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衆院選
blog.livedoor.jp/easter1916
問題に対して、一義的な解が存在するとは限らないことを最も印象的に示すのは、軍事的事例であろう。 そもそも戦争で問題を解決しようとする動機が存在可能なのは、勝敗の不確実性ということがあるからである。もし戦力の優劣で勝敗が決定されるのなら、戦力が劣った側が戦争に訴える合理的理由は存在しないだろう。負け戦ほど理に合わないものはないからである。 しかし、勝敗のゆくえが不明であるからこそ、ブラフが可能になる。ブラフの存在は、単なる勝敗に対する認識論的不確実性を、一種の形而上学的不確実性に変える。少なくともそれは、事実認識を増やすことによって克服可能な、通常の意味での認識論的不確実性ではない。というのも、勝敗は部分的には死の覚悟――死を冒す主体の自由な意志に依存するからである。 時々刻々に変わる状況と主体のかかわりという戦場の現場に身を置いている軍人にとって、自由と運(テュケー)とのかかわりほど身近な
チャン・ジョナン監督の映画をシネマート新宿で見た。期待通り、重厚な作品である。何度かの革命を経験した韓国の映画は、このようなテーマを描けば世界随一かもしれない。革命を実際に同時代の出来事としてごく身近に経験した人々が、まだ社会の中枢で活躍しているから、自分たちの歴史の細部に至るまでリアリティがつまっているのだ。(彼らのことを、1960年代生まれ、1980年代に闘争を経験して1990年代に30台の連中という意味で、386世代と言うらしい) 結局は全斗煥大統領を倒した革命は、ソウル大学生の拷問虐殺に対する人民の怒りに発していた。 今回の映画で、特に印象的だったのは二点。まず第一に、革命が進展する節々で、本来ならば体制を支える中心にある人々、検察官とか、公安部長とか、刑務所の保安係長とか、看守といった人々の中に、独裁者の闇を暴くのに大きな役割を果たす人々がいるということである。検視を担当する医者
「誰を味方にしようなどというから間違うのだ、みんな敵がいい。」(勝海舟『海舟座談』) かつて職場で労働組合をつくったことがある。きょうび組合と言っても、親睦を深め、労使協調を図るものばかりだが、私のは闘う組合だ。私たちの要求は、「表現の自由」とか「性差別撤廃」とか慎ましいものばかりであったが、そんな最小限の人権のためにさえ、どれほど徹底的に闘わねばならないか痛感させられたものだ。職場の大ボス・小ボスとことごとく対決したので、危惧を感じた同僚は次第に遠ざかり、やがて私は完全に孤立した。 だが、みんな敵になってみると、それが存外心地よいことに気づく。とことん嫌われているので、愚劣な懇親会に出る必要も、スモール・トークに付き合う義理もない。もはやそれ以上嫌われることがないので、自分を曲げて人に合わせることはない。いかなる忖度も気兼ねも一切不要。よどんだ空気を読むこともさらにない。思えば、人に嫌わ
ことばの杜(山形新聞)への投稿 私たち〔ホワイト夫妻〕を名前で呼ぶように、またその逆も許してくれるようにという申し出を、彼〔大森荘蔵〕は断固拒んだ…多くの他の日本人はこの問題に関しては柔軟になっていたが、大森は違っていた。私たちは彼のことを、一皮むけば一種のサムライであると考えるようになった。(ホワイト『日本人への旅』) 著者モートン・ホワイトは、戦後日米アカデミズムの懸け橋として活躍したプリンストンの哲学者である。本書は、戦後間もない頃から三十年ほどにわたる交流の思い出を記したものだ。その中に、何人か私自身面識のある先生方が出てくるが、とりわけ印象的なのが大森荘蔵先生の姿。先生は、ファーストネームで呼び合おうというホワイトの申し出を断固として退け、最後まで敬称を外そうとはなさらなかった。これは、他の日本人にはないところで、ホワイトに特に印象深く映ったのであろう。そこに、誇り高いサムライの
