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アメリカ大統領選
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先日、テレビを見ていたときのことですが、日曜美術館という番組に作家の田口ランディさんという人が出ていて、いろいろなお話をされてたんですけど、そこで「違和を感じる」という表現を使ってたのを見ました。私はこれを聞いて、ちょっと聞きなれない表現だなと思い、それこそ違和感を感じてしまいました。 いったいどのような理由で田口さんがこのようなフレーズを使ったのか、勝手に判断することはできませんが、おそらく「違和感を感じる」という言い方が、意味が2重になって間違っているという判断からこのような言い方になったのではないかと思われます。 この「違和感を感じる」という表現、私は特に変だとは思っていませんでしたが、Webを検索してみますと、間違いと思ってる人と、間違いではないと思ってる人がいるようです。間違いと思ってる人のなかには「違和感を覚える」と言い換えるのが適当と考えている人もいるようです。そのような言い
読み書きと自転車の類比は、以下の点でかなり有効である。 両者とも、文化的な産物であり、後天的に取得されるものであるということ 身体は自然科学の対象であり、自転車は工学の対象である。これについて異議を唱える人はいないだろう。 しかし、「言語は自然科学の対象であり、読み書きは工学の対象だ」という事実にはついては、まだまだ理解されていない。言葉に関する多くの議論が、この事実を認識していないことにより混乱が生じている。 両者を取得するためには、ある一定のコストがかかるということ 自転車に乗るには練習が必要であるし、読み書きを取得するには、子供のころから長い時間の学習が必要となる。このコストの問題は当たり前のことだと思われているので、コストであるという意識が薄れているが、なければないで越したことがない種類のものだ。 両者とも、先天的な能力(歩行能力と言語能力)を拡張するものであり、それらと密接に結合
すこし前に放送された番組ですが、いい内容だと思ったので紹介します。 読み書きというものが人間の発明品であるということ、そして、その発明品に人間自体がまだ十分に適応していないということ、そのことが明確に示されたのはよかったと思います。 ただ、もうすこし説明してもよかったな、という部分もあります。 ひとつには、読み書きを行うときの脳内の処理ですが、番組ではひとつの経路が示されていましたが、実のところ、読み書きの処理については、もっと多様な方法があり、文字の種類(たとえば漢字)では違う回路で処理が行われていると考えられています。その点について説明がなかったのはちょっと残念です。 しかしながら、テレビという枠でそのことを説明すると、本筋がぼやけてしまうということはあるかもしれません。これはテレビというメディアの持つ宿命でしょう。 もうひとつ、番組では「人間の体が文字に適応しきれていない」というよう
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