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misaki-taku.hatenablog.com
前回に引き続き川崎市役所展望フロアから撮った写真です。これから書くこととは無関係な写真です。 何回か前のこのブログに『若い頃はあんまり聴かなかったレッド・ツェッペリンを、自家用車を運転しながら聴いてみたら、すごく良かった。なんで若い頃に聴かなかったのかが悔やまれる。この年齢になって「すごく良かった」と感じるに至る心の動きと、若い頃にそう感じるときの心の動きは実は全然違うんじゃないだろうか?若い頃の感性の下でレッド・ツェッペリンをもっと聴けばよかったな。』と、要約するとこんなことを書きました。そして大量の枝(薪にするのかな?)を背中に背負った男の絵のジャケットのツェッペリンⅣがとくに良かったとも。 その後数日経って、ネットを眺めていたら、2023年の11月の記事に「ツェッペリンⅣのジャケットの元となった写真が発見される」というのを見つけました。見つけたというか最近わたしがツェッペリンⅣと検索
第二京浜道路を都内から下り、横浜駅手前の最寄り駅でいえば新子安駅を過ぎたあたりでしょうか、写真のようにずいぶん空が大きく開けて見えるところがあります。右側はせいぜい三階建ての住宅、左はがけの下に鉄道が走っている。この先にはまた両側が高層ビルの都会になってしまいますが、ここだけは、これからどこか遠くに進んでいく感じがします。冬の空気は澄んでいて、日の光は思いのほか強く、外の気温は10℃以下でも、車内は暖かい。着ていたダウンジャンパーはさっきの赤信号のときに脱いだ。袖が肘に引っかかってなかなか抜けなかったな。USBメモリーに入っている音楽のリストを表示させて、なにを聴こうかと選ぶ。今日はレッド・ツェッペリンを選びました。Ⅳがいいですね。ジミー・ペイジの弾いたギターの音、フレーズ、音と音のあいだの曖昧で官能的な移ろい。70年代80年代にはほかに好きなバンドがいくつもあって、ツェッペリンはそんなに
牡蠣のカレーを食べました。 開店後40年くらいでしょうか?平塚市のレストランSには、毎年せいぜい二回、少ない年には一回かな、それでもずっと通っています。いつの頃からか、冬のあいだだけ出されるメニュー「牡蠣のカレー」を食べに行くのが自分だけの季節の風物詩のようになりました。1月5日の昼にひとりSを訪ねました。むかしからなにも変わらないのか、むかしよりさらに店内は素っ気なくなっているのか?ただ広いなにも張られていない壁に「季節のカレー 牡蠣のカレー」と書かれた紙が留められています。笑顔のマスターに小声であけましておめでとうございます、とだけ告げ、メニューブックをめくることもなく牡蠣のカレーを注文しました。 写真を四枚、いちばん上、座った席は南の窓に面していました。窓に貼られたCURRYの切り抜き文字の影がテーブルに落ちていました。福神漬けとラッキョウが出されます。わたしはラッキョウは大好きなの
年末29日の夜から風邪を引いてずっと家から出ずにおりましたが、昨日の1月2日に、これは四日ぶりということですか、カメラを持って散歩をしてきました。いかにも病み上がりな感じでゆっくりと、自分の体調を推し量るようにして歩いたのですが、それでも、もう少し歩けそうだ・・・と先へ先へと辿るうちに、海まで行きつき、しばらく海沿いを東へ歩き、帰り道には年に数回顔を出すスペシャリティコーヒーのスタンドに寄り、小さな店内のベンチに座って、顔色が悪いと店主に指摘されながら、ゆっくりとコーヒーを飲み、帰ってきました。11時半に家を出て15時半に帰宅しました。歩数がわかるスマートウォッチを忘れていたので、はっきりした歩数はわかりませんが、経験的に11000歩くらいは歩いた、歩いてしまった、と思われます。ちょっと病み上がりには過酷だったでしょうか、帰宅して風呂に入ってから、しばらく昼寝をし、夜には再放送、というかダ
