サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
tak-shonai.hatenadiary.org
3〜4年ぐらい前までは、このブログや本宅サイトの記事に、突然ものすごいアクセスが集中することがよくあった。 一体どうなっているのかと調べると、いわゆる 「個人ニュースサイト」 やブックマークからのリンクで飛んでくることがとても多い。調べのつかないのは、多分テレビか何かのクイズ問題の影響でググッた結果、ウチの 「森と林の違い」 なんかに飛んでくるのがほとんどと思われる。 ところが最近、「突然のアクセス集中」 という現象がめっきり減った。その理由は、最近の私の書くネタがいわゆる 「ウケ狙い」 からずいぶん離れて、ちょっと小難しい方面に向きがちであることだと思っていた。 個人ニュースサイトやブックマークに取り上げられやすい記事には、明らかに一定の傾向があって、トリビアっぽいものか、ちょっとオタクっぽい IT ネタ、そして釣りっぽいまでの政治ネタというのがウケる。一時は 「疑似科学ネタ」 が一世を
「発言小町」 の、「妻との会話が成り立たない」 という男性発のコメントが一部で話題になっている。妻の発言に 「主語がない」 ため、意味不明になってしまうのだそうだ。(参照) しかし、日本語というのは、主語なしでも大抵意味が通じるものなのである。いちいち主語を付けるのは、村上春樹ぐらいのものだ。 だいいち、普段の会話でいちいち 「私は」 とか 「僕は」 とか 「わしが」 とか主語を付けすぎると、日本語ではちょっとうざったい感じになってしまうことさえある。どうも、この人、言っていることがおかしい。 で、そのコメントをよく読んでみると、こんなことなのである。(以下、引用) どうも妻との会話がうまくいかなくて困っています。 簡単に言うと、会話に必要な情報が足りなすぎるのです。端的に 言うといわゆる「主語がない」というヤツです。 例えば、休みの日に子供と外出している妻から電話がかかってきます。 「そ
秋である。今日は全国的にいい天気だが、週末は崩れ、来週は 3〜4日周期で変化するようになると、天気予報は言っている。 よく 「女心と秋の空」 などと言われ、「男心と秋の空」 とも言われるが、本来の日本語としては 「男心と秋の空」 だったというのは、知る人ぞ知るという程度のレベルのようだ。 端唄 「さのさ」 にこんな歌詞がある。 あなた そりゃ無理よ 二、三日ならともかくも 十日も二十日もその間 便りもせずに ネェ ゐらりようか まして 男心と秋の空 「さのさ」 という歌は、明治の中頃から花柳界で広まったと伝えられるが、元歌は江戸末期頃から九州方面の民謡として歌われていたらしい。それが変形して今の端唄 「さのさ」 になった。 この歌が本格的に広まったのは、確実に明治に入ってからと思われる。なにしろ、いわゆる 「ヨナ抜き音階」 とはいえ、最後が西洋音階の主音で終わるのだから、江戸時代の歌であり
今話題の 「八ッ場ダム」 の話である。このダム建設計画、1952年から持ち上がって、今なおぐずぐずしているそうなのである。 1952年といえば、私の生まれた年だ。素人考えでは、半世紀以上もなくて済んでいるのだから、今さらいらないんじゃないかと思ってしまうのだが、どうなんだろう。 深く調べもしないでどうこう言いたくないので、ダム建設の必要性については、これ以上は言わない。ただ、私がものすごく興味をもってしまったのは、「八ッ場」 と書いて 「やんば」 と読むという、世にも珍しい表記についてである。 結論を先に行ってしまうと、「八ッ場」 は昔は 「やつば」 と読まれていて、いつの頃からか音便化して 「やんば」 になったのだろう。小さな 「ッ」 の字は、正式の文字と言うよりは 「やば」 などと誤読されるのを防ぐための 「補助表記」 みたいなもので、だからこそ小さく書かれてきたのだろう。その表記のみ
