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アメリカ大統領選
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読む音楽 完全版 作者: DJ TECHNORCH,デッドボールP,槇タケポン,ARM,みらゐ,MORRIGAN,源屋,JEA,REDALiCE,masayuki,To-Mad,Betwixt & Between,kawayoo出版社/メーカー: 999 Recordings発売日: 2008/12/12メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 63回この商品を含むブログ (10件) を見る日本のクラブミュージックの一つのシーン、領域から己に分析的にあたり、そこから敷衍してクラブミュージックのより大きな部分を見ようとする試みとして、ひとまず読んだ。キーワードはジャンルとしての「ゲーム音楽」「ハードテクノ」「ハードコア」「ナードコア」「J-Core」など。それから「音楽を聴く」ということはいかなる営為たりうるか、という音楽論。こちらがテーマとしては本筋。いえば、一億人総作り手、というような
明日は蒲田で文学フリマ! http://bunfree.net/ 関西在住関西人のぼくですが、ちょろと食いつかせていただきました。 QuickResponse - そこに意味をお与えにならなかったので 媒体としての本はなし!なのです。QRコード&モア&モア! QRコード読めますか?あなたのマシン!読むのです! ぼくは今回参加させていただくことで、見事QRコード巧みに読み取れる人間になりました。 というわけで、文フリいらっしゃる方是非の是非読み取ってくださいませ。 で、 id「alta」のナガモトさんのブースとも提携! http://d.hatena.ne.jp/alta/20090509#p1 諸ブースでオリエンテーリングなのです。スタンプはありませんがQRコードだよ! だからほらほらレッツラ蒲田!
弾き語りアルバムを出しました。「春に狂わないわ〜弾き語り集」です。音源はフラッシュプレーヤーでも、まとめてzipでも落とせます。是非是非。 http://iwaoka0.com/no_mad_on_spring.htm ジャケットとてもいいので、欲される方はもう是非お買い求めいただけましたら。 以下はCD出すにあたって考えてること考えてたこと。 - デジタルデータは整備されたインフラ上では複製コスト移動流通コストがほぼ意識されないです。貨幣経済交換経済において、「あくまで」データのレベルでは、それすなわちタダを意味する、といってももういいでしょう。それでも言いすぎかしら?著作権や既存のビジネス構造を無視なんてしません。それらが無効とされる危機にある、脅威にさらされているということは、その実際的な内情はともかくもさんざっぱら言われていることです。デジタルデータがタダだとして、だからこそ問題が
http://www.k2.dion.ne.jp/~prse/hpma/2008/ わーい、楽曲大賞。 - 「楽曲部門」 1位「恋愛♥ライダー」Buono! 2位「タンタンターン!」MilkyWay 3位「ダーリン I LOVE YOU (Berryz工房 ver.)」Berryz工房 4位「ラッキーオーラ」真野恵里菜 5位「16歳の恋なんて」安倍なつみ & 矢島舞美(℃-ute) 点数はデフォルトで。 「恋愛♥ライダー」は去年の曲だとすっかり勘違いしてた。リリースペースが速いBuono!さんなのですね。この曲は今年の楽曲大賞に入れたいと以前から。とばしっぱなしの一曲。PVもよかったなー。ボーノの中でも他に選択候補がないわけでなはなくて、じゃあ何でこの曲なのだろう。単純にAメロの勢いが好きだからなのかも。ボーノはシングル曲をよく聴いてる。アルバムはバランスよかったような気がするがあまり聴い