あけましておめでとうございます。今年が良い一年になりますようお祈り申し上げます。人心にゆとりと思いやりと安心が生まれますように。敵対する心が必要以上に煽られたり、相手の主張に聞き耳を持たずに頑なになったりしませぬよう。SNSに扇動されていないか、自身の足元を見て冷静になりたい。ときに日光東照宮の見猿聞か猿言わ猿がいちばん賢いのではないか?とも思う日々です。この見猿聞か猿言わ猿の本来の意味を調べると「人の弱点を突く人や、うわさに踊らされたり、口の軽い人にはならないように」と言うことだそうで、すなわち、そう言うことです!AIの登場、生成系への発展を経て、人類はあと30年で滅亡するなどという記事の見出しだけ、年末に見掛けました。そんなことにならないためには、踊らされないことですね。AIが、三人いれば文殊の知恵が拡大した82億人いればスーパー文殊の知恵となるのか、噂と扇動と洗脳を加速させる狂気とな
ものすごく若い会社の後輩、なんと40歳以上も若い後輩から、写真家の奥山由之が監督をした「アット・ザ・ベンチ」という五本からなるオムニバス映画のことを教えてもらったので、昨日から上映が始まった渋谷の宮下公園をのぞむビルの八階にある映画館まで観に行きました。ひとつの、取り壊し目前の、川を望む遊歩道沿いのベンチにやってくる人たちが繰り広げる会話劇で、くすっと笑える楽しい気分になれるのが良いですね。若い人の繰り広げる早口の会話に付いていけない感じになるところがあって、情けないな自分、と思うところもありましたが・・・二編目の冒頭とか。 映画が2時少し過ぎに終わったので、恵比寿の東京都写真美術館までコンパクトデジタルカメラでスナップをしながら歩いてみました。写真美術館では、第21日本の新進写真家展「現在地のまなざし」を見ました。個人の暮らしが社会の縮図となり、社会への興味がコンセプトとなり、いずれなん
年々白髪が増えて行き、いまはどうでしょうか?白髪7対黒髪3くらいの混じり具合でしょうか。髪は若いときより、細くて乾いている感じで、ますます枯れ薄のようであります。さらに、それと同時に、最近は前の方の髪の量が減少していて、地肌がのぞけるようになってきました。白髪割合が増えるのは構いませんが、総量減はちょっと嫌だなあ、などと、朝に鏡の前で歯を磨き、寝ぐせ直しウォーターを吹きかけて櫛をちょちょいと通すときに、そう思いました。秋進むって感じの逸話でしょう?・・・違うかな。 10月になり久しぶりにマニュアルフォーカスのフイルムカメラを使いました。いちど使うと数本一気に使ってしまいます。いま、36枚撮りのネガカラーフイルムはだいたい一本1900円~2500円くらいでしょうか。一番安かった20年くらい前の5-7倍の値段ですかね?でもフイルムで撮ると、なんかやっぱりデジタルとは違うような気がします。だから
久しぶり、二年振り?創作ショートショートです。 ゆうたたちの真夏 柘榴の枝の影が揺れる、都会の小さな公園は、ビルの隙間の三角形で、山吹色のペンキで塗られたベンチがある。8月のはじめ、気温は36℃の昼下がり、ゆうた1とゆうた2がベンチに座り、コンビニで買ってきたアイスクリームを食べている。ふたりは高校の同級生だった。クラスに男が17人いて、そのうち5人もゆうたという名前のやつがいたので、ゆうた1からゆうた5まで番号が付けられていた。十年たって、ゆうた1はゆうた3から5までと会うことはもうない。ゆうた2はいまも友だちだ。ゆうた2も同じく、ゆうた3から5と会うことはもうない。 1は公園のすぐ前にある雑居ビル一階の古着屋でバイトをしながら、ハンドパンのストリートミュージシャンをやっている。幻のストリートミュージシャンと言われているのは、気紛れにしか演奏せず、それも稀だからだ。空の様子が気に入ったと
