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ドラクエ3
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高血圧が原因で大病を患ってしまい、まぁそこからはカムバックできたのですが血圧を下げる薬と共に、生活の改善が必要になりました。具体的には摂取する塩分を減らす、減塩生活を送らなければいけなくなっています。ゲンエンセイカツ、略してエンカツ!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ アニメ編 ・1作品につき上限1話 ・思いつき順。順位は付けない ぶおーん!ぶおおぉーん! ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 今年の仕事収めは、12月31日! 来年の仕事初めは、01月01日! 働きたくない!働きたくないよぉぉおおおおお!! だから10選 『ばくおん!!』 第11話「じてんしゃ!!」 今年はどう考えても『ばくおん!』の年だったでしょ!おおバイク、お前は風だ。 「バイクはバカにしか乗れん!」の名言が飛び出した第1話も、「バイクのない世界」で「必要なものしかない世界って、それって便利だし良いことなんだけども、それでもそれは少し寂しい」という、バイクだけに留まらないあらゆるコンテンツの存在理由を再定義した第12話。バイカーの聖地・北海道ツーリングを描いた第4話5話。スズ菌の恐怖とGSX400Sカタナの素晴らしさを示した第2話、初めて
今更と言えば今更の話なんですが、改めて。 『鉄のラインバレル』コンビの清水栄一&下口智裕両先生お二人が、自身のHPで公開していた仮面ライダーの二次創作である『HYBRID INSECTOR』が今回「東映からの指示」により更新終了、さらには近いうちに公開中止になる。ということになりました。 『HYBRID INSECTOR』はとても面白く、お二人のライダー愛がこれでもかとつぎ込まれた素晴らしい作品です。それが公開終了になるのは、非常に残念無念、実に勿体無い事です。 しかし、だからと言って東映のことを攻めるわけにはいきません。 元々『Hybrid Insecto』は非商業誌掲載の二次創作・・・言うなれば「同人」として描かれていたものです。 つまり基本的には東映による「見て見ぬフリ」によって存在が許されていた作品です。 無論、そのままならば恐らく東映は永久に「見て見ぬフリ」を続けていたでしょう。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ルール説明! ・1作品につき上限1話 ・思いつき順。順位は付けない 話、分かりたければ見るしかないでしょ! ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 『ハピネスチャージプリキュア!』 第49話「愛は永遠に輝く!みんな幸せハピネス!」 最終話(と第1話)における白雪ヒメが見せた「愛の結晶」の扱いは「プリキュアが救えないもの」を救うためのたった一つの手段なのである。それをやってみせることで、『ハチャプリ』はプリキュアが本質的に抱える問題を打ち返したのだ。 それは10周年という節目である本作にふさわしいものであった。 詳しくは『アニバタVol.12 特集:プリキュア』で書いた『プロバビリティ・ラブリーズ――プリキュア/リローデッド』を読んでください! 『Gのレコンギスタ』 第19話「ビーナス・グロゥブの一団」 個人的に『Gレコ』の肝である「宇宙にある海の
電子書籍『あのすぱらしい愛はもう二度と……――すぱんくtheはにー2014年アーカイブス』を刊行しました! 電子書籍を、(また)出します! 去年出した私すぱんくが2012年2013年中に同人誌等に書いたものまとめ『あのすぱらしい愛をもう一度』の続きとして、2014年中に寄稿したもの+お蔵入りになったもの+書き下ろしをまとめたものが出ます!ていうか本当は9月ごろに出す予定だったのですが、私が鬱期に入ってしまったために2015年も終わろうというこのタイミングになりました。でも大丈夫!面白いから!(躁転による自信過剰) タイトルは 『あのすぱらしい愛はもう二度と……――すぱんくtheはにー2014年アーカイブス』 です! 王大人「死亡確認!」 収録論考としては ・『ビン詰めの処方箋を海に投げる』 ――初出:余白のR Vol.1 特集*「アニメ評論」を考える 2014年5月 ・『たまこともち蔵・二
