1923年の関東大震災の後、朝鮮人による暴動や放火といったデマが広がり、殺傷事件が多発した。政府はこの出来事を直視せず、犠牲者に追悼文を送らない東京都知事の姿勢が、批判を浴びている。虐殺の史実は今に、何を問うているか。都内の路上に現れたヘイトスピーチと重ね、朝鮮人虐殺の現場を調査してきたノンフィクション作家の加藤直樹さん(57)に聞いた。(西田直晃、森本智之) 関東大震災での朝鮮人虐殺 1923年9月1日の発生直後の混乱の中、「朝鮮人が暴動を起こす」などの流言がきっかけで、民衆がつくった「自警団」や軍、警察が朝鮮人を殺害。中国人や社会主義者の日本人も犠牲になった。政府中央防災会議の報告書は震災の死者・行方不明者約10万5000人の「1~数%」が虐殺犠牲者と推計し、これは千~数千人規模に当たる。東京都のほか神奈川や千葉、埼玉県など現場は広範囲に及んだ。