サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ドラクエ3
plaza.rakuten.co.jp/kngti
2007.10.01 岡崎次郎はどこへ消えたのか (4) カテゴリ:雑感 岡崎次郎といえば、国民文庫版の 『資本論』 の翻訳者であり、『マルクス・エンゲルス全集』 でも多数の翻訳を行っている労農派系の経済学者である。向坂逸郎の名前で岩波文庫から出ている 『資本論』 も、実際には下訳者であった岡崎の翻訳がほとんどそのまま採用されているのだそうだ。 その岡崎次郎については、出生は1904年6月29日と明確であるにもかかわらず、死亡の日時は1984年ごろというだけで、なぜか明確ではない。これは、どういうことだろうか。 Wikipedia には、彼について次のような記述がある。 1983年に青土社から出版した 『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』 という自伝で向坂を批判。本書を友人・知人らに献本し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」 という言葉を残して、80歳となった翌1
2010.05.08 「~すべし」という命令と「~すべからず」という命令 (5) カテゴリ:歴史その他 なんの本にあったのか忘れたので、違っているかもしれないが(したがって、実話かどうかは確認できない)、革命から間がない内戦中のある日のこと、当時、チェーカーの議長だったジェルジンスキーが会議中のレーニンに、「反革命」 分子として収監している囚人のリストを渡したという。 会議に没頭していたレーニンはメモに目を通したあと、×印のようなものをつけて、ジェルジンスキーに返した。メモを受け取った彼は、そこにある×印を見て、「処刑」 の指示だと思いこみ、リストにあった全員を即刻銃殺した。 ところが、あとで分かった話によると、実はレーニンには、日頃から目を通した書類にたんなる 「確認済み」 の意味で印をつける癖があったという。もっとも、いずれにしてもレーニンの指令で、多くの人間が 「反革命」 の罪により
2010.05.02 大文字の「良心」と小文字の良心 (5) カテゴリ:思想・理論 自動車事故で死んだカミュに、『正義の人々』 という戯曲がある。このもとネタは、革命前のロシアで、社会革命党の秘密組織の指導者として、要人暗殺などのテロを行っていた、サヴィンコフという名のロシア人革命家が書いた、『テロリスト群像』 という回想録の中にある。 サヴィンコフは、ロープシンという名で 『蒼ざめた馬』 などの小説も書いているが、革命後はボルシェビキ政権に対する武力闘争に加わり、最後は逮捕されて裁判にかけられた。そこで、いったんは死刑判決を受けたものの、「十年の禁固刑」 という特赦による減刑を受けたのち、なぜか刑務所で投身自殺をとげたとされている。 この話については以前書いたが、要約すれば、爆弾投擲による暗殺実行の任務を与えられた、カリャーエフという青年が、目標とする人物が乗る馬車に爆弾を投げようとした
2010.04.25 「自由」についてつらつらと (5) カテゴリ:思想・理論 いわゆる 「人権」 なるものはもちろん西欧起源であり、したがってキリスト教に由来する。中学の社会科では、ロック、ルソー、モンテスキューの三人を、代表的な啓蒙思想家として教えられるが、基本的人権といえば、ロックの 『市民政府二論』 ということになっている。 明治の自由民権運動では、「天賦人権」 なんて言葉も流行ったが、ようするに人権なるものは、神から与えられたものだから、たとえ国王でも侵すことはできないよ、という話。ロックは、たとえばこんなふうに言っている。 自然状態には、これを支配するひとつの自然法があり、何人もそれに従わねばならぬ。この法たる理性は、それに聞こうとしさえするならば、すべての人間に、いっさいは平等かつ独立であるから、何人も他人の生命、健康、自由または財産を傷つけるべきではない、ということを教える
