「論争の決着は、自然の表象の原因であり、その結果ではないのだから、この自然という結果を、なぜどのようにして論争が決着したのかを説明するために用いることは決して出来ない」 …(中略)… 後半の「自然」を文字どおりに取り、かつそのすぐ後ろにある「結果」を綺麗に忘れると、(a)科学的な論争の推移や結果は外の世界の性質だけでは説明しきれない(ほかのより微妙な社会的影響に触れないにしろ、少なくともその時点でどのような実験が技術的に可能か決めるというだけでも、何らかの社会的要因が介入するのは当然である)という弱い、そして当たり前の主張か、(b)外的な世界の性質は、科学的な論争の推移や結果を左右するような役割を果さないという強いが明らかに誤った主張が読み取れる。 「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用 作者: アラン・ソーカル,ジャン・ブリクモン,田崎晴明,大野克嗣,堀茂樹出版社/メーカー:
かつて初めて中島敦の小説「李陵」を読んだときのわたしの感想は、なーんだ、佐川美代太郎のほうがスゴイじゃん、というものでした。 わたしの持ってる中島敦の本は、講談社文庫の「山月記・弟子・李陵ほか三編」というやつで、1973年の発行です。今、引っ張り出してきましたが、あんまりくりかえし読んだ気配がありません。おそらく、読んだのは一回きり。 中島敦「李陵」は、匈奴に投降した漢の武将・李陵の生涯を描いた短編で、李陵に対する人物として、李陵を弁護して宦官になる刑を受けた司馬遷と、匈奴に捕らえられても屈しなかった蘇武が配されています。中島敦の作品の中でも、名作として有名ですね。でも、わたしはこれより先に、李陵を主人公とするマンガ、佐川美代太郎「望郷の舞」をすでにくりかえし読んでいました。しかも、これがまたオールタイムベストワンと思えるほどの傑作でありました。 佐川美代太郎「望郷の舞」は、1969年「週
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