今朝の TBS ラジオで詩人の荒川洋二さんが、新潮社刊の 『日本鉄道旅行地図帳』 を紹介しておられた。 日本の鉄道の全線、全駅、全廃線を正確に記した全 12巻の地図帳で、販売累計が 135万部突破という、一大ベストセラーになっているのだそうだ。 荒川洋二さんは、毎月発行される鉄道の時刻表を 「読む」 という程の鉄道好きでいらっしゃるようで、この 『日本鉄道旅行地図帳』 も大喜びで紹介されている。さらにこの地図帳には 「増結版」 (「増刊」 ではない) として、『乗りつぶしノート』 というのまであるらしい。自分の乗った路線を記録する白地図である。誠に念の入ったことである。 ところで、今回私がこの地図帳を紹介したのは、全国の鉄道を乗りつぶして、『乗りつぶしノート』 を埋めていこうと呼びかけるためではない。私は別に鉄道マニアでも何でもないので。 私がこの地図帳の存在を心に止めたのは、荒川さんが
池田信夫氏がブログで 「ハンコ・元号・縦書きをやめよう 」 と主張され、それに対して松永英明氏が 「絵文録ことのは」 上で、 やんわりと反論 (参照) しておられる。 伝統的保守派を自称する私としては、自分のサイトでは元号を使っている。ブログの方は、西暦がデフォルト仕様で仕方ないのだが。 まあ、私のサイト上の表記にしても、「平成○年○月○日」 という形式ではなく、「H○年…」 という略式なので、偉そうなことは言えない。7年近く前のサイトのスタート時に、なんで 「平成」 と書かずに 「H」 なんていう略式にしたのかという理由は、全然思い出せない。ふと気が付くと、こんな表記になっていた。 MS-DOS 時代の何でも省略してファイルサイズを小さくしたがる習慣から脱皮していなかったんじゃなかろうかとも思うが、行きがかり上、そのままで通している。私はその程度の 「ゆるい」 元号派といっていいだろう。
4年前にも書いたこと (参照) なのだけれど、当時に比べてこのブログへのアクセスが 10倍以上になった今、改めて書く。「文化庁こそ言葉の意味を取り違えてるぞ!」 と。 毎年話題になって、毎年ツッコまれている、例の 「国語に関する世論調査」 で、「さわり」 の意味が誤解されているという話である。 文化庁によると、「さわり」 という言葉の意味は、正しくは 「話などの要点」 なのだが、そのように回答した人は 35.1%で、「話などの最初の部分」 との誤答が 55.0%と、半数以上を占めたというのである。(参照) だが、「さわり」 が 「話などの要点」 とする文化庁的理解こそ、はっきり言って間違いなのである。以下に、Goo 辞書の 「さわり」 の項の説明をコピーしておく。(参照) 〔動詞「触る」の連用形から〕 (1)手や体でふれること。また、ふれた感じ。多く他の語と複合して用いられる。 「手―」「
「エイゴの時間」 というサイトに、なかなか興味深い記事を見つけた。"♪reservation or appointoment? 〜 予約" という記事である。 美容院の予約は "reservation" なのか、それとも "appointment" なのかという、日本人の感覚では微妙に迷ってしまいそうなテーマを、明快に解説している。 この 2つの単語、「リザーブ」 「アポイント」 と短縮されて、日本語にも入り込んでいる。それぞれ、「予約」 「面会の約束」 というような意味で使われている。 普通、歯医者や美容院の予約などは、日本語で 「予約」 という単語で言い習わされていると思う。それに引きずられて、米国でこの方面の予約をするときも、"reservation" という単語をつい使いそうになってしまうが、普通の英語では "appointment" の方を使う。 使い分けのルールは案外単純で、"
