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2007年1月21日のブックマーク (9件)

  • 「あるある捏造事件」に、ネットの無力さを思う

    ■ 「あるある捏造事件」に、ネットの無力さを思う 番組ねつ造:「あるある」に消費者から怒り(MSN毎日インタラクティブ) 「信じていたのに」と絶句するような団体職員(41)はまったく同情の余地はないけど、その次の「会社帰りに毎日買いに行かされて」いた会社役員(65)は気の毒で目も当てられないなぁ。納豆にダイエット効果なんてない(少なくともあることが実証されていない)ことを知りつつも、その事実を隠して増産していたメーカーにも、文句を言う権利はないんじゃないの? あと、製作会社に責任をおっかぶせてお茶を濁そうという魂胆が見え隠れしているのも気になる。マイナスイオンの例をとるまでもなく、「あるある大辞典」はもともとインチキ盛りだくさんの番組だったはずだ。捏造は今に始まった話ではない。 「あるある大辞典」のインチキさ加減については以前にも書いたな、と思って探してみたら6年前と5年前に書いている。そ

    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    テレビや新聞は''マス"メディアですけどwebはマスなメディアじゃないから影響力はたいしてなくて当然。
  • 赤の女王とお茶を - 競争について子供に教えるべき3つのこと

    マルクスにさよならをいう前ににインスパイアされて。 結論からいうと、3つとは 1. 世界は競争に満ちている 2. 決められたルールで競争するのは既に負けである 3. 競争すべき相手を誤るのもまた負けである です。 1.世界は競争に満ちている 確かに、世の中いかなるところにも競争は存在します。子供の教育とはいえ、そのことを隠蔽するのは欺瞞というものでしょう。 しかしながら、競争について教えるべきことはそれだけではない。競争原理主義の皆さんも、実は「競争」というものについてかなりの部分を隠蔽しているのです。 それが、2.以降です。 2.決められたルールで競争するのは既に負けである 受験にしろ運動会にしろ、所詮は人の決めた一元的なルールや基準で「競争させられている」に過ぎません。しかし、グーグルや任天堂、あるいは「ホモ・サピエンス」をみれば分かるように、現実の社会、あるいは生態系においてすら、「

    赤の女王とお茶を - 競争について子供に教えるべき3つのこと
  • さかもと未明さん的保守? - 荻上式BLOG

    さかもと未明さんの「道を誤らせないために」という文章を読んでつれづれなるままに。この文章では「『戦争は駄目。喧嘩(けんか)も駄目。みんないい子』として育てられた子供たちがいとも簡単に人を殺すようになったのではないか」と語られているわけだけど、まあこの手の「えー今日は天気がいいですな」「ほんとですな」的なお約束的居酒屋談義にマジレスするものあれだから「少年犯罪データベース 異常犯罪」とかを示しておけば済むとして、以前からさかもと未明さんって、その場所に合わせて発言してるんじゃないのかと思うことしきりなので、これを機会にこぼしてみようかなと。 昨年、さかもとさんの漫画や著作を資料用に大人買いしてみたわけだけど(図書館に入らないもので)、そしてそのお陰で部屋には八木秀次さんとか林道義さんとかどちらかといえばと学会系の「保守論者」のがコンプリートされつつあって、もしこれらを捨てる前に死んだら遺物

    さかもと未明さん的保守? - 荻上式BLOG
    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    さかもと未明って電波じゃねえ?論理矛盾したことや支離滅裂したことを言ったり描いたりできるのはある意味すごいなあ。
  • 恋愛からの自由―「恋愛普遍主義」批判― - umeten's blog

    恋愛普遍主義」とは、「恋愛とはすべての人間が誰でも同じように体験可能なものである」とするものである。 恋愛や、非モテ、喪男の文脈で問題にされるべき争点とは、この「個々人が持つあらゆる偏差を善人面をして塗りつぶし、誰もがみんな同じ条件を等しく持っているのだとするあきらかにゆがんだ悪平等思想の押し付け」なのではないのか。 対して、恋愛至上主義とは、「恋愛こそがこの世で最も価値のあるものだ」、「恋愛をしない/できない人間は価値のない人間だ」とするものであるが、 この考えは、「人間なら誰でも恋愛ができるはずである」という恋愛普遍主義を前提としている。 また、恋愛主義/恋愛市場主義とは、「恋愛をすることはまったく「自由」で「楽しい」ことである」とのメッセージの下、経済活動や消費活動を単一の方向に方向付けるものであるが、 これは、その裏側に潜む「恋愛をしなければならない」「恋愛をしなければ人間で

