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評論家の種村季弘は「天下に名のある美食家でも、私は大食いの記録をちゃんと残している人しか信用したくない」(『食物漫遊記』ちくま文庫)と書いている。確かに、小食の人より量を多く食べる人の方が、なぜか信用できる様な気がする。それは当たり前だが「食べる」ということが、基本的な欲求や味覚と、密に関わっているからであろう。 最近「大衆食堂の詩人」こと、遠藤哲夫氏(通称エンテツ)の本を愛読している。人間最大の欲の一つ「食欲」に真摯に向き合っておられるのが、個人的に好きだ。なぜなら本書でもそうだが、屁理屈をこねるのではなく、またやみくもに大上段に構えず、核心に対して鋭く切り込んでゆく姿が爽快なのだ。 かつて氏は食品プランナーを職業にしていた。食品工場を見学した時「こんなにつくって食いきれるのかと思うほど、すごい勢いで製品ができる。それを目の当たりにすると、ただただ人間の胃袋が怪物のように」(第一章)思わ
私事で恐縮だが、自分は阪神タイガースのファンだ。学生時代(1990年代後半)あるハマッ子の先輩にその事を告げると、憐憫を向けられたのを思い出す。そして、1998年10月8日、甲子園球場の横浜戦をテレビ観戦していた。序盤、大豊(愛すべき選手だった)がライトスタンドにホームランを放つ。もちろん定位置の最下位に落ち着いたタイガースなので、スタンドはガラガラ。一方、レフトスタンドに反転すると、三塁アルプス・内野席まで横浜ファンで一杯(むしろライトまで来なかったベイファンの優しさに感じ入る)。そして8回の進藤の逆転打。8回9回を大魔神・佐々木が締めてゲームセット。横浜のリーグ優勝が決まる。歓喜に溢れるレフトスタンド。無数の紙テープがグラウンドに投げ入れられる。これからは権藤監督が率いるベイスターズの時代。一方我々は1987年以来の最下位からどれだけ苦渋を舐め続けるのか・・・。しかし2002年状況は一
紀伊国屋書店といえば、本の業界にいれば知らぬ者なしの大手ナショナルチェーンである。某 T 社が年間売上高で紀伊国屋書店を抜いたと息巻いているが、こちらは FC システムで、多数の加盟企業の集合体、すべて直営店での運営の紀伊国屋書店とは比べられない。そして、すべて歴史と経験則で測ることはできないが、書店業は色々な意味で、それらが大いにものを言うのも事実である。書店はノウハウを持つ書店人と看板で成り立つものである。(もうそんな時代じゃないよ、という声が聞こえるが)その意味でも、紀伊国屋書店の業界での地位は揺るがないであろう。 紀伊国屋書店創業者の田辺茂一氏は僕らの世代にとっては馴染み深く、よく NTV の「 11PM 」に出ていたことを思い出す。この人物と、文化を売る「紀伊国屋書店」とのイメージギャップが大きく、戸惑うことしきりであった。余談だが、同様なことで思い出すのは、(最近は違うかもしれ
何かに強烈に心を動かされて、今まで生きて来た道とは全く違う事をする場合がある。 河川敷に住む野良猫と仲良くなったミュージシャン・田村氏 ( 著者本人 ) 。散歩に連れ立って歩くほどにその野良猫・ローラと娘猫・エムちゃんと親交を深める。 ある日 3 匹の捨て猫を見つけ途方に暮れる彼にローラが救いの手を差し伸べる。 我々の日常の中で良く見かける野良猫だが、彼らが生きているのは弱肉強食の野生の世界。他者の手助けをするなど滅多にないはず。ましてや、生物種としても全く別個の物である人間の手助けなど、そもそも完全な意思の疎通ができない事からも困難なはず。しかしローラは田村氏の、「捨て猫達を助け、育てて欲しい」という願いを受け入れる。 激しい感銘を受けた彼は、一匹の野良猫との種を越えた心の通い合いや、必死に願い、助けられた事から見つめ直した命の重さ・大切さを多くの人に伝えたいと強く思う。 本来の生業とし