日頃使ひ慣れし ATOK てふ日本語入力システムに、「文語モード」 なるものあるに、昨日になりて気付きたり。 「和歌ログ」 にて文語の歌詠むに、かくなるモード備はるるはやれ嬉しやと、心浮き立つ思ひにて、いにしへ人も書きたる文語てふもの今の代の我も書かむとて、試しみたり。 思ひつくまま試せしに、歴史仮名遣ひの変換は思ひのほか上手にて、これまでの如くに一度 (ひとたび) 今様の言葉にて変換せし後に、改めて送り仮名を書き直す手間も要らず、さくさくと心地よきものなり。 例ふれば、この 「例ふれば」 は言ふに及ばず、なほまたこの 「言ふに及ばず」 さてまた 「仮名遣ひ」 なども、書き改むることなく変換さるるは、我が意を得たりと喜ばしき心地ぞする。 さらに、「改むる」 など、いにしへの動詞活用も何事もなく変換さるるは、胸のつかへ下りたるやうにてをかし。一般モードにて 「あらたむる」 と入力せば 「新た
言葉の誤用を語る 「気になってならない」 というブログの 4月 7日付で、「ういういさ」 という言い方が取り上げられている。 正しくは 「初々しさ (ういういしさ)」 だが、ラジオで 「ういういさ」 というのを何度も聞かされたそうだ。私は初耳だが、このブログの管理人さんは、さぞ何度もがくっときただろう。 あまりにもがくっときた挙げ句だろうか、管理人さんがググってみたら、なんと 「ういういさ」 で 75,100件、「初々さ」 で 91件ヒットしたそうだ。「『初々さ』 を どのようにして入力したのでしょうね」 と、半ば呆れておられるが、本当に本当に同感である。 私が昨日 「ういういさ」 でググってみた時点では、約 75,000件に減っていた。もしかして、約 100件のウェブページの管理人は、「気になってならない」 の指摘をみてあわてて修正したのかもしれないなんて思いつつ、次に 「初々さ」 でグ
ちょうど 1週間前に書いた 「脳内オーディエンス」 という記事が、いくつかの個人ニュースサイトで紹介されて、木曜、金曜あたりに、いつもよりちょっとだけアクセスが増えた。 一見マニアックすぎるみたいな感じのテーマだが、結構いいところを突いた話だと思う。ネタ元の漫画家、浦沢直樹氏に感謝である。 ざっと言ってしまえば、浦沢直樹氏は自分の 「脳内オーディエンス」 に向かって漫画を書くと語っていたということである。子どもの頃から、自分の書いた漫画をクラスの 40人に見せるよりも、自分の脳内の 100万人に見せる方が良かったというのだ。 私はこの記事を、「一流というのは、脳内に一流のオーディエンスを持っている人のことを言うようなのだ」 と結んでいる。しかし、たったこれだけで結ぶのは、いかにも舌足らずだという気がする。 で、あれからさらにわかったのは、「脳内オーディエンスは、育てることができる」 という
昨日、車を運転しながら TBS ラジオの 「土曜ワイド」 を聞いていたら、永六輔さんが 「つじつまを合わせる」 という言葉の語源について触れていた。 「つじつま」 は漢字では 「辻褄」 と書く。これが和裁の用語から来ているとは、恥ずかしながら初めて知った。 まず、後ろの方の 「褄」 は常識問題の部類で、着物の裾の左右両端の部分である。そして、「辻」 はその字の如く、道が十文字に交わるところだが、和裁でも縫い目の十文字に交わるところを言うらしい。これは全然知らなかった。 で、「辻褄が合う」 とは、縫い目の交差部分、着物の裾の部分の処理がきちんと合うということで、ひいては物事の道理や筋道がきちんと合うことまでを意味するようになったもののようだ。改めてインターネットで調べてみても、そのように説明されている。(参照) で、これを受けて永六輔さんが、着物の裾を引きずらないようにちょいと手でつまんでも
