サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
yamaiga.com
おそらく、日本でもっとも有名な廃道の一つである。 多くの廃道ファンや国道ファンが、畏敬を込めて、こう呼ぶ。 清水国道 と。 清水国道の歴史は古く、明治の初期にまでさかのぼるのであるが、これは後にしよう。 それよりも、先に現状から説明したい。 清水峠は、群馬県と新潟県の県境(上越国境)上にあり、列島の中央分水界をなす、海抜1,448mの峠である。 この道は国道291号に指定されているが、峠の前後あわせて約28kmが「自動車交通不能区間」となっており、俗に言う“酷道”のひとつである。 これはおそらく、全国でも最長クラスの国道における自動車交通不能区間であるが、それでも群馬県側の大半は登山道になっていて、多少健脚であれば誰でも歩くことが可能である。 そして、素晴らしい景観を誇る清水峠に立つことも出来る。 だが、新潟県側の大半の区間(約12km)は廃道になっていて、 ここ何年、或いは何十年の間、誰
草木(くさぎ)トンネルとは、おそらく日本中でここにしかない、 高速道路から一般道路へと転落したトンネルである。 レポートのタイトルにある「三遠南信自動車道(さんえんなんしんじどうしゃどう)」は、その名の通り、三(三河)・遠(遠江)・南信(南信濃)の各地方を結ぶ、我が国の高速道路のひとつである。 今回紹介する草木トンネルとその前後の道は、この三遠南信自動車道の旧道である。 高速道路の旧道といえば、【道路レポート:中央自動車道旧道】もそうだったが、それと大きく異なっているのは、こちらには現道が今のところ存在しないという点だ。 にもかかわらず旧道があることを不思議に思われるかも知れないが、草木トンネルとその前後の道は三遠南信自動車道として建設されたが、その後の計画の変更によって、一般道路に格下げされたのである。 そして、新たな「三遠南信自動車道」はと言えば、まだ完成していない。 現道はないが、旧
2011/3/4 12:34 ここは東海道筋の宿場と茶の産地で有名な掛川のはずれにある、何の変哲もない丁字路。 ここが出発地点だ。 「地図」はもうちょっとだけ待ってね。 お目当ての「変なもの!」が出て来たら、すぐに明かします。 うふふふふ。 掛川に住んでる人ってきっと、「東海道」と「茶」の二言だけで掛川の紹介を済ませようとする人のこと軽蔑するだろうな。軽蔑されたくないので、もうひとつだけ掛川ミニ知識。 掛川は「電波ソング」の街らしいぞ!(wikipedia:「掛川市」より)←ホントかい! なにはともあれ、山行が“初”掛川だ~! 現行1/25000地形図にあるトンネル記号を目当てに入ってきたこの道だが、初っ端から狭いのだ。 路面には一応コンクリートの舗装がされているが、その幅は軽トラのタイヤの幅とぴったり一致。 普通車だと、この時点でちょっと怖じ気づくかと思うが、それ大正解。 特にこの先にあ
※ このレポートは、「廃線レポート 神津島の石材積出軌道」の続きの時系列となります。 先に向こうをお読みになる事をオススメします。 私はいま雨の中、帰りの船の出航の有り無しとその時刻を気にしながら、島北端部へのスピーディな遊撃作戦を展開している最中である。 そしてスタートから1時間30分が経過した現在、ふたつのターゲットのひとつめ「石材積出軌道」の探索を終え、つづいてもうひとつの… コードネーム: 都道終点 へのアプローチを開始するところだ。 だがその前に、皆さまにお伝えしておきたい。 私がなぜ、ここへ行きたかったのか。 見てくれよ!! → 変だぜー!! 黄色い都道の線が、結構長いトンネルを出た途端に突然 ブツッ! と切れている。 現場はまさに採石場が山頂にあった神戸山の北麓で、神津島の最北端である。 そして、この「終点?!」の600mくらい手前にももう1本トンネルが描かれていて、その入口