もう何を読んでもめったなことでは驚かなくなった私だが、本書にはびっくりした。これは、「まったく新しいかたち」の小説である。何というか、この小説は「かたちをもたない」のだ。 登場人物が、生と死の、男と女の、人とけものの、境目をなくして幻想の世界に入っていく、というのは倉橋由美子や小池昌代の極上の作品で見られる。つまり「筋の中で、かたちをもたないものたち」というのはある。ところが本書では冒頭、登場者が「本を読む」ということにとまどいをみせる。 目で字を追っているのに、ことばが頭の中で意味につながらない、よって何度も同じページを行ったり来たりしてしまう。それが、何日も続く。文字やことばや意味が、かたちを結ばないところから物語ははじまり、そのかたちをもたない文字やことばがゆらゆらしながらもどうにか立ち上がり、登場者は自分が「ひとになってしまった」ことに気づく。 なってしまったものはしょうがないので
児玉さんは、すごい。私にとっては「尊敬する書店人の一人」であり、「熱く燃える書店員」であり、「同業他社のライバル」でもあり、「ともかく人間として素晴らしい知人」なのであります。 初めて某PR紙の書店員対談でお会いした時には、残念ながらもう車椅子の生活を送られていらっしゃいましたが、東京での会合にわざわざ広島からいらっしゃり、ハンデなどもろともせずに会合後も「都内の本屋を見て回るんだ」と鼻息も荒く、素敵な笑顔で大好きな作家藤谷治さんや森絵都さんのことを話していらっしゃいました。 年一回開かれる本屋大賞の受賞式にも常連でご出席。「仲間が頑張っていて、年に一度でもこうやって顔を合わせられるのは、楽しい」と。そうか…書店員は他社の人間でライバルでも、こうやって繋がっていけるのだなと教えていただきました。 本の雑誌社さんのHP“WEB本の雑誌”での連載を読ませていただき、それまで知らなかった闘病
この本は読んだのは12月上旬である。 麻生総理が「選挙より経済政策」と言い解散を先送りし、政局がギクシャクし始めた。 麻生政権打倒を目指す民主党党首小沢氏の話から始まる。 小沢氏は元々自民党の中心で日本の政治をリードしてきた。 自民党時代、豪腕と言われた手法で政権を維持してきた。 だが,小沢氏は当時その手で自民党をぶっ壊そうとしていたのだ。 「自民党をぶっ壊す」と言えば小泉元首相だと思っていたが、まさか小沢氏が先に言っていたという事に驚かされた。 そして実際、自民党を壊した小泉元首相。小泉氏がなぜ郵政民営化を強引なまでに推進させたのかが分かってくる。 国民の高い支持を得た言動やパフォーマンスに隠された政治手腕。なぜ自民党が壊れ始めたのかも分かってくる。 壊れかけている自民党についても書かれている。読んでみると思った以上に組織力や団結力が強い事が分かる。人材の発掘や育成、政策などの事前の議論
上司の優しいお計らいにより、大好きな野球とソフトボールの取材が満喫できた五輪だった。ソフトは金メダルで、野球は4位。明暗が分かれてしまったが、両代表チームの健闘をねぎらいたい。特に今五輪の野球の審判員は、ストライクゾーンにばらつきが多く、完全なアマチュア。今後、トッププロを招請しての大会を開くなら、プロのレベルにふさわしい審判を確保する必要があるのではなかろうか。 今回、両競技を見て感銘を受けた選手が2人。その2人ともが「佐藤選手」だったのは、偶然だろうが。 1人はソフトボールの「5番・一塁」として優勝に貢献した佐藤理恵選手。 この佐藤選手は、初めて代表入りしたアテネ五輪では、代走のみの出場だった。銅メダルを手に帰国したものの、力不足を痛感。以後、日本代表の声がかかっても「本当の力をつけたい」と辞退し続けた。 「自分の弱点は体幹の筋力が弱いことと瞬発力がないこと」と基礎トレーニング
