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historyとcommunicationに関するlakehillのブックマーク (1)

  • 「悔恨」はどのように表現されるのか - Apeman’s diary

    ちょうど一ヶ月ほど前に放送された、Bill Guttentag 氏出演のラジオ番組でのやりとりで、ちょっと印象に残ったところがあった(14分45秒あたりから)。映画を観た司会者が、インタビュー対象の元日兵が「非常に気軽に casually」話しているようにみえた点が興味深かったと言い、彼らには悔恨 remorse があるのだろうか? と問うたのである。Guttentag 氏はこれに対してインタビュー対象者に後悔 regret の念が稀薄であったという自身の印象を語り、「人生の終りを迎えて深く後悔してインタビューを受ける」元兵士を予期していたのに意外であった、と告白している(彼自身は「悪の凡庸さ」の現われとして納得しようとしているようだ)。このような認識は外国人に特有のものではなく、以前に紹介したように野田正彰氏の『戦争と罪責』(岩波書店)の大きな柱の一つとなっている。だがその前提の一つと

    「悔恨」はどのように表現されるのか - Apeman’s diary
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