2010.02.02 「節分」ということで鬼の話など (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 「節分」 とは、ほんらい春・夏・秋・冬の季節の分かれ目のことであり、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれ前日を指す。いまでも正月のことを新春と呼ぶ習慣が残っているように、もとは春が新年のはじまりであって、旧正月と暦上の冬と春の区切りである節分はほぼ同時期になる。 ただし、立春が太陽の運行に基づいているのに対し、旧暦は基本的に月の運行に基づいているから、正月と立春の関係はかならずしも一定しない。ときには、年が明ける前に立春を迎えて春になることもあり、そこから、明治に短歌革新を掲げた正岡子規により、「実に呆れ返つた無趣味の歌」 などとぼろくそにいわれた、古今和歌集巻頭のこんな歌も生まれている。 としのうちに 春はきにけり ひととせを こぞとや いはむ ことしとや いはむ たしかに、この歌の意味は、年のうちに春
2010.01.22 自民党のあきれたご都合主義 (1) カテゴリ:政治 こちらのサイトによると、「三寒四温」 とは もとは中国の東北部や朝鮮半島北部で冬の気候を表すために使われていた言葉で、シベリア高気圧から吹き出す寒気がほぼ7日の周期で、強まったり弱まったりすることに由来するのだそうだ。 そこにも書いてあるように、この言葉はたしかに最近では、むしろ低気圧と高気圧が交代しながらしだいに暖かくなっていく、春先の気候変化を表すことが多くなっているが、ここ数日の気候と気温の変動は、まさにこの言葉の本来の意味にぴったりのようだ。 昨日はひじょうに暖かく、近くにある小さな橋の上から下をのぞくと、浅く透明な川の底に、まるまると太った鯉が潜水艦のようにゆったりと沈んでいるのが見えたりしたのだが、今日は一転して冷え込んだ。明日はもっと冷え込むらしい。 冬はなんとなく人が死ぬ季節というイメージがある。今年
2009.11.24 三島由紀夫とは何者だったのか (3) カテゴリ:文学その他 市谷で自決する6年前に三島由紀夫が書いた、『私の遍歴時代』 というタイトルのなかば自伝風のエッセーは、次のように始まっている。 小説家として暮らしている今になってみると、むかし少年時代の私が、何が何でも小説家になりたいと思っていたのは、実に奇態な欲望だったと思い当たる。こんな欲望は、決して美しいものでもロマンチックなものでもなく、ようするに少年の心がおぼろげに予感し、かつ怖れていた、自分自身の存在の社会的不適応によるのであろう。今とちがって、小説家になれば金持ちになるから、などという空想はありえなかった。 ここには、おそらくなんの嘘もないだろう。肉体や現実よりも先に言葉を獲得し、遅れて肉体を持ったときには、「その肉体は言うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていた」(太陽と鉄)と回想しているような早熟の少年にとって
2009.11.10 フランクフルト学派の陰謀? カテゴリ:思想・理論 最近というわけではないが、なんでも世間には 「フランクフルト学派」 による陰謀なるものが存在しているらしい。これを暴露し、世に警鐘を鳴らしているのは、京大の中西輝政教授や、ニーチェやショーペンハウエルの訳者でもある西尾幹二氏、さらには高崎経済大の八木秀次教授など、なかなかに錚々たる学者であり研究者たちである。 これは、こんなところやこんなところで見ることができるが、これを簡単にまとめると、戦後の急速な核家族化の進行と、それによる 「家」 制度や伝統的価値観の崩壊、「行き過ぎた」 男女平等や同じく 「行き過ぎた」 性教育、ジェンダーフリー思想の蔓延や 「性道徳」 の崩壊、そして離婚の増加や少子化といった現象も、どうやら日本の社会と国家の破壊と革命をもくろんだ、恐るべき 「フランクフルト学派」 の陰謀なのらしい。 「フラン