2013/4/2 7:54 《現在地》 今回のサブタイトル、「駆け抜けろ!! 神津島版の“アレ”」の、アレとは、もちろんアレである。 交通の難所のネーミングとしては、おそらく日本一有名なアレ。 まさか、この嵐の日に、離島でアレを披露する事になるとは思わなかったが、アレをしない限りは探索の目的を完遂出来なかったのでやむを得なかった。 その場面はもう少しで出現する。 つうか、もう見えてる。 返浜(かえすはま)ヘ向け、残り350m程度と推定される前進を開始する。 ああ、これはあかんやつや。 よくテレビのニュースなんかにも出てくる、例の、高波を見に行ったら波にさらわれるってヤツ。 こういう漁船がひとつも海に漕ぎ出しよらん日は、我々海の素人が海岸に近寄っちゃなんねぇ。 分かってる。 分かっているのに、止められない。止まらない!好奇心が盗んだピストバイクで走り出してる。 なぜなら、そこに道があるかもし
<今の状態は…?> “ 封鎖された長いトンネルを抜けると、そこは大崩壊地だった。 ” 神津島最長の大黒根トンネルの先に待ち受けていたのは、先ほどまでの2車線舗装路とは余りに異質な風景であった。 果たしてここに道は作られていたのか、それとも工事は完全にトンネルでストップしていたのか。 今回は波濤逆巻く海岸線を歩いて、この足で道の有無を確かめる。 なお、地図を見る限り、ここから頑張って500m東へ行ければ、「返浜」という場所に辿り着けるはず。 そしてそこには何かしらの道が待っているようなので、未成道になった気持ちで、あそこを目指そう。 2013/4/2 7:45 500m先の返浜を新たな目的地として定めた私だが、今見えているのは、150mほど先にある無名の岬である。 その先の地形は全く窺い知れない。 そして凄く気になるのは、あの岬の基部に見える顕著に凹んだ部分のことである。 私はあれが、実はト
<超・簡単に前回のおさらい> 島の北端にやって来た私は、そこで地図にも描かれているトンネルと遭遇。 入口に簡単なフェンスがあったが、なぜ封鎖しているのかの具体的説明は一切無し。 果たしてこのトンネルの先はどうなっているのか? もしこの地図通りなのだとしたら、ちょっと面白そうだ…。 2013/4/2 7:37 《現在地》 島唯一の集落から海岸沿いの道路をひた走ること5.6kmで、島の北端に辿りついた。 もし自動車で来たら、ここまでほんの10分弱の道のりであろう。 なるほど、こういう走りやすい道だけを選んで走れば、神津島は大きい島ではないということが理解出来る。 この目の前に聳え立つ、迂回のしようもない柱状節理の岩山が、黒根と呼ばれる北限の岬である。 道は説明なくここで塞がれているが、形としてはまだ続いている。 そして、この先は集落があるのとは反対の東岸を南下していくわけで、“裏神津海岸”など
国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に全長12.3kmの【自動車交通不能区間】供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。があることになっている。 酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。 ついでに小川路峠の説明を、『角川日本地名辞典 長野県』に行ってもらおう。 小川路峠 (おがわじとうげ) 飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治
情報提供 JR中央線で西荻窪-吉祥寺間に、道路も何もないところに道路を越えるための橋梁構造部があります。 どうやら中央線高架複々線化工事の際に、東京外環道路が出来たときのために準備をしていた様なのです。 場所は武蔵野市立本宿小学校の横です。 右図は、最新の地理院地図で見るJR中央線の西荻窪から吉祥寺までの区間である。(西荻窪駅の位置:マピオン) この駅間距離は約1.8kmあるが、そのちょうど中央に武蔵野市立本宿小学校がある。 この大縮尺の画像だけで場所が分かる人ならば、おそらく地元の人であろうから、ここにこのようなもの……外環道を越えるための橋……が存在していることを既にご存知かもしれないが、一般的には相当知られていない事実ではないかと思う。 私自身、中央線沿線の日野市(現場から約20km)に住むようになって10年以上になるが、この情報を目にしたのはこの一度きりだった。 なお、中央線の説明