雑誌SWITCH6月号の特集が写真で、そのタイトルが「LAST WALTZ 写真の夜明け、写真の果て DAIDO MORIYAMA」。昨日購入して、まだ記事の詳細は読んでないけれど、最近になりどこか体調を崩されたのかな、都内から逗子に戻った写真家森山大道氏が撮り下ろした最新作「逗子」。逗子は私もよくカメラをぶらさげてぶらぶらするわけですが、踏切の遮断器や逗子マリーナあたりの?ヤシの木や髑髏の絵柄が刺繍されたジャンパーのアップなどを強めのコントラストで仕上げた「森山流」の写真に、相変わらずわたしは感銘を受けてしまい、なんで同じ町を歩いても、出来上がる写真に大きな差が生まれるのか・・・いや、だからこそ世界の森山なんだろうけれど、凄いもんだ・・・と。雑誌タイトルの「LAST WALTZ」は意味深です。ロックバンドThe Bandの解散コンサートのLAST WALTZを連想せずにはいられないわけで
なんだかちょっと気持ち悪くも見える、ぬめっとした凹凸のある表面ですが、大磯町(神奈川県の相模湾(太平洋)に面した町)の海で撮りました。海面の凹凸なんて季節に関係なく、同じような風が吹いていれば、同じような波が立ち、同じように写真に写るのだと思いますが、でも「春の海ひねもすのたり」と言うように、なんだか少し海水に粘性があって、それで表面のうねりの変化速度がゆっくりになっているかのように見えました。先日、日曜美術館の再放送で福田平八郎の漣の解説を見ていたので、こんな写真を撮ってみたんだろうと思います。 昨日は横須賀市文化会館で私も参加している写真同人ニセアカシア発行所の新作写真集ニセアカシア9草迷宮をお披露目し、少部数出版物ですが、多くの方にお買い上げいただき、ありがとうございました。 今日の日曜日は昼間に隣の市に住む妹と会ってランチを食べながら近況報告をしあい、その後、一人で大磯まで。漁港の
上の写真は渋谷駅(渋谷スクランブルスクエア)からヒカリエを結ぶ東口二階歩行者通路の渋谷駅側のエスカレーターで、写真の右側へ歩いて行くと、その歩行者通路になります。 先日、再放送された日曜美術館の「建築家内藤廣」の回の冒頭で、建築家ご本人が、渋谷再開発計画で最初に完成するのがこの通路だったので完成度の高いものにしたかったとおっしゃっていました。下の写真がその内藤廣設計の通路です。すなわちこの下の写真の奥が上の写真のエスカレーターのある場所。 時間の流れの中で、私たちは街を歩いている通行人の一人のようにそこにたまたまいる、その中で、あとから続く人に少しでも良いものを残したい、そういう思い。建築だって、自然や都市環境の中で変化していくという大前提での今なのだから、というようなことを内藤さんが話していた(と番組を観ていて私がそう把握したってことですから正しいかどうかはわかりません)。あるいは、建築
1970年代前半の話です。中学の音楽の授業で、音楽の先生の・・・いま思い出したのですが「あだな」が渋ちん・・・渋谷か渋井か渋川(敬称略)あるいはそれ以外の渋なんとかさんだったのかまで思い出せませんが・・・その渋ちんが、今日は音楽を鑑賞しましょう、といって音楽室にあったステレオ装置でLPレコードを聴かせてくれました。(ところでいまの音楽の授業ではどういうやり方で曲を聴くんだろう?) 音楽の授業でクラシック音楽や合唱曲や、もしかすると伝統的な音楽や、世界のいろんな場所の音楽をみなで聴くことは、いかにも授業の一環という感じがするのですが、このときに渋ちんが聞かせてくれたのは、当時はまさに洋楽のヒットチャートの常連だったサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」でした。アート・ガーファンクルのきれいな高い声にすっかり魅了されたものですよ。 渋ちんはテストでもサービス問題があって、いまあなたが一番