「トロツキスト」というのは、ロシア革命でレーニンに次ぐ活躍をしたレオン・トロツキー(本名ブロンシュタイン)の思想と行動に単に共鳴する人のことを指すのではない。それ自体極度に論争的な文脈と含意を持つ言葉であったし、また今でもそうである。今日、そのような文脈がほぼ消滅している中にあって、それについて論じるアクテュアリティは少ないと思われるが、私自身、一時トロツキストとして活動した時期があるし、今日でも一部そのような運動にある種のノスタルジーを感じる人もいるので、私自身の今のスタンスを明らかにしておきたいと思うのである。 私は、政治的伝統とか政治的権威というものには大きな意義を認めるものであるが、ノスタルジーのような感傷は、政治という領域においては極めて有害であると思っている。それゆえ、特定のイデオロギーの政治的意義とその欠陥を明瞭にしておくことは、今なお重要であると思う。 トロツキストとは、ソ
国家が合法的暴力を独占している近代国家において、政治闘争から暴力の要素を還元できると考えるのは、全くの幻想というものである。政権は、しばしば合法的暴力のみならず無法な暴力(秘密警察、治安機関、暴力団、極右団体、自警団…)にも依存せざるを得ないというのは常識であろう。 この最大の要因は、帝国主義の植民地政策が、植民地と本国とでは異なる統治原理で統治せざるを得なくなることである。植民地の統治では、現地住民の人権を制限し、とりわけその独立運動を弾圧するために差別的暴力に訴えざるを得ない。植民地出身者も、宗主国での雇用を求めて移住してくるので、宗主国における政治運動を制圧する必要から、宗主国市民を統治する憲法的原理とは違う暴力装置が必要になるのだ。 それが、およそ近代政治哲学の諸原理とは全く違った暗黒の諸イデオロギー(人種差別主義、反ユダヤ主義、自民族中心主義など蒙昧なデマゴギー)を装う理由であり
今般、平昌オリンピックにおける統一選手団の結成など、南北合意が一応の結着を見た。まだ予断を許さないとはいえ、極東の平和に対する重要な貢献として心から祝福したい。これは、朝鮮民族全体の努力の結果であり、とりわけ大韓民国ムン・ジェイン政権の英知と度量の賜物として、いずれ高い評価と栄誉をもって歴史に刻まれる可能性がある。 無責任な軍事的火遊びを期待する連中は、この妥協を「オリンピックの政治利用」などと言って、くやしまぎれのケチつけをしているが、愚劣なたわごとでしかない。ナチスによるベルリン・オリンピックも、ネルソン・マンデラによる南アフリカのラグビー・ワールドカップも、もとより政治利用である。そもそもオリンピックが「平和の祭典」とされる以上、政治利用は不可避である。問題はその政治が賢明で正当なものかどうかである。 多くの戦争が思惑に反して偶発的に始まること、また当初小規模の戦闘行為に限定されて企
カルチャーセンターでヘーゲルについて語る機会があった。ヘーゲルについて1時間で話すというのも無謀な話だが、長々と時間をかけたからといって、わかりにくい話が分かりやすくなるものでもない。問題は、ヘーゲルを誇大な物語としてではなく、今でも十分に活用可能な生きた思考装置として見直すことがいかにして可能かということである。以下、「否定性」ということに焦点を合わせながら、ヘーゲルに通常浴びせられる批判に対して、ヘーゲルが擁護できる合理性を、いくらかなりとも持つかどうかを検討してみることにしよう。 【ライプニッツの「調和」】 ライプニッツは、部分の不調和が全体の調和によって埋め合わされると考えた。 部分における無秩序は、全体における秩序である。(ライプニッツ『弁神論』Ⅱ・128) 部分においていかに不条理に見える所があろうとも、それは全体を創造した神の目から見れば、結局は全体の調和を実現するための不可
