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中田喜一(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生) 0. 問題の所在 依存症 1)の問題を抱えた人の中には、SHG に通い回復を目指す人がいる。その人たちは、Adult Children Anonymous(以下、ACA)や Alcoholics Anonymous(以下、AA)というSelf help Group (以下、SHG)に継続的に通い続けている。これらの人々はSHG に通うことが長期化する人々が比較的多く存在する。2007 年に大阪で開かれたAA コンベンション 2)やビックブックと呼ばれる彼らの告白体験記を見ても通い続けて三年、五年といった長期間AA に参加する人が大半であり、グループへ長期に通い続けている人々が比較的多い。 本論では、「依存症者のSHG 通いがどうして長期化するのか」という問いを物語論の視点からアプローチする。まず、SHG の物語論以前の先行研究を検討してい
池端祐一朗 はじめに ローマ・カトリック(以下、カトリック)の教説は論じられることが多々あるが、詳細に参照されることはあまりない。熊本市の医療法人聖粒会慈恵病院(以下、慈恵病院)が「こうのとりのゆりかご」を設置したときの事例もその一つである。「こうのとりのゆりかご」は慈恵病院がカトリックであることが影響していると言われているが、実際にはカトリックの教説から正確に理解をして来られなかった。そこで、「こうのとりのゆりかご」と慈恵病院の実践を取り上げつつ、カトリック教説からみる中絶問題について見ていくことにする。 慈恵病院はカトリックの修道会(マリアの宣教者フランシスコ修道会)が設立した病院である。1978年4月に修道会から経営を移管、継承し、現在においても、病院の第一の理念として、「キリストの愛と献身の精神を信条とします」と掲げている。そのため、「こうのとりのゆりかご」の設置の背景として、慈恵
高橋慎一(立命館大学大学院文学研究科) 1 問題設定──原因と結果をむすぶ語りと身体に対するニーズ 1990年代以降、日本の性同一性障害医療とそれを取り囲む政治状況の文脈で、当事者の身体改変のニーズの原因が様々に語られている。そこで語られる原因は、生物学的な基盤をもつ身体違和であったり、性役割を演じ切れないことで受ける社会的不利益であったりする。この原因をどちらに置くかで、性同一性障害当事者のニーズへの対し方は変わってくる。端的に言うならば、身体違和がニーズの原因であるというのは、医療従事者や性同一性障害当事者の一部である。社会的不利益をニーズの原因として強調するのは、「トランスジェンダリズム」の立場をとる人々である。前者は、現在の医療システムに内在して、性同一性障害当事者の医療へのアクセスを正当化しようとする。後者は、トランスジェンダーの医療化を、性役割を割り振る社会編成を強化するものと
西沢いづみ はじめに──本稿の目的 ポリオは、ポリオウィルスが中枢神経組織へ感染することによって生じる急性ウィルス感染症である。ポリオウィルスに対する治療薬は現在も実用化されておらず、発症を防ぐ唯一の手段は、ポリオワクチンの予防接種である。1988年、世界保健機関(World Health Orgnization, 以下、WHO)により世界ポリオ根絶計画が提唱されて以来、ポリオワクチンの推奨によって、ポリオ発症数が激減した。2000年、西太平洋地域ポリオ根絶京都会議が開催され、日本・中国など37カ国・地域が含まれる西大西洋地域から野生型ポリオウィルスが根絶されたとWHOから宣言された(京都宣言)。2006年度時点におけるポリオ流行国はインド、パキスタンなど4カ国にまで減少している(庵原 2001)。 さて、日本においては、1960年に5000人を超える発症がみられ、翌年に生ワクチンが一斉投