私自身はかなりよく 「ありがとう」 という方なので、Yahoo 知恵袋の "店員に 「ありがとう」 と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか" というスレッドには、一瞬くらっと来た。 私がくらっと来ただけでなく、この質問に対しては、あちこちで攻撃の炎とまで行かなくても、疑問の声が上がっているようなのだ。 ごく単純に考えれば、感謝の意を示すことになんの問題もない。客と店員との間に、感謝の意のキャッチボールがあっても、全然おかしくない。逆に、感謝の意を表されることに、なんでまたそんなにねじくれた感慨をもつ必要があるのかということになる。 しかし、もう少しつっこんで考えてみると、日本語の微妙な 「あや」 という問題に突き当たる。日本語というのは、なまじニュアンスが豊富すぎるが故に、なんでもかんでも 「ありがとう」 で済ませれられるといわけにもいかないところが、確かにあるのだ。 その点、英語は単純で
長いことブログをやっている人の少なからずは感じていると思うのだが、それぞれのエントリーに対する自分の思い入れと世間の評価というのは、あまり連動しないようなのだ。 ネタ切れでしょうがなくテキトーに書いた記事が、なぜか複数の個人ニュースサイトに紹介されて、どっとアクセスが集中したりする。 昨日の昼過ぎ、当サイトのアクセス分析を眺めて、びっくりしてしまった。いつもの 2日分のアクセスを半日で稼いでしまっている。さらにお昼の 12時台は、9.25秒に 1ヒットの割でアクセスが集中していた。皆さん、お昼休みにネット・サーフィンしてるんだなあ。 何事かとリンク元を調べると、複数のニュースサイトに 2月 20日付の 「日本に世界遺産が 14件もあったなんて」 という記事が紹介されていることがわかり、またまたたまげてしまったのである。 というのは、この記事、ネタに困ってしょうがなく書いた、いわゆる 「埋め
私は日本語入力システムとしては ATOK を贔屓にしているのだが、いつも持ち歩いているモバイル用では、仕方なく MS-IME を使っている。ちょっと型が古いので、HD の容量が少ないため、我慢しているのだ。 ところが、先日、この MS-IME でちょっとしたトラブルに見舞われた。 ある文書を作成していると、単語登録しておいたはずのフレーズが変換できないのである。いつもは、例えば 「よろしくお願いいたします」 なら 「よろおね」 で変換できる。また、HTML の面倒なタグの連なりのいくつかも登録してある (こんなだから、タグをまともに覚えられないのだが)。 ところが、800以上登録してある単語 (あるいはフレーズ) のいくつかが、急に変換できなくなったのだ。 思い返せば、これまでにもこうしたことは 2〜3度あったような気がする。その度に、何かの手違いで削除してしまったのかと、あまり気にもせず
「何でこんなに当たり前のことが、わからないんだ」 と、腹を立てる人がいる。自分には 「当たり前」 でも、他の人にはそうでないこともあるということを、彼は理解していない。 そんな人ほど、「わからせるための説明」 は下手である。そして時には、いくら説明してもわからないということもある。 昔気質の職人ほど、弟子には懇切ていねいに仕事を教えるということをしない。「こんな当たり前のことは、見て盗んで覚えろ」 と言う。これも一つの教育論である。教えなくても伸びる弟子は、大変な才能を発揮することが多いし、懇切ていねいに教えなければわからないような弟子は、結局のところ、ハイレベルな職人になる可能性が低い。 しかし、何でも 「見て盗んで覚えろ」 と突き放すのも考え物である。「見て盗んで覚える」 ことのできる才能あふれる弟子に、最初からエッセンシャルな技術を筋道立てて教えると、とても短期間のうちに優秀な職人に
私は 「和歌ログ」 というサイトもやっていて、これは毎日毎日、写真 1枚と 和歌 1首のセットでアップしていくというものである。 毎日何かの写真をアップしなければならないので、いつもコンパクト・デジタルカメラを持ち歩くのが習慣になってしまった。それで、時には変てこな写真も撮ってしまうのである。 で、そんな写真がかなりたまってしまったので、その内のいくつかを紹介してみよう。 まず、つい最近撮ったのが、あるそば屋の看板である。そば屋の看板には、「そば」 というのを変体仮名で書いてあることが多く、「ば」 という字は 「者」 の崩し字で、「む」 という字に似ている。 しかしこれは、どう見ても 「む」 そのものである。ちょっと困ったことなのである。この看板を請け負った看板屋さんは、もしかしたら、あちこちのそば屋さんを 「そむ屋」 にしてしまっているかもしれない。 で、お次は今をときめく食品の表示ラ