飯田隆氏から新著『新哲学対話』(筑摩書房)をいただいた。初めの対話編「アガトン」を一読して深く感銘を受けたので、それについて論じてみたい。 飯田氏は、我が国の分析哲学を旗艦として牽引してきた本格的哲学者であり、亡き大森荘蔵先生の高弟である。その著作は、常に周到かつ精妙であり、一般より専門家の中で評判の高い玄人好みのものと言ってよい。しかし今般氏が出版した本書は、質の高さは従来のものと変わらないが、その語り口の平明さや入門的親切心もさることながら、ひときわ遊び心にあふれた滋味豊かな作品に仕上がっている。氏を身近で知る人になら、こういう遊び心が氏の持ち味の一つであることはよく知られているが、本書ではそれが大きな魅力となっている。 有名なプラトンの対話編『饗宴』を下敷きに、その後日談を対話でつづるという形式は、単にプラトンの模倣にはとどまらない文学的出来栄えを見せて瞠目させる。特に、プラトンでは
ヴォルフガング・J・モムゼンの『マックス・ヴェーバーとドイツ政治1890〜1920』を読んだので、それについて論じてみる。 本書は、第二次大戦後ナチズムの清算の下で、民主的ドイツのファウンディング・ファーザーの一人として列聖されてきたマックス・ヴェーバー像を突き崩し、一人の情熱的なリアリストとしてのヴェーバーを描き出した画期的な仕事である。ヴェーバーは、平和的な自由主義インテリなどではなく、徹底的に帝国主義的国民国家の利益を追求した自覚的なブルジョワ政治家であった。 今日ではこのような見方は、むしろ常識的なものとも言えようが、出版当初(1959)は、大きな議論を巻き起こしたものである。我が国では、いまだにヴェーバーを戦後民主主義と平和主義の思想家と見る向きも多いから、それとは正反対の理解を示す本書の意義は少なくないと思われる。 我が国のヴェーバー受容史は、それ自体が興味深い問題を含んでいる
加計疑惑について何ら十分な説明責任も果たさず、証人喚問もしないまま、憲法に定められた臨時国会さえ開かないまま、首相は解散に打って出た。本当なら、この疑惑隠しそのものの不当性を訴えて、野党は受けて立つ絶好の機会になるはずであった。 ところが、受けて立つはずの野党第一党党首が、公約も結党の理念も一貫性(インテグリティ)も裏切って、極右のご都合主義者(オポチュニスト)に身売りを、独断で決めた。事前にいかなる議論もないまま、突然言い出した解党の提案に、これまた党議員全員が何の意義も唱えずに了承したという。 これほど有権者を愚弄したことがあるだろうか? 有権者が選挙において意志を示すには、それなりの情報公開が前提である。候補者が自分の理念を裏切り、嘘を釈明もせずに迎える選挙で、有権者がいかなる選択をしようと、人民の意志の表現とは見なし得ない。与野党ともにおいて、これほどまでに発言の権威が失われ、言語
カルチャーセンターでライプニッツについて講義することになり、改めて考えてみた。ライプニッツに対する共感は、若い時ほどではないが、それでも半端なものではない。ただ、それを厳密に考えてみるとなかなか難しいというのが実態だ。以下、以前に論じた点と重なるところもあろうが、重複をいとわずできるだけわかりやすい形で論じてみよう。 ライプニッツについて語るにあたって、まず第一に述べなければならないことは、ライプニッツが際だって偉大な哲学者であるだけでなく、おそらくは古今東西のあらゆる哲学者の中でもっとも偉大な哲学者であるということである。当然、それに対しては異論もあるかもしれない。アリストテレスの方がより偉大とは言えないか?彼こそは、一人で論理学という学問を打ち立て、以後の哲学の一切の基本を敷いた人物ではないのか?ここでは譲っておいてもいいだろう。とはいえ、それ以上に譲歩することはできない。アリストテレ