・「ひとりぼっち」じゃない。 まず注目したいのは第2巻の22ページで語られている「魔法」の解説部分である。 ここで大鳥は 「抽象的な意識を無理やり言語に換えるために、既存のもので補う行為では、オリジナルの本質をすべて表しきれないものよ」 と語っている。 この言葉をそのまま信用するならば、この作品における発言(特にオルベリオ星人のもの)は「オリジナルの本質をすべて表したもの」だと考えることができる。つまりこの『ひとりぼっちの地球侵略』という作品タイトルも、「オリジナルの本質をすべて表したもの」だということだ。 しかしここで改めて考えてみると、大鳥が本当に「ひとりぼっち」で行動していたかには疑問符が付く。 例えば過去編を中心とした第4巻では66ページで「今は仲間を呼ぶための準備をしているところなのだ」と語り、オルベリオが滅んだと聞かされた後(121ページ)で「ひとりぼっちになっちゃたよぉ…」と
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ルール説明! ・1作品につき上限1話 ・思いつき順。順位は付けない ということでタートルターッチ! ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ・『ミュータントタートルズ』 第1話「タートルズ参上!(前編)」 2014年を通して、総合的に一番良かったのは間違いなくこの『ミュータントタートルズ』ですよ!! こんな記事書いちゃうくらいね! 『ティーンエイジ ミュータントタートルズ』が好きすぎてヤバイ ・『ディスク・ウォーズ:アベンジャーズ』 第30話「クリス 決断の時」 クリスとキャプテン・アメリカ回……とみせかけて俺ちゃんデッドプール2回目の登場回。 ヒーリングファクターの効かない大怪我をして「このまま死ぬか」「Dセキュアされてディスクの中で生きるか」の選択に対し「自由を奪われるくらいなら、死んだほうがマシ。世の中にはそういうヤツもいるのさ」と、ここま
・「眠れる森の美女」ロマンスコーデ 劇場版『アイカツ!』のラスト、大スター宮いちご祭り!のアンコールでは星宮いちご、神崎美月、大空あかりの三人によるものであり、そしてここで選択されているコーデが非常に印象的だった。 星宮いちごが着るのは、エンジェリーシュガーのリラフェアリーコーデ である。 そしてこの3つのドレスはアイカツカード2015シリーズから採用された「ロマンスストーリー」という「物語からインスパイアされたデザイン」という括りの中で「眠れる森の美女」シリーズとして作成されている。 このアイカツカードの裏の説明に書かれている「眠りの森の美女:オーロラ姫」の紹介には「魔女によって死の呪いをかけられた美しい姫。心優しき妖精のおかげで、死ではなく100年間の眠りについた」とある。 ・神崎美月という呪い アイドルランキング1位を死守したままトップアイドルとして君臨し続ける神埼美月は、全てのアイ
『Gのレコンギスタ』第7話でのベルリの母親、ウィルミット・ゼナムが「笑う」シーンには確かに違和感があった。 例えばグダさんなどは「ストレスのたまる男たちとの仕事の前にウィルミット・ゼナム長官はカバを見て爆笑して気持ちをリセットするというライフハックをしているようだ」というように考察している(Gのレコンギスタ第7話「マスク部隊の強襲」落ちるか?飛べるか?不安!)が、だとしてもあまりに唐突である。 ここで考えたいのが「笑う」という行為に違和感を感じるということは「笑いには理由がある」と思っており、その「理由」が第7話で描かれていない、と感じているということである。 何か「面白いこと」や「嬉しいこと」があった時に笑う、とするならば確かに第7話のウィルミットには「笑う」理由が存在しない。 ならば考えられるのは、『Gレコ』の作品内で「笑う」という行為は「面白いこと」「嬉しいこと」と結びついていないと
電子書籍『あのすぱらしい愛をもう一度――すぱんくtheはにー2012~2013年アーカイブス』を刊行しました! 初秋の候、皆々様におかれましては、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。 つってね!へりくだった時は宣伝するときだよね! ということで、今回すぱんくの単著が出ます!いぇーい!単著って表現でいいんだよね?タンチョウヅルだよね? 『あのすぱらしい愛をもう一度――すぱんくtheはにー2012~2013年アーカイブス』 電子書籍での刊行となりまして、購入先は Amazon Kindle版なら http://www.amazon.co.jp/dp/B00NQ5O0FM/ref=cm_sw_r_tw_dp_XP5hub0JAC6HK epub版なら http://www.dlmarket.jp/products/detail.php?product_id=281521 からご購入いただけ
