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雑記, 写真 | 18:42 | 秩父で合宿をしてきました。その年度に博論あるいは修論を提出する予定の院生が、自分の論文の進行状況を発表するというのが、合宿の主な目的となります。ぼくは一応今年度の博士号取得を目指していますので、発表をしなければなりません。ここ最近は論文の執筆に集中しており、このブログの更新もだいぶ滞っていたのですが、おかげさまで無事に発表を終えることができました。まだまだ完成までには稿を重ねていかなければなりませんが、今回の発表で、完成がだいぶ見えてきたのは確かだと思います。秩父は、昔ぼくが最初の大学にいたころ、人形劇の合宿で何度も訪れたところです。ぼくらは西武秩父に集合し、少し離れたところにあるバス停からバスに乗り、ゴトゴト山道を揺られながら登っていきました。そしてとあるお寺の本堂に泊まり、みんなで自炊しながら、川で遊び、そして近所の子どもたち相手に人形劇を上演しました
物語 | 00:53 | やあ。どう書き始めたらよいのか悩んでいたんだけれど、昔あるひとがぼくにこう言ったんだ。書き出しに悩むくらいなら、いきなり書きたいことを書いてしまえ、ってね。それはそれで暴論だとは思うけれど、確かにいちばん書きたいこととは関係のないところで止まってしまって、いつかそれきりになってしまうというのはとても惜しいことだよね。もちろん、物語にとってその語り始めがいかに大切かというのはよく知っているつもりだ。物語。そう、きょう書きたいと思ったのは、物語についてなんだ。このブログのタイトルがそうであるように、ぼくはここではつねに物語を書いている。少なくとも自分ではそう思っている。だから時折、実際のぼくの生活とここに書かれたことをあまりに直截的にイコールで結ばれてしまうとちょっと寂しくなるのだけれど、同時に、じゃあ嘘を書いているのかと言えばもちろんそんなことはない。ここに書いてき
雑記 | 22:44 | 先日本の整理をした際に、ふと思い立って自分の好きな表紙を集めてみることにしました。とはいえ、ここでご紹介するのは文庫本に限定します。値の張る単行本や豪華本、稀覯本で凝ったデザインのものは除外します。いやそもそもそんな本持っていないんですけれど、でもそれだけではありません。ぼくは文庫本っていう形態が好きなのです。手ごろな値段で古今東西のあらゆる物語、知識をこの手に持つことができるのですから、これほど素晴らしいものはない。値段というのは大事で、それは一部の限られた人間だけではなく、もっと多くの人びとが力を手にする直接的な要因となるものです。もちろんそれは奢った言い方で、世界には(いや日本にだって)様々な理由で文字が読めないひともいるし、本を購入できないひとだっている。そういった人びとの数の方が多いかもしれません。それでも、やはり文庫本というのが(岩波文庫の『読書子に寄
雑記 | 23:07 | 数日前、彼女がとある手続をするために担当窓口に行ったところ、ずいぶんと失礼な対応をされたという。彼女からその話を聞き、ずいぶんプロフェッショナルとしての意識が低いひとがいるものだなと嘆息したのだが、しかしそこには案外根深い問題があるようにも思う。おそらくその担当者は、自分の仕事に対する本質的な喜びや誇りを持っていないのだろう。あるいはより悪く、心のどこかで自分の仕事を侮蔑してさえいるのかもしれない。それは結局のところ、自分の生を侮蔑するということだ。世界には、もっと素晴らしい仕事がある。他人に評価される仕事、いやそうでなくとも社会の役に立つ仕事、真に有意義な仕事。けれど、本当にそうなのだろうか?ぼくが所属している研究室は環境思想が中心テーマで、そこでは現代において極度に分業化、合理化された仕事が人間を疎外する、といったような考え方がけっこう共有されている。それはそ
雑記 | 23:11 | 怖い話が好きだけれど、さてほんとうに怖い話となるとなかなか思いつかない。怖くないだけならまだしも、人間性を冒涜するような話、いやそこまでいかなくても人間を馬鹿にしたような話は面白くもおかしくもない。たとえば有名な都市伝説で道路を高速で走るお婆さんの話がある。有名な、などと言っておいてなんだけれどほとんど覚えていない。とにかくまあ、もの凄い速さで高速道路を走りぬけ、あらゆる車を追い抜いていくらしい。それはそれで好きにすればよいのだが、どうにも話の底が浅い。だいたい、肘をついて走ろうがブリッジしながら走ろうが、そんなことでいちいちぼくらは驚くだろうか? 怖がるだろうか? そんなはずはない。ぼくらの日常は、毎日がもっと想像を絶するような愚行や残酷な行為に満ち満ちている。お婆さんが元気に時速100kmで走るなら、むしろそれは喜ぶべきことだ。けれども同時に、夜中、独りで走る