2003(平成15)年11月10日に公開したミニレポート【能代駅近くの謎の廃鉄道橋】を記憶しているという方は、当サイトの熱心な読者さまの中でも、かなり少ないと思われる。 本橋は、秋田県内に残る数少ない鉄道用廃橋ではあるが、余り目を引く規模ではなかったし(特に川面からの高さが小さいことがインパクトを薄めている)、私自身もレポートから数年後に住居を秋田から東京ヘと移してしまったため、ますます印象から遠ざかってしまっていた。 だから、これを再訪したのは、里帰り期間中のほんの偶然の悪戯(友人とドライブしている最中に近くを通りかかったので立ち寄ってみた)でしかなかった。 しかし実はこの廃鉄橋、わが国の橋梁史上に燦然と名を連ねうる、逸材だった。 本編は「再訪&机上調査編」と題して、2012(平成24)年の再訪をきっかけに判明した本橋にまつわる「貴重な事実」と、未だ解き明かされぬ謎について、まとめておき
あの青宝トンネル旧道の激闘も、この探索の前座に過ぎなかった。 (でも、前座で敗北してるんですが…) 私が青ヶ島で一番行きたかった場所、大千代おおちよ港。 これはその挑戦の記録。 しかし、最新の地理院地図に堂々と「地方港」の記号で描かれている港に、なぜ私が行きたいのか。 愚問。 もちろんそれは、廃道があるからだ。 私の探索の腕を試し、同時に好奇心を最大に満たす、厳しい廃道探索の舞台があると確信したからである。 しかも、事前に少しだけ歴史を知っただけで、その凄絶過ぎるストーリーに惚れ込んでしまった。 青ヶ島という、廃道趣味者にとっては聖地的な凄みを持つ小世界の中においても、大千代港こそが最強の存在だと思っている。 そんな大千代港は、青ヶ島全体を4地区に分けた場合の東側外輪山一帯を指す北山地区にある。(他の地区は、村落がある北部外輪山上の岡部、西側外輪山一帯の上手、島の南半分を締めるカルデラ及び
2008/1/3 10:57 初めて訪れる廃高速道路の物珍しさにより、なかなか入口付近から奥へ立ち入ることをしなかったが、そろそろ実際にこの路盤の跡を走ってみよう。 新旧の高速、合計10車線分の路盤に挟まれた白頭神社を後に、愛車に跨って大月・名古屋方面への西進を開始する。 ときは正月の第三日、一般に祝日ではあるが、わざわざこんな日にコタツを抜け出して、冷たいアスファルトの上を訪れる同志も無いようだ。 凧揚げ・はねつき・ストリートファイトなんかをするにも絶好の広場と見える旧路盤だが、まさに車亡き後何も残らなかったという、高速の悲哀をそのまま体現している。 まあ、一応立入禁止なので当たり前と言えば当たり前なのだが。 4車線のうち、中央分離帯を乗り越えて2.5車線分までが柵に閉ざされ、二重の立入禁止となっている。 さすがにこの2度目の柵は突破する気になれなかった。 わざわざそれをしなくても、残さ
今回はレポートの本編を一回お休みして、多々石林道探索の最中に出会った、「地図に無い謎の舗装路」の正体についての机上調査をテーマとする。 まずは復習として、「謎の舗装路」の全体像は左図の通りである。 入谷開墾地跡の「林道田島・舘岩I線」と書かれた標柱が立っている地点から、戸板峠直下の行き止まりまで続いており、途中に唐突過ぎる行き止まりで私を驚かせた分岐がある。 なお、この分岐路も含めた一連の道の全長は2kmほどだった。 前回見たとおり、この途中には色々と“妥協”の痕跡があり、本来は全体を2車線で整備したかったというのが伝わってくるのであるが、実際に2車線で整備された部分は600mくらいしか無い。 また、途中どこにも通行止めなどの封鎖はなく、行き止まりながら全線がちゃんと解放されているという珍しい道である。 右図は、多々石林道に対する「謎の舗装路」の位置を示したものである。 人里から離れた山奥
【周辺図(マピオン)】 大井川鐵道井川線のアプトいちしろ~接岨(せっそ)峡温泉間には、平成2年10月2日に長島ダムの建設に伴って付け替えられた旧線が存在している。 廃止された旧線の総延長は5.6kmあり、区間内には駅もあった。 元々は昭和29(1954)年に中部電力の井川ダム建設に伴う工事用軌道として敷設された路線で、昭和34(1959)年から大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線として旅客営業を行っていたのだが、国の長島ダム事業の進展によって水没補償を受ける形で新線へ移転したものである。(新線には日本で現役唯一のアプト式鉄道区間がある) 長島ダムが大井川を堰き止めて生み出された人造湖を接岨湖という。 接岨湖に旧線は水没し、新線は湖畔や湖上を駆け抜けている。 中でも新線にある奥大井湖上駅は、その名の通り(おそらく日本で唯一)湖の上にある駅として独特かつ爽快な景観を誇ることから、秘境駅ファンに