2009.10.25 独学者とトンデモ説の親和性、または権威主義的性格について (1) カテゴリ:ネット論 以前、サルトルの 『嘔吐』 に出てくる 「独学者」 なる人物にふれて、「サルトルの 『嘔吐』 をちらちらと読み返してみた」 なる雑文を書いたことがある。そこで引用した 『嘔吐』 の箇所をもう一度ひいてみる。なお、引用文中の 「彼」 とは、この 「独学者」 を指している。 彼は目で私に問いかける。私はうなづいて賛意を評するのだが、彼がいくらか失望したということ、彼が欲したのは、もっと熱狂的な賛同だったということを感じる。私に何ができようか。彼が私に言ったことのすべての中に、人からの借り物や引用をふと認めたとしても、それは私が悪いのだろうか。 言葉を質問形にするのは癖なのである。じっさいには断定を下しているのだ。優しさと臆病の漆は剥げ落ちた。彼がいつもの独学者であるとは思われない。彼の顔
2009.10.16 あれやこれやの雑感 (2) カテゴリ:ネット論 鳩山内閣が誕生してはや一ヶ月である。長かった自公政権の後始末がたいへん、というのは分かるのだが、予算やら事業の見直しやらと、まだまだ前途は多難のようだ。鳩山由紀夫という人については、いまひとつよく分からないのだが、なんとなくやはり昔の細川護煕氏と同じ、育ちのよさからくる軽さが感じられる。いや、人の良さからくる能天気さのほうは、むしろ細川氏以上なのかもしれない。 たしかに、内閣のメンバーを見れば、前の内閣などにくらべて、なかなかの論客と実力者ぞろいのようだ。だが、そのことがかえって内閣のアキレス腱になるおそれというのもなくはない。つまり、はたして今の鳩山氏に、論客であり野心もあるであろう人がおおぜいそろっている内閣をまとめるだけの力があるのだろうかという疑問だ。国民新党の静香ちゃんなどは、どう見ても首相より大きな顔をしてい
2009.10.10 「認知的不協和」またはイソップのキツネ (2) カテゴリ:思想・理論 「認知的不協和」(cognitive dissonance)とは、人が自身の中で互いに矛盾する認知を同時に抱えた状態だとか、そのときに覚える不快感を表す社会心理学の用語で、アメリカの心理学者レオン・フェスティンガー(1919-1989)という人が提唱したのだそうだ。 この人によれば、「認知的不協和」 が存在すると、その不協和を軽減し除去するための心理的圧力が生じ、その結果、どちらかといえば不都合な一方の要素が無意識のうちに修正されて、「不協和」 な状態が軽減されたり除去されるということだ。 この理論の説明でよく言及されるのが、イソップ寓話にある 「キツネとブドウ」 の物語である。これは誰でも知っているだろうが、ある日、美味しそうなブドウがなっているのを見つけたキツネが、一生懸命とびあがって獲ろうとし
2009.10.02 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか (4) カテゴリ:思想・理論 ゴッホとの共同生活が破綻したゴーギャンがフランスからタヒチへと逃亡したのは、ゴッホと別れてから三年後の1891年のことである。タヒチが 「発見」 されたのは18世紀半ばで、最後にはハワイで先住民に殺された、かのキャプテン・クックことジェームズ・クックも、金星観測のため、1769年にタヒチを訪れている。 むろん、この 「発見」 とはヨーロッパ人と彼らの世界にとってのことにすぎない。タヒチは、おそらくはアジアのどこかから船出し、その後、ハワイからイースター、さらにニュージーランドにまで航海を続けた人々らによって、そのはるか以前に発見されていたのである。いうまでもなく、それはいわゆる 「新大陸」 の場合でも同じことだ。 タヒチなどの島々の 「発見」 が、当時のヨーロッパの知識人らにどの