2月4日日曜日、南関東は午前は氷雨。昼前に上がったが寒い日曜日になった。最高気温は8℃だった。明日の月曜日はもっと寒くなり、午後には降雪の可能性もあるようだ。昼頃に、海沿いの国道を車で走り、横須賀市の県営立石海岸駐車場へ。無料の駐車場で、晴れていると並ぶときもあるが、今日はすんなりと停めることができる。むしろ海岸を散歩していたり立石の岩場の展望台から海を見ている人が数人しかおらず、パドルサーフィンやカヌーで遊ぶ人は一人も見えず、釣り客もいないのに、八割程度駐車場が埋まっているのはなぜなんだ?と考えてしまう。すぐそばのレストランの建物工事に来ている職人さんの車が、五台くらいはあったかもしれないが。すぐ近くの地味な(よく行く)レストランで、牛レバーと玉葱ソテーにライス小、食後にリコッタチーズの蜂蜜掛けとコーヒー。その後、少し立石海岸を散歩して写真を撮ってから車に戻り、ポッドキャスト番組を聴きな
昨日の午後から降り出した雨は、予報より上がるのが少し遅れたが、午後3時になり上がった。今日の午前は早く起きたけれど、その後も眠気が消えず、うつらうつらと寝ては夢を見たり、また起きてぼーっとしていた。そのうちに時間が過ぎて行った。 雨が上がったから、自家用車を運転して二宮町のパン屋+カフェで開催中の某写真家の展示を観に行き、パンをたくさん買って、その帰り道に運転をしながら空を見上げると、雲がきれはじめ、もう日暮れ間近とは言え青空が見えていた。そんな空の様子を見たせいもあるのだろう、ちょっと寄り道をしてみようと大磯町の漁港の駐車場に車を停め、夏には大磯海水浴場になる海岸にある、津波避難のためと思われる三階建てくらいのタワーに上がってみた。南岸低気圧が通り過ぎている海には大きな波が次々と寄せていて、黒いウェットスーツを着たサーファーが波に乗ることを繰り返していた。そして写真のように砕けた波しぶき
2018年くらいに撮ってあった写真。横浜の馬車道が伊勢佐木町あたりと、前後の写真から同定されました。よく見るとドアミラーがなくなっていて、付いていたと思われるところにビスを通すための?下穴が空いている。これ、フォルクスワーゲンのゴルフという車だと思ってますが、違ったらすいません。廃車もしくは故障車としてここにしばらく置かれてたのか?そうそう、昨年かなぁ?同じと思われる駐車場の横をたまたま歩きましたが、そのときは、当然だけどこの赤い車はもうなかった。でも朽ちるに任せてずーっと何年も、もしかすると十年以上も置かれている車もある。今はもうないけれど神奈川県の国道一号線の、相模川のそばの家には国道に面した駐車スペースに長い事、それこそ十年以上もスバル360が置かれていた。いつか直したい、リストアっていうんでしたっけ?そう思う人はものすごく大勢いて、実際には面倒でお金の掛かることを実行する人はほとん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 ほぼ毎年、元旦には茅ケ崎海岸まで初日の出を拝みに行くのですが・・・正しくは、初日の出を拝みに来ている人を撮りに行っている感じ・・・今年はすっかり寝坊してしまい、起きてから8分のあいだに、着替えと歯磨きと水を飲むことなどをこなし、徒歩だと間に合わないので、朝から自転車で全力疾走して、日の出の15分くらい前に砂浜に着きました。毎年茅ケ崎漁港より東側のサンビーチ茅ケ崎という夏には海水浴場となる砂浜へ向かいます。だけど、毎年毎年、いつも同じような写真ばかりになるので、今日は漁港より西側の茅ケ崎西浜に行ってみました。今日はほとんど雲のない快晴の朝。富士山も満月を数日過ぎた月も、きれいに見えた。 西浜はサザンビーチより人もまばらで、静かでした。 今年は世界が平和に向かうといいと思います。異常という単語が使われることが減るといい。
オイルを回転軸付近に注入したレコードプレイヤーのトーンアームは、少しスムーズに回転できるようになってきて、それでもLPレコードの片面全部を一度も針が飛ばないままに再生できるところまでは治らないけれど、頻度として六曲中の四曲くらいは飛ばないで再生できるようになってきた。これ以上よくなるものなのか、一過性の回復で、むしろこのあとガクッと壊れてしまうのかはわからない。 選んで引っ張り出したわけではなくて、たまたま指に当たったからという理由で、レコードを押し込んでいる棚から引っ張り出したら、それはポリス(スティングのいたイギリスのロックバンド)のアルバムで、ロクサーヌやソー・ロンリーが入っていた。トーンアームの回転が渋くなっていて、ぎりぎり針が飛ぶか飛ばないは、レコードの溝の深さに起因していると思うものの、ポリスのアルバムだとそれまで回していたトム・ウェイツのアルバムと比べて、ほとんど針が飛ばない
