、当ホームページに寄せられた御質問を併せてご紹介しています。 パティパダー2013年11月号(194) 2024年8月27日 六道輪廻の生命はなぜ見えないの?/見解から起こる怒りへの対処法/布施功徳の分けあいと随喜 六道輪廻の生命はなぜ見えないの? 六道輪廻では、どうして人間は畜生道の畜生が見えるが、ほかの天道(天上・天界)、修羅道、餓鬼道、地獄道のものを見ることができないでしょうか […] パティパダー2013年10月号(193) 2024年8月27日 苦しみと因縁/業と仲良く暮らしたい/清濁併せ飲むべきか? 苦しみ
宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会 〒151-0072 東京都渋谷区幡ヶ谷1-23-9 ゴータミー精舎 TEL:03-5738-5526 FAX:03-5738-5527 info@j-theravada.com
比丘たちよ、この道は、もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、 苦しみと憂いが消え、正理を得、涅槃を目のあたり見るための唯一の方法です。 ヴィパッサナー(VIPASSANĀ)は、お釈迦さまが、我々に確実に悟りを体験できるように教えられた実践方法(修習,瞑想)です。二五〇〇年もの歴史を通じて、テーラワーダ仏教(上座仏教)の長老たちによって守られ、今日まで連綿と伝えられてきた、誰にでも簡単に実践できる、とても合理的な「こころを育てる」方法です。みるみるうちに心が成長していく過程を、ぜひご自分で試してみてください。 本来の『仏教』とは、自ら覚醒するための実践法なのです。 ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。ただ、今の自分に気づく。そこに、深遠な世界が広がってくるのです。パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanā パッサナーとは「観察する・観
2024年10月9日 「ネット中継瞑想会」ご案内 ―スマナサーラ長老指導 伊豆稲取ヴィパッサナー実践合宿 10/9~10/14- 伊豆稲取で開催される「ヴィパッサナー実践合宿」の「ネット中継瞑想会」が行われます。
近日中の行事予定 近日中の主な行事については、以下のGoogleカレンダーをご覧ください。各行事についてのお問い合わせは、それぞれの項目に記載されている「お問合せ先」まで直接ご連絡ください。
ひとつのテーマを 深く掘り下げた連載講義 「根本仏教講義」は、協会機関誌パティパダーに連載されたスマナサーラ長老による法話集です。ひとつのテーマを数ヶ月に渡って深く掘り下げていくため、仏教をより深く学びたい方にとって貴重なテキストになると思います。 「根本仏教講義」は現在も機関誌パティパダーに連載中です。連載が終了したテーマの一部は、施本(無料配布される書籍)として冊子化されており、配布終了した施本はこちらでお読みいただくこともできます。 1.釈尊の根本的教え 四聖諦① 四聖諦② 八正道 心のカウンセリング 慈悲喜捨の瞑想 瞑想法の基本 真理を知る慈と愛の心 仏教と仏教の違い 心はこんなに汚れている 2.テーラワーダ仏教 テーラワーダ仏教とは テーラワーダ仏教の真意 すべては自ら確かめよ 二つの偈文に学ぶ教え 自分という人間の実態 3.祈り・感謝 恐れが宗教を生む 人は何のために祈るのか
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