つい先日、独立行政法人国民生活センターから『カラーコンタクトレンズの安全性』というタイトルの報道用資料が公開されました。 こちらはPDFで誰でも参照できるようになっており、コンタクトレンズの販売を主な業務としている私の職場では従業員全員が確認しています。 『カラーコンタクトレンズの安全性』 http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20140522_1.pdf でこの資料に「マジかよ……」と、常々コンタクト業界の信じられない事態に直面している私でも衝撃を受けた報告があったので、ブログとして書いています。 報告書のp11から始まる内容なのですが、全部で50ページを越える資料のため、該当部分を抜粋します。(できれば抜粋ではなく資料を読んで欲しいのですが) 簡単にまとめると 「商品説明には『透明なレンズで着色部分を覆ってあるので、目に着色部が触れない』と書いてあるのに、一部商
CRPGにおけるAI戦闘システムの変化、とはいってもあくまで自分がプレイした体感(笑)でしか語れない部分が大きいので、どうしても時期は飛び飛びになりますしシステム設計に詳しいわけでもないので……肩の力を抜いて読んでいただければ嬉しいです。 ・ドラクエⅣにおける「クリフトのザラキ」 AIによる戦闘というとやはりドラクエⅣが思い出される。当時から「クリフトのザラキ」がネタにされていたように、プレイヤーによる満足度は決して高いとは言えないものだった。 その理由は恐らくAI戦闘が導入されるのが主人公:勇者となる第5章からであり、それまでの第1~4章は従来のCRPG通りコマンド選択式の戦闘が行われていることに起因しているのではないだろうか? つまりここまでのプレイで自分の思い通り(=自分が最適解だと信じる通り)に操作できていたキャラクターの行動が、突然取り上げられてしまうのである。 つまりそこで行わ
・「ジコチュー」にはなれない 『ドキドキプリキュア』における「ジコチュー」の生成過程に関して、しばしば驚きの声が散見されていた。例えば第1話においては「行列なんか無視して横入りしてやろうか」→「でもそんなわけにはいかない」というセリフの後に敵幹部のイーラによって「ジコチュー化」させられてしまう。 つまりここでジコチュー化した彼(のプシュケー)は、自己中心的な行動を「取る事ができる」と思い浮かべただけでジコチューにさせられてしまうのである。 これはこの第1話に限ったことではなく、『ドキドキプリキュア』におけるほとんどのエピソードにおいて行われた展開であり、そこには「彼らはまだ何もも悪い事をしていないのにどうして?」という同情混じりの疑問が投げかけられる。 確かにジコチューの生成過程は「自己中心的な行動が取れる可能性に気が付く」→「それを内省する」→「そこを幹部によってジコチュー化」となってお
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ルール説明! ・1作品につき上限1話 ・思いつき順。順位は付けない ということでバード、ゴー! ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ガッチャマンクラウズ 第12話『Gamification(ゲーミフィケーション)』 なんだかんだ言って今年は『クラウズ』が圧倒的に良かったですよ!というかとても私好みの作品でした。 なお冬コミにて頒布される『アニプレッションVol.6』に、『ガッチャマンクラウズ』論として「もう私たちは玲音を失わない―― 『ガッチャマン/クラウズ』から『ガッチャマン-クラウズ』へ」というタイトルで論考を書きましたので、そちらもよろしくお願い致します。 あいまいみ~ 第9話『FX』 全話が凄まじかった『あいまいみー』ですが、この回の『FXで有り金全部溶かした顔』もとい『「ぬ」と「ね」の区別がつかなそうな顔』は群を抜いていた。 ギャグ
