タグ

ブックマーク / www.miyadai.com (2)

  • 『調査情報』2009年7-8月号(489号)に次著を予告する長文を掲載しました - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 『調査情報』2009年7-8月号(489号)に次著を予告する長文を掲載しました « マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 | マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。 » ──────────────────────── 「昭和を知らない子供たち」へ 〜〜社会の記憶から消去された「昭和の終わり」〜〜 ──────────────────────── ■昭和から平成への改元は1989年。崩御の日に最初の著書『権力の予期理論』の後書を書き上げた。何ヶ月も続いた「自粛ブーム」や女子高生たちが大勢並んだ「ご記帳ブーム」のせいで、80年代のバブル的ないしポストモダン的な狂騒が何だったのか、よく分からなくなっていた。 ■しかしそれは表層のこと。『権力の予期理論』の執筆時に私はテレクラ・フィールドワークに明け暮れていたのだが、テレクラ

    shokou5
    shokou5 2009/07/06
    1980 年代後半から 1990 年代前半の空気.
  • 社会学からの全体性の脱落に抗して、いま何が必要なのか - MIYADAI.com Blog

    宮台院ゼミ『21世紀の現実~社会学の挑戦~』あとがき 【社会学からの全体性の脱落】 ■あらためて言うまでもないことだが、社会学という学問が、フランス革命から第三共和制に至る社会的不透明性の体験──個々人の意思や意識とは独立かつ予想不可能な形で社会が動くという経験──から立ち上がったとき、社会学には「全体性」が要求されていた。 ■社会学が、帝国主義時代の19世紀末に「近代はいかにして可能か」という問題設定を手にした際も、「契約の前契約的な前提」「権力の前権力的な前提」を問う形で、経済学的・政治学的な対象性自体を支える、従来の学問よりも大きな「全体性」を志向した。 ■先に述べたフランス革命以降の「国家暴走」の経験に応接して出現した無政府主義(国家を否定する中間集団主義)やマルクス主義(国家暴力装置論)に対抗して、国家や社会を論じるという伝統的な問題設定も、敵方に劣らない「全体性」への志向へと

    shokou5
    shokou5 2008/09/26
    "ナイーブに真理性に依拠しようとするアカデミシャンは、真理性を支える社会的文脈の分岐ゆえ、自動的にローカルな内輪コミュニケーションに囲い込まれる"
  • 1