2007.04.16 続き (4) カテゴリ:文学その他 M17星雲の光と影さんのところで知ったのだが、「『自分の木』の下で」という若い人向けに書かれた大江のエッセイ集の中に次のような一節がある。 私は、もう学校には行かないつもりでした。森のなかでひとり、植物図鑑から樹木の名前と性質を勉強すれば、大人になっても生活できるのです。一方、学校に行っても、私が心から面白いと思う樹木のことに興味を持って、話し相手になってくれる先生も、生徒仲間もいないことはわかっていました。どうしてその学校に行って、大人になっての生活とは関係のなさそうなことを勉強しなければならないのでしょう。 (中略) 私は自分にもおかしく感じるほど、ゆっくりした小さな声を出してたずねました。 ――お母さん、僕は死ぬのだろうか? ――私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。 ――お医者さんが、この子は死ぬだ
2009.09.13 「トリックスター」と「文化英雄」 (4) カテゴリ:神話・伝承・民俗 先日ちょこっと言及した大林太良の別の著書 『神話学入門』 に、ドイツの民族学者カール・シュミッツ(政治学者のカール・シュミットと名前は似ているが、まったくの別人。1920年生まれだそうだ)による神話の分類として、次の三つがあげられている。 1 だれが、どのようにして世界を創造したか(宇宙起源論) 2 だれが、どのようにして人類を創造したか(人類起源論) 3 だれが、どのようにして文化を創造したか? この三つの分類について、大林は下のように説明している。 天と地に関する関する神話とか、天体やその他の自然に関する神話は、私の考えではみな宇宙起源論の一部であり、洪水神話その他の大災厄神話も、宇宙起源神話の一部である。 他方では大災厄神話も、人類の起源を物語るかぎりにおいては人類起源神話の一部であり、また原
2009.09.06 柄谷行人、小林秀雄、あるいは「自分探し」という病について (2) カテゴリ:思想・理論 批評家の柄谷行人が、『探求II』 の中で次のようなことを書いている。 ところで、子供に死なれた親に対して、「また生めばいいじゃないか」 と慰めることはできないだろう。死んだのはこの子であって、子供一般ではないからだ。しかし、子供や妻が家畜と同じ財産と思われているような社会では、それが可能であるように見える。 たとえば、『ヨブ記』 では、神の試練に対して信仰を貫いたヨブは、最後に妻および同数の子供(男七人と女三人)とより多くの家畜を与えられる。しかし、どうしてそれで償われたといえるだろうか。死んだあの子が取り戻されたわけではないのだ。『ヨブ記』 を読んだ後に残る不条理感はそこにある。 『ヨブ記』 というのは、ヤーヴェなる全能の神と悪魔との人間の信仰心をめぐる賭けの対象に選ばれたヨブと
2009.08.10 「反日」なる言葉について (10) カテゴリ:社会 最近というわけでもないが、一部の 「右派」 勢力や団体、政治家らによって 「反日」 なる言葉がしきりと使われている。いわく、「反日国家」、「反日サヨク」、「反日マスコミ」、「反日外国人」 などなど、その使用例は、まことに枚挙に暇がない。 たとえば、西尾幹二や渡部昇一のような 「学者」 や、彼らを信奉する者らに言わせると、中国や韓国、北朝鮮は 「反日」 国家であり、在日韓国人・朝鮮人らは 「反日」 外国人なのだそうだ。また、日教組や朝日新聞は「反日サヨク」であり、男女平等やDVについての啓蒙活動、性教育、差別の禁止や人権の保護などを訴えている人らもみな、「反日」 勢力なのらしい。 彼らによれば、戦後のGHQによる占領と東京裁判、さらには日本国憲法制定によって、神武天皇の即位以来、2600年の歴史を持つ日本の古きよき伝統
2009.07.28 雨降って地は固まるか (3) カテゴリ:陰謀論批判 先週、天上で行われた太陽と月との戦いは、一時間足らずでぶじに太陽の勝利に終わった。といっても、事前にきちんと時間を調べていたわけでもなく、たまたま入っていた大型スーパーから出たところ、なんとなくあたりが暗くなっており、おまけに外に立っている老若男女のみなさんが、そろいもそろって天の一ヵ所を見上げているのをみて、そういえば今日は日食の日であったなあ、と気づいた始末ではあったが。 しかし、せっかくの日食もずっと観察できたわけではなく、ごく短時間だけ、あつい雲の合間から、ネズミにかじられたようなご尊顔が垣間見えるという程度にすぎなかった。そういうわけで、そのときからすでに予兆はあったわけだが、それから数日もたたぬうちに大雨となった。県内では数ヶ所で山崩れもおきていて、たいへんなことになっていた。 雨がやんでから、近くの川ま
