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アメリカ大統領選
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ある時、ある男が、ある山の頂近くにて、氷漬けになっていた木材を発見した。 人跡もなく草木も生えない極寒の世界、そこで見つかった『加工された木材』 その山の名はアララト山。聖書、創世記に語られた場所。そこはノアの箱舟が漂着した高峰。 眠っていたのは伝説の船か、神代の遺物か。 世界中に残された大洪水伝説が指し示す一つの答え――ノアの箱舟は実在したか? 失われた船と禁断の山 そして主は仰せられた。 「私が創造した人を地の面から消し去ろう。人を始め、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。私は、これらを作ったことを残念に思うからだ」 創世記 6:7 (新改訳聖書刊行会版) 1955年。 日本が戦後の混乱から落ち着きを取り戻しつつあった頃。その後も続く米ソの冷戦が『幻の雪解け』を見せかけた頃。 あるいは――UFOマニアたちがいうところの謎のヒューマノイドとの遭遇戦『ホプキンスビル事件』が起こった――とされ
苦節5年ぐらい。好き勝手にだらだら書いてきた。 ビリーバーとなるには信仰心が足りず、懐疑派となるには知性が、否定派となるには信念が足りない。そんな、悠久のゆらぎの中に我々はいる。 この書は、オカルト界隈においてまったく無名の辺境サイトが荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で書籍化をなし遂げた奇跡を通じ、我々『子羊』――導いてくれる羊飼いもおらず、守ってくれる牧羊犬もいない、ただ道に迷い続ける――か弱い子羊たちのもどかしくも屈折した成長の軌跡をあますところなく記録したドキュメントである。 振り向いたら明日が見えないよ ようやくサイトが更新された――と期待された諸兄には残念な話となるが、今回はお知らせです。 Twitterのほうで先に情報が回ったことにより既にご存じの方もおられるかも知れませんが、このたび、怪奇秘宝シリーズなどでお世話になっている洋泉社さまから、書籍版『オカルト・クロニクル
広大な海の波間に漂っていた漁船。 廃船のような船体。甲板に散らばる海鳥の羽。そして遺体。干涸らび、白骨化した者、腕や足を欠損した者。失われた腕を探せば、コンロに乗せられた石油缶の中にあった。 人食い船、発見さる――各社紙面に記事が躍った。 目撃者は言う。いつだか我々は遭難船だと思い近づいたが、いくら呼びかけても乗員は虚ろに立ち尽くし反応しなかった。だから馬鹿らしくなって立ち去ったのだ――と。 海は伽藍よりも 1927年。和暦昭和2年。世界は良くも悪くも賑やかだった。 チャールズ・リンドバーグが大西洋を飛行機で横断してパリジャンから拍手喝采を浴び、大正末期の日本では関東大震災から復興した帝都東京をモボ・モガが闊歩し、その喧噪から少し離れた田端435番地で芥川龍之介がひっそりと服毒自殺をとげた。 そんな時代の話だ。 その年の10月31日、北米大陸の太平洋岸沖で一艘の漂流船が発見された。 発見し
あるひと組のカップルが南海の無人島に降り立った。 彼らの目的とする『楽園作り』――各国のメディアが面白おかしくそれを報じ、その成りゆきを見守った。 だが世間がコメディだと思っていた物語は、やがてホラーとなり、ミステリーにもなった。 春も秋もなく、ただあるのは永遠の夏。手造りの楽園――そこで何があったのか。 ここは永遠のロックランド 1929年、夏。 力強い経済成長を続けていたアメリカは、のちに「狂騒の20年代」と呼ばれる時代の終焉に差しかかろうとしていた。 永遠に続くかに見える成長の途上にあって、現代的であること、そして合理的であることが是とされ、旧来の価値観は否定された。一方のソ連ではトロツキーが国外追放され、スターリンがその権力を盤石にしている。 ちょうどダウ工業平均が大暴落直前の史上最高値をつけたその年の夏、ある一組の男女が『世界の果て』と評されていた群島に上陸した。 男の名はフリー