トップページ» 刊行物 » 生存学研究センター報告書 [24] » 第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■読解/倫理 8.性差別の構造について ー江原由美子の性支配論をめぐって 読解/倫理 性差別の構造について ―江原由美子の性支配論をめぐって― 堀田義太郎 1 はじめに 「性差別(sexism)」とは、もっぱら「女性差別」を典型とする、性的な少数者に対する差別であるという認識は、多くの人に共有されていると思われる。 とはいえ、たとえば「女性専用車両」や映画館やレストラン等の「女性半額キャンペーン」などについて「男性差別だ」と主張する人は依然として存在するし、また雇用の際の「女性応募者の優遇」についても同様である。「性差別とは女性差別である」という観点からすれば、「男性差別」という言葉自体がナンセンスだとして斥けられるはずである。しかし、ではそれはなぜだろうか。「性」という属性(ま
まえがき目次スペシャルエッセイ序章 うえの式質的分析法の魅力第1章 インタビューをしてみよう第2章 カード作り第3章 要因連関図第4章 ストーリーテリング第5章 何を発見するか第6章 「障害児の(母)親」の経験を語ってみよう第7章 フォローワークセッションは結論のための準備作業第8章 「私はなぜ先端総合学術研究科にいるのか?」終章 質問集補遺あとがき参考文献資料奥付著者と参加者一覧 刊行物紀要『立命館生存学研究』生存学研究センター報告Ars Vivendi Journal雑誌『生存学』活動成果物生存学研究センターメールマガジン
トップページ» 刊行物 » 生存学研究センター報告書 [26] » 第2部 生存を脅かす秩序 3 「保守論壇」の変容と読者の教育 ―90年代出版メディア編成と言論の存在様式の視点から 生存を脅かす秩序 「保守論壇」の変容と読者の教育 ―90年代出版メディア編成と言論の存在様式の視点から 倉橋耕平 はじめに 2010年代に入り、「論壇」をめぐる研究が増えてきている(竹内 2011、上丸 2011、根津 2013、竹内・佐藤・稲垣編 2014、大澤 2015など)。とはいえ、これまでの同分野の研究蓄積は、まだまだ少ない(竹内・佐藤・稲垣編2014: 312)。とりわけ、先行研究では「論壇」の成立期と特定の媒体のマクロな変化を、特集されたテーマや知識人の動向や、創刊時の歴史経緯に着目する形で言及する歴史研究が多い傾向にある1。そして、その対象時期も成立時期から1970年代までに限られ、回顧的に
トップページ» 刊行物 » 生存学研究センター報告書 [24] » 第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 4.マイクロアグレッション概念の射程 理論/実践 マイクロアグレッション概念の射程 金 友子 1 問題の所在 近年、ヘイト・スピーチが社会問題として注目されている。「ヘイト・スピーチ」という用語によってもたらされたインパクトは大きかったし、実際、なされていることの余りの酷さもあって、在日朝鮮人を主としてエスニックマイノリティに対する差別・暴力が問題として社会的に共有された。これは80年代の指紋押捺拒否闘争以来初めてではないかと思われる。しかし言葉のインパクトが先行してしまうと、これまでの差別と抑圧の歴史が見えづらくなってしまう。あの苛烈さは近年のことかもしれないが、差別はずっとあり続けて来た。ヘイトクライムといえる事件も数々起こっている。60〜70年代には朝鮮学校の
掲載日: 2016-01-26 生存学奨励賞について、生存学研究センター運営委員および外部審査員からなる計7名の審査員による厳正な選考の結果、以下のように生存学奨励賞と審査員特別賞が決定いたしました。 生存学奨励賞 生存学奨励賞 『なぜふつうに食べられないのか 拒食と過食の文化人類学』講評 なぜふつうに食べられないのか。そもそもふつうに食べるとはどういうことか。本書は、思春期という人生の早い段階で摂食障害に陥った6人の女性たちを事例として、心と身体が正常であれば、人間は普通に食べることができるのだと措定する還元主義的な医療モデルを批判し、食べることと社会との関係の根源を問い直すことを目指したものである。 生存学は、障害や老い、病、異なりを抱えた人びとが、福祉や医療の対象とされる以前に、それぞれの生を紡いできた過程、彼らの生きる知恵や技法が創出される現場に光をあてる。そこから、人びとの経験と