発売を待ちわび、すぐ買った。『テヅカ・イズ・デッド』でマンガ批評にサード・インパクトを起こした(と、個人的には思っている、セカンドは夏目房之介)伊藤剛の単著二作目『マンガは変わる』。1996年から2007年にわたって雑誌などに書かれてきた原稿が一冊の本にまとまりました。 『テヅカ・イズ・デッド』は2005年の刊行。手塚の死後マンガがつまらなくなったとする言説に疑問を覚えた著者が、これまでのマンガ評論と正面から対峙し、その理論が手塚以後の近代的リアリズムしか照射に入れてこなかったこと、それゆえに現在のデータベース化したマンガの魅力に追いつけていないことを暴きだした快著。 内面をもった存在として描かれる「キャラクター」から物語に関わらず魅力的な存在である「キャラ」を隠蔽し「近代化」するまさにその瞬間を、手塚自身の起源的作品『地底国の怪人』に見出す力強い展開は圧巻で、賛同するしないにかかわらず、
大学卒業後、浦和市(現さいたま市)須原屋で2年間研修。終了後、紅雲堂書店へ。新しい書店像を常に追い求めている。
全社員の椅子はバランスボール。賃貸マンション向けカードキーの製造・販売会社「シャーロック」社(東京・日本橋)が採用しました。 ここでは机も変わっていて、今や仕事用は全部、卓球台なのです。電話などでお聞きして頭ではわかっていても、実際に伺って拝見すると、やはり、びっくりします。「えっ、これって、マジ?」って感じです。 バランスボールは、今年初め、姿勢が良くなり集中力も高まると導入されました。ある社員の発案だそうです。居眠りもなくなった上、座っていても疲れないと社員の評判も上々で、もう普通の椅子には戻りたくないという人が多いようです。 卓球台の方は、今年7月、普通の机から変更になりました。椅子(つまりバランスボール)と高さが合うほか、引き出しがないため書類の整理が進むんだそうです。お互いの距離も縮まるため、会話が増えるとか。その上、今後のレイアウト変更にも対応しやすく、なんと一石「五」鳥!?。
『書店員のオススメ読書日記』番外編 ~書店員のウラネタQ&A~ Q.「書店員さんが個人的に売れてほしい作家の本を、いい場所に陳列したりできるんですか? それとも出版社によってスペースが決められているんですか?」(30代・女性) ----------------------------------------- A. 文庫や新書などは出版社によって場所を決めて並べていることが多いです。「また個 人的に売れて欲しい」というよりは「職業的勘に基づいて売れると判断した」本をいい場所に 陳列することはあります。 (ブックファースト 渋谷店 林香公子) A. 確実に売れる本と売りたいなと思う本はいい場所で展開します。出版社によってスペースが 決められているといったことはほとんどありません。 (ブックファースト 渋谷店 山川友美) A. 個人的に売りたい作家さん(または本)がまだブレイクしていなか
「祭り」と聞いて体が反応してしまう方はいらっしゃいませんか? 今年の夏も全国各地で色々なお祭が行われたと思います。私の書店のある春日部市でも毎年7月中旬に夏祭りがあり大いに盛り上がる。 今回紹介するのは高知県の「よさこい祭」を題材にした一冊である。 東京の高校から高知の大学に入学した篤史は、大学の近くにある祖父母の家に下宿させてもらうことになった。 久しぶりの田舎を懐かしむように自転車で走っていると4月だというのに8月のよさこい祭のポスターが貼られていた。 篤史も一度だけ参加したが出来るだけ参加はしたくない様子。 しかし従兄弟の太郎に誘われ,断ろうとしたが断りきれずスタッフとして参加することになった。 祭の準備に取りかかるスタッフ。その準備の大変さに驚かされた。 流す曲、踊り、衣装は毎年変えるそうだ。実際やっている方達の大変さがうかがえる。 篤史にも役割が割り振られその仕事をしつつ振り付
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