19世紀末の空を、謎の船が飛び回った。 それは当時、まだ実用化に至っていなかった飛行船。 飛んでいるはずのない空の船――奇妙な搭乗員――その報告が、様々な地方で様々な新聞の紙面を賑わせた。 謎の飛行船とその搭乗員。彼らはどこから来て、どこへ行ったのか。 何かが空をやってくる 1896年、北米。 20世紀を目前にしたこの年、11月から翌1897年5月にかけてアメリカ各地の新聞で『謎の飛行船』を目撃したという記事が誌面を飾った。 それは神出鬼没の幽霊飛行船。あるはずのない奇妙な飛行機械が北米の空を縦横無尽に飛んでいるのだ――と各地方新聞が連日のように報じた。 その奇妙な飛行機械はカリフォルニア州サクラメントで最初に騒ぎになり、その後、カンザス州、ウエストバージニア州、ネブラスカ州、ワシントン州、インディアナ、アイオワ、サウスダコタ――と北米の広いエリアへと広がった。 目撃者総数は1000人を超
「人々は――私が――歌うことができないと言うかも知れません」 音楽の殿堂、数々の名演が行われてきたカーネギーホール。その壇上である日、ある女が伝説となった。 素朴なピアノ演奏をバックに、次々に披露されるオペラの難曲。押しかけた観衆は自分がいったい何に直面しているか、よく理解できないでいた。 あるものは言った「彼女は、とにかく何かをやった」 あるものは言った「彼女の歌声は――そう、輪姦される七面鳥のようだった」 オペラ座の夜に 1944年。 日々激化する第二次世界大戦のさなか、アメリカ国内でささやかなリサイタルが催された。 ちょうど、マッド・ガッサーがマトゥーンの町を襲撃し、東京ローズが太平洋に散らばる兵士たちを虜にしていた――そんな時代の話だ。 アメリカ合衆国はニューヨーク、マンハッタンのミッドタウンにある有名ホールの壇上に、一人の年老いた女があった。 その会場の名はカーネギー・ホール。
――魚の切り身か、豚肉だと思った。 丁寧に梱包されたビニール袋を清掃員が開けてみると、中身は人の足だった。 駆けつけた警察による捜索でブロック状に切り分けられた遺体が次々見つかる。 その数27パーツ、その寸法22㎝。その動機、その理由、不明。 多くの謎を残したまま迷宮入りした平成の怪事件。 都会の森の片隅で 注意: 1994年、東京・吉祥寺。 井の頭公園で清掃業務に従事していた女性(59)が園内のゴミ集積所にて奇妙な包みを発見した。 それは半透明のビニール袋に包まれており、うっすらと透けるピンク色が見えた。清掃員の女性はそれを第一印象で『魚の切り身か豚肉』だと考え、そうならば猫のえさにしてやろうと開けてみることにした。 その小袋は厳重かつ特種な方法(後述)で梱包されており、苦労して開けてみれば中には人の足が入っていた。 これは猫のエサにはならない。なっても困る。清掃員たちが慌てて警察へ通報
牧童の前に現れた聖母は天を背負い、言った。 これから言うことは、誰にも喋ってはなりません――。 恐ろしい3つ預言を残し、遠からず訪れる牧童の死を予告し、そして集まった7万人の前で奇蹟を起こして見せた。 ローマ教皇が卒倒し、バチカンが隠匿し続けた第3の預言。そして踊る太陽の奇蹟。 あの日、ファティマで何が起こったか。 遠くで奇蹟をききながら 1981年5月2日。 ロンドンはヒースロー空港である事件が起こった。 ダブリン発のアイルランド航空に籍を置く旅客機が着陸態勢に入った直後、何者かにハイジャックされた。 多くのハイジャック事件がそうであるように、犯人は人質の身柄と引き替えにある要求を出してきた。 それは金銭でなく、仲間の解放でもなく、「ファティマ第3の預言を全世界に向けて公開せよ」という前代未聞のものだった。 犯人は元カトリック(トラピスト会派)の修道士、ローレンス・ダウニー(55)だった
