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懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 yyoshikawaさんより、その解体状況について何度かコメントをいただいている京浜急行(京急ではありません)の高架橋。 今回はこの高架橋の生い立ちについてのお話です。 昭和10年頃の東京~品川間の線路配線は、概略以下のようなイメージでした。 ・この当時、東京~田町間は列車線と電車線の複々線でした。 ・列車線は東海道線の列車(まだ80系は登場していませんので電機牽引の客車列車のみです)と横須賀線電車、電車線は京浜線電車と山手線電車という使い分けです。 ・山手線の電車は環状運転、京浜線電車は桜木町駅~大宮駅間で運転を行っており、両者は田町~田端間で線路を共用していました。 ・東京駅には客車操車場が、品川駅には貨車操車場が設けられていま
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 1978年(昭和53年)の屋代駅の様子は過去に記事にしていますが、その時に公開していなかった写真がありますので改めてご紹介します(似たような写真ばかりですが(汗))。 撮影日は特記以外はすべて1978年(昭和53年)12月27日です。 ・上りホームから高崎方を望みます。 ・下りホームです。 ・貨物1・2番線です。 ・直江津方です。 ・社1番線にはED5102が、社3番線には長野電鉄の電車が止まっています。 ・ED5102は長野電鉄の貨物営業廃止により相棒のED5101とともに翌年越後交通に譲渡され、越後交通のED511・512を駆逐することになります。ところがこの越後交通のED511・ED512も実は元長野電鉄の車両であり、ED51
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 青森から大きく飛んで、今回は名古屋です。 過去の記事も合わせてご覧ください。 まずは1931年(昭和6年)10月。※ ・昔の名古屋ってこんな感じだったんですねぇ。 ・中央線は山側に頭端ホーム、そのため東海道上り線ホームは異様な長さです(縦列で止めてたりしてたんでしょうか)。 ・東京方は4線で、海側から臨港線、東海道上下線、中央線です。 ・機関区には2基の転車台・扇形庫が。 次は高架化の計画図。※ ・名古屋駅は1937年(昭和12年)2月に高架化のうえ移転を行っています。この図はその計画段階の図ですね。これだけの駅を丸ごと移転させることが可能なほど当時は用地確保に余裕があったんですね。 ・ホームは3面6線から4面8線になるようです。
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 大船駅は横須賀線・根岸線の分岐、大船電車区、大船工場、湘南貨物駅など、趣味的には大変興味深い駅です。 まずは1935年3月。 旅客関係の本線は概略下り3線・上り3線の計6線で、これに貨物用の本線が5線あります。 東海道線上下直通列車及び横須賀線下り直通列車には複数の進路が用意されていますが、横須賀線上り直通列車場合のみ旅客上り1番線の1線しか進路がありません。逆に横須賀線上り列車は旅客下り3番線で久里浜方に折り返しができますが、それ以外は折り返しができません。 東京方に渡り線があり、旅客線←→貨物線間で転線ができるようになっています。神戸方にもそれらしき渡り線がありますが、こちらは非常用か何かでしょうか、列車の運転には使用できません
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 突然の突飛なタイトルでスミマセン。 昔、本か何かで「品鶴線」という文字を目にしました。 「品鶴線」? 「シナツルセン」? 時刻表には載ってない・・・。 というわけで、なんのことやらさっぱりわかりませんでした。 当時私は東京の北東部に住んでおり、どちらかといえば東北線や高崎線、常磐線等がなじみの線区でして、東海道線についてはあまり縁のない線区でした。 「品鶴線」の存在を知り、後にそれが東京と東海道線方面を結ぶ貨物の大動脈であることを知って、東海道線の貨物列車がどのようなルートで東京に到達しているのかを理解することとなりました。 その後幾多の改良が行なわれ、現在では「品鶴線」も貨物線というよりは旅客輸送主体の線区へと変貌しました。 今回
信濃大町駅は立山黒部アルペンルートの長野側玄関口 (ぱふぅ家のホームページ) Rail Magazine Vol.416 2018年5月号購入 - 東京貨物ターミナル駅の謎 (Nゲージ立川駅レイアウト作成記 - Nゲージについて語るブログ) #004 信越本線 豊野駅 構内側線 (車止め百景) 線路巡礼1990:栄光の「つばめ」駅 (線路巡礼♪) 北の線路1、線路巡礼:上沼垂信号所(二つの貨物線が分岐する豪華な信号所) (線路巡礼♪) 武術家ら甲冑姿で戦国演義 関ケ原で再び「合戦」 (ローカルニュースの旅) 第90回 汐留貨物駅 その7 昭和61年 (アナログからデジタルへ) 上越線 - 小出 (レイルエンヂニアリング) 上野駅は技術者たちの職人芸の極み (上海ワルツ NEW) 線路巡礼1992:信越本線戸倉駅の砕石線(あの線路はどこに行くの?) (線路巡礼♪)
懐かしい駅の風景~線路配線図とともに 線路配線を調べるために1980年前後に訪れた国鉄の駅の風景です。 順次追加してく予定ですので、興味のある方はお楽しみに。 奥羽本線の各駅の配線図のご紹介の続きです。 今回は上飯島駅、大清水信号場、大久保駅、羽後飯塚駅です。 最初は1961年1月(※1) ・この時代、上飯島は駅ではなく信号場です。 次の追分駅は以前ご紹介しておりますのでこちらをご覧下さい。 追分配線図 追分 1978/10/4 ・大清水信号場はまだ開設されていません。 ・大久保駅には副本線があります。 続いて1977年3月(※2) ・1963年10月に上飯島信号場を含む秋田操~追分駅間が複線化され、この時上飯島信号場はいったん廃止されました。 ・その後1964年2月に上飯島は「格上げ」される形で駅として復活しています。 ・大清水信号場は1964年9月に開設されました。一線スルーです。 ・
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