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ドラクエ3
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突然ですが、この年末を以てREALTOKYOを休刊することにしました。ウェブサイト自体はしばらくこのままにしておきますが、FacebookやTwitterも含め、コンテンツの更新は行いません。イベント情報の入力、修正、削除もできなくなります。 休刊の最大の理由は、運営が物理的に難しくなったことです。2009年に「戦線縮小」して以来、スタッフは全員、個人的な時間を割いて無償で働いていました。つまり、ボランタリーな善意に支えられてここまで来たわけですが、それが限界に来たということです。長い歳月を経て、本業や家庭など、それぞれの事情が大きく変化しました。 寄稿家の方々も、スタッフと同様に協力して下さいました。質の高い原稿を寄稿して下さっていたのに、申し訳ない気持ちでいっぱいです。今後、有志がブログを立ち上げるという話が進んでいます。公開され次第、このページでお知らせします。 2000年の創刊から
ニューヨーク在住のアーティスト、大山エンリコイサムの初単著であり、グラフィティ文化に関して日本語で書かれた最初の包括的な批評書である『アゲインスト・リテラシー ─ グラフィティ文化論』(LIXIL出版)の刊行記念イベントが、元ジャパン・ソサエティー・ギャラリー・ディレクターの手塚美和子氏をゲストに迎え、昨年6月にニューヨークで行なわれた。 当日は英語で、質疑応答まで含む3時間のディスカッションとなったが、ここでは和訳したダイジェスト版を公開する。 手塚:インデペンデントキュレーターの手塚美和子です。1945年以降の日本のアートに関心を持つアーティストや研究者のフォーラムであるオンライングループPoNJA-GenKonの創立メンバーでもあります。本日は大山エンリコイサムさんからお話を伺い、アーティストであり、またグラフィティとストリートアートという領域のすぐそばに身を置いて観察し続ける彼の知
キン・フー映画『侠女(A Touch of Zen)』へオマージュを捧げる「A Touch of Sin」という原題が付けられた『罪の手ざわり』が公開される。来日したジャ・ジャンクー監督に最新作について話を聞いた。オムニバスを構成する4つのエピソードは、それぞれ中国版ツイッターのウェイボーで話題になった事件にヒントを得た“暴力”の話。数多の事件からなぜこの4つが選ばれたのだろうか。美しい色彩、雄大なロケーション、京劇やダンスとの融合、度肝を抜かれるジャ・ジャンクー流の武侠映画が現代の病みを映し出す。新メディアが普及し変化する中国社会、さらに映画の未来についても刺激的な言葉を語ってくれた。 冒頭のトマトのシーンは鮮烈な印象を残しました。エピソードをお聞かせ下さい。 4つの構成で成り立つこの映画の始まりを何にしようかと考えて、最終的に自分の個人的な記憶に根ざしたものにしようと思いました。あのシ
京都の拙宅の近く、東山ドライブウェイの頂上に将軍塚という塚がある。「将軍」とは徳川家康でも足利義満でも源頼朝でもない。塚が造られたのは平安建都の際のことで、桓武天皇が土で出来た将軍の像を埋めて新都を鎮護させたのだという。ここまで書けば、歴女・歴男でなくとも誰のことかはわかるだろう。征夷大将軍・坂上田村麻呂である。 田村麻呂が陸奥(みちのく)に派遣され、「まつろわぬ民」蝦夷(えみし)を征討したのは延暦20年、つまり西暦801年のことだった。以来、陸奥は「中央」から見た「地方」と位置付けられ、征討される以前の歴史は、中央の「正史」によって斥けられてしまう。幕末に「東北」という呼び方が生まれ、明治期に定着するが、これはもちろん都から見ての呼び名である。同じように中央から見ての方角名で呼ばれる地域に「南西諸島」があり、東北との(負の)共通点が少なからずあるが、ここでは南西については論じない。 田村
