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演武だけでなく実戦成績も大したものでどれくらいの規模か不明だがGrand National Karate Championshipを5回連続で制している。 2004年にはスティーヴン・セガールやサニー・チバ(千葉真一)等と同時に見事「格闘家の殿堂入り」を果たしている。 こちら 当然、オルブライト大学のHPでは弟のノビーだけでなく兄のハイディーも名を成した卒業生として名前が載っている。 ノビーはともかく兄の落合秀彦がアメリカでは伝説的な空手家であることは分かってもらえたことと思う。 やっと本題に入れる。 そう、 本当にハイディー・オチアイがブルース・リーにヌンチャクを教えたのか? である。 調べ方は実に簡単だ。 googleで検索をかければ一発で出てくる。 Adopted his legendary nunchaku routine in his movies from
20代女性が10代女子にアドバイス「今の男友達を大切にして」 >10代のコたちに言えることが1つあるとすれば、あなたにとって最良の結婚相手は、実は今あなたの近くにいますよってことですね。私は、学生時代の男友達は社会に出てからほとんど切っちゃったんですけど、女友達で幸せそうな結婚をしてるコは、みんな学生時代から付き合ってる彼氏と結ばれてますね >10代の皆さん、将来モテるとかよりも今を大切にしましょう! これまた今さらなんだが・・・・ 遂に女性も認めたらしい。 とっくのとうに99%の日本人に18歳を過ぎて素敵な将来などありません!! 本当に賢い若者は「今の重要さ」に気づいています。 この国で物語は終わったと言われるが大間違いです。 正確には 大きな物語から小さな物語に移行したんです。
高校の頃からオーディオ趣味をやっていてその理由は至って明快 好きな楽曲を良い音で聴きたいから 実際には私が好んで聴いていたのはジャズやクラシックではなくロックやポップスそれも古いのばっかだが侮ってはいかんのですよ。 下手するとジャズやクラシック以上に音の良し悪しがはっきりしてるんで。 で、2009年頃にオーディオ趣味をやめちゃったんだけどその理由も明快 デジタル音源に抵抗がなくなったから デジリマされたDVDの音質に衝撃を受けて。 このDVDね。 ザ・フー:アメイジング・ジャーニー コレクターズ・エディション [DVD]クリエーター情報なしポニーキャニオン もう桁違いに音良かったから。 アナログ音源の出る幕はないわな。 CAVの2.1chホームシアター用スピーカー で聴いたんだけど凡百の巨大スピーカーよりも音良いから。 中古で買ったんだけどお値段、3000円也。
昨日、ようやく武田信玄を観終わった。 NHK 大河ドラマ 武田信玄 完全版 第壱集 [DVD]クリエーター情報なしジェネオン エンタテインメント 全50話、DVD13枚に渡る大河巨編であった。 私は独眼竜政宗を最高傑作と信じており武田信玄は少し劣ると考えていたんだがさにあらず。 劣っていない所か部分的には凌いでいることに気づかされた。 何に一番驚いたって 中井貴一の演技力 今更ながら感心し仕舞いには脱帽した。 私は「ふぞろいの林檎」の熱心なファンだったのだがあのドラマでも中井が演じた仲手川良雄は頭ひとつ出ていた。 ふぞろいの林檎たち DVD-BOXクリエーター情報なしアミューズソフトエンタテインメント このイメージが強かったゆえに 仲手川良雄=武田信玄 にならなかったわけ。 仲手川ってのは真面目な一方で気弱な一面もあったから。 だが・・・ 一流の役者は役を選ば
この動画も面白くて最期まで観入っちゃった動画。 1989年放映の関西ローカル番組だね。 よってリアルタイムでは観ていない。 ダウンタウンが本格的に東京に進出し出した頃でまずは「笑っていいとも!」その後、深夜で「ガキの使い〜」が始まった。 そんな正に天下を狙おうとする若き俊英と御大上岡龍太郎のトークだが流石は上岡龍太郎、ほとんど独壇場になっている。 松本人志の低姿勢ぶりと上岡の話を真剣に聞き入る様は異例中の異例でありどれだけ上岡龍太郎の存在が大きかったか? 雄弁に物語っている。 実際には上岡龍太郎も拠点を東京に移しつつある頃で或る意味では似た者同士とも言えた。 上岡龍太郎もまたダウンタウンの漫才を大いに認めており漫才や芸に対する持論を惜しみなく語っている。 松本人志が上岡の一言一句に真剣なのは当然な話で彼の目標は島田紳助だった。 上岡龍太郎こそ島田紳助の才能を逸早く認め芸