レヴィナスは形而上学の中に宗教的洞察を大胆に取り入れ、従来の倫理学にない論点を導入して、倫理的考察を一新した。 従来倫理学は、形而上学の中に組み入れられ、人間存在の特殊な問題領域にかかわるものと見なされ、とりわけ、人間の理性的判断に基づく考察とされたため、人間実践における普遍妥当的な価値判断やその基準を与えることに重点が置かれていた。 たとえば、カント流の義務倫理では、自己の行動規範が普遍的道徳律と合致する限りにおいて正当とされたが、他方、功利主義では、「最大多数の最大幸福」に寄与する限りでの行動が普遍的に正当と見なされた。いずれにおいても、万人に普遍妥当な説得力を持つべきであり、今ここを超えて妥当するものであるべきであった。 そうであれば、「一般に〜を為すべきである」と言えたとしても、何ゆえ私がそれをせねばならないのかを教えるものではない。 また、しばしば多様な価値と複雑な状況においてな
最近、拙論「井上達夫氏の新著と憲法論」2,015 7・7に対して批判をいただいた。 http://eumajapan.blog.fc2.com/blog-entry-150.html ありがたいことである。これに似た立場の方がほかにも多数いると思うので、いくつかの論点について応答してみよう。 もとより、政治的判断については非常に複雑な多数の要素を考慮したり、前提にせざるを得ないため、数学のような確実性は期し難く、また私自身も経験による免れがたいバイアスもあるだろうため、容易に相手を説得できるとも思わないが、自他ともに対して、ある程度の議論の整理や明晰化には資するかもしれないので、以下ざっくばらんに、またラプソディックに論じてみることにする。 批判者は「国民の生命財産を守る国防をどう構築すべきかが最優先の問題であって、…人権や自由や平和主義を守って国土を侵略され国民が死ねば元も子もない」と論
(方法的懐疑) まず第一に、方法的懐疑は、疑わしいことを疑うことではなく、もっともらしいことをあえて疑う不自然で意志的な極めて人為的な試みだということである。それは真理を真理らしいことから区別し、疑わしい理由が存在しないのに疑うといういくらか不合理な疑いなのである。 そうすると、ただちに問題となるのは、明晰・判明知の原則との関係である。デカルトは、コギト スムの明証性を手にした後、ここには明晰・判明なもの以外何ものもなかった、それゆえ明晰・判明なものは真であるという原則を承認できるとした(『省察』第三省察参照)。この論証には何か不透明なものが有る。いったい、コギトの明証性は、明晰・判明知の原則によって確立されるのであろうか、それ故コギトは第一の真理ではなく、明晰・判明知の原則からの帰結にすぎないのであろうか?いわゆるデカルトにおける循環の問題である。(デカルトには、「コギト」、「明晰・判明
堂島サロンというところで話をする機会があった。そこでは、大学の役割ということで話することが求められたのであるが、私の論旨は、大学の文学部(人文学部)ないしは教養学部に期待されているものは、情報や理論と区別されて、「文脈」の教養といえるものではないか、ということであった。12世紀のヨーロッパの発生の時から、大学は文脈というものを教え続けてきたのではないか? そのさい取り上げたエピソードの一つについてやや詳しく論じてみよう。それは、ディオゲネスをめぐる有名なエピソードである。 アレクサンダー大王は有名な哲学者がいると聞いてディオゲネスのもとにやってきた。ディオゲネスは、例のごとく樽の中に住みながら日向ぼっこをしていたとされている。 大王は彼に、何か欲しいものはないか?と訊いて、鷹揚なところを見せようとした。アテナイを占領してみても、その精神までは征服できていないと感じていたからである。 他方、
山形新聞5月13日への投稿―― 「誰にも言わんでお前ひとりでやれ、「思う者」だけでやるんだ。」(永瀬清子『短章集続』) 永瀬氏が、人々を語らって、明治の婦人解放の先駆者、福田英子の碑を建てようとした時のこと。例によって議論百出して路線対立が生じ、運動が行き詰まる。そんなとき、自由民権運動の生き残りの古老が口にした言葉がこれである。 事を起こそうとするとき、広く衆の力を結集することが必要だ。そこで「統一と団結」といった決まり文句が、耳にタコができるまでに強調される。しかしそればかりに気を取られると、結集した力を維持したり、拡大したり、はたまたそれを横領したりしようとする政治的思惑ばかりが先行して、結局、何のための結集だかわからなくなってしまう。それでは本末転倒だ。原点はたった一人の志。そんな志に志が共鳴するのでなければ、本当の力にはならない。 永瀬氏(1906〜1995)は岡山生まれの農民詩