2月16日(日)に開催されたシンポジウム「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート──ジャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」が、Twitterなどで酷評されている。確かに「まじ空気悪く」(NM氏のツイート)、当初の企画意図からすれば大失敗だろうが、ある面ではなかなか示唆に富むものだった。話者は中原浩大、村上隆、ヤノベケンジの3人。モデレーターの楠見清氏は、22年前に3人が参加した『アノーマリー』展(キュレーションは椹木野衣氏)を前に、当時在籍していた『美術手帖』(BT)で3作家による座談会を企画した編集者である。BT当該号(1992年3月号)の特集は「ポップ/ネオ・ポップ」というもので、タイトルに示されているように、楠見氏はこのシンポジウムでネオ・ポップ復権の可能性を探ろうとしたのだと思う。 ところが、「日本の状況には絶望した。アート作品は欧米の現代美術の専門家に対して作
(承前) 続いて、フェスティバル/トーキョー(F/T)前プログラム・ディレクターの相馬千秋氏へのインタビューをお届けする。市村氏インタビューの直後に、同じくSKYPEで東京のANJ事務所と京都の小崎事務所をつないで(回線状況がよくなかったために映像は切って音声のみで)行った。市村氏は自身のインタビュー後すぐに退席されたとのことだが、事務所には蓮池奈緒子事務局長ほか、F/Tに携わったANJスタッフが同席していた。 突然の「退任」告知 まずは経緯について伺います。いつごろ「退任」という話が出てきたんでしょうか。 相馬:私は6月23日に出産しているんですが、産後2週間後、産休を取っている間に事務局長の蓮池から電話で連絡があったんです。先ほど市村が申し上げたように、いろいろな状況の中でANJとしてそういう方向で行くから、と。子供を産んで間もなかったので、混乱していたというか、うまく理解できなかった
(承前) ようやく市村作知雄、相馬千秋両氏の話を伺うことができた。それは後述するとして、まずは前回に続いて「外部評価」をひとつ。ブリュッセルで開催されている領域横断型の「クンステン・フェスティバル・デザール」の創設者で、現在はウィーン芸術週間の演劇部門ディレクターを務めるフリー・レイセン氏によるものだ(原文は英語)。 注文の多い大胆不敵なフェスティバル 文:フリー・レイセン F/Tは日本にとって、そしてアジアにとって重要なフェスティバルです。 日本人アーティストと西洋のアーティストが同時に紹介されるフェスティバル。 商業的な、あるいはお気楽な作品に流れることなく、現代芸術にラディカルに焦点を当てる、注文の多い大胆不敵なフェスティバル。 新作の製作に積極的な、そしてとても重要なことですが、現代の社会的政治的な諸問題を炎上させることに積極的なフェスティバル。 相馬千秋はこのフェスティバルを何年
12月18日、フェスティバル/トーキョー(F/T)が「平成26年度から新体制へ移行」し、「現実行委員長の市村作知雄が来年度よりディレクターに就任し、現プログラム・ディレクターの相馬千秋は平成26年3月末をもって退任」することが発表された。関係者に送られたメール添付の「プレスリリース」とF/Tのサイトに掲載された「ニュース」は同文で、本文わずか400字。市村が会長・理事を、相馬が理事を務め、F/Tの事務局を担当する特定非営利活動法人アートネットワーク・ジャパン(ANJ)のサイトに掲載された「ニュース」の字数はその半分弱。いずれにも「移行」「退任」の経緯や理由は、ひとことも記されていない。 東京オリンピックの開催が決まり、『F/T 13』が12/8に閉幕した直後の発表ということもあり、業界内外には様々な噂や憶測が飛び交っている。「退任ではなく実質的な解任である」「相馬氏の産休中に、本人がまった