昨日のエントリーに続いて、漢字の読みにこだわってみる。日本語って、日本にやって来る外国人に気の毒なほど難しいと思っていたが、日本人自身にも本当に難しい。 例えば、昨日ちょっと触れた 「音読み」 と 「音読」 というのがあって、これ、ちょっとした送り仮名の違いで、読みも意味も違ってくる。 「音読み」 は、うーん、何と言ったらいいのかなあ、Wikipedia では、「字音による読み方 (中国に由来する漢字の読み方)」 と説明されている (かえってわからなくなりそうだけど)。そして 「音読」 (おんどく) となると、「音読み」 という意味もあるにはあるが、一般的には声に出して読むことだ。 そして、「音読」 の反対語は、その意味によって 「黙読」 と 「訓読」 の 2つあることになってしまう。「訓読」 の方は、音読みしても意味が 2つあるなんてことはなく、その点では単純明快でありがたい。 昨日のエ
「実は…間違えて音読していたコトバランキング」 というのが話題になっていて、自慢じゃないが、私は全部正しく読めた。 その上で、「なんでここで、『音読』 と言わなきゃいけないの?」 と、何となくしっくりこないのである。音読するときと黙読するときで、読み方が変わっちゃうわけじゃあるまいしね。 もしかしたら、「音読み」 というつもりだったのかなあと思ったが、ざっと見たところ、「徒となる」 「異にする」 「あり得る」 「祝詞」 「月極」 と、30のうち 5つも訓読みがあるから、それも違うだろうし。 まあ、細かいことはさておいて、ここに挙げられたうちのトップ・ツー、「依存心」 と 「間髪を入れず」 は、本来の読み方を知ってはいるけれど、実際に使うときは、大勢に迎合して、「いぞんしん」 「かんぱつをいれず」 と言ってしまったりする。そうでないと、通じない場合もあるので。 また 「祝詞」 については、「
昨日 (1月 21日) 付の朝日新聞、P38 右肩の記事にお気付きだろうか。"絶滅危機種、使ってません/毛皮の 「ロリス」" という見出しの写真入り記事である (参照)。 私の 17日付の記事 "「ロシアリス」 を 「ロリス」 って言うなよ!" が、何らかのきっかけを作っちゃったような気がする。 「ロリス表示問題」 について、真正面から問題提起したのは、私のエントリーが多分日本で最初だ。それがきっかけとなって、朝日が業界団体に取材したのだろう。なにしろ、それまでは、この問題にはほとんど誰も気付いていなかったか、少なくとも表立って問題にしようとはしていなかったのである。 近頃、ブログが面白くなくなってきたとか、アクセスも減り気味だとか、いろいろなことが言われている。私も以前に 「ブログ限界論」 という話題について書いている (参照) のだが、これにはいろいろな見方があって、一律には語れない。
洋服の売り場とかブティックに、「お友達の着てるのをみて、あんまり素敵だから同じものが欲しくて」 と、品番指定で買いに来る女性というのが少なからずいる。 中には、わざわざ自分でアパレル・メーカーに在庫確認の電話をしてくる女性までいる。それはそれは、大した執念なのである。 私は、そんなことは夢にも思わないが、世の中には 「お友達と同じ服が欲しい」 と、本気で思ってしまう女性というのが、少なくないようなのである。 そういう女性は、「まぁ、その服、素敵! どこで買ったの? いくらしたの?」 と聞きまくり、果ては、洋服の裏側に縫い込まれたケアラベルまで点検して、メーカーと品番まで手帳に控えてしまうようなのだ。 これって、私には本当に信じられない行為なのだ。その理由を以下に挙げてみよう。 まず第一に、友達と同じ服を着るということを、ちょっと恥ずかしいと思わないのだろうか? さらに、友達には似合っても、