    恋愛からの自由―「恋愛普遍主義」批判― - umeten's blog
    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    『「恋愛普遍主義」とは、「恋愛とはすべての人間が誰でも同じように体験可能なものである」』>冷静になって考えなくともこんなものありうるわけないわなあ。恋愛やセックスはもっともっと相対化された方が良い。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • asahi.com 強姦などで服役の男性無実 別の男が容疑認め逮捕 富山

    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    これも氷山の一角なんだろうなあ。
  • 斜見 - 非モテを吊るし上げてきた

    会社のレクリエーションでボーリングをしてきました。その後は飲み会というお決まりマンネリコースに。私は帰ってウィザードリィをしたかったのですが、「群」の無言の圧力に屈服し参加を余儀なくされました。くそっ!もっと強くなりたい! そしていつしか話題は同僚Bの非モテ話に発展しました。 或る中堅社員「お前(同僚B)は女にモテたくないのか?もっと積極的になって合コンやらに参加しなければダメだ!正直やりたいんだろ?」 同僚B「いいんです私は…そういうのはもういいんです…」 という同僚Bの恋愛主義からの脱却ともとれる発言が、まわりの人達の神経を逆撫でしました。 「当にそれでいいと思っているの?五年後に後悔するよ?」 「そんなことを言っているとアキバ系と同じに見られるぞ!人形の着せ替えとかして萌えーとか言ってんの、おえー」 「40過ぎても独身でいいのか?あんな奴ら、人として終わってるよ」 「そんなだか

    斜見 - 非モテを吊るし上げてきた
    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    こういう世に言う"すばらしい人達"を成敗するためにも非モテロは必要だな。
  • ならば、今すぐ料理人の卵全てに勇気を授けてみせろ!

    http://anond.hatelabo.jp/20070117155554 中二病(だか暗黒エネルギーだか)的な素材ってのは、手に入りやすい材なわけであるな。 で、金(発想力とか)のない料理人(クリエイター)の卵が持っているのは、殆どがそういう素材だ。 別にそれはそれで当然であり、中二病素材をこねくり回して料理の腕を鍛え、金を溜め、いずれは中二病的でない素材と中二病的な素材を上手く組み合わせて上手く料理できる立派な料理人になる、というのが妥当な成長なのだろう。 もちろん、中二病素材しか持っていない状態からいきなり超上手い料理を作れる人もいる。 しかしここで、中二病材を使っているだけで馬鹿にされる・見下される・見透かされるという風潮がある。 これでは、中二病材しか持たない料理人の卵たちは、自分は不味い料理しか作れないのだ、料理の才能はないのだ、手を出しても馬鹿にされるだけだ、と感じ

    ならば、今すぐ料理人の卵全てに勇気を授けてみせろ!
    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    どうでもいいけど羽生さんは今現在将棋の名人ではない。名人は森内さん。
  • マルクスにさよならをいう前に - 池田信夫 blog

    「さよならマルクス」と題したブログの記事がある。何の話かと思ったら、学校教育に「弱肉強」の競争原理を持ち込むな、という教育再生会議の批判だ。その論旨はともかく、問題は『資論』の児童労働に関する記述が引用され、まるでマルクスが内田樹氏と同じことを主張したかのように書かれていることだ。たしかにマルクスは児童労働の悲惨な状況を描いたが、「競争原理から子供を守れ」などと主張したことはない。それどころか、彼は次のように書いているのだ:この[ロバート・オーウェンの]教育は、一定の年齢から上のすべての子供のために生産的労働を学業および体育と結びつけようとするもので、それは単に社会的生産を増大するための一方法であるだけではなく、全面的に発達した人間を生み出すための唯一の方法でもある。(『資論』第1巻 原著p.508)内田氏は「現代思想」の研究者ということになっているようだが、マルクスが肉体労働と精神

    lakehill
    lakehill 2007/01/21
    コメント欄の人は勘違いしている、運動会の着順うんねんのくだりは"比喩"として使っているだけだから現実にあるないの問題ではない