――なぜ、貴方たちがそれを知っているんだ? 人類学者は息をのんだ。肉眼では見えない星、シリウスB。 それは先端天文学で近年ようやく観測された伴星。彼らはそれを知っていた。 だが彼らの天文学知識はそれにとどまらず、他にも肉眼では観測できない宇宙の姿を伝承として彼らは知っていた。 シリウス・ミステリーと呼ばれる論争の始まりである。 シリウス・ミステリー 西アフリカはマリ共和国、サンガ地方。 乾いた大地に乾いた風が吹く、あまり肥沃ともいえない高原地帯である。 1931年フランスの人類学者であるマルセル・グリオール博士(Marcel Griaule 1898年-1956)は現住民族であるドゴン族を研究するため当地に赴いていた。 ドゴン族はおよそ1000年ほど前にこの地方に住み着いた民族で、これまで文明社会とほとんど接触することなく伝統的な生活を営んできた。 これはほとんど古代人の生活と言って良いも
ニュース番組の映像が乱れ、唐突に奇妙な映像が始まった。 『333-333-333 これから特別なプレゼンテーションを行う』 浮遊感のある音楽とともに、映像が視聴者に語りかけた。お前は病気だ。お前は道を見失った――と。 そしてなんら具体的な『提案』もないまま映像は途切れ、事態に気付かないニュースキャスターが平然と選挙戦の行方にコメントする。 電波ジャック、ワイオミング事件。真実はどこにあるか。 From Wyoming with hate. アメリカはワイオミング州。 のどかな中西部――その中でもとりわけのどかなニオブララ郡の小さなテレビ局で事件は起こった。 ローカルニュースの放送中に映像が乱れ、奇妙な映像が映し出された。 不気味な人物と幾つかの文章からなるその映像は、なんらかの『表明』かと思われた。 以下の映像がその時のものである。簡易的な字幕もつけておいた。 この6分ほどの『特別なプレゼ
「アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ」 電報を受け取った科学者は気にも留めなかった。明けて翌日、科学者は戦慄することになる。 『伊豆地方大地震惨劇』死者及び行方不明者272名――。椋平青年の予言した通りの時間、予言した通りの場所だった。 調査に当たったある科学者は頭を抱える。 「彼自身を全て信じることは出来ない。だが、何かが、必ず何かがあるんだ」と。 So-called Mukuhira’s Arc 1930年(昭和5年)11月26日朝8時。 京都帝國大学の理学部部長、石野友吉博士は前日に用務員から受け取っていた電報をまじまじと観察した。 内容にはこうある。 『アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ』 発信局、天橋立局。発信日時は前日の11月25日。 発信時刻は午後0時25分、着信時刻、同日午後0時50分とある。 まぎれもなく、この電報はまぎれもなく前日に打たれ、石野の元へ
1999年に完成した町営住宅で住民の入居直後から奇妙な現象が起こる。 怪音が響き、皿が飛び、コンセントの抜けたドライヤーから熱風が――。 怪現象としてメディアに大きく取りあげられ、様々な憶測が飛び交い、全国からは自称霊能力者たちが競うように訪れた。 富加町幽霊マンション――そこで何があったのか。 小さな町の、大きな事件 西暦2000年秋。 驚くべき事件が新聞によって報じられた。 4億円の費用をかけて1999年に完成した四階建ての町営住宅で怪現象が起こっているのだという。 日本において、怪現象の報告は決して少なくないが、新聞やテレビと言った大手メディアで大々的に報じられたケースは多くない。この事件はその希有な例だ。 完成直後から、入居した住人たちは夜中に響く怪音に悩まされていた。 「ビシッ、バシッ」だの「キーッ」だの、メモによれば「ガラスビンが転がるような音、ノコギリで切るような音、金槌で叩
「貴方の奥さんは今ごろ他の男に抱かれているわ」二次大戦中、戦意喪失を狙って行われたNHKによる米軍への謀略放送。謎の女子アナは上品な口調で下品な言葉を繰り、予言めいた発言までした。魔女とまで呼ばれた女、東京ローズは誰だったのか。 プロパガンダを聴きながら 太平洋戦争に従軍した米兵にとって、重要な日本人は3人いた。 エンペラー・ヒロヒト。 トージョー・ヒデキ。 そしてトーキョーローズ。 「米兵の皆さん、ガダルカナル島へようこそ。でも期待してる増援はこないわ。お仲間さんたちの船は全て太平洋の藻屑になってしまったの。可哀想に、貴方たちは完全に孤立して、太平洋の孤児になっちゃったのよ」 「可哀想な坊やたち。貴方たちが狐の穴より居心地の悪い塹壕で眠っている間に、貴方たちの奥さんや恋人は他の男とあたたかいベッドで眠っているわ」 ラジオから流れてくるその放送は、米軍兵士たちを釘付けにした。 発信源は東京