うまいこと結びつくかもしれないので。 - ライムスター宇多丸『マブ論 CLASSICS』出版記念トーク&サイン会 参加メモ+++ - 死に忘れましたわ Imamuさんのエントリーから色々ぼつぼつとりとめもなく考えていたのだけれど。 自分にとってはハロプロの音楽はアイドルソングじゃない、という気がする。アイドルソングを称揚する美学あるいはそういう態度があるとして、それと自分がハロプロの音楽を称揚する態度は異なる、と言いたい、ただそれだけなのかもしれない。ハロプロヲタの自意識か。 一つ態度として、例えば、松田聖子とか早見優とかおニャン子クラブとか適当に選んでみて*1、彼女たちが唄った曲がそれ自体として価値がある、いい曲である、あるいはよい作詞家作曲家が制作に携わっているとかも含めて評価すること。または、時代背景とか芸能の歴史を遡及して何かしら固有の価値を見て取って評価すること。そういうのを想像
ぼろぼろになって打ちひしがれてみじめなまま汚泥にその肢体をたゆたわせる末路までが、アイドルヲタの生の一連でも、その存在を肯定する。聞こえのよい妄言だろうか。許容されうる限りでの社会のモデル、ロールプレイへの帰還を半強制的にか約束されて、アイドルとそのヲタはどうにもぬるい眼差しの中、一時の宇宙遊泳のため切り離される。感化院への隔離。最初からその結末は押さえられている。だとすれば、上に肯定されたアイドルヲタの生は、一つのテロルになりうる。 いえ、なに、両立なんてできますよ。バランスの問題なのです。アイドルという言葉やヲタという言葉を勝手にこり固めて盛り上がらないでください。それらは十二分に社会的なのですから。社会において社会化するプロセスにおける儀礼的な他の概念と何ら変わりはないのです。アイドルヲタはただの趣味です。特別視神聖視しすぎているのです。肩肘張らないで、ポップにやりましょう。 放って
http://d.hatena.ne.jp/hejihogu/20080406/p4 基本的にアクセス可能性自体には何の担保もないってことで、コントロール不可ってのはまったく同意だなあって思いました。これは責任とか期待とかの次元じゃなくて、ウェブってまずそういうものだ、という認識。で、その上でどうやってコミュニケーションしていくか?って話が出てくる。モヒカン、ムラといった規定がそこで生きたりする。 とりあえずブログもブックマーク(コメント)もツールという意味では同じ。原理的に文字メディアとしてある。そこから「読まれる」可能性の次元の広大な領野が開ける。「誰が書くことで何が違うだろう?」、これは反語でしょうか、どうでしょうか。「強度」といった概念がある。これは示唆的であるけれど、ただの感情の過剰な投影に過ぎないかもしれない。何が強度を支えるかということを指摘することは難しい。というのは、その
ululunさんが書いてらっしゃたので。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20080212/1202786275 - 極論なのですけども、ウェブにあるデジタルデータへのアクセス可能性−操作可能性の前で、全ての規範は無効だとするのがまず考え方としてベターなんじゃないかと。著作権違反とか、道徳心とか、同情心とか、共感とか、著作者の心の痛みとかあるいは喜びとか、タンブラーのウェブ文化に対する寄与性の有無とか、ウェブ上の文物のあり方、その所有の形態についての保守的なまたはラディカルな見解、ウェブ成員によるそれらの共有の程度とか、これは無断リンク禁止とか、あれはOKとか、どれだけ言ってもどうしようもない、およそ普遍的な問題のように受け取られるのは、結局インターネットデジタルテクノロジーのレベルと、それら規範のレベルが端的に関係ないからだ、と。そういう唯物、技術のレベルに対し