これも御題通りなんだが広げようと思えばあらゆる分野に転がすことが可能な話だがキリのいいところで着地させたいと思う。 前述したようにオートバイはこの国ではもうほぼ終焉した。 これは議論の余地はない。 だって全盛期の1/9しか売れないんだから。 特に若者が乗らなくなった。 これは前回書いた 共通言語の細分化 なり 共通体験欲求の消滅 なり 携帯電話の発展がもたらしたもの なり ユース・カルチャーの終焉 を読み返せば理由は分かるかと思う。 されど、だ。 例外が一つだけある。 オートバイ販売数の低下に反比例するようにハーレー・ダヴィッドソンの販売台数だけはうなぎ上りに上昇したのである。 その理由も以前書いたけど簡単に言うと 商品だけでなく魅力的な背景を売ったから である。 魅力的な背景とは ハーレー・ダヴィッドソンのある生活 である。 つまりハーレーを
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、この世紀のビッグ・カップルこそビートルズ神話最期の爆弾でありそれが炸裂しビートルズと言うグループは解散してしまったのだった。 当時はオノ・ヨーコこそビートルズを解散に追い込んだ元凶でありファンは勿論、マスコミからも散々叩かれた。 だが作用に対して反作用が発生するように反作用に対しては作用が生じる。 以前も書いたがジョンはヨーコに心底惚れ込み生まれて初めて家庭的な幸福を手にしたのである。 ではジョンはなぜオノ・ヨーコに恋したのでしょうか? これまでこのブログで私が書いてきた文章を繋げればいとも簡単に答えは出てくるはずです。 私は全ての記事に伏線を張っているからです。 別々のカテゴリーで書いた記事も上手く帰納できます。 2008年以降私も自身のブログを完全にコントロールできるようになったのです。 それはさておきジョンがヨーコに恋した最大の理由は
1990年代渋谷系と呼ばれるミュージシャンの台頭とともにあるフランスのミュージシャンが一躍注目を浴びることとなった。 その男こそセルジュ・ゲンズブールである。 今はどうか知らないが1990年代後半サブカルチャーをかじった少なくない若い女性達にとってゲンズブールは「教祖」そのものだった。 では、実際のゲンズブールは若い女性達が憧れるような素敵な人物だったのだろうか? 以前、私はゲンズブールの事を「フランスの業平」と表現したが彼の名声はそのミュージシャンとしての才能よりも数々の女性と浮名を流した面での方が大きいかもしれない。 実際、ゲンズブールの人生に色を添えた女性は フランス・ギャル、アンナ・カリーナ、ペトゥラ・クラーク、マリアンヌ・フェイスフル、ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキン、カトリーヌ・ドヌーヴ、バネッサ・パラディ・・・ とざっと挙げただけでも錚々たるものである。
2年前の発表からチョイチョイこのブログでもこの世界最安値自動車タタのナノに関して書いてきたが一体全体どれだけの人間がこの自動車の凄さに気付いているだろうか? 答えは Nobody! Nobody But Me!! 僭越だがこの自動車の凄さを世界で一番分かっているのはこの私。 私だけ。 絶対にそう。 日本のマスコミもこの自動車をセンセーショナルに取り上げているが凡俗な日本のドライバーは全くと言って良いほど注目しない。 悲しいことにmixiのナノのコミュニティは私を含めてたたの9人なの。 数多あった英国車のブランドの中でかろうじて商品の価値があるのはミニとランド・ローバーとジャガーの3台だけ。 で日本で時代錯誤のスノッブ供が乗り回してるランドローバーもジャガーもタタの軍門に下って久しい。 タタが拾ってやらなかったらこの2つのブランドは消えてしまったかも知れんのだよ? も