ついに完結をした志村貴子『放浪息子』。その最終巻である15巻内で、私がもっとも強い感動を覚えたのは結末でも登場人物たちの心情が強く描かれたシーンでもなく、この巻の中では割と「なんでもない」2ページなのである。 それがこの場面だ。 この場面のコマと視線の構成がとにかく凄いのだ。 まずは左ページ4コマ目から5コマ目にかけての「ぼくもよどみなく話せた」のが「ママの聞き方がうまいんだ」という理由に思い至る部分。 右ページ4コマ目ではカウンターを挟んで「ぼく」と「ママ」が会話をしている。そして左ページ4コマ目ではカウンターを挟んで「お客」と「ママ」が会話しているのを、「ぼく」がカウンターの内側から見ている。 この二つのコマの構図は、ほぼ同じように描かれているのである。 つまりここで「ぼく」は、カウンターの内側に入ることによって先の「ぼくとママ」の会話と同様の技術を持って「お客とママ」が会話しているこ
いきなり別の作品の名前を出すのもアレだが『孤独のグルメ』の井之頭五郎は作中でこう述べる。 「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。 独りで静かで豊かで……」) 食事というのは誰かとテーブルを囲んでいても、結局のところ「私」と「目の前の皿」との個人的な対話であり、孤独なイニシエーションの儀式である。 つまり食事における所作は(それはもちろんマナーという枠があって、そこから逸脱しない範囲……あるいは逸脱が許容される範囲においてだが)その「私」に委ねられている。 そしてそのあやふやなマナーと「私」との邂逅がもたらすものこそ「俺のやり方が一番正しい」なのである。 おおひなたごう『目玉焼きの黄身はいつつぶす?』はそんな「俺のやり方が一番正しい」がせめぎあう漫画だ。 井之頭五郎が言うように食事とは「誰にも邪魔されず自由」なものだ、本来は誰からも強要されること
・「あなたに優しい場所」から遠く離れて 「居心地のいい場所を離れ、冷たい風に触れよ」 衛藤ヒロユキの出世作『魔法陣グルグル』の主人公であるニケとククリ。この二人には常にこの言葉が投げかけられる。 二人は「勇者」と「魔法使い」として生まれ育ったジミナ村を旅立ち、魔王ギリ討伐に向かう。その背中にククリの母親代わりである魔法オババが投げかける言葉が「居心地のいい場所を離れ、冷たい風に触れよ」というものである。 そしてその後にはもう一つセリフが続くのである。「それが始まりじゃ」と。 つまり「居心地のいい場所」には「始まり」は存在しない、旅立つこと、あるいはその身を「冷たい風」に晒すことでようやく「始まる」のである。 そして、ここで旅立ちの理由は覆されている。 「魔王ギリを倒すため」に旅立ったはずのニケとククリは、しかしその目的をすぐに「始まること」にすり変えられてしまうのである。それはまるで「魔王
☆★☆★☆★ご注意☆★☆★☆★ 本記事は検証不足な点や、論拠が曖昧で不正確なものが多々含まれている、穴だらけ論考です。 本来なら削除する等の措置をするとこですが、考える叩き台になることと、軌跡を残すことも必要だと思い、このまま公開しております。 近日中に推論の再検証と適切な修正を行い、改めて発表したいと思います。 「ふ~ん、まぁこういうこと言う人もいるのね~」 ぐらいの感じでお楽しみ頂ければ幸いです。 ☆★☆★☆★おわり☆★☆★☆★ ・はじめに この記事の内容は、『Webマンガにおける文字の横書き表現、その視線移動とコマ割』に関して述べる独立したエントリーではありますが、前提知識として拙ブログのこちらの内容(『Webマンガにおける視点移動とコマ割、そして単行本化について』)に目を通して頂いていると、よりスムーズなに読める内容となっております。 ・ページ内の「上手・下手」問題 元々舞台用語で
・視線と視点 Web漫画における視線移動・コマ割りについて考える為に、まずは一般的な「本」での視点移動を確認しておかなくてはなりません。 ※以下の画像での矢印は 緑の矢印(B)は「ページ内の時間経過」 赤の矢印(A)は「ページ内の視線移動」 青の矢印(C)は「ページとページの視線移動」 を表しています。 和書(右とじ、縦書きの場合)
以下の文章は、電子書籍雑誌『山脈 Vol.3』への寄稿を転載したものである。 ・メタフィクションの行方 演劇用語に「第四の壁」というものがある。 舞台というものは、左右そして奥に1枚づつ計3枚の壁によって仕切られている空間であるが、さらにもう一枚「不可視の壁」がある。 それは「舞台と客席」を隔てる透明で、しかし強固な壁だ。 その演劇がフィクションであり「現実には存在しないこと」を忘却させる約束事の一つであり、作品が作品として成り立つ為に必要な壁なのである。 そしてこの「第四の壁」はセリフや演出によって「登場人物が観客に観られている」ことを自覚する時に崩れ去る。 それは本来舞台に存在しない視点を与える事によって「異化効果」と呼ばれる、観客がより能動的/批判的に演劇を捉える作用を与えたり、あるいは喜劇的な効果を起す手段としてnon sequiturな(演劇の約束事から意図的に外れるような)意図