人馬一体って言葉がありますね。馬じゃないけど、むかし、二十代三十代の頃に、250cc排気量のオートバイに乗って遊んでいました。毎日乗っているときは自然と身体とオートバイが人馬一体というのか人単車一体な感じになって運転しているけれど、例えば風邪を引いたり仕事が忙しかったりで、一週間乗らずにいると、運転をはじめてすぐは、その「一体」が失われてしまい、ちょっとぎくしゃくした感じになったものです。自分が操縦し、単車がその通りに応じ、そこにタイムラグがない動きになるまで少し人馬一体調整時間が必要だったような感じです。その間はなんか運転が上滑りで、落ち着きがなく、それでもオートバイは走って行く。こちらが運転しているより、乗せられて運ばれて行くような気がしました。 上記のことをなんで突然書いたかというと、この師走の日々の過ごし方が、そのような感じで上滑りして落ち着きがなく、時間だけがどんどん過ぎて、あっ
写真は15日の金曜日、日比谷通りに面した第一生命ビルのビルの前だったと思います。 と、二日前の写真を載せましたが、今日、12/17日曜日は大磯(神奈川県中郡大磯町、明治の政治家たちの別荘がたくさんあった相模湾に面した町で、日本で最初に海水浴場が開かれた砂浜があります。)の港で開催される大磯市に行きました。毎月第三日曜日に手造りの小物や食べ物の屋台や、キッチンカーが並ぶイベントです。 クリスマスの日に予定されている忘年会で、なんと懐かしい!プレゼント交換会があるというのです。若い方は二十代前半かな、一番年かさなのは私だろう(六十代)、だいたい10人くらいの忘年会だと思います。プレゼントの代金は1500円まで。出席者はすなわち老若男女。こんなことをするのは、高校生のとき以来じゃないか・・・考えたのは老若男女に等しく喜ばれるというものを探すと冗長性が増して(笑)面白くないじゃないか・・・というこ
真夏の気温が例えば36℃37℃になると、人という動物として生命の危険を感じてしまうから、それはもう大変に辛くて、熱中症への対策などもあれこれ話されるが、12月に20℃を越えるなんて、そんな真夏を上回る異常気象で、その理由が人の暮らしに根ざす地球温暖化にあるのだとすると、真夏以上に今こそそれに怖れを感じて、やるべきことは何かを考えなくてはいけないのだろう、けれど、暮らしにおいては12月の20℃はちょっと行き過ぎた小春日和という感じに過ぎず、羽織って来たコートを脱いで手に持つのが面倒なくらいで、颯爽と町を歩いて師走の買い物をする分には楽しいウイークエンドに過ぎない。そんな土曜日ですね、今日は。 昨日の金曜に12月に入ってから七回目かな六回目かな、忘年会が珍しく都心の有楽町であり、散会後に日比谷通りをカメラをぶらさげて歩いてみたら、写真の通り皇居日比谷濠の石垣がライトアップされていて、ちょっと幻
私は理科系出身なんです。主に理科系の方が進めるいろんな分野の技術の進化によって、人の暮らしが大きく変わって来た。身の回りの道具に置き換えると直近ではスマホやPCがその代表例で、その革新がもたらした便利で安全で効率的でスマートな生活。でもそれ本当か? そして年初にはそんな単語は知らなかった「生成AI」がいまやトレンドワードで、その使い方に規制を書けないと職業が脅かされたり消滅したりしかねない・・・と声がたくさんの職業から挙がっているらしい。 一つ一つの新しい機械やアプリは、使いやすくて便利で人を幸せに導く最新の機器だとうたわれ、そういうものに囲まれていく。だけど人という動物は、そんな暮らしを前提にしていまの姿があるわけではない、あるいは進化論によって人が将来この暮らしに適合するには膨大な時間が掛かるから、いまは(ローカルでは便利に感じても全体としては)便利の名のもとに、実は動物としてのヒトに
