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ブックマーク / www003.upp.so-net.ne.jp (4)

  • 双眼鏡の選び方(初心者向け)

    初心者に双眼鏡を覗かせると必ず出る「何倍ですか?」という質問がある。当然「8倍です。」というように答えるのだが、なにか物足りなそうだ。普通の双眼鏡にはA×Bという表示がある。Aが倍率である。後ろのBは対物レンズの有効口径をミリ表示した数字だ。初心者向けに言えば覗く方と反対側のレンズの直径である。(厳密には違ってしまうが当たらずとも遠からずなのだ) 倍率は初心者にとって唯一の判断基準になってしまうことが多い。これは車で最高スピードが何キロでますか?という程度の質問レベルなのだ。答えられるが、その製品の性能を表す基準としては全く役に立たない。確かに1000m先の物を見た時に倍率8倍では125mまで近寄って見たのと同じ大きさに見えるはずである。倍率20倍なら50mまで近寄って見るのと同じなのだ。それなら大きく見える方が良いではないか?というのは早計である。 倍率が高いと見える範囲が狭くなるのと、

  • 西部邁

    逃走の果てに 西部邁『国民の道徳』扶桑社 大きな話題になった「新しい歴史教科書」の影に隠れて、あまり話題にならなかったが、それと一緒に出された「公民」教科書をもとにした。分厚いが、内容は単純で、要するに「お国」を大事にしろ、なぜならそれが日の「伝統」だから、というものである。その「お国」が150年以上前には存在しなかったことを著者は知らないわけではあるまい。大事にする「伝統」がなぜ大日帝国に限られなければならないのかも、ろくな説明がない。まさに中学生程度の知能の読者向けのだが、著者の知能程度もそれに近いのではないかと疑わせる。 著者は、私の大学時代の恩師である。個人的には愛すべき人柄なのだが、如何せん学力がない。英語が読めないから、訳だけを頼りに論じるので、とんでもない間違いがある*。昔レヴィ=ストロースのbricolageを「プリ(前)コラージュ」と誤読して、「コラージュ」

    lakehill
    lakehill 2010/03/29
    「私も、飲み屋で彼の取り巻きの右翼に殴られたことがある。 」
  • 経済学は科学より医学をめざせ

    私の『希望を捨てる勇気』のまえがきに、ケインズの「経済学者たちはその日の出来事をつかみとり、パンフレットを風に吹き飛ばし、つねに時間の相の下にものを書くべきだ」という言葉を引用した。ケインズはもともと数学を専攻しており、学問としての経済学への軽蔑を隠さなかった。経済学者は歯科医のような技術者であり、純粋な経済理論には意味がないと考えていた。 しかし『一般理論』でケインズは「古典派」理論を論破したと誇称し、大論争を巻き起こした。実際には『一般理論』は賃金が硬直的な場合の「特殊理論」で、新古典派理論のマイナーな(しかも誤った)修正にすぎないが、それを「ケインズ革命」と呼んで経済学をミクロとマクロの二立てにしたことが、今日までの混乱の原因だ。やはり経済学は、医学のような技術に徹したほうがいいのだろう。 経済学の分析対象とするのは人間の行動である。その人間の脳は、1000億のニューロンと500兆

    lakehill
    lakehill 2009/11/05
    ん、今の先進国で財政赤字なんて問題になってないだろうに
  • 東浩紀:永遠の精神的幼児

    永遠の精神的幼児 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』講談社現代新書 著者のデビュー作『存在論的・郵便的』は名著とよぶに値するが、その後、彼の出したおびただしい「オタク」は、若い評論家が自分の世界を確立する前に売れっ子になって、メディアに「ほめ殺し」されるパターンの典型だ。彼の師匠である浅田彰氏がその典型で、経済学者としては何も業績を残していない。私も、著者に「へたにメディアに消費されるとつぶされるから、雑文を書き散らさないでちゃんと勉強したほうがいい」と助言したのだが、案の定ただのオタク評論家になってしまった。書も『動物化するポストモダン』の延長上で、自分の身の回りのオタク文化を論評しただけで、とても読むに耐えない。 GLOCOMの騒動では、中山素平氏も含めて運営委員会で承認された副所長の人事を「所員が納得していないから話し合え」と東がしつこく電話してくるので、私が「管理職の人事に

    lakehill
    lakehill 2009/02/08
    池田さん、あなたも人のこと言えんだろう。と思うのは俺だけか?
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