アーヴィン・ウェルシュのビート小説「トレインスポッティング」に喧嘩中毒の暴君フランシス・ベグビーという男が出てくる。 彼は自分のことをフランコ将軍と言うことがある。 フランコ将軍とはスペイン内戦に勝利しスペインの実権を握った独裁者フランシス・フランコ総統のことである。 なぜベグビーはヒトラーやムッソリーニより遥かにマイナーなフランコを自称したのだろうか? 歴史を紐解いても独裁者の末路は悲惨である。 ナチス・ドイツの総統ヒトラーは拳銃自殺、イタリアのムッソリーニはパルチザンに捕らえられ処刑されている。 共産圏の独裁者もルーマニアのチャウセスクは処刑されている。 中国の毛沢東は二度権力の座から落ちており死後その政策の誤りが共産党から正式に発表されている。 スターリンは天寿を全うしたがやはりその死後フルシチョフによって大きく批判されている。 しかし同じ独裁者でもフランコは死ぬま
漫画「はだしの元」は日本で最もポピュラーな漫画の一つだろう。 団塊ジュニア世代以降にとってはこの漫画は学校の教室にあり図書室にあり市町村の図書館に置いてあったのだから。 だが中沢啓治の他に類を見ない才能は「はだしの元」に限ったものではない。 小学校低学年の時に私は学童保育に居たのだがそこに中沢啓治全集が置いてあった。 「はだしの元」だけでなく「いつか見た青い空」や「ユーカリの木の下で」「ゲキの河」等、傑作漫画の数々を読んで私はファンになった。 だが当時の私に最も衝撃を与えたのは「黒い雨にうたれて」に始まる通称「黒いシリーズ」である。 1968年から1973年にかけて主に大人向けの漫画誌に掲載された。 少年誌ではないので内容はかなりアダルトでハードボイルドタッチの劇画である。 だがただの劇画ではなかった。 その内容の深さにおいてこのシリーズを超える劇画や漫画は出ていないだろ
以前、シトロエンについて長い文章を書いたがその時 「そういえば景山民夫が学生時代に乗ってたのが確か2CVだったな・・・」 と学生時代に読んだ彼のエッセイを思い出した。 出典は彼の初のエッセイ集であり講談社エッセイ賞に輝いたこの「普通の生活」である。 売れっ子放送作家だった景山民夫の過去から現在に渡るエピソードが面白おかしく書かれている。 発表は1984年である。 久しぶりに読んだが正直言ってシトロエンのエッセイ以外かなり読みづらいエッセイだった。 飛ばし飛ばし読んで恐縮だが読み終えた感想としては 景山民夫は死ぬべくして死んだ ってことだ。 このエッセイを読むと景山民夫が 俺ってこんなに面白いでしょ? 俺って世界を股にかけてこんなに波乱万丈に生きてるでしょ? 俺ってこんなに物事にこだわってるでしょ? だから俺って他の誰よりも忙しいけど「人生を楽しんでる」でしょ?
最近、久しぶりに英グラナダTV制作のシャーロック・ホームズを観てそのカッコよさに大いに痺れた私だがその後、ネット上に氾濫しているホームズ情報のお粗末さを知って頭が痛くなった。 情報化社会と言われて久しいがインターネットってのは諸刃の剣だ。 簡単に情報が手に入るがいかに間違った情報が巷に出回っていることか! 批判するだけなら実に容易いことなんでシャーロッキアンの端くれとしてこれから本当のシャーロック・ホームズ像について書いてみたいと思う。 ◆シャーロック・ホームズはエニアグラム・タイプ5? 私が一番首を捻ったのがこの記述。 出るわ、出るわ、もはや定説のように広く知れ渡ってしまったようだ。 何でもエニアグラム・タイプ5の典型がシャーロック・ホームズなんだと。 ホームズは本当にタイプ5だろうか? さにあらず。 はっきり断言するがホームズは絶対にタイプ5ではありません! ちな
三島由紀夫から始まる文章はこれで126回目くらいかな?(笑 それはかなりオーバーだけどこのブログ昔から三島、三島、三島・・・・ だね。 そんな私だが実は三島由紀夫が書いた本ってせいぜい5冊くらいしか読んだことないの。 肝心な小説に至っては「仮面の告白」一冊だけ。 残り4冊はエッセイや対談集だから。 ただし三島由紀夫に関する本は20冊以上読んだ。 勘違いしてる人が居るかも知れないが私は世の中に数多ゐる三島信者ではないんだよね。 もっと言えば私は心情的には左翼だし護憲論者だし軍隊が大嫌いだし二二六事件も全く評価しない。 当然、ホモセクシャルじゃないしボディビルも剣道も空手もしない。 でも三島由紀夫のことばかりこのブログで引用する。 私に言わせれば三島由紀夫ってのは「万物の引き出し」みたいなものでね、そこを開けると中から私の言いたいことがジャンジャン出てくるのよ。 つまり