『謎の怪物あらわる!』奇怪なニュースが全国紙を賑わせた。 神話が息づく中国地方の山奥で直立二足歩行する獣人が目撃された、と。 目撃報告は増え続け、さまざまな人々が現地に押しかけた。 そして、怪物はある日を境にパタリと消えた。 謎の獣人、ヒバゴンは何処へいったか。 怪物のいた夏 1970年。日本、広島、夏。 中国地方の中央に位置する比婆郡西城町で奇妙な遭遇があった。 7月20日午後8時。同町油木地区に住む丸崎安考さん(当時31歳)が、仕事に使用する軽トラックで中国電力六の原調整池ダム付近を走行していた時のことだ。 突然、見たこともない生物が現れ、丸崎さんの目の前を横切った。 その生物は子牛ぐらいの大きさで、丸崎さんは一瞬ゴリラかと思ったという。 その怪物は丸崎さんの方をじっと見つめながら、ゆっくりと歩行し、やがてキリキリとヒグラシのなく森の奥へと消えて行った。どうやら谷に向かって下っていたよ
ある朝、火葬場の炉内にて、無断で燃やされた七体の人骨が発見される。 警察が調べるも、不可解な事実ばかりが浮かび上がった。 これは誰か? 誰でもない。 どこから? どこでもない。 有識者は言った。「まただ」と。 また、祟りが降りかかったのだ、と。 島に伝わる伝説と絡み合い、複雑怪奇な展開を見せた未解決の怪事件。 謎解きは葬儀のあとで 1994年。八丈島八丈町。 お盆を直前に控えた8月11日、その日に予定されていた葬儀のため火葬場の職員が炉を開けたところ、炉内にぎっしり詰め込まれた人骨を発見した。 業務で人骨に見慣れた職員とはいえ、これには驚愕する。 通常、この炉を使用する――つまり火葬を行う際には『墓地、埋葬などに関する法律』に規定される通り、市町村長の許可を受けねばならない。だが、この詰め込まれた人骨に関して一切の申請はなかった。 つまり、無断で焼かれたと言うことになる。 通報を受けた八丈
更新履歴 2021/06/05 【NEW】ノアの箱舟――大洪水で繋がる世界 公開。 2020/10/03 ファフロツキーズ――落ちた魚で昼食を 公開。 2020/03/05 【追記】坪野鉱泉肝試し失踪事件――消えた2人と消えた真実 続報。行方不明だった2人の車両および遺体発見。 2019/10/06 【追記】万病を治すルルドの泉 認められた奇跡 『無原罪の宿り』についての指摘追記。 2019/04/28 【追記】ヤクート死の谷の謎―永久凍土に眠る大鍋 『地球防衛システム仮説 ATフィールド』についての指摘追記。 2018/12/15 富士市UFO同乗事件――メルセデス星人のケース 公開。 2018/12/15 【追記1】ミイラ漂流船――良栄丸の怪奇 『食人描写デマ』についてのソース情報を追記。 【追記2】画家だって第三種接近遭遇する――レジャー星人ハウピ村事件 花田氏による追跡調査情報
恋に破れた青年がいた。彼は結婚を誓った恋人に結婚式前夜に婚約破棄を申し渡される。 傷癒えぬ青年は彼女が戻る日を待ち望み、城の建築を始めた。 30年後、そこはコーラルキャッスルと呼ばれる。 そこは、たったひとりの珊瑚城。 彼女は去り、彼は残された。 ある青年がいた。名はエドワード・リーズカルニンと言った。 彼は奇妙な建築が多いアメリカでも、ひときわ異彩を放つ石の城を建てたことで歴史に名を残した。 30年間たったひとりで行われたこの建設事業のきっかけは、失恋であった。 リーズカルニンが26歳の頃、結婚を約束した当時16歳のフィアンセ(名前は明かされずsweet sixteenと呼ばれている)に結婚式の前夜に逃げられた。 リーズカルニンは傷つき、仕事を辞め、故郷リトビアを捨て、放浪の旅へと出た。 そしてアメリカに渡ったリーズカルニンはカリフォルニアからテキサスと米国内を仕事を変えながら転々とし、
