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衆院選
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総理の緊急事態宣言の会見を見てから考えました。 緊急事態宣言は「8割人と会うのをやめて家にいてください」という国民への要請でした。その要請にあたって、冒頭に医療従事者に対する感謝、ねぎらい、そして尊敬の言葉が述べられました。温かい言葉を聞くことはうれしくて、どんな発表がなされるのかと思って聞いていました。 ですが、国民の目線に立った発言を数々なさっていたのにもかかわらず、内容は私にとって不可解なものでした。 会見の内容を、私はこう受け止めました。 「緊急事態なので、お願いですからあなたは家にいてください。それを要請します。しかしこれは強制ではないんですよ、あなたの良心と正義感に訴えているのです。お願いしますから家にいてくださいね、自己責任で。そして、あなたが仕事を休んだ分は、少しは補償してさしあげますが、すべてではありません。また、あなたの年収が補償のラインに達しない場合には補償はできませ
もう数年前になるけれど、東京大学にまだ上野千鶴子先生がいらっしゃった頃、上野先生の企画で「べてるに学ぶ降りてゆく生き方」というシンポジウムが開催された。 上野先生は「浦河べてるの家」に何度も通われて、べてるの家の思想……というか、たぶん、べてるという場の持っている価値観に共鳴されていたのだと思う。東大という「昇っていく生き方」の象徴のような場所に、べてるの家の人たちがたくさん呼ばれて、そこでシンポジウムと分科会が行われた。私はその時、パネリストとして参加していた。 「べてるの家」のことを知らない人もいると思うけれど、ここで説明をすると長くなってしまうので、興味のある方は「べてる本」と言われる、べてるに関する書物を読んで、べてるの家とはどういうところかご自身で感じてほしい。 私は2002年頃からだろうか……、べてるの家という存在を本で知り、ここの方たちと交流し始めた。かれこれ十年近くこの存在
福島県川内村から戻った翌日、友人の医師で今年から在宅医療の医院を開業した新城拓也先生と、医学書院の編集者・杉本さんと共に「尊厳死の法制化を認めない市民の会」に出席する。 「尊厳死の法制化」を求めているのは、日本尊厳死協会というところで、今国会には法律案が2案提出されているのだけれど、その内容や法制化を求める経緯などがよくわからなかったため、勉強も兼ねて出席してみた。新城先生から誘われて軽い気持ちで出かけたのだが、司会の方から指命されて意見を述べる時間をもらった。 私は「苦しい延命治療にノーと言う」自由を認めることには賛成なのである。ただ、それを「法律」として医療現場で適用する……ということに関しては反対なのだった。 一人の人間が死んでいく過程は、ほんとうに個別で、その人の人生そのものなのである。だから、誰かと比べてどうとか、あの人がこうだったからこの人も同じとか、そういう他者との比較がまる
小田和正さんの曲は、テレビCMに使われているため、よく耳にしますが、CMでは、印象的な歌詞を切り取ってしまい、その部分だけを強調して映像と組み合わせるため、ほんとうの歌詞とは違う意味に受けとっていることに気がつきました。 つい先日「言葉にならない」という曲を、偶然に全部聞いて、この曲が別れの曲であることを初めて知ったのです。CMでは、サビの部分しか使われていないので「感動で言葉にならない……」という意味に、単純に受けとっていました。でも、違ったのですね、とても悲しい歌詞だったんだ……と。 もう心は離れてしまったけれど、だけど、この人との出会いはほんとうにすばらしくて、自分にとってかけがえがない出会いで、たくさんのことを学んで、たとえ別れてしまっても自分にとってすごくすごくいいものだったんだよ、ということを相手に伝えたいんだけど、だけど、いろんな思いがこみあげてきちゃって、ああ、言葉になんか