近頃よく目にする 「初音ミク」 というのが、昨日あたりようやく、PC にアイドル声で歌を歌わせる 「ボーカロイド」 ソフトだと知った。 で、ekken さんが 「初音ミクに魅力を感じないのは、流布している音のほとんどがカラオケだから」 と喝破しておられる。そして、「(それとは) 関係ないと思う」 との指摘もある。 ekken さんは、"ニコニコの関連動画を見ても、(オリジナルらしい楽曲も数点あるようだけど)その多くは 「ミクにhogehogeを歌わせてみた」 というものばかりで、それを聴いても 「コンピュータが歌うヘタクソなカラオケ」 程度にしか感じなかった" と書かれている。 そして、"初音ミクが非オタク層を含む多くの人に 「これはすごい!」 と思われるようになるためには、ヴァーチャルアイドルカラオケごっこからの脱却、つまり、優れたコンポーザーによる多くのオリジナル作品が必要なんだと思う
「ディベート甲子園」 と呼ばれるコンクールがあって、正式名称は 「全国中学・高校ディベート選手権」 というらしい。 今年は 8月 4日から 6日まで開催され、中学の部は創価中学、高校の部は創価高校が優勝した。どちらも上位常連校だが、そろって優勝したのは今年初めてのようだ。 創価中学と創価高校がディベートに強いと聞くと、「その卓越したディベート・テクニックを、折伏に活用してるんだろうなあ」 と、つい考えてしまうのは、人情というものである。しかし、ちょっとググってみたら、「創価エリートは現場で折伏なんかしません 涼しい部屋から指令を出すだけです」 なんていうコメントが見つかった (参照)。 ふぅん、なるほどね。本当か嘘かしらないが、エリートは現場になんか出ないというのは、どこの世界でもありがちなことで、ちょっと説得力がある。 そもそも、ディベートが現場での折伏に有効かどうかというのは、大いに疑
私は 「若者言葉」 と呼ばれるものには結構理解があるつもりなのだが、自分では決して使わないだろうという言い回しも少なくない。 その筆頭が 「違げぇよ!」 という言い方だ。試しにこのキーワードでググると、1860件もヒットする (参照)。しかし、こればかりは多分、一生使わないだろうと思う。 「違いがわかる」 とか 「違います」 なら、「違げぇがわかる」 「違げぇます」 と音便化させるのにやぶさかではない。「おでぇかん様、そりゃ、違げぇますだ!」 なら、全然許せる。 だが、「違げぇよ!」 は、どうしても日本語の法則からは発しないのである。「違う」 の [au] という二重母音は、[e:] とは音便化しないのだ。どうしても [o:] になるだろう。だから、関西弁の 「違ごぅとる!」 なら、全く問題ない。だが、何度も言うが、「違げぇよ!」 は許せない。 もう一つ、「マジすか!?」 は、他人が使う分
せっかちな私なんかは、自民惨敗ムードに飽きてしまって、もう少し冷静になりたいと思い始めていたのだが、結果は、やっぱり 「自民大敗」 程度では済まず、「惨敗」 と出た。 今回の 「反自民ムード」、思った以上に根が深いようだ。これを単に 「逆風が強かった」 程度に総括したら、大間違いかもしれない。 民主党が大躍進したといっても、これまでの実績が認められたわけじゃない。自民党側にチョンボが続出して、批判票が大量に出ただけである。ただ、この批判票は 「一時的」 なものではないようだ。 中川幹事長は 「不規則発言や政治と金の不透明感など、最後までアゲンストの風を止めることができなかった」 と述べたという (参照)。「アゲンストの風」 ねえ。ゴルフ気分ですか。 今回が、たまたま 「逆風」 の一番強い時期だったというのは、多分当たっている。しかし、ほとぼりが冷めれば、次の選挙ではまたすっかり自民党に票が
