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ドラクエ3
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★ 『千字文』とは、南朝・梁(502-549)の武帝が、文官・周興嗣に文章を作らせたものと伝えられる。 ☆8文字対句=計125句(合計1000文字)から構成されており、全ての文字が異なっているのが特徴である。後年、多くの書記官が表記しているが、智永の「眞草千字文」が最も普遍的である。 ●001 天地玄黄 宇宙洪荒 (てんちはげんこう うちゅうはこうこう) 天の色は黒く地の色は黄色い。宇宙は広大である。(天地宇宙と大いなるものから始まる) ●002 日月盈昃 辰宿列張 (じつげつはえいしょくし しんしゅくはれっちょうす) 太陽や月は満ち欠けがあり、星は空に布きならんでいる。 ●003 寒來暑往 秋収冬藏 (かんきたりしょゆき しゅうしゅうしとうぞうす) 春の寒さが来て次に夏の暑さが来て去る、秋には生物の生長が収束し、冬にはかくれる。(四季の変化循環をいう) ●004 閏餘成歲 律呂調陽 (じ
孔子は儒教。老子は道教。老子の道は孔子と異なるに似たれども、その帰する所は一意なり 「論語」「老子」 松尾芭蕉、湯川秀樹(ノーベル物理学者) も傾倒した老子・荘子の思想 (旅人ヨリ) 老子の著書と伝えられる道家の経典。二巻、八十一章。戦国時代初期から中期頃成立。現象界を相対化してとらえ、現象の背後にある絶対的本体を道とし、 それから付与される本性を徳とし、無為自然の道とそれに即した処世訓や政治論を説く。 道を宇宙の本体とし、道に則った無為自然・謙遜柔弱の処世哲学。道徳経。老子道徳経。 老子の深遠なる宇宙の法則の中心は三つ (一、万物は陰陽で成り立つ), (二、万象は道(タオ)に基づく), (三、道(タオ)の領域は至福の領域) 司馬遷は。孔子が周の都へ行き、老子に面会して「礼」について質問した対話と、孔子の老子に対する賛嘆のことばを記している。 その次の一段にいう。 「老子は道と徳を修めた
-温故知新-Learn a lesson from the past. 日本の文化 Japanese culture ー(JAPAN AS NO.1)ー 四書五経(朱熹) & 老子・荘子 & 菜根譚 & 孫子 & 空海 & 日本史& 聖徳太子 詩經・万葉集・ Sonnet (Shakespeare)&王陽明& 般若心経 朱子学の基本となる書 儒学では、『四書』(『論語』・『孟子』・『大学』・『中庸』)と『六経』が重要な書となる。朱子学では、これに『小学』 それは、『小学』→『近思録』→『大学』→『論語』→『孟子』→『中庸』→『六経』である。 『六経』は、通常、『詩経』・『書経』・『易経』・『春秋』・『礼』・『楽経』(佚書)を指すが、黙斎は『詩経』・『書経』・『易経』・『春秋』・『周礼』・『儀礼』であると言う(近思録講義致知24)。 古(いにしえ)の人は男女七歳から「孝経・論語」 次には「諸
『新論』会沢正志斎 ー国体(上)ー(書下文、現代訳) 幕末の思想の最大の特色はその激しい危機意識にある。 『新論』という単純明快な題名のこの書物は,江戸時代後期,水戸藩徳川家に仕えた儒学者会沢安(1782~1863)(通称恒蔵・正志斎と号す)が著した書である。 江戸幕府の力が揺らいだ幕末期に,天皇・朝廷を厚く敬う尊王論と,日本周辺に姿を現すことが多くなった西洋諸国の勢力を排除しようとする攘夷論が結びついた 尊王攘夷の思想を体系化した書物であった。国家の行く末を案じて活動した吉田松陰などの志士達を中心に広く流布し,水戸に発達した学風である水戸学の書物としても伝わった。 現存の版本も多いが,慶應所蔵本の魅力は松平慶永(1828~90)の自筆書入れがなされている点である。越前福井藩主であった松平慶永は, 隠居後の「春嶽」の名で広く知られ,当時の名君の一人として,幕末政治史を語る上では欠くことがで
はしがき 日本の少年よ!我が愛する皆さんよ! 私は今、皆さんに、大切な贈物をしようとしているのだ。それは何か? 即ち此の「少年日本史」だ。之を贈ろうとする考を、私は前々からいだいていた。 それは二十年近く前に、ある中學校で、急に講演をした時に始まる。私は云った。「皆さん! 皆さんはお氣の毒に、長く敵の占領下に在って、事實を事實として教えられる事が許されていなかった。今や占領は終った。重要な史實は、正しく之を知らねばならぬ」。こう云って、二、三の重要な歴史事實を説いた。 生徒一千人。その千人の目、二千の瞳は、私が壇上にある間は、壇上の私に集中し、壇を下りた時には、壇下の私に集中した。かえる歸ろうとして外へ出た時、生徒は一齊に外へ出て私を取卷いた。彼等は何も云わぬ。只穴のあくほど私を見つめるのみだ。私は自動車に乗った。車は生徒に取卷かれた。四、五人の生徒は、自動車の屋根の上へ這い上って來た。車
菜根譚(さいこんたん)は、中国の古典の一。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、 主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である。 別名「処世修養篇」(孫鏘の説)。明時代末の人、洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集。 その内容は、通俗的な処世訓を、三教一致の立場から説く思想書である。 中国ではあまり重んじられず、かえって日本の金沢藩儒者、林蓀坡(1781年-1836年)によって 文化5年(1822年)に刊行(2巻、訓点本)され、禅僧の間などで盛んに愛読されてきた。 尊経閣文庫に明本が所蔵されている。 菜根譚という書名は、朱熹の撰した「小学」の善行第六の末尾に、 「汪信民、嘗(か)って人は常に菜根を咬み得ば、則(すなわ)ち百事做(な)すべし、と言う。胡康侯はこれを聞き、 節を撃(う)ちて嘆賞せり」という汪信民の語に基づくとされる (菜根は
観自在菩薩。かんじざいぼーさつ 行深般若ぎょうじんはんにゃ 羅蜜多時。はーらーみーたじ 照見五*蘊皆空。しょうけんごーうんかいくう 度一切苦厄。どーいっさいくーやく When the Avalokitesvara (Independent vision), Bodhisattva was practising profound wisdom. he had an illuminating vision of the emptiness of all five aggregates. which saves from all woes and troubles. (心性の自在を観察し得る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみ執われないから、一切の苦厄も障りとならなくなってしまう。) 舎利子。しゃーりーしー 色上異空。しきふーいーくう 空
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