10月25日にシンガポールから帰国。26日から福島へ。慌ただしい日々が続き考えをまとめる暇もない。福島では浄土平天文台でローエルの足跡をたどり、天体望遠鏡で天王星と海王星を初めて見た。27日から福島市へ移動。たまたま福島に来ていたヴィム・ヴェンダース監督といっしょに、飯館村の友人宅を訪れる幸運に恵まれた。穏やかだが、真摯さと誠実さをもったヴェンダース監督は魅力的だった。短い福島滞在の間に飯館に行きたいとおっしゃり、夕暮れが迫る飯館村の役場で待ち合わせをした。夕陽がきれいだった。 「私の家にいらっしゃいますか?」という友人の言葉に、監督は「もちろん」と即答。そのまま車で飯館村の森に住む友人宅へ。彼女の住まいは飯館村のなかでも放射線量が高く、庭先で6〜7マイクロシーベルト、裏山にかけては30マイクロシーベルト/時を計測する。ガイガーカウンターは鳴りっぱなしになる。この線量の高さには、ショックだ
※このポスターはアド・サポーターの安藤みちこさんが描いてくれたイラストを、田口事務所でデザインしました。安藤さん、ありがとう! ■子どもたちを、子どもに戻すために 地震と地震による原発事故があってから、福島の子どもたちは放射能のために屋外で遊ぶこともままならない生活を送っています。子どもたちは親ごさんの苦労をわかっていて、みんなとてもいい子にしているそうです。子どもたちに、せめて夏休みにのびのびと子どもに戻って大自然のなかで遊んでもらいたい、そういう大人の願いからこのプロジェクトが始まりました。夏季林間学校の試みは、阪神淡路大震災のときも行われました。今回はあまりにも被害が大きい災害だったゆえ、なかなか支援の手が「遊び」にまで及びません。 でも、なんとか、この夏休みをできる限り自由に遊んでほしい。社会が自分たちに無関心ではないことを感じてほしいと願い、教育に関わるNPOのメンバーがこのプロ
第二次世界大戦で、一般人の頭上に無警告で原子爆弾を投下したことは、加害者であるアメリカにとっても痛手になっています。それは「人間としてやってはいけないこと」であることは当然で、どのような立場、視点に立って見ても理不尽で、身勝手な行為だったからです。その歴史的な事実の前でアメリカもまた思考停止をしています。 無警告原爆投下……という歴史的事実は、多くの歴史的事実がそうであるように誰か一人の責任ではなく、複雑な因果のなかで発生し実現されてしまった「現象」でもありますから、もはやその全貌解明は難しいでしょう。しかし、実行したことは事実です。それは永遠に人類史に事実として残ります。 核を行使してしまったアメリカは、抑止力としての核をもつ以外の選択肢がなかった。それはたぶん潜在的な恐怖と不安のためではないかと思います。それゆえ誰の批判も受けない正義の言い訳が必要であったし、過剰とも思える他国への内政
数日前、平田オリザさんが韓国で「汚染水の海への放出はアメリカの強い要請」という発言をしたとして、ニュースで話題になりました。 この話題をある友人としていて、私は「平田さんの言っていることは事実だと思う」と言いました。 「事故当初から、なぜかアメリカは今回の原発事故への、世界世論を煽るような発言をしていたように感じています。それは、アメリカ人と日本人の危機管理意識の違いだと指摘されもしたけれど、果たしてそれだけだろうかと思っていたんです。アメリカは今回の福島原発事故をきっかっけにして、日本を原発推進から脱却させようともくろんでいる気がします」 すると、その友人はこう言いました。 「私は、平田オリザさんは確信犯だと思う。彼はすべてをわかっていて、それを報せるためにわざと、失言を装って発言したのではないか。この、平田発言によって、アメリカが何を考えているかは中国にも、韓国にも、たぶんアジアの国に
久しぶりに、京都で藤原新也さんにお会いしました。 夕食をごいっしょして、いろいろ被災地で感じたことなどお聞きしました。藤原さんの目に見えている世界はいつも新鮮です。写真家の人たちは、言葉にとらわれない自由な目をもっているのだなと感じます。 お話を聞いていて印象に残ったことがありました。東北の話ではありません。ネットの話です。twitterの話題になったのです。藤原さんは十代の若者をたくさん取材しています。そして、こんなことをおっしゃいました。 「twitterってのは30代、40代とわりと年齢層の高い人間がやってるんだよね。若い子たちはしない。なぜかっていうと、若い子たちはネットの学校裏サイトや、携帯の掲示板でもういやってほど辛い目にあってるんだ。だから、ネットの怖さをよく知っているので、あんなに無防備にtwitterに呟いたりしないんだよ。ネットの本当の怖さを知らない世代がやっているんだ