それは暖気の上昇から始まる対流でした。部屋はとても寒いのですが、一般に寒さには質差があるのです。寒気のグラデーション、階層毎に鳴る響く音が異なっている、そんな様子を想像してください。床に程近いところから遠慮がちに層をなじませなじませねぶり昇るハロゲンのエネルギーは、そこここでシャガールブルーの摩擦抵抗の火花を散らして、おおまかには拡散気味でありながらも確実に上昇を重ねます。そしてそんな対流現象に反射するイメージ群こそがこの部屋の内実です。 ノックがあったので「亀井さんお入り」と、大量生産→消費が疲れた夢、コピーの産物であるところの出来合いドアー越しに声をかけてみると、それ自体には特別何の感興も持たないかのように寒暖の対流を適当に開いて滑り込んできた彼女でした。その黒目は漆のように静かな爛々を矛盾せず含み佇ませ、そのつと吊られた口角は絶えずうっすらと微笑みをたたえるかのようで、複雑に蒼い成層
16歳の恋なんて アーティスト: 安倍なつみ&矢島舞美(℃-ute),KAN,添田啓二,小林信吾出版社/メーカー: hachama発売日: 2008/01/16メディア: CD クリック: 23回この商品を含むブログ (59件) を見るitsで。各メディアスルーしていたので、初めて聴いた。 「16歳の恋なんて」はメロが随所KANで贅沢気分。特にサビ、舞美さんが唄ってる前半の前半上昇4蓮音の相関、なっちの後半のそれとの相関。 やじーのサビパートの前半 |E |D#m7-5 G#7|C#m |G#/B# C#m|〜 なっちのサビパートの前半 |E |D#m7-5 G#7|C#m |Bm7 E7|〜 コードで言えば偶数小節の進行、そこに乗っかるメロ「の恋が」「(わ)からない」「(こ)いなんて」「おもいで」などの4音がそれぞれ反復されていくのだけど、繰り返される毎にどんどん意味が変わっていく、強度
僕はあなたの気持ちを、感情を決してわかることがないだろう。同じように彼女のそれについてもわかることはない。僕は彼女を彼女たちを友だちだと思っている。僕自身、こんな風に表現することで、ちょっとしたあるいはかなりの気ちがいであると周りに判断されることを、それ自体としてはあまり気にもとめないけれど、それでも僕はそう判断されることがたいてい状況を好ましい方向へ運ばない事を経験的に知っている。そして幸運にも何とか気ちがいじゃないフリをする事ができるので、TPOに応じてそうすることだろう。本当の本物の気ちがいはちゃんとTPOを知っている。気ちがいの話は別にいい。 僕はあなたの気持ちを、感情を決してわかることがないだろう。でもあなたの気持ちに、感情にそれとして触れることができた。そう思った。その経験はそれ自体でとても嬉しいことだった。共感というものかどうかは知らない。 僕はステージの上の彼女を想像する、
「さよならだけが人生でしょー。死ぬまでの極上の暇つぶしにそれ以上の何を期待するの?」 へその緒で首吊り自殺したアイツに言うつもりだ。交換は全部でたらめなので、それが根拠の世界がでたらめでないはずがない。それでもそんな中ででも交換できないものがあるなら、それは? 「冗談はよしましょう」 ニーチェは100兆回発狂して死ぬだろう。 「そーゆー運命を愛しなさい」 他人の不幸で自分の幸福を計ることが得意だ。 「同情にすり替えませんように」 かっこつけられなくなったら、自分に嘘をつけなくなったら、おしまい。 「さよならだけが人生」 また一から嘘をつき始めるかあ。 「あなたは本当に肯定できるの?」 俺以外の他人のことなんて知らないよ。返報の期待が全くない交換、つまり純粋贈与があるとしたら、それは俺だね。 「答えになってません」 俺は交換できやしない。 「冗談はよしましょう」 聖人になるのでないなら、「良
アイドルはオタクなのサブカルなの - 死に忘れましたわ アイドルはひとつの運動である―ニコニコ動画のPerfumeサマソニ音源によせて - ニート☆ポップ教NEO アイドルを語る可能、について。 - 観点としての局所的な「オタク」と「サブカル」。 http://d.hatena.ne.jp/yomayoma/20060424/p4の頃からほとんど認識は変わってないな、と思う。根っこの印象でいえば、相対化してみて ・オタクは、より、情熱的(主体的)、サブカルは、より、そうではない(客体的)。 ・オタクは制度的な迫害の対象、サブカルはそうではない。 あと蛇足だが ・サブカルはオタクに片思い って風に受け取ってる。2項目の制度的云々はぼんやりながらも言いすぎだろうか? オタクもサブカルもその閾値がぐっと下がった。これはImamuさんのhttp://d.hatena.ne.jp/Imamu/200