最近このブログに、何度も同じことを書いていますが、冬とはいえ、快晴の下、太陽の光が降り注ぐ南関東の真昼間はとても暖かいのです。今日は最高気温が、まず18℃もあったうえに、燦燦と太陽が照っていて、コートもセーターもいらない。そんな小春日和の日、自家用車で午前10:30頃に三浦半島の西岸、葉山町の南、横須賀市の立石県営無料駐車場に入り(入るまで10分か15分は並びました)こんな風に、過去にも何度もここに来ては同じような写真をいつも撮っているのですが、また撮り、近くのあまり知られていないレストランで蕪とベーコンのスパゲティを食べ、車内で読書と昼寝もして、のんびりとした数時間を過ごしました。往路は40分くらいだったかな、帰路は1時間半くらいだった。相模湾沿いを走る国道134号線、とくに鎌倉付近は南側にずーっと海が見えている。そしてとても渋滞します。 国道134号線の砂浜側と街側は横断歩道で行き来す
昨日の快晴の日曜日、小田原市文化財課が主催してくださっている文化財建造物、秋の観覧会というイベントに行ってみました。小田原市が管理している建造物の一般公開。このうち箱根板橋地区の四つと鴨宮の一つ、計五つを回ってみました。カメラはAPS-Cセンサーサイズのレンズ交換可能なミラーレス一眼にして、1950年代の古いレンズで撮りました。ちょうど南関東は楓の紅葉が真っ盛りで、どの建造物にも庭があって、赤い楓やそのほかの落葉樹や常緑樹の木々に冬の日差しがあたり、南関東の冬らしい鮮やかで明るい日になりました。写真は三淵邸・甘柑荘という建物。初代最高裁判所長官の方が昭和初期に建てた建物。 とても懐かしい。私は戦前(たぶん昭和初期)に建てられた木造平屋長屋に15歳まで住んでいました。写真の建物とは比べてはいけないほどの安普請だったけれど、南側にそれなりに広い庭があり、バラやボケや紫陽花が植えられていた。小さ
5年前、2018年の秋に撮った写真を見直していたら、1970年代後半?ずいぶん人気のあったジャニス・イアンのレコードジャケットが飾ってあるバーの写真が撮ってありました。場所は東京都写真美術館の横のブリックロードって言ったかな、数軒、飲食店が並んでいるところだと思います。コロナ禍でなのか別の理由もあるのか、この並びにあった飲食店はほとんどがコロナ前の店は畳んでしまい、最近になり新しい店舗が開店している感じがします。この店はどうなんだろう?コロナ禍を乗り越え、いまもあるだろうか? 人気があったジャニス・イアンのことを思い出していたら、フィービー・スノウという別のミュージシャンの名前が記憶から出てきましたが、同じ頃の人だろうか?こういうことってほかにもあります。ロバータ・フラックとカーリー・サイモンがセットになって記憶されているのは、たぶん前者の「やさしく歌って」と後者の「うつろな愛」が同時期に
写真は10年前、2013年の12月上旬の東京は六義園の紅葉です。前も書いたかもしれない話。私が30歳頃にご定年を迎えていたSさん(いまご存命なら100歳近い)は下町、尾久のあたりに生まれ育った江戸っ子だった。一度だけご自宅にお邪魔したことがあった。彼は東京からどこかへ行こうなんて思わないと酔っぱらって言っていた。京都までわざわざ足を運んで寺だ庭だと騒いでるが、庭を見たければ六義園に行けばいい、と言っていた。その六義園の紅葉です。 ここのところ、当たり前だけれど、ブログやインスタでは紅葉の写真がすごく多い。そして、いろんな「あの手この手」でとても劇的だったり美しい紅葉写真をたくさん見ることができる。もみじは新緑もとても美しいのだが、春ならソメイヨシノの花を、秋ならイチョウやカエデの紅葉を観ることに、撮ることに、皆がこれだけ集中して夢中になるのは、やはりその見ごろの期間が短いからなんだろう。よ