先日、 NHKのニュース番組で高村薫さんのインタビューを観ました。 そのなかで、高村さんが「原発の問題がイデオロギーの対立に使われた」ということをおっしゃっていました。そのことは、私も原爆の取材をしながら考えていたことだったのです。 高村さんのおっしゃっていることと、私が感じていることは、もしかしたら違うかもしれないけれど、この問題について自分なりに整理してみようと思いました。 福島原発事故……は、私たち日本人にとって四回目の被曝です。一回~二回は1945年、第二次世界大戦において広島、長崎への原爆投下による被曝、3回目は1999年の東海村におけるJOC臨界事故による被曝、そして4回目が今回です。 私は1999年の東海村の事故をきっかけに、核というテーマに興味をもって広島と長崎を取材してきました。そして、不思議に思ったことがありました。ほんとうに素朴な疑問でした。 日本は世界で唯一、原子爆
イタリアの友人からメールが来た。 「新聞では、レベル7ということでたいへん怖い記事が載っていました。田口さんは大丈夫ですか? とても、恐ろしいです」 日本語を母国語としない彼の日本語は、時として妙なリアリティをもつ。 たどたどしいような「恐ろしい」という言葉に私のほうが恐ろしくなる。 海外の専門家の冷静さと逆に、海外の一般の人たちの放射能への恐怖はとても強い。 五年前に、チェルノブイリ原発の事故により放射能汚染地域となったベラルーシの村に取材に行ったときのこと。避難命令が出て閉鎖された村に入るのに、私たちは平服だったが、イタリアの援助グループは白い防護服を着ていた。そのものものしさ、我々との感覚のズレのに驚いた。「日本人は放射能が怖くないの?」と逆に聞かれた。 あのとき、私は自分が怖いのか怖くないのか、はなはだ心もとなく「怖いような、でも、そこまで怖くないような……」という不思議な気分だっ
福島第一原発事故が発生してから、さまざまな情報が錯綜しました。非常時に風評被害が出ることは、ネット社会では避けられないかもしれません。実際にはどういう状況なのか。そしてこれからどうなるのか? 3月15日に個人的に知りあった原子力関係者の方たち、さまざまな分野の友人に声をかけて、メーリングリストを立ち上げました。私が最も信頼し、共にダイアローグ研究会を立ち上げた、原子力の技術者である東北大学の北村正晴先生は仙台で被災したために連絡が取れませんでしたが、15日にやっとメールを交換できるようになりました。それで、先生を中心に意見交換ができるような場を作ろうと思いした。 この三日間、非常に活発な意見交換が行われ、さまざまな情報がポストされました。やはり一人で考えていては知りえないことがたくさんありました。ネットワークの大切さを痛感いたしました。 意見交換されたことの主軸は「現状の危険性」「放射線被
スピリチュアルという現象について考えている。 今週末に朝日カルチャーセンターの「死生学」の連続講座の一つを担当することになっている。そのお題に「スピリチュアル」という言葉を冠しているので、自分なりの考えをまとめようと、いつも頭の隅にこの言葉を置いているのだ。 つい先日、気功の合宿をした時もその話題が出た。 このあいだ、あるシンポジウムにゲストとして呼ばれて講演をしたのだけれども、そこに聴衆として来ていた何人かの知人が「あの会のスピリチュアルなムードはちょっと……」と言葉を濁すのである。 それで、どう「乗れないのか」について詳しく質問してみた。 「そうですねえ、なんというか、みんな一緒にハッピーに……みたいな、ハートフルな感じが苦手というか……」 「もう、すごい笑顔で語りかけられてひいちゃいました」 「いきなり知らない人と手をつなぐとか、なんかやっぱり抵抗があるし……」 そういう「なんとなく
昨日に引き続き、被害の出ている宮崎県川南町の様子を報道した朝の番組を観る。みのもんたさんという、とても有名なタレントの方が司会をする番組だ。私はいつも不思議に思うのだが、この、みのもんたさんとはどういう方なのだろうか。職業としてはアナウンサーだろうが、日本のマスメディアのかなり多くの番組に出演していて、テレビをつけてこの方のお顔を見ない日はない。当然ながら影響力をもってしまっている。にもかかわらず、私はこの方のプロフィールや、たとえば何を考え、どういう主張があり、政治的にはどっち寄りで……ということも含めてほとんども知らない。 アナウンサーというからには、中立な立場であると思うのだが、政治家や大臣に「ずばっとものを言う」ところに人気が集まっているらしい。つまり、主張するアナウンサーであり、そのスタンスは「国民目線」らしい。だが、私はみのもんたさんは国民目線ではないと思う。国民目線を意識して