また類概念に個人が殺された。 「アイドル」を呪う。 「アイドルとヲタの関係」一般を呪う。 死刑の仕組みに似ている。 良心とか道徳というベクトルを個々に蓄積させて システムは構築される。 制度における自発という幻想。 - 文字通り、その人そのものという意味での 「個人」などはロマンチシズムの抽象に過ぎないかもしれない。 かけがえのない「藤本美貴」というあまずっぱい抽象。 強弱問わない環境全ての引力に歪められる個人、 マクロの権力の流動における一符牒でしかない個人。 それは極端なイメージだとしても、侮れないリアリティを力を持っている。 「個人」という類概念において「個人」であることが 当の「個人」から「個人」を永久に引き離す運動になる。 人間は早く進化して、惰弱な知性や理性を棄てなければならない。 相対主義なんて大ウソだ。 ポストモダンもウソ。 ウソはばれたら途端に本当になって、つまらなくなる
俺は二人の人間に分裂して、やぐの前で闘うことにした。勝った方がやぐを貰うからな。 「擬似恋愛か、本当の恋愛か、それが問題だ、やぐ、いやちがう、やぐ落ち着け落ち着くんだ。恋愛に本当も擬似もあるもんか、なんていったら、それは屁理屈だといわれる、運が悪ければ、あいつは恋愛したことないヤツだなどと後ろ指を差される。本当の、もう少し穏当に言ってみて、一般的な恋愛においては、他者、つまり恋愛の対象とのコミュニケーションが欠くべからざる要素であり、それが「現実」のおとしどころとやらで、ひとまずその「現実性」とやらを抜きにしても、その要素が恋愛の擬似か本当かの判断根拠たりうる、という結論はなるほど論理的には一つ正しそうだ。「現実」はおせっかいだ。そして「現実」の奴隷になったヤツがルサンチマンを発揮して、お前も現実を見ろ、という。だがここでそれは奴隷根性ではないか、などとついぞ放言してはならない。俺が妄想の
アイドルという概念に対するハロヲタについて、考えた。 ・アイドル新古典主義 従来の「アイドル」概念、「アイドル」像、共有されていると考えられるそれらを保護せんとする主義主張。 原理主義→ 旧来のアイドル概念を強固に主張し、そこにおいては死する事もいとわない。原理を守る現実的な手段としてまれに「消費者の権利」やテロ(それら原理を脅かす現実的な物事に対する物理的排除)を持ち出す場合がある。 右派→ 時代は移り状況は変れども、やはり「アイドル」の本質は常に変らないと考える。「アイドル」であることがその「アイドル」自身を現実的に保護、維持しうることから、この主張をとるというプラグマティックな側面もある。 左派→ 当の「アイドル」概念を適宜刷新改変捏造したりする。そのためそこで扱われる「アイドル」概念の同一性については諸説あるだろう。その行動の一例として、「アイドル」概念にそぐわないアイドルからは離
VERY BEAUTY アーティスト: Berryz工房,鈴木俊介,つんく出版社/メーカー: ピッコロタウン発売日: 2007/03/07メディア: CD クリック: 19回この商品を含むブログ (105件) を見る 「蝉」を思い出す。それは例えばアコースティックギターのリズムカッティングとか、ミディアムテンポのバラードであるといったような楽曲の表面的形式的な要素によるものだけではないのだと思う。いや積極的にそれらは違う、そういうことではないのだといってみてもいい。それらはただの印象のきっかけ。 それは図式的な相似によるのだ、と仮定する。僕−「唄」−ベリという図は、どの唄においても、いやもっと広く聴取という意味で普遍な、一般的な一モデルなのかもしれないけれど、その図自体を先鋭的に自分自身で、メタ的に同時に主体的に引き受けざるを得ない、という点で特異な楽曲(あるいはそういう「楽曲的」状況)が