スタヴラカキスはラカンの精神分析学を政治理論に適用して、新たなラディカル・デモクラシーの戦略を提案しようとしている。ここでは魅力あふれる『ラカニアン・レフト』の全体を論じることはできないが、そこで紹介されているアラン・バディウの主張が、以前からの私の立場と重なるところが多いので、それを中心に検討してみたい。 バディウの〈出来事〉はわたくしの「問題解決」という概念に当たるように思われる。それは創造的な行為で、状況から何の必然性もなく、突発的・偶発的に介入するものであり、象徴界の不完全性(亀裂)の中に、その不完全性ゆえに介入し得る。 バディウは出来事が生起する状況を「出来事的な場」と呼び(p−185)、それが一つの実定的秩序(「所与の言説的接合体」p−184)として先在し、それが破断するところに「真理」が出現すると見なした。これは、精神分析では、主体の言説の中に出現する言い間違いや失策行為とし
以前から私は、ニーチェのもっとも本質的な哲学的貢献は、その形而上学や道徳理論にはなく、もっぱら政治哲学にあると論じてきた。あるいは、彼の形而上学や道徳論は、その政治的哲学との関係で初めて、その独創的含意を理解されるであろう。 ニーチェによれば、「弱者」が「強者」と戦うとき、必ずや前者が勝利をかすめ取ることになる。それは前者がルサンチマンの道徳を打ち立てて、「負けるが勝ち」といった戦略に訴えることによってである。こうして、「大衆」による奴隷の反乱が、いたるところで高貴な精神を打ち破り、ルサンチマンによってすべての文化・政治領域を汚染していくと言うのである。 「位階序列」とか「高貴性」といった一見したところ極めて反動的に見えるニーチェの諸説は、このような文化闘争における戦略ということを抜きにしては、まったく理解できないであろう。私は、ニーチェのテクストは読者に対して鏡のように作用し、それに対し
いよいよ至福の『カルテット』の時間が終わってしまった。これを提供してくれた演技者をはじめとするすべての人に感謝申し上げたい。この低視聴率ドラマを打ち切らなかったTBS関係者には、いずれ必ずや神の祝福があるであろう! このドラマがおよそ反時代的な挑戦であったことは、特に注意されるべきである。テレビの視聴率をはじめあらゆる常識に反して、我々の「期待」を裏切り続けてきたのである。 大賀ホールに集まった聴衆は、第一曲が終わるとすぐぞろぞろ帰宅を始める。その後も退出する者が後を絶たない。視聴率が低迷を続けても、誰か聴く者に届けさえすれば意に介さないと言わんばかりのふてぶてしい態度には、思わず喝采を叫んでしまった。そうだ、空き缶を放り投げる連中は放り投げるがいい!いつも少数者だけが、ほんのちょっとした符丁で理解し合うのだ。 我々は初め、スズメか真紀かどちらかが悪いのではないかと疑う。しかしそんな期待が
教育勅語を信奉する政治家の問題が、変な形で脚光を浴びている。 ここで、その名を口にするだにおぞましいこの政治家の名をあげることは避けるが、それを追及する野党政治家も、教育勅語の問題を十分に把握できていない節があるので、今更とはいえ、この問題に少し触れておく。 愚かな政治家が、「朋友相信じ」とか「夫婦相和し」といった箇所は今もなお普遍的な価値理念を説いていると言うのに対し、野党は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の箇所が軍国主義につながったことだけが問題であるかのように立論する。 このような主張では、教育勅語のイデオロギー攻勢に十分に対決することはおぼつかない。この勅語制定の時から、できるだけ具体的な内容を組み込まず、誰でも、どんな宗旨の人にもさほど抵抗なく受け入れられるものにすること、言わばできるだけ内容空疎にすることは、注意深く意図されたことであったからである。 それはもともと道徳理念を説く