1人の男が死んだ。その男は暑い夏の盛りにコートを羽織り、眠るようにビーチに横たわっていた。警察がどれほど調べても男の身元は判明せず、ただ意味不明のメモばかりが見つかる。Taman Shud――いまだ未解読の暗号が残る、いぜん未解明の事件。 謎の男 サマートン・マン 1948年12月1日の朝。オーストラリアはアデレードの南に広がる砂浜で、男が死んでいると通報が入った。 駆けつけた警察は男が亡くなっている事を確認すると同時に、奇妙ないくつかの事実に首をかしげた。 半袖すら煩わしく思える暑い夏の盛りに、この男はスーツの上に分厚いニットのプルオーバーを着込んで死んでいるのだ。争った形跡もなく防波堤代わりの石を枕にして、ただ眠っているかのような穏やかさで死んでいる男。 当初、地元警察はこの事件がすぐに解決すると踏んでいた。奇妙ではあるが、大した事件ではない。この男はビーチを散歩中に何らかの急性的な病
広大な永久凍土の片隅。『死の谷』と呼ばれる禁足地。そこで学者は奇妙な構造物を発見した。 それは半分地面に埋もれ、地面から突出した部分だけを見れば巨大な鍋のように見えた。 様々な人たちが訪れ、他にも不可解な構造物が発見される。 様々な観察、様々な発見、だが、それらはさらなる謎を呼ぶだけだった。 誰が作ったのか。いつ作られたのか。 雪深い極北の地、封印は凍っているか。 ここは声の凍る国 東シベリアの奥地に位置するヤクート地方、世界有数の『極寒の地』として知られる辺境。 この地では、囁き声も叫び声も、相手に届かないまま唇の先で凍るとされる。凍結したそれらは極寒期が終わるとゆっくりと溶けて、短い春の騒がしさを後押しするのだという。 1859年。そんな極北に1人の科学者があった。 博物学、地理学、そして人類学の専門家、リヒャルト・マーク(外部)教授だ。 当時ドルパート大学(現在のタルトゥ大学)で教鞭
雪の降る夜。青い毛布を頭からかぶった男が訪ねてきた。1人目が連れ出され、2人目が連れ出され、3人目が連れ出され、みんな死んだ。様々な都市伝説の源泉となった未解決の怪事件。 雪の降る夜は恐ろしい コロは明治、トコロは福井。近代化めざましい日本の片隅で、凄惨な事件は起こった。 1906年2月11日、吹雪の夜のことだった。 福井県三国町の回船問屋である橋本利助商店に訪問者があった。 訪問者は青の毛布をかぶり、同店の番頭である加賀村吉(当時30歳)に面会を求めてきた。 怪しいながらも取り次ぐと、青毛布の男は加賀村吉の親族からの使いで村吉を迎えにきたと言う。 「親戚の婆さまが急病で倒れたので、すぐに来て欲しい」 外はほとんど吹雪であったが、これは出向かぬワケにはいかぬ。 村吉は青毛布に導かれ同店を後にした。 それから2時間後。 今度は三国町玉井にあった村吉の自宅にも青毛布がやって来た。そして川向こう
驚くスペイン人征服者に原住民は笑って言った。作ったのは我々じゃない、ここは我々が来るより遙か昔に建てられのだ――と。ここは巨人がラッパの音を使って一晩で作ったのだ――と。 学者も言う。「確かに1万5千年前、ギザのピラミッドより1万年以上古い、最終氷期、後期石器時代。だが……あり得ない」 超古代テクノロジーの証が残る場所、そこは天空の廃墟プマプンク。 神は積み木遊びをするか 南米はチチカカ湖。 標高は富士山の頂上より高い3890メートルに位置し、天空の湖と呼ばれる神秘の湖だ。 16世紀にこの付近を訪れたスペイン人征服者たちは、驚きを隠せなかった。 そこに彼らの知っている『遺跡』というイメージから大きく逸脱した遺跡を見たからだ。 ゆうに10トンは超えるであろう巨石があちこちの土に埋もれ、それらにはどのようにして加工したかもわからない精巧精密な細工が施されている。巨大な基壇らしきもの。一枚岩で造
心霊スポットに行ったきり2度と戻らなかった――。怪談話のテンプレートとも言える話の流れ。それを地で行く事件があった。 若い女性が2人、有名な廃墟へ肝試しへ行き、消えた。車ごと忽然と、跡形もなく。 恐怖の都市伝説となった失踪事件。まとわりついた誇張やデマ、その誤ったヴェールの向こうに何が隠れているのか。 好奇心は猫をころすか 1996年5月5日21時頃。 富山県氷見市に住んでいた19歳の少女二人が家族に「肝試しに行く」と告げ、車で出かけたきり消息を絶った。 彼女たちが向かったのは魚津市にある温泉旅館廃墟ホテル坪野跡、通称『坪野鉱泉』だった。 深夜になって、彼女たちから友人に向けて発信された「いま魚津市にいる」というポケベルのメッセージが彼女たちが発した最後の足取りとなった。 目撃証言も残っている。 同日5月5日22時頃、2人の乗った車が国道8号線(富山市と滑川市の市境あたり)を魚津方面へ向か