別に何ということもない。ただちょっとハロプロが好きなだけで、その中にはよすぃこがいて、みんながいて。ハロプロ的状況。その中のよすぃこ的状況。 よすぃこ悲しんでいるだろうなあと想うと当然悲しくなる。 それと同じように、新聞の中ののがメッシと並んだら勝手に得意げになる。かおりんがヒロインになると聞いて嬉しくなる。圭ちゃんの交友関係やっぱすげー!とか。少し拡大された日常。生活。 芸能界とかアイドルとかファンとか、言葉はどうしても窮屈だったり手に負えなかったりする。それでも死ぬまでは言葉で喋る(しかない)。例えば、語りえぬものについて沈黙するということ。言葉が存在の家であるということ。全て物事はあきらかであり、その上でやはり誤解誤読し続けるということ。言葉にまつわる私たちの運動。 よすぃこは友達か?知り合い?赤の他人?関係をそういった役割や類的概念で規定するということの反対極に、自己を自己の関係で
メモ - - ・ストーカーと何が違うのか 直接的か間接的かは、量の問題であって、 質的には同じではないのか?という自己批判。 もっと根本的には人間をアイドルという偶像商品として消費していることに 必然的といってもいい非合理があるのでは。人間を非人間として扱うこと。 消費社会の人間性の非合理。交換の暴力へ。 ・加虐感に苛まれること ・技術、インフラとしてのネット 技術批判の可能 例えば、技術によって媒介変容された人間精神自身が 当の技術を批判できるか? ・無邪気にハロプロを楽しむことはできなくなる? - ・道徳を持ち出すことができるのか ・方法論としての道徳 - ・背景にある権利闘争(幻想)、擬似相対主義 「人に迷惑をかけなければいい」 「個人の自由」 「人それぞれ」 エクスキューズはあれども、行為の自律的な原理がそこにはない。 →逆に「人に迷惑をかけるから○○をしない」ということはどういう
activeエレンさんの24日付けの記事、 コメント欄id:CharlieGordonさんの 萌えの中の1要素として物語があるのだ、と考えるのが「萌え派」、 物語の中の1要素として萌えがあるのだ、と考えるのが「ものがたり派」。 の後者がピンときました。 やっぱり「萌え」だけってのは怖いです。不安。 一挿話としていつも引き合いに出すのは亀井絵里の写真集「DAYS」です。 あれが僕の中で一つ「萌え」の象徴になってまして。 その「萌えろ」って暴力的なメッセージにより、 「萌え」不感症になるのではなかろうかと思いました。 それまで通りには「ものがた」れなかったのです。物語不全。 「ものがたり」に何を期待してるのだろうか。 コミュニケーションかもしれない。イデオロギーかもしれない。 よってたてるものを何か感じます。 「萌え」を否定するわけでは決してありません。 ハロヲタの一文化的態度としてそれは流通
teentrashさんの10周年に呼んでいただきました。 十三で演奏してきます。 http://tk104.seesaa.net/article/223505719.html http://www4.ocn.ne.jp/~c.water/sche1111.html 今日はいい陽気なので軽装 かなもけんさんにジャケット作っていただいたベストアルバム 「characters」 http://kanamokenten.jottit.com/ 本日、四谷で演奏してまいります。かなもけん展のオープニングイベントに呼んでいただきました。たまたま近くにいたり、ご都合合ったりしたら覗いていってください。覗いてみてああこれなら、という場合はずずっとそのまま中にお入りください。 イベント場所は四谷ひろばです。収容人数が30人強です。一杯になったらごめんなさい。反対にガラガラだったらくつろいでください!いずれも
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