織田信長の後継者争いをめぐって起きた小牧・長久手の戦いの際に、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉が、弟の秀長に宛てた書状が東京大学史料編纂所の研究者による調査で確認されました。兄弟の関係性がうかがえる貴重な資料だとしています。 書状は、長野県須坂市にある田中本家博物館で見つかり、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授が調査にあたりました。 その結果、秀吉の直筆とみられる花押などから、本能寺の変のあと、織田信長の後継者争いをめぐって起きた1584年の小牧・長久手の戦いの際に、戦いに参加していた弟の秀長に送った書状と結論づけました。 秀吉の書状では、信長の次男、信雄がおさめていた尾張の黒田や一宮を攻め火を放ったと書いていて、当時、近くにいなかった秀長に対し、秀吉は「きっと煙が見えただろう」と冗談を交えて、敵に与えた損害を伝えています。 また、秀長に対し、敵対する織田軍や徳川軍に備えて、港が近い伊勢の城に行き