3月6日18時16分配信 読売新聞のネットで医師暴走、医療被害者に暴言・中傷 という記事を読み、とてもつらい。 記事の内容を読むと、問題とされているひとつが「救急で運ばれた妊婦を拒否した」事例であり、産婦人科医たちのネット上での言動が問題視されていた。 記事だけ読むと、人間の生命をあずかる医師にあるまじき言動と取られるかもしれないが、産婦人科医院の現状を少し取材したことがあり、医療全体のしくみのひずみが、産婦人科や小児科に特にしわ寄せされている現状を知った。きつい労働条件のなかで働く人たちの暗澹とした気持ちが少しわかるため、このような記事は一方的に感じて苦しいのだった。 最近、不景気の影響もあってか、妊娠してもまったく検診を受けず、陣痛が始まっていきなり「飛び込み出産」をする妊婦が増えている。妊娠すると、まず産婦人科に定期的に通い、胎児の状態を知り適切な出産方法を医師と相談で決めるのがふつ
もう一五年以上通っている美容院で……(考えてみたらこれもすごい)めったに外すことはないのだけれど、久しぶりに髪形が気に入らなかった。もう、とてつもなく気に入らない。誰がどう慰めてくれても自分的に気に入らない。髪をぐちゃぐちゃにかきむしっている私を見て、家族たちは、 「なにを言っても、自分が気に入らないものはしょうがないよね……」 と、傍観の構えである。 この人生で、美容院に行って髪形が気に入らなかったことなど、数え切れないほどある。しかし、何度経験してもやっぱりしゃくにさわるというか、気持ちがおさまらない。人間はどんなに、数え切れないほどの経験をしても、感情を制御することは難しい。腹立たしいものは腹立たしいし、ムカつくものはムカつくのである。わたしはそこで平然と「これくらいのことなんでもありませんわ」などという精神力を手に入れたいとはこれっぽっちも思っていない。よって、毎回、同じように、進
twitterを始めて半年が経過する。 最初に英語で始めて、一ヶ月ほど前から別のアカウントで日本語でも始めた。 始めたきっかけが英語の練習で、半年続けた成果として、簡単な英文メールなら書けるようになり、海外の友人たちと自分でメールのやりとりができるようになった。これはすごい成果だった。 以前は自分のメールの英文に自信がなくて、出せなかったのだ。つまり「こんな下手な英語で書いたら笑われないかな」ということ。それから、英語の言い回しがよくわからないとか、ニュアンスがわからないとかいろいろ理由はあったけれど、とにかく自信がないので気後れしていたのだ。 毎日、毎日、ひたすら英語でつぶやき続けているうちに、完璧じゃなくてもなんとか通じるらしい、ということがわかり、もちろん簡単な単語や文法も日々覚え、ずいぶんと英作文は上達した。 なにより、英語と日本語の構造の違いというものがわかるようになり、それはつ
雑誌「風の旅人」主催の細江英公さん、森永順さんとのトークイベントが終了した。 お二人に会って、ブレることのない創作姿勢に圧倒され、とてつもなく刺激を受けた。 表現という孤高の道を歩いてきた先人たちにお会いしたとき、彼らがいかに他人に対する批判や分析に興味も感心もなく、それゆえそのようなくだらないことを一切口にしないかということに打たれる。 そしてまた人からどう観られるとか、どう思われるということに関しても興味も関心もない……ということ。 だからと言って、常軌を逸しているかといえば、それどころか礼節をもち、謙虚であり、その人間としての純粋さに触れるだけで泣けてくる。冷たい水に手足を浸した時のように私の内側から浄化されるのを感じた。 あまりにも小賢しく、偉そうに自分の浅薄な知識で他人を分析して、それで自己主張をしている文章が多く、またそれを語る人も多く、その分析も「○○の言っていることは的を得
チベットの独立、それこそがダライ・ラマ法王の切なる願いだろう。 自分たちの国が独立できない、ということの苦悩。想像しようとしても私の想像力では追いつかない。 対立のない世界を願うダライ・ラマ法王をめぐって、すでに対立が起きている現実。 ところで、ダライ・ラマ法王は「仏教のひとつの頂点」に立っているのか。 仏教の多様性を考えると、それは少しばかり偏った見方にように思えてならない。 「ダライ・ラマ法王14世と日本の学者4人の対話から未来が見える」 このイベントは友人が運営に協力しており、友人からの依頼でブログにアップしている。 しかし、残念なことに私はこの日、イタリアに出張中で傍聴することはできない。 パネリストは皆、とても著名な方々である。有意義な提言がされるだろう。そしてたぶん、想像するにそれぞれの方たちはおおむね、未来のあるべき地球について、それほど努力せずとも合意できる方たちであろう。