11月18日に、中日新聞に「記者座談会に反響」という記事が掲載された。わずか2段。事実誤認を10ヶ所指摘したのに訂正はわずか2ヶ所。「記事の内容が不十分だった箇所を再掲します」と書いているだけで、日本語が間違っているのは笑えるが、ともあれほかの箇所は「十分」だと思っているわけだ。 そもそも、僕は2週間以上前に5記者宛に書状を郵送し、Eメールも送った。もちろん住所もEメールアドレスも明記したが、これまで返信は一切ない(僕は京都に住んでいるので中日新聞はすぐには読めない。記事は中日から届いたのではなく、トリエンナーレのスタッフがPDFを送ってくれた)。つまり僕への回答ではなく、そして明らかな事実誤認には頬被りしている。だからここに宣言する。「無礼な新聞の大誤報!」と。 すぐに抗議メールを送ったが、11月2日付け前便への返信が一切ないのだから、今度も無視される可能性が高い。そこでトリエンナーレの
あいちトリエンナーレが10月27日をもって閉幕した。僕が担当したパフォーミングアーツ部門は、参加してくれた作家やカンパニーはもちろん、現場スタッフやボランティアの方々にも助けられて、素晴らしい結果を残せたと思う。ポストパフォーマンストークにおいては、多くの回で非常に内容の濃い質問が出て、観客のレベルの高さに感銘を受けた。数々のレビューもおおむね好評で、まずは成功と言ってよいかと自己採点している。 現代美術部門も、近年の他の国際展と比べて質が高かったと言えるだろう。何よりも「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか: 場所、記憶、そして復活」というテーマがよかった。2年半前の震災と原発事故は、文明国を襲った大災害であり、国際展であるからこそ取り上げるべき歴史的な主題である。それをそのまま扱うのではなく「われわれはどこに立っているのか」という一歩引いた視点を取り入れた。だからこそ観た者をして
英国人ジャーナリスト、エイドリアン・ファヴェルが、オンラインアートマガジン『ART iT』内の「公式ブログ」に書いた文章が物議を醸している。7月12日に公開されたもので、タイトルは「Yoshitomo Nara as Businessman/ビジネスマンとしての奈良美智」。現在は英語原文のみだが、当初は日本語訳が段落ごとに併載されていた。 この文章に、奈良美智本人が「激怒」して、8月5日にツイートを連投した。曰く「会ったこともない外人が、事実関係の下調べ無しに、想像で書いている文章。こういうふうに思う人は、その人自体がそういう人なんだと思う。かなり頭にきていて、訴えようかと思い中・・・困るよなぁ・・・!」「美術関係者はRTして広めてください。ホント頭に来るなぁ!嘘ばっかしの文章。こういうことを英語圏の人々が信じていくのかなぁ。ART-ITの責任者は何とかしてほしい。よっぽど、僕の事が気に食
『マッドマックス2』に登場する悪の首領ヒューマンガスをリスペクトする若者たちが、来るべき世界の終わりに備えて火炎放射器を作り、改造車を乗り回す。自身の失恋体験も織り込んで、自ら主人公ウッドローを演じ、エヴァン・グローデル監督が文字通りすべてを投げ打って完成させた『ベルフラワー』。やんちゃと言うにはあまりに過激に物語は暴走するが、その一方で、小学生の男子がそのまま大人になったようなピュアな心も見える。公開に先駆け、撮影監督のジョエル・ホッジさんと共に来日したグローデル監督にお会いした。 チラシの印象からアクション映画だと思っていたのですが、アクションありの恋愛映画だったんですね。『マッドマックス2』にインスパイアされて本作を手掛けたとうかがいましたが、最初にご覧になったのはいつですか。 エヴァン:小学校高学年のとき、友達のアーロンの家で観たんだけど、子供2人で「これ、超カッコいい!」って盛り