廃道・未成道・隧道・林鉄・廃線跡 古き良き「交通」を冒険する オブローダー「ヨッキれん」の記録 >> 13/12/11/10/9/8/7/6/5/ 4/3/2/1 >> 4/3/2/1 >> 9/8/7/6/5/4/3/2/1 >> 2/1 >> 3/2/1 >>
“大規模自転車道”(※)は、 闇 が深そうだ。 前々から薄らと感じてはいたが、平成24(2013)年にほんの僅かな時間を過ごした「和歌山県道802号太地新宮自転車道線」において、その予感は決定的な確信へ繋がった。 ※大規模自転車道とは…… 昭和48年に旧建設省がスタートさせた道路事業で、当時のサイクリングブームを背景に、国民の健全なレクリエーションの増進を図るべく、全国に約5000kmの自転車専用道路(大規模自転車道)を整備するとした。各路線は都道府県や指定市が事業主体となって、国の高率の補助金を受けて整備された。各路線が一般都道府県道として供用されており、路線名は「一般県道○○自転車道線」のようになる。この事業は国土交通省となってからも受け継がれ、平成21年現在の全体計画4300kmのうち、約3600km(計134路線)が供用されている。 全国に134路線もあるという大規模自転車道の一覧
おいおい! いつの間にこんなスゲーのが作られてたんだ?! 横須賀はもう何度も行って、知らない道なんて無いんじゃないかと(←言い過ぎ)思っていた私だが、先日とんでもない、すごすぎる、あわあわする道路構造物に出会ってしまった! 事の次第はこうである。 2014年4月25日、私は横須賀市内で自転車を使って仕事をした。 そして夕方、久里浜で解散となったので、車を駐めてある田浦へと戻ることにした。 久里浜から田浦へ自転車で帰るコースは、まず国道134号と16号を使うのが一番シンプルであるが、さすがにそれでは面白みが薄い。 変化を求めて道路地図をくまなく眺めていると、内陸部を通る横浜横須賀道路の近くに、国道の色でも県道でも塗られていない、それでいて幅の広い立派な道が描かれていることに気付く。 その道は、自転車はおろか、車でも通った事が無かった。 私は帰路に、この内陸部を通る“無着色の道路”こと、都市計
南会津に一部の林道ライダーに知られた大荒れの林道があるという情報は、「国道?酷道!?日本の道路120万キロ大研究」(←7月16日発売です。皆さまよろしくお願いします!)の打ち合わせの際に、実業之日本社の磯部祥行氏に教わった。 その林道の名は多々石林道。 標高1320mの戸板峠を越えて旧田島町の針生と旧伊南村の古町(現在はいずれも南会津町)を結ぶ道で、右図のように最近の道路地図にも林道名とともに描かれているため、そこまで荒れているようには思えないが、実際は相当にひどいらしい。 旧版「会津の峠 下」(歴史春秋社発行/昭和51(1976)年)によると、戸板峠は江戸幕府が定期的に派遣していた巡検使の通路であり、天明8(1788)年の巡検使に随行した紀行家古川古松軒も、「東遊雑記」に戸板峠のことを次のように書いている。 「針生を出て針生峠(戸板峠のこと)という大難所の坂ありて、この山中に見馴れざる草
【周辺地図(マピオン)】 先日地図を眺めていたら、面白い場所を見付けた。 青森県の津軽半島に、JRの駅同士がもの凄く近接している場所がある。 JR東日本が営業している津軽線の津軽二股駅と、JR北海道が営業している海峡線(津軽海峡線)の津軽今別駅である。 二つの駅は、地形図上で100m以内の距離に隣接して描かれている。 JR東日本とJR北海道は同じJRグループではあっても別会社なので、駅名が別々なのも、隣接するJRと私鉄の駅が別の名前を名乗っているようなものと勝手に納得するが、調べてみたわけではない。 というか、ここにこうして二つの駅が並んで存在する理由を真面目に解明していこうとしたら、それこそ津軽線や海峡線が誕生してきた経緯を解き明かす必要があろうし、私の手には余るだろう。 ここはミニレポである。 私は全く物見遊山的に、“変わった風景が見られるかも”という動機で立ち寄ってみただけであり、
