宮台院ゼミ本『21世紀の現実~社会学の挑戦~』あとがき 【社会学からの全体性の脱落】 ■あらためて言うまでもないことだが、社会学という学問が、フランス革命から第三共和制に至る社会的不透明性の体験──個々人の意思や意識とは独立かつ予想不可能な形で社会が動くという経験──から立ち上がったとき、社会学には「全体性」が要求されていた。 ■社会学が、帝国主義時代の19世紀末に「近代はいかにして可能か」という問題設定を手にした際も、「契約の前契約的な前提」「権力の前権力的な前提」を問う形で、経済学的・政治学的な対象性自体を支える、従来の学問よりも大きな「全体性」を志向した。 ■先に述べたフランス革命以降の「国家暴走」の経験に応接して出現した無政府主義(国家を否定する中間集団主義)やマルクス主義(国家暴力装置論)に対抗して、国家や社会を論じるという伝統的な問題設定も、敵方に劣らない「全体性」への志向へと
太宰治「海」 »〈ふたり〉へ太宰治と美知子―青森・深浦/甲府 南側に富士山、西側に南アルプスを望む盆地の端。昼間の日差しはきついが、朝晩そよぐ風はさわやかだ。 海に沿ったがけの下をJR五能線の列車が進む。冬は厳しい日本海も、夏は穏やかな顔を見せる=青森県深浦町で 観光列車「リゾートしらかみ」から夕日を眺める。乗客から歓声が上がった=青森県深浦町で 旅館のたたずまいを残した「ふかうら文学館」=青森県深浦町で 結婚してまもないころの太宰治と妻の美知子 JR甲府駅北口から歩いて20分ほどの住宅街に「太宰治僑居(きょうきょ)跡」の碑が立つ。ここで太宰と妻、美知子が1939(昭和14)年の約8カ月間、新婚生活を送った。 太宰は夏目漱石と並ぶ国民作家である、と断定すればあるいは異論が出るだろうか。新潮文庫の今年3月末までの発売部数トップは漱石の「こころ」、次が太宰の「人間失格」で、10位にも「斜陽」が
ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く