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衆院選
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平安前期に詠まれた「君が代」の歌詞は時代につれて変遷し、「和歌体十種」や「古今和歌六帖」においては「千代にやちよに」の部分が「千代にましませ」と詠まれるなど、いくつかの些細な歌詞のバリエーションがみられるようになりました。それから1世紀後の「和漢朗詠集」では、今日の「君が代」と一致する歌詞となり、「君が代は…」と歌われています。 「君が代」は、上記いずれも「読人知らず」の古歌とされています。そして作者は知られないまま、いつしか「君が代」の歌は、和歌の中でも古くから祝賀の歌として多くの人々に愛唱されるようになります。(宮城県神社庁, 2021 国歌「君が代」) 時には酒席などで朗詠されるだけでなく、物語や御伽草子、箏曲、舟歌、そして謡曲、歌舞伎などを通じ庶民層にまでこの歌詞は広く普及しました。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典) また、安土桃山時代においては、「君が代」は恋の小唄としても
八坂神社 本殿スサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王とも呼ばれ、祇園祭の総本山とも言える京都の八坂神社(祇園社)に祀られているだけでなく、八坂神社をはじめとする全国の鎮守社の御祭神としてあまりにも有名です。ところが記紀神話に伝えられるスサノオは、乱暴者であるがゆえに高天原から追放され、出雲に出向いてその腹いせかのようにヤマタノオロチを倒した若武者というイメージに映ります。それ故、単なる厄除けの神のような存在にも思え、日本国民が土地の神、約束の神として参拝したくなるような偉大な神とはお世辞にも考え難いのです。また葦原中国を統一したのが、スサノオの子孫である大国主神ということからしても、なぜスサノオだけが全国各地で建国の神として崇拝されるようになったのか、疑問に思えてきます。その謎を解く鍵が、「牛頭」です。 牛頭という言葉の語源には定説がありません。日本書紀によるそれらしき記述としては、天照大神に
平仮名のルーツとなる古ヘブライ・アラム文字 ※平仮名が草案された時代に用いられていたと考えられる 古ヘブライ語、古アラム語を網掛けで表記しています。 片仮名のルーツとなる古ヘブライ・アラム文字 ※片仮名が草案された時代に用いられていたと考えられる 古ヘブライ語、古アラム語を網掛けで表記しています。 平仮名成立過程の推測 ※子音と母音はヘブライ文字とバラミア文字から選別 片仮名成立過程の推測 ※子音と母音は古代ヘブライ語、及び古代アラム語を参照 関連記事:古ヘブライ文字とアラム文字をルーツに片仮名は草案されたか! 平仮名がヘブライ・パルミラ文字から創作された経緯と根拠 ヘブライ語・日本語類似表(五十音順) 読み ヘブライ語 アルファベット 意味
渡来系一族の秦氏とは? 平安京大内裏復元模型(平安京創生館)平安初期、優れた地理感と卓越した土木技術のノウハウをもって桓武天皇の治世に貢献した和気清麻呂は、秦氏らの協力と理解を得て、平安京の遷都を実現させました。その壮大なプロジェクトを推進するために、大きな貢献を成し遂げたのが秦氏です。当時、朝廷の政権において強い影響力を有していた秦氏は、平安京の造営にあたり、多くの私財を献上しました。秦氏は平安京への遷都に不可欠な大内裏を含む土地を提供した、陰の立役者だったのです。 秦氏の政治力や財力、国政に関する働きについては、教科書にもほとんど触れられていないことから、いまだにあまりよく知られていません。しかしながら、秦氏の実態を調べていくうちに、この渡来系の集団こそ、天皇家に繋がる王系一族の流れを汲む生粋の民族であり、日本文化の礎を築いた渡来系一族であることがわかってきました。神道信仰の土台を構築
「かごめかごめ」の由来 「かごめ」の語源 日本では多くの童謡が古くから庶民の間で広まり、親しまれています。それらのわらべうたの中には、意味が不可解な歌詞も含まれており、それでも人々から親しまれてきた歌もあります。中でも、最も不可解な歌詞を有するのが、「カゴメの歌」もしくは「かごめかごめ」と呼ばれる歌です。このわらべうたに纏わる逸話は枚挙に暇がなく、テレビなどでもその不思議な言葉の背景や意味、歌の主旨などが、話題として取り上げられています。 子供の頃、「かごめかごめ」と手をつないで歌いながら、目を塞いでしゃがんでいる友達の周りを歩きまわり、最後に「後ろの正面、だーれ?」と歌って、後ろにいる人の名前を言い当てる遊びをしたことを覚えているでしょうか。鬼に選ばれた友達を囲むというこの遊びから、「カゴメ」の語源は、「囲む」ではないかという説も生まれました。「囲む」の命令形にあたる「かこめ」は中世の時
「三種の神器」のあらまし 日本人なら一度は聞いたことがある「三種の神器」。それは、天皇家に受け継がれてきた秘宝である八咫鏡、八尺瓊曲玉、草薙剣を指します。「三種の神器」という言葉は日本書紀や古事記などの古文書には用いられず、日本書紀では「三種宝物」と称されています。それらの宝物を所持することは、正統な皇位継承者である証であり、皇室の大切な御守りとして古代より大切に考えられてきました。そして歴史の流れの中で、これら「三種宝物」には神聖な意味が加えられ、いつしか「三種の神器」と呼ばれるようになりました。 三種の神器「みくさのかむだから」とも呼ばれるこれらの神器の真相は、多くの謎に包まれています。「三種の神器」の実物を見たという人は、皇族も含め、今日では存在しないと考えられ、例え見た人がいたとしても、名乗り出た事例がありません。過去、八咫鏡や草薙剣を実際に見たという証言はあり、文書に記されたり語
ソーラン節の音頭と由来 ニシン漁の様子 (提供: 積丹町) 北海道では古代から漁業が盛んでした。特に日本海側の沿岸地域においてはニシン漁が盛んであり、生活の糧を求めて各地から人が漁場に集まり、ニシンを追って網を引いたのです。 そして沖合で投げた網にかかった魚を全身の力を込めて汲み上げる時、拍子をとりながらみんなで唄ったのが、「ソーラン節」です。この唄は、「沖揚げ音頭」とも言われ、その中には「船漕ぎ音頭」や「綱起こし音頭」が含まれています。 そのメロディーの唄いやすさと掛け声の響きから、いつの間にか「ソーラン節」は、日本で最も有名な民謡として知られるまでになりました。 ソーラン節の囃子詞とは ソーラン節は日本人なら誰もが知っている北海道民謡です。ヤーレン・ソーランと始まり、繰り返し「ソーラン」と唄われるソーラン節は、脳裏にしっかりと残る優しい響きがあります。 また唄の途中に「ドッコイショ」と
日本古代史 -時代の流れを描く最新の研究成果- 神代から弥生、古墳時代までの歴史的イベントを検証し、日本書紀や古事記、中国史書などの古文書、遺跡発掘資料、DNAデータなどを参考に、古代史の流れを楽しく深堀りしていきます。「日本のレイライン」の研究成果をベースに、元伊勢御巡幸から邪馬台国へと繋がる歴史の真相と背景を究明します。 日本人の起源と民族移動の軌跡 日本人はアジア大陸のどこから来たのか?島国の高度な文明を培った源流は?昨今の歴史人口学やDNA研究、魏志倭人伝等の史書を参考に日本人のルーツを検証
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