昨年の 5月 12日 「ファッションとウェブは、水と油」 というエントリーを書いた。要するに、ファッションはビジュアルの世界で、ウェブはテキストの世界だと書いたのである。 で、このほど RinRin王国 経由で、「アパレル業界が web に手を出さない理由」 という興味深い記事を見つけた。 この記事は、東京コレクションに参加しているデザイナー・ブランドを中心にして、彼らのウェブサイトがどんなものかを紹介している。 で、まず、驚くべきことに、52のデザイナー・ハウスのうち、公式ウェブサイトがみつかったのは、32しかない。たったの 61.5%。東京コレクションに参加するデザイナーのうち、3人に 1人以上は、ウェブサイトを持たないのである。 ほぼ、3人に 2人がウェブサイトを持っているんだから、そんなに驚くほどのことじゃないといえるかもしれないが、やっぱり、ちょっと変なんである。どんなに変なのか
北京の 「段ボール肉まん」 が報じられた当初は、あほらしすぎる上に、誰が書いても結論的には似たようなものにならざるを得ないテーマなので、全然反応する気になれなかった。 ところが、ここにきて 「あの報道は 『やらせ』 だった」 ということになったとたんに、俄然興味津々になってしまったのだ。 今朝、カーラジオを付けたら 「段ボール肉まん、あれ、ウソだったんだって」 「え、そうだったの? 道理で、いくら何でもおかしいと思ったよ」 なんていうスタジオの会話が流れてきた。うぅむ、それで終わりになってしまうのか。幸せだけど、つまらんなあ。 で、試しに Google ブログ検索であたってみると、この問題にふれたブロガーのうち、「なーんだ、やらせだったのか」 という単純決着派が、ざっくりとした印象で、ほぼ 3割。残りの 7割は、「本当にやらせだったのか?」 「やらせだったという報道の方が、やらせなんじゃな
地球温暖化が切羽詰ってくるにしたがって、マイバッグ使用だの、バイオエタノールをガソリンに混ぜるだの、いろいろなエコ対策が提案されているが、それぞれに懐疑論が付きまとう。 レジ袋を削減したところで、大した効果はないとか、バイオエタノールの需要増加に従って、トウモロコシの価格が暴騰するとか。 再生紙やペットボトルのリサイクルにしても、リサイクルする方が生産に要するエネルギーは大きいのだという指摘もある。要するに、リサイクルは逆に環境破壊につながる所業であって、どんどん採れたての原料を使うほうがいいのだというお話だ。 しかし、このあたりはちょっと待ってもらいたいという気がする。リサイクルの方がよりコストがかかったり、エネルギーを要したりするのは、現時点においては当たり前の話なのだ。 この社会の生産システムのほとんどは、リサイクルなんか考えなかった時代のコンセプトで最適化してある。それ以外のコンセ
当サイトの "選挙カーの 「連呼」 は 「迷信」 から生じているらしい" というページがにわかに脚光を浴びてしまったということは、4月 17日のエントリーに書いた。 これに対してこのほど、読者の方から "選挙カーの 「連呼」 は 「迷信」 ではありません" というご教示のメールをいただいた。 このメールで、長年の疑問がやっと解けた。やっぱり、「走行中の選挙カー」 では、連呼しかできないもののようなのだ。公選法には、以下の既定があるとご指摘頂いた。 (車上の選挙運動の禁止) 第141条の3 何人も、第141条 (自動車、船舶及び拡声機の使用) の規定により選挙運動のために使用される自動車の上においては、選挙運動をすることができない。ただし、停止した自動車の上において選挙運動のための演説をすること及び第140条の2第1項 (連呼行為の禁止) ただし書の規定により自動車の上において選挙運動のため
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『tak-shonai’s Today’s Crack 2』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く