ある老人が亡くなった。 彼には友人も身寄りもなく、彼を知る者は、彼の名前しか知らないと言った。 彼の部屋を片付けようとしたアパートの管理人はそこで、異様なものを発見する。 300枚を超える巨大な極彩色のイラスト、膨大な1万5000ページに及ぶテキスト。 そのテキストにはタイトルがあった。『非現実の王国で』 これは、誰も知らない、世界で一番長い物語。 非現実の王国で、ひとり。 1973年、シカゴで1人の男が亡くなった。 そのとき誰も気にもとめなかった。 亡くなったのは酷く孤独な老人で、同じアパートの住民との交流もなかった。 むしろ、一部の住人たちは、その老人を疎ましく思っていた。 彼はいつも決まって第一次大戦の軍用コートを着て、まるで浮浪者のようだった。 壊れた眼鏡は絆創膏で補修し、コートも繕った痕ばかり。 そしてごみ捨て場をウロウロして、なにやら拾っては持ち帰っているらしい。 住民たちはそ
2018年。ある一冊の書籍が刊行された。発売日当日から発行部数が少ないがゆえの混乱により、買い占め・転売が横行――書籍ながらに新興国通貨よりも激しい値動きを見せ、投機スジでさえ顔をしかめる相場が続いた。書籍を買えなかった者は浅薄きわまるマネーゲームに義憤の涙を流し、その一方で買えた者は買えた者で、通読に耐えないレベルの誤字脱字に涙した。「私はお金を出して本を買ったはずが、気がつけば初版の校正要員として利用されていたのです」――涙ながらにそんな憤りを語った読者もいた。だが初版だけではなかった。この書は、オカルト界隈の荒廃に戦いを挑んだ読者と著者の記録である。界隈においてまったく無名の弱小サイトが荒廃の中から健全な精神を培い、わずか数年で絶版からの復刊をなし遂げた奇跡を通じ、その原動力となった猜疑心と信奉心そして読者と著者、その子羊たちのもどかしくも屈折した成長の軌跡――はひとまず脇において、
少女たちが被告とされた女を指差しながら悲鳴をあげる。その女が魔術を使っている、と。 少女たちの全身は痙攣し、法廷の床にのたうち回った。およそ常人らしからぬ形に手足が捻れた。 被告が身振り手振りに自らの潔白を主張すると、その手足の動きと寸分たがわぬ動きを少女たちが見せる。異様な光景だった。 「そして、無実の女たちが魔女として吊された」そう研究家は言う。 その一方で「だがその中に本物の魔女もいた」とも。 黒歴史の村セイラムにいったい何があったのか。 地獄の中では一番住みよい部屋 1692年。植民地時代のアメリカ。 ボストン近郊の村セイラムで、二人の少女が奇怪な病にかかり、奇妙な症状を見せた。 少女たちは腕や足をねじり、交差させ、激しく身体を揺らし、のたうち回った。 多岐にわたる諸症状のなかで、とりわけ目を引いたのは痙攣だった。 この発作は極めてグロテスクで見る者を圧倒させる異様なものだったとい
シンナー遊びの果てに1人が池で溺死した。まもなく、その友人も死んだ。 そして死が感染する。 その先輩、友人、同級生。一週間ごとに次々と、一週間ごとに淡々と。1.2km圏内に死が連鎖した。 7人目の死者が出たとき、誰かが言った。「自殺は9人まで続く」「次はアイツだ」と。 そして、亡くなる直前1人の少女が血まみれでうったえた言葉――「違う、違う」。 あの静かな初夏、熊取町で何があったのか。 失われた10年 1992年。 日本はゆるふわだった。 前年に終焉を迎えた平成バブル景気の余韻に浸り、来るべき大不況の萌芽に目もくれず、ただ終わった祭りの感傷に楽観ムードを重ねていた。 『次なるフロンティア』を探していた時代だったのかも知れない。 琵琶湖畔から『風船おじさん』が大空に飛び立ち、宇宙から帰還した毛利衛氏が「宇宙からはいっさい国境は見えません」と発言しヒューマニストたちを喜ばせている。もっとも、国
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