田中慶子『どんなムチャぶりにも、いつも笑顔で?!──日雇い派遣のケータイ販売イベントコンパニオンという労働』(松籟社、2014年9月) 私は主に、接客サービス業で働く女性の感情労働という視点から、現代社会における労働の変容について研究しています。 感情労働とは、労働者が企業や客の期待に応えるために、自分の感情を管理しながら働くことを指します。企業は労働者に賃金を支払いますが、感情労働の場合、労働者が業務上のトラブルによって抱える感情の問題(怒り、悲しみ、ストレス等)は、その賃金との交換によって帳尻が合うと考えられています。 私は、大学院生の間、日雇い派遣のイベントコンパニオンとして、家電量販店内で実施される携帯電話販売促進イベントで働いてきました。勤務するなかで、私は度々「イベントコンパニオンは、若い女の子が笑顔で突っ立っているだけで高給与を得られる楽な仕事」、「日雇い派遣は、責任のある仕
セルフヘルプグループ「こころのピアズ」の交流会 精神障害は長らく病として治療の対象とされ、医学モデルの認識枠組みのなかで語られてきました。障害をどうとらえるかを問う言説のなかに「障害の社会モデル」とよばれる見方があります。社会モデルは、医学モデルの抑圧性を批判し、障害者のうちにある病やインペアメント(impairment)ではなく、障害者をディスアビリティ(disability)の状況に陥れる社会のあり方こそが、障害者を生きづらくさせているという視座をたてることで「障害=ディスアビリティ」の解消を目指す議論です。社会モデルの議論は身体障害を中心として組み立てられていますが、精神障害についても同じように社会変革こそが障害当事者を解放するのだと見立てています。しかし、精神障害の社会的要因に還元され尽くさない生きづらさを経験したわたしは、その主張にずっと違和感を覚えてきました。二十代でこころの病
松田 有紀子 (立命館大学先端総合学術研究科博士課程・日本学術振興会特別研究員) はじめに 芸妓(1)は、宴席に侍り芸能によって客をもてなす、女性の専門職である。京都市では、芸妓の派遣先であるお茶屋や料理屋、そして後述する置屋が集中する地域を花街(かがい)と呼ぶ。京都市内に位置する5つの花街(祇園甲部、祇園東、上七軒、先斗町、宮川町)にやってきた少女たちは、芸妓としてデビューするまでの修業期間を舞妓として過ごす。このような特殊な労働の形態を年季奉公と呼ぶ。舞妓が所属し住み込みで訓練を受ける家を置屋(屋形、小方屋とも)いう。京都市の場合、舞妓が育成にかかった諸経費を置屋に精算し、「年季」が明けるまでにかかる期間は、中学卒業後の15歳ごろから20歳までの5・6年が平均的である。置屋と舞妓の関係性は、舞妓が芸妓として独立して居を構え、「自前」になるまで続く。現在では、年季奉公の制度の維持によって
トップページ» 刊行物 » 生存学研究センター報告書 [14] » 第4章 異なる被差別カテゴリー間に生じる〈排除〉と〈連帯〉 在日韓国/朝鮮人共同体における「レズビアン差別事件」を事例に 堀江 有里 1.問題の所在 ──複合的な差別問題と記述する主体をめぐって 1.1 複合的な差別問題をめぐって 被差別カテゴリーの重層構造から創出される多重の差別問題もしくは複合差別と呼ばれるものが存在する。上野千鶴子は、かつて「『すべての被差別者の連帯』は可能か?」という問いを取り上げ、不可能であることを前提としつつ、この問い自体がはらむ問題を論じた(上野 2002: 239)1)。 たしかに「すべての被差別者の連帯」という言葉は魅力的に響くこともある。たとえば、一方では、「足を踏まれた者の痛みは踏まれた者にしかわからない」という言説はいまもリアリティをもって存在する。また「被差別の経験をもつ者はほか