空前の不況にもかかわらずと言うべきか、富裕層と貧困層の格差が広がったから当然と言うべきか、ともあれ高級ファッションブランドが往時の勢いを取り戻そうとしている。もちろんその中心地は銀座で、3月中旬のコムデギャルソンによるセレクトショップ開店に続いて、4月22日にはクリスチャン・ディオールの旗艦店「ディオール銀座」がリニューアルオープン。それに合わせて展覧会『Lady Dior As Seen By』が開催され、オープニング記念トークの司会と、顧客向けのレクチャー2回を依頼された。 銀座には資生堂ギャラリーやメゾンエルメス8階フォーラムなど、高級ブランドによるアートスペースが既に存在する。東京アートシーンのさらなる活性化につながるなら、と引き受けた。トークの話者は参加アーティストのひとり宮永愛子が事前に決まっていて、相方は芥川賞受賞作家の朝吹真理子がいいのではないかと提案し、ディオールからも朝
REALTOKYO×Tokyo Art Research Labが共同で企画運営する批評家・レビュワー養成講座「『見巧者』になるために」。2011年秋に5回にわたって開催された一連のプログラムの総括として、ゲストライターとして参加した各氏が一堂に会してディスカッションを行った。批評とレビューの役割、またカルチャーシーンを取り上げるメディアのあり方とは? 司会:小崎哲哉 小崎:今回の5人のゲストの方には、昨秋開催されたイベントのレビューをそれぞれ書いていただきました。まずは皆さんの批評観、レビュー観を聞かせて下さい。 内発的なものにこそ意味がある 畠中:批評とレビューは少し違いますよね。スタイルは字数や媒体によっても違いますし、もちろん求められるものによっても違ってきます。この講座では4,000字の原稿を書きましたが、それは批評とレビューの中間っぽいもの。書きたいことが書ける字数ですが、批評
10/9にNHKのETV特集「希望をフクシマの地から プロジェクトFUKUSHIMAの挑戦」が放映された。その後、『フェスティバルFUKUSHIMA!』を実施したことの是非と番組の内容とについて、Twitter上で様々な意見が交わされている(Togetter参照)。『フェスティバル』の実施に異議を唱える人々は、高線量地域での開催に大きな問題があるとする。中では音楽評論家・高橋健太郎の立論と主張が一貫していたので、彼のツイートを参照しつつ、考えたこと想い起こしたことを記しておく。 高橋は、①「合理的に考えて、何らかの被曝を伴うアクションがある。が、それがそこで被曝する人達の被曝量を大きく越える、たくさんの人達の被曝量を減らすことに繋がるアクションならば、やる価値はあると思います。しかし、あのイヴェントは誰かの被曝を減らすことに繋がったか?」と疑問を呈し、②「全ては自己責任。それはそう。だが、
妻に先立たれた後、なんと75歳にしてゲイであることをカミングアウト、さらにガンを宣告された父親との驚きのプライベートストーリーを映画化。それは高齢化が進む社会で「いかに自分らしく生き生きとした人生(老後)を送るか」という現代人の悩みへのヒントになるような、温かい余韻を残す作品となった。ポスト60年代世代が抱く、どこか漠然とした憂鬱な感覚を繊細かつポップなアートで表現、独特のセンスで観客を楽しませてくれる。グラフィックデザイナー、アーティストとしても活躍するマイク・ミルズ監督に、お父さんのこと、名演技で魅せたアーサー(犬)や豪華キャストのこと、またご自身の“老後の展望”についてもメールインタビューにて伺ってみましたが……。 映画では、オリヴァーはカミングアウトした父ハルに対して比較的冷静に、愛情を持って、すべてを温かく見守っているように思いました。ハルの病気のことももちろんショックでしたが、
9月に77歳を迎えるアートアニメの巨匠、ヤン・シュヴァンクマイエルさん。昨年のヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映された5年ぶりの新作『サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』は、夢とうつつの境界を彷徨い、精神分析で自身の無意識と向き合っていく男の物語。切り絵アニメと実写で紡がれた幽玄な趣と、独自のユーモアにあふれた「精神分析的コメディ」である。本作の公開、過去の作品の特集上映、個展とグループ展、本の出版など、盛りだくさんの夏に来日した監督に、チェコセンター東京で話を聞いた。通訳は、同センター所長でチェコ共和国大使館一等書記官のホリー・ペトルさんが務めてくれた。 切り絵アニメか、実写か 監督ご自身が登場する前口上で吹き出してしまいました。予算不足で切り絵アニメになったと言い訳されていましたが、本当は全編実写で作りたいと思っていたのでしょうか。 最初の脚本は実写として書いてありましたが