私たちはこの3パターンの読み方に非常に慣れている為、例えば「左とじで、左から右に展開する」アメコミであったりは読む際にストレスを感じてしまうことがある。 またWeb上のテキスト読む場合は殆どの場面において Web上で見る場合(黄色い線はブラウザ1画面の区切り) Web横書き という構造になっており、ずらーっと縦長の状態で読んでいくことになり視線移動におけるストレスは、一般的な「左とじ、横書き」の「本」よりも少ないとも言える。 一方でWeb上で縦書きのテキストを読む場合 Web縦書き このように、ページ移動時にかなり無理な視線移動を要求されるストレスフルな構造だということがよくわかる。 2ちゃんねるやブログが「インターネット」という場所で受け入れられたのは、この「横書きで下に向かって読んでいく」という表示が、文章を読むのにストレスのかからない形であったのも大きいのかもしれない。 さて、ここか
・『けいおん』の唯は幼いのか? 漫画とアニメ、両方の『けいおん』が好きな人が言うには「アニメ版の唯は幼い」ように見えるそうだ。 それは漫画で描かれていないコマとコマの間の部分・・・つまり「京アニがコマ間を繋ぐため」に製作したオリジナルの部分に強く『唯の幼さ』が追加されている、とのこと。 確かに世にいる「萌えキャラ」とされるものはツンデレにしろ何にしろ、基本的に「人格がかなり未完成」な部分を強く特徴として持っており、しかしその体は性欲の対象とするのに充分な存在である。 つまりざっくり言えば(「京アニ的な」と頭につけてもいいかもしれない)『萌えキャラ』とは"性衝動をぶつけれる身体"に"未成熟な精神"を乗せたモノである。 ・『フラクタル』の最後をもう一度考える。 そもそも何故クレインはフラクタルシステムを再起動しなければならなかったのか。 クレイン、フリュネ、ネッサの三人に共通する願いは「三人で
武士は食わねど高楊枝、などとイキってみてもそれは士業であればこその話でありそういった場所から遠く離れてしまっては、地面に這いつくばり泥をすすり虫を食っていかねばならぬのである。 自分も若い頃はいくら惨めな境遇に落ちようとも、志だけは高く置いておかねばならぬ。浅ましく生きるくらいなら「腹を切って死ぬべきである(by又吉イエス)」と思っていた手合いであり、それはまぁ正直なところ若者ならば誰しも抱く観念だ。というか今でもそういった傾向は私の中にあり、それを押さえつけるのに必死だったりもする。
2012/07/20 追記 このテキストをヴァージョンアップしたものを書きましたので、そちらをご覧頂けると嬉しいです。 【虚構】から【現実】への跳躍―『朝のガスパール』『serial experiments lain』がもたらしたもの― http://spankpunk.exblog.jp/17782090/ 【serial experiments lain】1998年にメディアミックスで雑誌・深夜アニメ・ゲームにて発表された作品。 何故か最近廉価版DVDが出た上、どうやらブルーレイで再発売されるようです。 【lain】は私にとってとても思い出深い作品で、放送時高校生だった私が深夜アニメの世界にどっぷりハマっていくきっかけでありました。当時の私が何を思って【lain】を見ていたかは流石に思い出せませんが、手元にはPSゲームの【lain】と、そのプレイを録画したビデオ、そしてゲーム内の音声を
シャダイじゃないよ遮断だよ! 今回の記事は「けいおん!!」最終回に関する論争を読むうちに思い至った事を述べていきます。 なお以下の作品のネタバレを含むのでご注意ください:ビューティフルドリーマー・千と千尋の神隠し・仮面ライダーディケイド・ゲド戦記・崖の上のポニョ・仮面ライダーW・けいおん!!・アイアムアヒーロー 「現実に帰る」物語 まず過去の作品がどのようなメッセージを発していたか、具体例とともに見ていきたいと思います。 古い作品としては、押井守の「ビューティフル・ドリーマー」から読み取っていきます。この作品において「ラムの夢の中」は幸福ではあるが閉じた世界であり、危険因子はその世界から徹底的に排除されてしまう。 そして、それを良しとしないあたるによって「夢の世界」は破壊され「文化祭当日」という「現実」に帰ってくることが出来た。 ジブリにおいては「千と千尋の神隠し」において同様のメッセージ
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