童養媳(トンヤンシー)とは、中国の古い婚姻制度に基づき、成長後に息子の嫁にするために実家とは別の家に養子として引き取られた女児を指す言葉であると同時に、婚姻形態そのものを指す言葉でもある。台湾語、潮州語を含む中国語の閩南方言では、こうした幼女は「新婦仔(シンプア)」と称される。 中国では伝統的に、婚姻の際に必要な結納金は新郎側が支払うべきものとされる。新婦の年齢が上がるほど支払いの金...2024-10-01, 李思航(立命館大学先端総合学術研究科院生) 研究の現場一覧へ お知らせ イベント「多重環境化社会を生きる私・身体・心」 BKC開設30周年記念企画 身体圏研究連続シンポジウム(第3回)(掲載日:2024年10月15日)イベント「Asia Week 2024」立命館でアジアとつながる国際交流フェスタ・ブース展示(立命館大学生存学研究所)(掲載日:2024年10月09日)イベント国際ワ
天田 城介 0.「マイノリティ研究」のために 本章は、立命館大学グローバルCOE プログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト「地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究」(略称:マイノリティ研究会)(2009 年度〜 2010 年度採択)のメンバーによる『生存学研究センター報告14』「『異なり』をめぐる力学――マイノリティをめぐる研究と方法の実践的課題」の一章として書かれるものである。おそらく「はじめに」などで本センター報告所収の諸論文の紹介などはなされているであろうし、各論文はそれぞれを読んでもらえばと思う。ここではそれらについては言及しない。 その代わりに、ここでは、センター報告の「序章」として、歴史的・政策的・現実的に様々な苦難・困難を被ってきた(いる)人びとについて研究をするならば、要するに「マイノリティ研究」を行うのであれば、私たちはいま
野崎泰伸 はじめに 「生きるに値しない生」が存在するのであれば、当然「生きるに値する生」も存在する。「生きるに値しない生」という概念は、裏を返せば「生きるに値する生」の生きる権利を画定するものでもある。 功利主義の主流は、「生命の質」をよりどころにしながら、「生きるに値しない生」の存在を肯定してきた。つまり、「生命の質」──意識があったり快苦が感受できたりすること──が低い生命は、「生きるに値しない生」なのである。そして、そのようなメンバーは、生きていても死んでもどちらでもよい、すなわち、生きることが権利ではない。よって、その生にかかわる周りの者の選好により、殺すことも正当化される。 本稿では、以下のような3つの立場に注目する。 (1)すべての生は無条件に肯定される (2)生のなかには肯定されるべき生と否定されるべき生がある (3)すべての生は無条件に否定される 多くの功利主義者は、「生命
有馬 斉 (東京大学大学院医学系研究科特任助教) 序 私たちの感情的な経験はあきらかに道徳とかかわりがある。しかしそれは具体的にどのようなかかわりだろうか(注1)。 人の行為や性格が、それを見たり想像したりする私たちの中に強い感情を引きおこすことがある。たとえば大勢の人がひとりの人をいじめているのを見て憤りを覚えたり、知り合いの配偶者が他の人と性的な交渉をもったと聞いて嫌悪感を催したりする。憤りや嫌悪感だけではない。人の行為や性格を見聞きして、私たちは恐怖、悲しみ、嫉妬、誇り、共感など、他にも実にさまざまな感情を経験する。 こうした感情経験は一見して、道徳と何らかの仕方でかかわっていることがあきらかである。他人の行為や性格にたいして憤るとは一般に、当の行為や性格を道徳的に非難するときの心理的態度である。また嫌悪感を催すということも、道徳上問題があると思われる人や行為を避けようとするときの態
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