2009.06.27 マイケルが死んだ (16) カテゴリ:私事・昔のことなど 一昨日のマイケル・ジャクソン死去のニュースには驚いた。まだ50歳、死因は心臓麻痺ということだが、これは前の世代のもう一人のスーパースター、エルヴィス・プレスリーの場合と同じである。プレスリーが死去したのは1977年、42歳だったそうだから、マイケルよりもまだ若い。プレスリーのデビューは50年代中頃であり、若い頃の画像をYoutueで探すと、ほとんどがまだ白黒であるというのには、時代を感じさせる。 プレスリーが生まれたのはミシシッピ、育ったのはテネシーで、いずれも南部に属する。おそらくは、そのことが、彼の歌に大きな影響を与えたのだろう。家族と写っているプレスリーの少年時代の写真を見ると、戦後すぐの頃のアメリカ南部の白人の暮らしが、けっして豊かではなかったことがよく分かる。今はそうでもないかもしれないが、南部での黒
2008.05.17 「美しい魂」を持った人 (2) カテゴリ:歴史その他 一昨日は5.15事件66周年の記念日であった。なにか記念の記事でも書こうと思ったのだが、仕事が忙しくてついつい書きそびれてしまった。 5.15事件とは、言うまでもなく右翼思想にかぶれた海軍の青年将校らが、民間から調達した武器で当時の犬養毅首相らを襲撃し、暗殺した事件だが、「話せば分かる」、「問答無用」 という、犬養と襲撃した将校らとのやりとりでも有名である。 ところで、もともと「はてな」のIDを取ったついでに開いた、はてなの別館のほうで、最近こんな箴言めいたものを書いた。 すべての全体主義は 「共感」 を強要する共同体の上に成立している。 他者の名を借りた怒りとは、しばしば最も欺瞞的で不実な 「怒り」 である。 最も残酷になれる人間とは、おのれだけは汚れておらず、 またおのれだけはけっして汚れることがないと確信して
2009.05.24 物事は正しい言葉で呼ばなければならない (8) カテゴリ:社会 仕事のせいで(本音を言えばネタがなかったからでもあるが)更新を怠っていたうちに、いろんなことが起きていた。国内では鳩山氏が小沢氏に代わって民主党の代表になり、海の向こうでは、盧武鉉 前韓国大統領が在職時代の「献金問題」をめぐって自殺した。 さて、21日にはいよいよ裁判員制度が始まったわけだが、この制度を定めた 「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」 なる長ったらしい名前の法律では、まずこんなふうに規定されている。 第一章 総則 第一条 この法律は、国民の中から選任された裁判員が裁判官と共に刑事訴訟手続に関与することが司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資することにかんがみ、裁判員の参加する刑事裁判に関し、裁判所法(昭和22年法律第59号)及び刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)の特則その他の
2009.05.03 岡倉天心からアジア主義まで (8) カテゴリ:明治維新・アジア主義 明治期の日本人による英文の著作というと、新渡戸稲造の 『武士道』 のほかに、内村鑑三の 『余は如何にして基督教徒となりし乎』 とか、岡倉天心の 『茶の本』 なども有名である。岡倉は 『東洋の理想』 にある 「アジアはひとつである」 という言葉でも知られているが、それより前に書かれ、死後に公開された 『東洋の目覚め』 という文書では、次のようなことを書いている。 十八世紀の後半、東方の略奪からうまれた信用と資本によって、ヨーロッパ産業主義の発明的エネルギーが活動をはじめる。木材のかわりに、石炭が精錬につかわれるようなった。今や、飛梭、紡績機、ミュール精紡機、動力織機、蒸気機関等のおそるべき装置が完成された。農業と協力することも、人類の産業計画を十分に解決することもなしに商業主義の時代に入ったために、西洋