愛すべき猫たち(141) 台湾ベスパ50SS(246) ベスパ・スプリント(163) バジャジ・チェタック(260) ミニ1000(390) フォルクスワーゲン(257) 博士の好きな自動車(24) 自動車(145) オートバイ(24) その他ベスパ関係(12) ファッション(57) 腕時計(17) モッズ(40) 音楽(76) 映画(71) TV(65) 本(49) オーディオ(52) インテリア(28) 建築(12) グルメ(44) 日記(132) 世の中にまつわる話(147) 格闘技(5) 歴史(10) 社会科学(41) 評論(30) アーカイヴス(11)
知らない人にはどうでも良いがある種の人達にとってはこの映画のオープニングは人生の転機になるくらいの衝撃だっただろう。 1979年の公開以来この映画のオープニングを観て道を踏み外した輩は全世界に推定1億6590万2491人は居ると思われる。 私もそんな一人である。 だが悲しいことに公開当初この映画は日本の愚鈍な映画評論家連中に全く理解されなかった。 映画のラスト、全てに絶望した主人公のジミーはエースのスクーターに跨ってブライトンの絶壁から海へダイブする。 これがジミーの死と理解されてしまったのである。 自殺に限らず主人公が最期に死んでしまう映画は枚挙に暇がない。 ゆえにこの「さらば青春の光」は凡庸な青春映画と言う訳だ。 今となっては 「ジミーは海へダイブしたが死ななかった」 と言う統一見解が出来ている。 オープニング、夕陽をバックにジミーがブライトンの浜辺を歩いている。
まず最初にこれから書く文章は以下のブログを読んで大いにインスパイアを受けたことを白状しておく http://d.hatena.ne.jp/kj-create/20090513/1242155546 プロはともかく人の書いた文章などほとんど褒めない私だがこの文章には大いに感銘を受けた。 だからタイトルもかなり似てしまった。 弁解するがどうしても1979年と言う年号は入れざるを得ないからである。 上記の記事を書いた男も私と同じ1979年生まれである。 この1979年生まれと言うのは80年代と90年代と言う時代そして2000年代の日本を語る上で大いに重要だからである。 1978年生まれや1980年生まれでは我々と同じ共通意識を持つことは難しいだろう。 昨年の小室哲哉の逮捕以降私の頭の中でグルグル回り続けていることがある。 まず私の青春時代である1990年代とはいかなる時代であっ
若い世代はたまのこと知らないだろうね。 我々の世代以上は知っているが誤解している。 ほとんどの人が「さよなら人類」だけが大ヒットした一発屋だと思っているから。 小学校の頃の私が最も熱を入れていたアーティストがたまだった。 彼らの音楽が大好きだったしメンバー全員を天才だと思っていた。 たまのメンバーは 柳原幼一郎 ピアノ、アコーディオン、オルガン 知久寿焼 マンドリン、ギター、ハーモニカ、 滝本晃司 ベース 石川浩二 パーカッション、縦笛 である。 この4人はそれぞれが独力で作詞・作曲が出来ヴォーカルも取れた。 そして4人の書く楽曲はそれぞれの個性が溢れたものだった。 大雑把に表現すれば 柳原 覚え易いポップ・ソング 知久 前衛的な芸術性の高い曲 滝本 綺麗なメロディラインを持つバラード 石川 シュールなコミック・ソング と見事に住み分けが出来ていた
死後30年近く経過した現在でもカリスマ性が衰えないジョン・レノンや今でも第一線で活躍中のポール・マッカートニーの才能を疑う人間は少ないだろう。 彼等が成した偉業は否定しようがなくジョンもポールもまごうことなき天才だったからである。 ジョージについてもビートルズ時代に「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」「ヒア・カムズ・サン」と言う至極の名曲を発表しておりその才能は疑いようがない。 余り言及する人が少ないがジョン作の「ヘイ・ブルドッグ」を退けシングル「レディ・マドンナ」のB面に抜擢された「ジ・インナー・ライト」は当時ポールが激賞している。 中途半端にロックを知った輩がジョージのギタリストとしての腕前を馬鹿にするが馬鹿はお前である。 確かに技術的には現在のそれと比較すると大したことはないがビートルズ前期においてジョージの丁寧で味のあるプレイはビートルズ・サ
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