世の中は大型連休ということですが、自由業にはそんなこと関係もなく、日々、同じように仕事場に来て、粛々というかぐだぐだというか……どうなんだろう、私を傍目で見たらどう見えるんだろうか? 他者から形容してもらいたいものですが、とにかく仕事をしている。 何年かぶりで携帯電話を買い替えたのでまだ慣れなくて、設定もうまくできなくて、四苦八苦している。このような「機械」に自分が何歳まで対応できるのだろうか……。いつか「もうダメ……」と思う時が来るのだろうか。きっと来るのだろうな。そんな気がする。だいたい字が小さくて疲れる。もう老眼だから。 民主党の意気込みが、テレビからも感じれて、これでもっと若くてイキのいい人たちが「政治家になりたい」って思ってくれたらいいなと感じる。私は、自民党政権の間ずっと、子供たちにあの政治家の答弁や立ち居振る舞いを見せるのがとても嫌だった。あんな姿を見たらオトナに失望するだろ
「幸福実現党」に関する報道は、今回、選挙速報中にほとんどなかった。 開票中はこのような状況だったらしい。http://news.livedoor.com/article/detail/4323478/ たまたま私が見なかっただけかもしれないが、キー局では幸福実現党に関しての報道を避けたかのごとくなにもせず、よくある候補者の個人的なプロフィール映像なども開示されなかった。 党首の大川隆法氏の政見放送を見た。次第に熱がこもり声が大きくなっていく。鬼気迫るような迫力があった。政策に関しては具体性に欠け「国民を守ります」という繰り返しだけが耳に残った。この選挙において残念ながら候補者一人一人の個性、思い、のようなものが伝わってこなかった。どういう党に属していようとも、やはり政治家は個人の信念がたいへん大切であると思うし、今回はそのような「個人の人間性や信念」でもって大物議員を退けた若い候補者がたく
忘れられない言葉がある。 河野義行さんに会ったときのことだ。河野さんは松本サリン事件の被害者であると同時に、警察やマスコミによって犯人の疑いをかけられ誤報に苦しめられた。ご自身もサリンによって健康を害し、奥様は意識不明の植物状態となり昨年亡くなった。今年、テレビでも特別番組が放送され、事件当時の河野さん一家の苦難がやっと多くの方に理解してもらえたが、あまりにも長い間、河野さんが受けた屈辱は「マスコミの謝罪」の一文で片づけられてきたと思う。 その河野さんにお会いしたとき、私は河野さんが「もうこの事件に関して自分は誰も恨んでいない、憎んでもいない」と言ったことに衝撃を受けた。実際に、河野さんはその後も社会復帰ができずに悩むオウム真理教の元信者の訪問を受け、友人として相談にも乗っていた。また、自分に冤罪をかけた警察に対しても積極的に関わり体質改善に協力し、またマスコミに対しても一切のうらみ事を言
最近……、twitterというものを始めた。橘川さんにすすめられたのがきっかけなのだが、最初のうちは、これの何が面白いのかがよくわからなかった。もともとネットメディア好きなので、いちおう何でも試してみる。というわけでしばらく気合い入れてやってみた。 実は最近、英語の勉強をこの年にして始めた。それでtwitterを英語教材として使用。日本語を学びたい外国人たちと交流するようになって、書き込み……twitterでは「さえずり」というが、それを英語で始めた。毎日、短いフレーズの英語を考える。まあ、多少は役に立っているように思う。間違ってると英語圏の人が教えてくれるし、こちらも日本語を教えたりする。でも、英語教材として使っている人はあまり見かけない。日本人はどちらかといえば日本人同士でさえずりあっている。もちろん母国語を使ったほうが断然コミュニケーション能力あがるから、それは当然なんだけどね。 当