2009.04.13 「スターリン言語論」の怪 (4) カテゴリ:科学・言語 前々回、スターリンの民族論に触れたが、民族に関する彼の定義は、「言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちにあらわれる心理状態の共通性を特徴として生じたところの、歴史的に構成された人々の堅固な共同体」 というものだった。 つまり、彼にとって 「民族」 の問題と 「言語」 の問題は、最初から切っても切れない関係があったということだ。その彼が晩年の1950年(当時すでに71歳!)、脳卒中で死亡する3年前に発表したのが、当時ソビエト言語学界を支配していたマール理論を批判した 「言語学におけるマルクス主義について」 という論文である(参照)。 この論文は、前々回にも触れた典型的な 「カテキズム」 形式で書かれている。たとえば、次のように。 問 言語は土台のうえに立つ上部構造であるというのはただしいか? 答 いや、ただ
2009.04.07 「スターリン民族論」の怪 カテゴリ:思想・理論 ずいぶん前に、某古書店の店主(もともと大学の先輩に当たる人だったのだが、50代の若さでガンで亡くなり、その後、店も結局閉じてしまった)から聞いた話だが、フルシチョフによる 「スターリン批判演説」 ののち、あちこちの古書店に 「スターリン全集」 が大量に安値で並んだ時代があったそうだ。 その話とは別に関係ないのだが、先日書棚を整理していたら、スターリン大元帥の著書が8冊も出てきた。といっても、全部、ぺらぺらの国民文庫なのだが、たしかずいぶん昔に、古ぼけた古書店の棚の隅で埃を被っていたのを何冊か見つけて、ほほぉー、と買い込んだものである。とくに彼の 「中国革命論」 や 「十月革命論」 は、政敵だったトロツキーの著書とあわせて読むと、なかなか興味深い。 スターリンという人はグルジアの出身だが、若い頃、聖職者になるために神学校で
2009.03.28 ネット上の「怪人」たち (32) カテゴリ:ネット論 映画やミュージカルでもおなじみのフランスの作家ガストン・ルルーによると、パリのオペラ座の地下には 「怪人」 が棲んでいるそうだが、ネットという仮想空間にも、様々な 「怪人」 が棲んでいる。 だいたいにおいて、この種の 「怪人」 というのは、自分ではブログを持っていないか、あるいは持っていてもたいしたことを書くわけでもなく、他人のところに押しかけては、頼まれてもいないのに批評したり説教したり、また議論を吹っかけたりするのが好きな人たちである。 その特徴はといえば、一番はなんといっても自己評価が異常に高いことである。そのような自己評価の過大さと、そこから垣間見えるきわめて強い自信とがいったいなにに根ざしているのかは、本人ではないから分からない。 その中には、いわゆる 「一流大学」 を出たり、高い 「学歴」 を持っている
2006.12.16 男たちの帝国 カテゴリ:私事・昔のことなど 「男たちの帝国」(星乃治彦著:岩波書店刊)という本を読んだ。題はちょっと変わっているが、著者はドイツ近現代史の専門家で、副題は 「ヴィルヘルム2世からナチスへ」 となっており、宣伝用の帯には 「セクシュアリティから歴史を問い直すクィア・ヒストリー」 と書かれている。 本の冒頭では、第二次大戦中にドイツの暗号解読などで成果をあげ、コンピュータ開発にも貢献したイギリスの天才的数学者、チューリングが、「同性愛」 という 「犯罪行為」 で逮捕され、(イングランドでは、1998年まで同性愛は刑罰の対象だったという)、最終的に自殺に追い込まれたことや、アップルのリンゴのロゴが、自殺した彼に対するオマージュではないかといった話が紹介されている。 本論にはいると、まずビスマルクを失脚させて対英仏強硬路線をひた走り、第一次大戦を引き起こして、