これまでもベンヤミンはおりにふれ読んできたが、いまひとつわからないことが多かった。このたび必要に迫られてある程度まとまって再読することになり、自分なりのベンヤミン像を結ぶことができたので、それを素描してみたい。 【出自】 ヴァルター・ベンヤミンは、1892年裕福なユダヤ系ブルジョワの長男としてベルリンに生まれた。ここにはベンヤミンを特徴づける三つの要素がある。その都会性、ブルジョワ的な恵まれた幼年期、およびユダヤ性である。彼と似た経歴としては、7つ年上の1885年生まれのルカーチがいる。ルカーチの父親は、銀行家として地位を固め爵位まで授与されたユダヤ人である。また、1889年生まれのルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの父カールも、オーストリア帝国において鉄鋼で巨万の財を成したユダヤ人であり、爵位を与えられようとしている(ただしそれを拒否した)。 ベンヤミンは、彼らより数年遅れているものの、
「ことばの杜へ」2008・1・12 「愛は盲目ではない。盲目ほど愛から遠いものはほかにない。」(チェスタトン『正統とは何か』(春秋社)p−122) 世紀末に生まれ、対戦間期に活躍したイギリスの批評家チェスタトンは、ふつう保守主義者として有名である。しかし彼の「保守主義」は、単に既成事実を尊重するとか、何でも伝統を墨守するといった態度からはほど遠いものだった。政治にせよ宗教にせよ、傍観と無関心を嫌い、コミットメントの勇気と責任を求める。その基礎は、理性ではなく愛である。だが、愛は盲目どころではない。愛すればこそ、その欠点や危機に敏感であらねばならないからである。ただそれを己れの悲しみとして引き受ける、その美点を己れの悦びとして引き受けるように。 愛する者は、理由によって愛するわけでもなければ、充分な理由が満ちなければ行動できないような臆病者でも有り得ない。自身、誤る危険は充分承知の上で、風車
例によって、山形新聞「ことばの杜」への投稿。1月21日の記事。 頭上に広がる天空の弧は長い、だがそれは正義に向かって伸びている。 (マルチン・ルーサー・キング) 1966年公民権運動のデモ隊が蹴散らされた後、キング牧師が語った言葉である。それは、40年以上後の2008年11月5日、バラク・オバマ大統領の勝利演説の中に埋め込まれて再登場する。幾年月にわたる先人たちの艱難と苦闘の末、それでも歴史の長い歩みが大きな弧を描いて、正義の実現へ向かって再び曲げ直される時が来た、とオバマは力強く語った。「1年や一期だけで我々はそこに到達できないかもしれない…しかし私は約束する、一つの人民として我々はそこに到達すると」。 「そこ」が、かつてキング牧師が語ったあの「約束の地」の事であることは、「一つの人民として我々は」の下りで、シカゴのグラント広場を埋め尽くした20万人の聴衆にははっきりとわかった。はからず
先日、京都の高等研というところに呼ばれて、このテーマで話をした。以前、ここで何度か論じたことがある話題であるが、当日の話はまくらが長くなりすぎて、やや尻切れトンボになったきらいがあるので、もう一度ここで論じておく。もっとも、結論部分は以前に「革命的法創造の理論」として何度か論じたことがあるので、省略する。 『走れメロス』 ちょっと中学校の国語の授業のようなテーマですが、私自身『走れメロス』を読んだとき、違和を感じたものです。最後の場面で、互いに信頼を裏切ったことがあることを告白して殴り合う場面です。ちょっと芝居がかって過ぎやしませんか? 友情には、芝居がかったところほど不似合なものはない。 さりげない思いやり、控えめな感情表現、率直な直言こそがふさわしいのです。 「ブルータスお前もか!」と叫んだシーザーは、驚愕したのでしょうか? そんなことはない。ブルータスの生一本な性格や、共和国に対する