2006/8/13 16:13 《現在地》 下段トンネルが封鎖されていたことを受け、すぐに上段トンネルへ戻ってきた。 上段のトンネルには、ダムトンネルや下段トンネルにはなかった銘板が存在していた。 それによると、この鶴寝トンネル(全長321.0m)の竣工は1999年(平成11年)6月で、アンゴルモアの大王が来ると予言されていた前の月である…ことはさておき、ダムの完成と同じ年のことである。 前回考察したとおり、封鎖されている下段トンネルは、こちらが完成した時点で既に利用が終了していたと思われるので、その廃止年度は平成11年以前ということがいえる。 なお、鶴寝トンネルの発注者は山梨県林政部であり、県営林道であることを裏付けている。 この左右2枚の写真は、2010/3/15の探索で、上と同じ地点から撮影したもの。 前回(4年前)と較べて、坑門や周辺の地形に目立った変化はみられず、強いていえば坑門
2010/4/21 14:12 《現在地》 橋頭にはじめてたどり着いてから、5分後。 私は橋の上にいた。 しかも既に転落すれば絶対に助からないだろう高所に達していた。 この画像からも、「空中歩行」の雰囲気が十分に感じられると思うのだが、その理由は明確である。 それは、自然に正面を向いてカメラを構えているにもかかわらず、谷底が写っていないからだ。 そのせいで、底知れぬ高さが感じられるし、実際にそのとおりなのである。 改めて、この橋の長さを考えてみる。 目測100m以上は間違いなくあるだろうが、やはり距離感が今ひとつ掴めない。 見慣れない景色だからだ。 ただし、地形図読みだと140m前後と測定される。 wikipediaの夢想吊橋の記事では長さ144mとしてある。(原典不明) 14:13 《現在地》 明らかに腰がひけた摺り足の“臆病歩き”ではあったが、事前の構造チェックで得た信頼感を頼りに、逡
群馬の山ん中に、 マジで、すっげー橋が現存してたぞ!(2014年3月現在) この物件は、昨年(平成25年)10月上旬に、ツイッター上でみち(@1600ZC)氏に教えていただいた。 それまで関東移住以来6年以上もの間、何度も訪れている群馬県の山中に眠るこの橋を、全く把握していなかった。 とにかく、見てもらえば分かる、すごい橋である。 今回、雪解け直後の最も藪が浅い時期に満を持して現地を捜索したところ、情報提供通りの橋が現存している事を確認出来た。 以下、そのレポートである。 【周辺図(マピオン)】 本橋の所在地は、群馬県西部の甘楽郡下仁田町を走る国道254号内山峠の旧道沿いである。 長野県の佐久平と群馬県を結ぶ歴史深い峠道の途中に、とんでもない橋が、その威容を誇っていたのである。 橋の名前は不明だが、旧落合橋として話しを進める事にしよう。 その詳しい場所は、右図の通り。 内山峠へ続く旧国道
今回は、相手が悪かった。 そう思ってくれ。 私なりに、よくやったんだ。 これ以上は私には無理だから未練を感じさせるような再訪はしないし、実際にもう2年訪れていない。 ああ、そこ(早川町)か。 そこならば、敗北も已む無しだよね。 この地図を見ただけで、そんな風に庇ってくれる人がどれくらい居るかは知らないが、私にとっては、はっきりいって、「敗北ばかりが重ねられてきた土地」。 それが、山梨県早川町である。 え? そんな話は聞いていないぞ? そりゃそうだろう。 核心に入る前に敗北したような話を自慢げに垂れるには、私はまだ若すぎる。 再訪して結論を得てから書いた方が、きっと皆様のお目見えはよいに違いない。 だが、そんな数ある“敗北譚”の中から、ようやく一つ、「俺もう無理」と零れ出て来た。 それが今回のレポートだ。 早川町だが、360平方㎞という広大な面積に住んでいるのは僅か1200人弱で、日本一人口
現在地は、「 東京都 新島村 若郷 」。 この短い地名にも、この地が歩んできた本土とは少しだけ違った“日本史”が、しっかりと刻み込まれているという話をしたい。 少し探索の本編からは脱線するが、お時間を下さいな。 まずは、「新島村」なのに、その前に「○○郡」がないことに気付く。 これは伊豆諸島や小笠原諸島の島々に共通する特徴だが、近世以前より今日まで郡に所属したことがない。 例えば近世には伊豆国や駿河国に所属していたが、その際も「伊豆国新島」などと呼ばれていた。 そして明治11年に全国の郡名を改めた郡区町村編成法が成立した際も、新島を含む一部島嶼地域への適用が見送られたことで、郡名を得る機会を失った。 このような政治的な“仲間はずれ”が公然となされた理由はなんだったのか。 それは、伊豆諸島は人口の多さから考えて一郡にまとめざるを得ないが、それぞれの島が海で隔てられていて交流(交通)もほとんど
