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historyとlaborに関するlakehillのブックマーク (6)

  • 日本のおカイコさん-2/富岡製糸場への疑問 | 蝉の日和見

    昆虫の家畜カイコをめぐる旅もいよいよ佳境へ(笑)。先月の上州に引き続き今月は信州に行ったのだが、その話をする前に、8月の日記で予告?した「富岡製糸場」への疑問を書いておこうと思う。 富岡製糸場東繭倉庫のアーチに掲げられた明治5年の竣工年。今回は文字が多いので写真はサムネールで挿入。クリックで拡大。 富岡製糸場の保存展示や世界遺産登録運動に関わっている人達は(もちろん全てではないが)、ここ何年もの間「富岡製糸場に女工哀史は無かった」ということを強調してきた。おかげで富岡製糸場を紹介する旅行者のブログやサイトには「富岡製糸場に女工哀史は無かったらしい」という記述が数多く見られるようになった。でもちょっと調べれば「女工哀史は無かった」などといえないことが分かるだろう。 以下は女工哀史がなかったとする地元の発言の一つ、富岡製糸場世界遺産伝道師協会会員の岩井建造氏のインタビュー記事である。岩井氏はボ

  • 日産、没落の“元凶”死去に見る、経営危機へ突き進んだ暗黒の歴史からの教訓 (Business Journal) - Yahoo!ニュース

    日産、没落の“元凶”死去に見る、経営危機へ突き進んだ暗黒の歴史からの教訓 Business Journal 2月19日(火)6時48分配信 日産自動車の労働組合リーダーとして大きな影響力を持ち、小説のモデルにもなった塩路一郎が2月1日、道がんで死去した。86歳だった。葬儀は近親者で行った。 日産自動車には、かつて3人の「天皇」がいた。日興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)出身の川又克二社長(86年、81歳で死去)、生え抜きの石原俊社長(03年、91歳で死去)、自動車労連(現・日産労連)の塩路一郎会長(13年、86歳で死去)である。 70年代後半からの日産は「三頭政治」と呼ばれた。川又と蜜月関係を結んだ塩路が、石原と激しく対立した。日産の凋落を招き、仏ルノーに身売りしなければならなくなった最大の原因は、3人の天皇による社内抗争にあった。 塩路は東京・神田の生まれ。父親は叔父と小さ

  • ประโยชน์ที่ได้จากการร่วมเป็น Official Partner กับเรา (สมาชิกตลอดชีพ) - factree.org

    Hometoday's newsประโยชน์ที่ได้จากการร่วมเป็น Official Partner กับเรา (สมาชิกตลอดชีพ) ♠ ดูหนังออนไลน์ ประโยชน์ที่ได้จากการร่วมเป็น Official Partner กับเรา (สมาชิกตลอดชีพ) 1. เปิดช่องทางออนไลน์ในการเข้าถึงลูกค้าได้เพิ่มมากขึ้น 2. ช่วยโปรโมตแคมเปญการตลาดต่างๆให้เข้าถึงผู้ใช้งานอินเตอร์เน็ตมากยิ่งขึ้น 3. ช่วยวัดความนิยมและความคิดเห็นที่มีต่อแบรนด์สินค้าได้มากขึ้น 4. มีสิทธิ์ได้ส่วนลดจากการใช้บริการอื่

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  • 西表炭坑 - Wikipedia

    西表島およびその周辺は第三紀中新世に堆積した八重山層群と呼ばれる砂岩や頁岩の地層から成っている。この地層の間に厚さ15-90センチメートルの石炭層が3-4枚挟まれており、特に八重山夾炭層と呼ばれることもある。石炭の地層としては比較的浅い場所にあり、炭層の厚みが薄いことを特徴とする。石炭層にはシイ、カシ、クスノキ、タブノキ、シロダモ、モチノキなどの化石が含まれている[1]。 西表島には古くから燃える石に関する言い伝えがあり、18世紀末に書かれた八重山の文書には地域の産物として「燃石」の記述がある。 1853年(嘉永6年)、ペリー提督が沖縄を訪問した際に主任技師R.G.ジョーンズが周辺地域の地質を調査しShioya Bay付近に石炭が存在することを報告した。沖縄島北部にある塩屋湾には石炭を含む地層がないことから、これは西表島西部の石炭を指すものと考えられている。翌1854年には琉球王府が石炭の

    西表炭坑 - Wikipedia
  • 10年間泥のように働いて花が咲きました - ひがやすを技術ブログ

    蓮の素晴らしさを語りたかったら、まずは花を見せるべきなのだ。花がわかってはじめて泥の重要さがわかってくるんだから。 2008-05-29 - ひがやすを blog 小飼弾のアルファギークに逢ってきたのメンバーと学生会の討論会を開くのだ。 もちろん、司会は、ダンコーガイ。いいよね、弾さん。 もちろんOK。というよりもすでに同様の話がいくつも来ているので、この通りになるかとにかく、ちゃんと「花」がある討論会はできるだろうし実現するだろうしすでにいくつか実現している。 しかし、これはこれでどうしても偏りが出る。10年も泥の中にいた人というのはさすがにこのメンバーの中から見つけるのは難しい。そしてIT業界の広さを考えれば、当にそういう人がいてもおかしくないはずなのだ。 10年間SIerで泥のように働いたおいらが通りますよ。 おいらが、最初に就職したのは、電通国際システムという会社で、今のうちの会

    10年間泥のように働いて花が咲きました - ひがやすを技術ブログ
  • 一知半解ではなく無知蒙昧 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    以前このブログで、池田信夫氏に「一知半解」という形容を進呈しましたが、それは間違いだったようです。読者の皆様にお詫び申し上げます。正しくは、「無知蒙昧」と云うべきでした。 最近、あちこちに誤爆をしでかして、すっかりトンデモの仲間入りをされたらしい池田氏ですが、何を思ったか、また日労働史への無知を暴露しているようです。 http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87a589c70b31090d1f7557c9855d9d2b 私の「日の労務管理」を読んだらしく、 >20世紀初頭までは技能をもつ職人が腕一で職場を転々とするのが当たり前だった。請負契約を蔑視するのも間違いで、これは産業資主義時代のイギリスでも19世紀の日でも「正規雇用」だった。しかし第1次大戦後、重工業化にともなって工程が大きな工場に垂直統合され、職工を常勤の労働者として雇用する契約が一般的

    一知半解ではなく無知蒙昧 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    lakehill
    lakehill 2007/12/19
    まあ、池田さんですから.....
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