1978年に精神科病院を廃止する法律が制定されたイタリア、患者は隔離されずに、一般社会で自立を目指すという流れの中での実話に基づいている。労働組合員のネッロは「協同組合180」で、薬に頼り生気を失った精神科の元患者たちに出会う。これではいけない、ちゃんと「仕事」をすることで生きる力を取り戻そうと、組合会議をして考えた結果、“床貼り”仕事に挑戦することに。困難にぶつかりながらも「やればできる(原題)」スピリットで突き進むが…。繊細な題材だが、俳優のコミカルで迫真の「元患者」演技に大笑い。さて日本はどうだろうと考えさせられる。 舞台は1983年のイタリア。型破りな活動で労働組合を追い出された熱血男・ネッロが行き着いた先は、精神病院が閉鎖されて一般社会に出された元患者たちの協同組合だった。全くオカド違いの組合の運営を任されたネッロは、精神病の知識などゼロにも関わらず、持ち前の熱血ぶりを発揮。個性
2011年3月に発生した東日本大震災から1月半ほど経った5月1日、渋谷駅の通路に設置されている岡本太郎の壁画作品「明日の神話」の右下に、崩壊した福島第一原発を思わせる風刺画がはめこまれ、にわかに注目を集めた。その後、アーティスト集団Chim↑Pom(チンポム)が風刺画を設置している動画がYouTubeにアップされ、また5月20日から25日まで無人島プロダクションで開催された同グループの展覧会『Real Times』にてその動画が展示されたことで、一連の騒ぎがChim↑Pomによるものであることが明らかになり、この原稿を書いている5月25日現在も、Twitterなどのウェブ・メディアを中心に多方面で議論を巻き起こしている。 それらの議論のなかには、それが「アートなのか」「犯罪じみた迷惑行為なのか」という二者択一の論理に終始しているものも散見される。公共空間におけるゲリラ遂行的な表現行為には常
震災から1ヶ月と11日後、すなわち4/22に、エスパス・ルイ・ヴィトン東京で開催されたトークの司会を務めた。話者は東京都現代美術館チーフキュレーターの長谷川祐子、立命館大映像学部教授の北野圭介、建築家の塚本由晴(アトリエワン)、アーティストの八谷和彦の各氏(以下、敬称略)。司会の小崎を含め、人選したのは長谷川で、タイトルは「アートの現在を考える」という抽象的なものだった。だが、時期が時期であるし、この面々の話が抽象的なまま終わるわけはない。非常に面白かったので記しておきたい。 長谷川は現代アートの専門家として、ピカソの「ゲルニカ」を始め、キーファー、ハーケ、ボルタンスキー、ウォーホル、村上、ヤノベらの作品を見せた。いずれも事故や災害や人類の愚行に関わるものであり、記憶や鎮魂や再生をテーマとしている。北野は映像の専門家として、宮沢賢治ら東北文学へのオマージュも交えつつ、被災地を歩く人々の映像
様々なジャンルの表現を支える「仕掛人」をゲストとして招き、東京カルチャーシーンの魅力と問題点を探る連続対談『東京の仕掛人たち』全6回シリーズの最終回。ゲストは、音楽レーベルを主宰し、映画、音楽、文学、演劇、ダンスなど、幅広い領域を対象に鮮やかな批評やレビューを執筆し、さらに媒体を編集発行する気鋭の言論人。多岐にわたる活動から、表現活動と言説の実りある関係性について語ってもらった。 がんばって読まないと読めない雑誌 小崎:様々な顔を持つ佐々木さんですが、編集者としては音楽雑誌『ヒアホン』とカルチャー全般を扱う雑誌『エクス・ポ』を発行しています。『エクス・ポ』は老人いじめのように文字が小さく、物理的にも恐ろしい大きさで、厚すぎて持って来られなかった(笑)。ウェブで多くのものが読める時代ですが、あえて作ろうと思ったのはなぜですか。 佐々木:『エクス・ポ』第1期は隔月刊で1年間、計6冊発行しました