↓ いかがだろう。 駅の移転という大筋については、上図のうち赤く着色した部分だけを追っていけば良い。 つまり、昭和6年に湯檜曽駅は旧位置に開業し、昭和42年の複線化開業に合わせて、新位置に移転したということである。 ただ、上の図が少し複雑になっているのは、旧新位置ともに、それぞれ湯檜曽駅として使われる前後史があるせいだ。 例えば、昭和24年12月から昭和38年3月までの期間、大穴仮乗降場と呼ばれる仮駅が現在の湯檜曽駅の位置に存在していたこと。 そしてもうひとつ、旧駅が廃止された昭和42年9月以降も、昭和59年11月までそこに北湯檜曽信号場が置かれていた事だ。 大穴仮乗降場については、それの現役当時に書かれた『町誌みなかみ』に、右の1枚の写真と共に僅かながら記録されていた。 p.359より引用しよう。(ちなみに当駅絡みの記述はこれで全てだ) 大穴仮停車場 昭和24年12月より、冬季スキー客乗
東京都には、これまで当サイトのレポートでもその一部をご覧頂いてきたとおり、東京という大都会の他に、奥多摩町や檜原村のような山岳地帯が存在する。 そしてさらにもう一つの大きな場面としては… 離島 がある。 具体的には、伊豆諸島や小笠原群島に属する200を越す島や岩礁がこれにあたるが、今日一般人が定住している島は伊豆諸島に9島、小笠原群島に2島があるのみだ。 そしてこれらの有人島も無人島も全て東京都に所属していて、東京諸島という総称も存在する。 東京諸島の広大な地域(海域)の広がりは、東京福岡間に匹敵する1200kmをも越えており、実は東京都こそが日本一の広がりを持った都道府県といえる。 しかしこれら島嶼(島しょ)と呼ばれる東京都のエリア人口は少なく、平成20年当時のデータだが、28,741人と記録されている。 これは東京都民1,279万人の0.22%に過ぎない数字だ。 ともかく、海の上にも東
表題の物件を紹介するのであるが、その謎解きについては、まだ完全に解決したわけではない。 しかし、都内で交通量も沿道の人口も多い地域の話であるから、私がここで解けなかった謎を提示することによって、地元の方などから決定的な情報が寄せられるのではないか。 そんな期待を込めつつ、本編を公開することにした。 このレポートの最終回(考察編)では、私が解けなかった謎をまとめて書き出すので、ぜひとも皆様からの情報提供をお願いしたい。 なお、この物件は、私が2007年に東京都日野市に引っ越してきてすぐに発見した。 のらネコが縄張りを見回るように、私がアパートの周りを自転車でうろついていて、偶然に見つけたのだった。 2011/8/23 5:53 【現在地(マピオン)】 自宅を自転車で出発して15分くらいで、八王子市打越町にある国道16号八王子バイパスの打越ICに到着した。 八王子バイパスには無料の区間と有料
道路レポートは今回が記念すべき(?)150作目。 そこで今回は、普段あまり取り上げないジャンルとして、都会の市道を見てみようと思う。 おそらく日本に一番沢山あるのが「市道」カテゴリの道だと思うし(平成の大合併により、町道や村道を確実に上回ったはず)、ほとんど誰しもがお世話になっているはずだが、個々の路線名が分かりにくい事もあってか、道路趣味の対象としてはマイナーと言わねばならない。 そして、私が今回のレポートを発表した事によって、そうした傾向に風穴を穿つ… つもりなど毛頭なく、そもそもそれほどのインパクトを有さない道なのであるが、 し か し ! この道の入口にある“看板”だけは、オブローダーなら決して素通り出来ないはず! かく言う私も、何の予備知識も持たないまま、もちろん探索の対象とするつもりも全くないまま通りかかり、そしてこの市道に捕まった。 そんな舞台はどこかと言いますと… 2009
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『山さ行がねが ~廃道・未成道・隧道・林鉄・廃線跡・道路趣味~』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く