「2003年東北芸術工科大学紀要」に掲載された拙論を、ここに転載する。 楽譜部分を載せる技術がないので、これまでためらってきたものであるが、その部分を省略しても全体の論旨に差しつかえるほどのものではないので、思い切って転載することにした。以前に発表した『時局論』(『紳士二人正々堂々時局を論じてあひ譲らず』)の続編と考えていただいてよい。 自由人の教育 [学内処分」 A──君は、昨日の電話の話では、君の勤める大学で処分を受けたんだって?なかなか穏やかではないね。いまどき、大学の教師が処分されるなんて話はめずらしいよ。今日は、その詳細が聞けると思ってわくわくしていたんだ。 B──実際、「訓告処分」というのを受けたのさ。理事長が僕を呼んでいるというので、何かいな?と思って行ってみたら、何やら賞状のようなものをくれたので、良く見たら訓告処分と書いてあった。 A──いったい、どんな悪事を働いて、そん
この作品は、戦後の風俗を背景に、没落貴族の令嬢かず子の恋と自立を軸に描いた小説である。戦後の経済的逼迫から、かず子が母とともに伊豆の山荘に引っ越す所から始まり、母とかず子と弟直治、そしてその文学の師である上原をめぐって展開する。 やがてかず子は上原の子を身ごもり、他方、直治は秘めた恋に絶望して自殺する。 直治は上原に心酔しているようであり、その話をかず子は直治からよく聞かされている。かず子が上原を欲望するようになるのは、直治の欲望を模倣して、であることは容易に想像できる。 直治は、おそらくは上原の妻(すずちゃん)を慕っている。直治の恋の対象は、最後まであいまいに伏せられているが、相手が上原の妻であることはほぼ確実であろう。「すずちゃん」はさる洋画家の妻であるとされているところを見ると、画家として紹介されている細田または福井の妻である可能性も排除できないが、直治の遺書で「その相手が誰なのかお
M―実在性と虚無との非対称性を認めることこそが反実在論の本質だと言う君の考えは、なんとなくわかってきたが、それが「反実在論」と呼ばれるのはいまひとつピンとこない。 T―実在論は、真と偽との間を対称的に考え、否定によって相互に転換し得るものと考えているが、反実在論は実在の一者性を強調し、偽に対応する事態の実在性を否定するから、いわば実在の希少性を強調するものだ。だから、「反実在論」という名称はややミスリーディングでもあるね。 実在と虚無とでは、実在こそが虚無を限定するが、虚無は実在を限定しないと自然に考えられるだろうが、それが真と偽のレヴェルになると、途端に相互の非対称性が不分明になってしまいがちだ。だから、定立と反定立とが、互いに否定操作によって反転するかのように見なされてしまうわけだ。ところがアレーテイア真理観は、その点をあいまいにせず、もともとあった非対称性を保存している。 M―実在こ
私自身の著作について、いろんな方面から批判をいただいているが、いくらか誤解もあると思うので、少々弁解を試みよう。 そもそも、すでに書いた書物について弁解するという態度そのものが、妙に未練がましく、書き手としての覚悟のなさでしかないとも言えよう。 私もできれば、言うべきことはすっかり言ったから、あとはそこから何とでも読み取ったらいい、とばかり悠然と構えていたいものである。 だが、今日日そんなことも言ってられない。それほど日本語が崩壊に瀕しており、また出版界もそれ以上に危機状態にある。物書きも、富山の薬売りのように、自分自身で自分の本をお買いいただいた家に出向いて、一文一文解説をして回るくらいのことが求められているのかもしれない。 トーキーになる前の映画では、弁士がついて映像について解説したものである。落語でも、登場人物のセリフを語る以外に、噺家は当時の風俗や街並みや、今では使われなくなった家
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