台所でぼんやりしていたら、テレビで村上春樹さんの新作が百万部を越えたというニュースを聞いた。小説のなかに登場する音楽CDまで売れているそうだ。新潮社は儲かってよかったなあ、とか、この時期に小説を出した人はたいへんだなとか、いろんなこと考えた。でも、ハリーポッターと村上春樹の新作は「この時期に出すとまずいです」と編集者がアドバイスしてくれる。それくらい書店の棚は占領される。売れるのだから当然だが露出するからさらに売れるという相乗効果。その影で、店頭にすら並ばないでダンボールのまま返品される作品がたくさんあるのだ。こういう書物の流通形態や販売形態は、佐野眞一さんが言うように多くの本を殺すことになるのだけれど、だからと言って、一著者である私にはもはやシステムに対して無力である。せいぜい自分の本を講演で売り歩くなどという焼け石に水的な対策しか取れない。だから、ハリポタと村上春樹の新作の出る時は出版
「別にいいけどね」 というのは、子どもに限らず最近の若い人がよく口にする言葉だけれども、たぶんちっとも「別にいいけどね」とは思っていないのであろう。それは推察できる。 この言葉の背後には「できることなら……したいが、それが無理だと思うのでこれでよしとすることにしました」というようなニュアンスがこめられている。 だったら「できることなら……したい」という方を強調すればいいのにと思うのだが、それを強調するのは「めんどくさい」のだそうである。この「めんどくさい」もダブルの意味をもっていて「めんどくさい=やりたくない」ではなく、「できることなら……したい」という強い欲求をもつことによって生じるその後の責任や困難について、あらかじめわかっているので、それに向き合いたくない、というような感じだろうか。 で、私が常に感じるのは「先を読む」という若者の癖なのであった。 つまり、困難や責任などのめんどうなこ
世の中連休らしいが、自由業にはまったく関係なく、いつも通り仕事をしている。 休みというものがない仕事であり、休みたいという気持ちも起きない。自己責任である。休むのも働くのもすべて自分の責任において私が決めるのであり、これはかなりしんどいことである。 私は作家になったのが40歳になってからなので、そろそろ人生を見切っていたし、ある意味、遊びたいという欲求も萎えてきていたので、自然といまのペースに落ち着いていったが、自分が30代だったら、この仕事をやりきれなかったろうと思う。自分ですべてを決めていくのはきっと辛すぎたに違いない。 自分で自分をよしとする、という点において、私はかなりやれていると思う。 自分にダメ出しすることはない。やれることをやり、やったことは「よくやれた」と思える。誰から褒められなくても、100パーセント自分を褒めている。だから粛々と売れない本など書き続けられるのだ。誰も褒め
死刑囚獄中ブログ、というものがあることをネットのニュースで知った。 http://knuckles.cocolog-nifty.com/ 小田島さんという死刑囚の手紙を、支援者の方が公開している。 このブログはコメントが可になっていて、獄中の死刑囚の手紙に対してさまざまなコメントがついていた。 一般の人が死刑囚に対してどのような感覚で対応するのか読んでみようと思った。 もしこのコメントが、世の中の一般的な人たちの日常感覚で書かれたものであるなら、私は相当世の中の常識からズレてしまっているんだな、ということを自覚した。 実際、日常的に死刑囚を支援し、東京拘置所に通っているのであるからその時点で、私は一般的な人たちと死刑囚に対する感覚は違うだろう。かつては「死刑囚と関わるのは嫌だな」くらいに思っていたが、つきあいも三年になると、相手が死刑囚かどうかということが、だんだん意識から薄れていってしま
和歌山県の毒物カレー混入殺人事件で、最高裁が上告を棄却。 罪を問われていた林真須美さんの死刑が確定したことになる。 冤罪ではないか、という声が上がるなかで、状況証拠の積み重ねによって死刑が確定したこの事件は、日本の裁判の歴史に大きな波紋を残した事件だと思う。厳罰化がすすむなか、死刑制度はこれからどうなっていくのか、報道を見たときなにかまた足下がぐらりと揺らいだような気分がした。 自分に正直に感情を露骨に表現すれば、私は、マスコミ報道によって林真須美さんのイメージをしっかりと脳に定着させられており、個人感情として彼女を好きではない。彼女の無礼な態度や、ふてくされた顔、むくんだ顔、そのようなものを繰り返し十年も見せられてきたのである。私が見た報道のなかで、彼女に好意的な映像は一つもなかった。よって、私は林真須美さんが嫌いになったのである。うまく条件付けをされたのである。 「田口ランディの顔が嫌
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