2009.03.10 「サムライ」は日本人の代名詞なのか? (2) カテゴリ:社会 今日は、こちらはなかなかいい天気だった。それで、家の中にこもって仕事をしているのがもったいなくなり、途中で切り上げて散歩に出た。行く先は、もちろん家からやや歩いたところにあるBook Offである。 いつものように100円コーナーを眺めていると、沢木耕太郎の 『天涯』 と題した写真集の1巻と2巻、それに 『象が空を』 というエッセー集が並んでいた。ノンフィクション作家としての沢木については知っていたが、写真集も出していたのは知らなかった。『東京漂流』 の藤原新也は沢木よりわずかに上だが、沢木は、写真家として出発し、のちにエッセーでも注目されるようになった藤原とは、ちょうど反対の道を歩んでいるということになる。 沢木の単行本がBook Offに三冊も並ぶのは珍しいことだ。なので、同じ人が出したのかもしれない。
2009.03.08 レヴィ=ストロース、マルクス、さらにサルトルについて (3) カテゴリ:思想・理論 気がつけば、すでに三月である。ウグイスの声は聞かないが、あちこちで梅もちらほらと咲いている。まさに 「一寸の光陰軽んずべからず」 である。もっとも、これはちょっと季節が違うが。 一月はわずか三本、二月はやっぱりわずか四本しか書けなかった。おかげで、20万アクセスを目前にしながら、日記の記入率は日ごとに下がり続けている。とはいえ、これでもまだまだ麻生内閣の支持率よりはましなようである。しかし、せめて週に二本ぐらいはなにか書きたいと思うのだが、仕事が忙しかったりするとそうもいかない。 人類学者として知られるレヴィ=ストロースは1908年の生まれだが、誕生日は11月28日だそうで、昨年めでたく100歳の誕生日を迎えたそうだ。ちっとも知らなかった。これは、たまたまいくつかのサイトで知ったのだが
2009.02.15 二葉亭、漱石、さらに宮本百合子について (9) カテゴリ:文学その他 二葉亭四迷、本名長谷川辰之助といえば、いうまでもなく 『浮雲』 を書き 「言文一致体」 を創始した人である。二葉亭四迷という落語家のような筆名については、父親に文学をやりたいと打ち明けたところ、「おまえなんかくたばってしまえ!」 と怒鳴られたという話があるが、四迷自身によるとこれは 「苦悶の極、おのずから放った声が、くたばってしめえ!」 という自嘲に由来するものであって、親父殿に言われたということではないらしい。 しかし、若くしてこの 『浮雲』 を書いた後、彼は海軍に勤めたり、ロシア語の教師になったり、はてはハルビンや北京に行ったりと、創作を放擲して変転と遍歴を重ね、最後は朝日新聞から派遣されていったロシアでの無理のせいで肺炎にかかり、船で帰国する途中、ベンガル湾上で病死している。享年は45歳である
2007.05.13 もうひとつおまけ (5) カテゴリ:明治維新・アジア主義 いささか、くどいようではあるが、乗りかかった舟なので ということで、宮台真司の 「解説:宮崎学『近代の奈落』~ 亜細亜的相互扶助の可能性を論じる ~」 という書評から ■敗戦後、日本共産党の運動が激化したとき、共産党が広めたのが「民族」という言葉だ。同時代の水平社運動を見ると、松本冶一郎をはじめとする先達たちも 「民族」 という言葉を使っている。大和民族のことではない。意外にも部落民のことを 「民族」 と呼んでいた。 ■「民族」 という言葉は、民族派右翼という呼称があるものの、元々右翼の概念ではなく、階級概念にとってノイジーな要素に注目しつつ階級概念に吸収しようとする左翼の概念だ。右翼がこの概念を使うとき、階級廃絶では必ずしも解放されない者たちという含意になる。 ■松本が民族概念を被差別部落民に適用するときも、
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『遠方からの手紙:楽天ブログ』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く