先日、横浜を歩いていて、午前10:30頃だったろうか、早くもオープンしている町の昔からずっとあったように思える洋食屋さんに気が付いたので、少し逡巡しつつも、思い切ってドアを押してみた。ランチは、ポーク生姜焼き、ビーフクリームコロッケ、メンチカツ、チキンカツ、あと一つくらいあったかもしれない、味噌汁も付いて900円。チキンカツを頼んで、まだ先客が一人しかいない店内を見回すと、そこここに絵が飾っている。料理は丁寧に一つづつ作っているようで、カウンターの中の厨房からカツを揚げる音が小気味よく聞こえている。カーテンや日に焼けてよれよれで、革または合成皮革かもしれない椅子の座面は破れたところを補修しているうちに、とうとう座面全部がビニールテープで覆われてしまった、それもどの椅子もどの椅子も全部そう、というように傷んでいるものがつかわれていて、椅子のバネも軋むというよりヘタっているようだ。フォークとナ
二日前の日曜日に訪れた神奈川県平塚市の花菜ガーデンの落羽松です。この写真は1950年代のオールドレンズで撮っていて、いまのレンズと比べると解像度が低い、そうなると針葉樹の葉の細かい部分まで解像できない、解像出来ない結果、少しのっぺりとした緑になっている。なんだか、油や水彩で、色をぺたぺたと置いているみたいで、これはこれで面白いですね。解像度とか収差とか、最新のレンズは優秀だけれど、撮れる写真になにを求めるか?によっては、こういうオールドな描写の方が記憶を揺すぶるかもしれない、というところにレンズの面白さがありますね。 花菜ガーデンは広いから、薔薇園から撮り始めると、途中でだんだん疲れて来てしまいます。このあたりまで来るともう写真を撮るエネルギーもだいぶ奪われている。カラータイマーが点滅している感じ。だから一枚だけ撮ってあったけれど、落羽松の特徴である気根があったかどうか?を見極めることもせ
二週間ほど前に、茅ケ崎から大阪、京都、宇都宮、再び京都、茅ケ崎帰宅、という忙しない移動を重ねたころに、疲労が蓄積したせいか、左上奥歯周りが歯肉炎になりました。以降、良くなった気がしたり、また痛くなったり、を繰り返し、先週の中頃に歯茎を押したら血が出て、そのあと腫れが引いたので、これでもう治癒していくのだろうと思っていたら、今朝になりまた歯茎が腫れてしまいました。今日の夕方は、そんなわけで、予約の合間に無理やり入れてもらい、歯科医院に治療に行ってきました。一番奥から一本手前の歯の根っこのところに炎症が起きているようで、レントゲン写真でもそこだけ色が変わっていた。麻酔を打ち、根っこまで針を入れたのかな?よくわかりませんが、抗生剤と抗炎材を直接打ってもらったのだと思います。これでたぶん明日か明後日にはすっかり治っている・・・んだろうな・・・期待ですが。 私は赤ちゃんのはいはいをしていた頃らしい、
写真は今日から数えて二十日前の京都一乗寺の公園で撮った写真です。この写真から二十日経って、もう木々の葉は散ったろうか、それとも色づきのピークにあるだろうか、そんなことを思うがわからない。 これは遠くの、今いけない場所の木々の葉の色の話だけれど、結局のところ人は相手が自然(この場合は紅葉という一例)でも、誰か関係の深い人でも、過去にならない近過去または現在(今日)に日々相手の状況を把握更新していないと、わからなくなる。多くのことはわからなくなっても気にならないのかもしれないが、わからなくなりたくないこともあるだろう。でもそれはこっちの勝手で、片想いというやつか。あぁ、京都のこの場所でも、ほかでもいいけれど、季節の移ろいが早い季節には今を今としてその移ろいを知っていたい。というような愛のような思いがあるから、ときに定点観測という行為が生まれるのかもしれない。毎日毎日自分の顔を何十年も撮り続けた
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