3月11日午後2時46分。僕は『クワイエット・アテンションズ』展開催中の水戸芸術館で地震に遭った。木村友紀+ユタ・クータ+荒川医による金属パイプを用いた作品を観ているときにパイプがびりびりと震え始め、「あれ? 動くの?」と馬鹿げた疑問を抱いた瞬間にぐらぐらっと来た。外に飛び出すと、2階テラスの大きな窓ガラスは完全に砕け散っている。磯崎新が設計した特徴的な形のタワーがゆらゆら揺れている。2分か3分くらいだろうか、数人の職員と一緒にテラスに座り込み、横揺れがやや収まった頃合いに中庭に降りた。1階エントランスホールを覗き込むと、階上に設置されたパイプオルガンのパイプが数本、フロアに崩落しているのが見えた。 電車もバスも完全に止まっていたため、避難所となった水戸芸のレセプションホールで一夜を過ごした。水戸市は震度6弱で、死者も出たけれど、宮城、岩手、福島の惨状に比べれば被害は軽微と言っていい。それ
様々なジャンルの表現を支える「仕掛人」をゲストとして招き、東京カルチャーシーンの魅力と問題点を探る連続対談『東京の仕掛人たち』の第5回。ゲストは、アートや音楽などジャンルを横断するイベントを展開する2つのスペース、西麻布のSuperDeluxeと原宿のVACANTの運営者たち。初顔合わせとなった2人に、それぞれの場所での取り組みと東京カルチャーをさらに盛り上げる秘策について語ってもらった。 東京にないものは自分たちで作る 小崎:SuperDeluxeは、東京のオルタナティブスペースの中で老舗と言ってもいいくらいですね。その成り立ちを聞く前に、マイクさんはどうして日本で暮らすことになったのですか。 マイク:映像制作を勉強するため南カリフォルニア大学に入学したのですが、ハリウッド映画の登竜門みたいな場所だと知らなくて。実験映画を作りたかったのに間違えた(笑)。日本映画が好きで、立派な大学図書館
様々なジャンルの表現を支える「仕掛人」をゲストとして招き、東京カルチャーシーンの魅力と問題点を探る連続対談『東京の仕掛人たち』の第3回。ゲストは、2003年の開館以来、現代アートを中心に様々なジャンルの展覧会をキュレーションしてきた森美術館チーフ・キュレーター。日本的なアートの可能性について大いに語ってもらった。 小崎:片岡さんは東京オペラシティアートギャラリーや森美術館、さらにはロンドンのヘイワード・ギャラリーなどで様々な展覧会を企画されています。森美術館の2010年年間テーマは「日本を再定義する」という野心的にしてチャレンジングなものですが、僕も日本的なアート、あるいは非欧米的なアートというものがあり得るとしたら、どんなものなのかということに関心がありました。今日はそこに絞って聞いていきたいと思います。 片岡:森美術館では年間3本の展覧会をやっていて、その1本がアジアのアーティストを中
情報化が進み、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が実体性を浸食しつつある現代において、彫刻/立体造形芸術の概念は大きく変わろうとしている。彫刻はどこから来てどこに向かってゆくのか? 現代日本を代表する2人の若手彫刻家に、自作について、互いの作品について、そして彫刻の可能性について、存分に語ってもらった。 小崎:小谷さんは11月27日から森美術館で、名和さんは2011年の6月に東京都現代美術館で、それぞれ大規模な個展を開催されます。2月にはニューヨークでの日本アートのグループ展に2人とも参加される。現代アートの状況について語ってもらおうという案もあったのですが、国際的に活躍するこの2人を迎えて、状況論というのはちょっともったいない。やるならがっつり現代アートについて、それも2人とも彫刻家なので、現代彫刻はこれからどこに向かっていくのか、そんな話になるといいなと思っています。 2次元を3次元化
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