雑記 | 11:33 | 書こうと思っていきなり躓いたのですが、さてどう書こうかな……。以前のエントリーで触れたことがありますが、ぼくはアーチェリーで全国第三位になったことがあります。ちゃんと竹下登とか書いてある賞状もある。あほらしいですね。でまあ実際あほらしい記録なんですけれども、いかにあほらしいかというのはここではもう触れません。あんまり言うと自分が寂しくなるから。人生、ちょっとしたはったりも大事です。ぼくの場合ははったりだけで九割超えるのが問題ですが、ばれなければはったりではない。とにもかくにも、アーチェリーは意外にまじめに打ち込んだ時期があります。アニマル的(まと)を射ろとか言われてうんざりしたのと、あと紳士淑女のスポーツだから女子は白のスカート、男子は白のスラックスを着用とかわけの分らないことを言い出して、しかもそれに関する下品な冗談とかもあって、本当に気味が悪くなってやめてしま
雑記 | 22:58 | ちょっと精神的に疲れていたのですが、タイミング的にも論文に集中しなければならなかったので、ちょうど良かったのかもしれません。まだ完成はしていないのですが、ぼくの活動限界はだいたい午前三時程度ですので、明日の提出には十分に間に合うでしょう。ですので少しブログを書こうと思うのです。嘘をつく、ということがあります。けれども、もうこの書き方からして嘘ですね。そもそも嘘をつくなんてことがあり得るのか。あるいは逆に、真実を言うなどということがあり得るのか。もちろん、どちらもあり得るでしょうし、同時にどちらも不可能でしょう。「本当に巧い嘘は、真実の中にほんの一片の嘘を混ぜたものである」ということをしばしば聞きますが、本物の嘘つきであれば、これがいかにもっともらしいだけのでまかせかが分るはずです。また一方では嘘つきのパラドックスというものがありますが、あれもまた本来の意味での(ぼ
雑記 | 13:00 | ぼくの好きなブログはいくつかあるけれど、その幾つかはある日突然更新が止まってしまい、そしてそれきりになる。その背景になにがあったのか、それは分らないし、また踏み込むべきものでもない。ただ、とても残念に思うことしかできない。長く続くブログというのは、その平常心にとても安心する。無論、それは無味乾燥、ということではまったくない。日常を語るように日常を語るということ。簡単なようで、難しい。消えてしまうブログには、どこか危うさがある。だからこそ書けることもあるし、だからこそ書けないものもあるのだろう。ぼくはといえば、書くということ(それは日本語であれプログラムであれ)以外に自分を表現する手段を持たないので、死ぬまでしぶとく何かを書いているだろう。ぼくが好きな言葉は、ただ甘いだけの言葉でもなく、突き放すような冷たい言葉でもない。必死であっても穏やかであっても良いけれど、相手
写真 | 23:38 | F1.6、1/8秒、ISO100、WB:曇天、クリエイティブスタイル:AdobeRGBF1.6、1/1600秒、ISO100、WB:白色蛍光灯、クリエイティブスタイル:AdobeRGB
物語 | 19:38 | ――私は嘘つきなの。彼女は罪を告白するように、怯えたように、あるいは自嘲するように、いつもそう呟く。もちろん大昔のパラドックスではあるまいし、彼女の言葉すべてが嘘というわけではない。だから彼女が自分を嘘つきだというその言葉も嘘ではないのだが、それがよけいに問題なのかもしれない。彼女がどれだけ自分を嘘つきだといったところで、そう語る彼女の悲しげな眼差しを見てしまうと、ほとんどの人はその言葉こそが嘘で、彼女は本当は嘘などつけない、傷つきやすくて正直な人間なのだと思ってしまうらしい。いや、彼女が正直だということはある意味その通りではあるのだが。そんな彼女にぼくは表面だけふざけて言う。――きっとさ、きみのその、いかにも真面目そうな見た目もまずいんだよね。嘘なんてついたことありませんって顔してるもの。――こんな見た目、好きじゃないんだけどね、と彼女も寂しそうに笑う。もっとも
雑記 | 00:30 | 物語が好きなひとならお分かりいだたけると思うのですが、過度の感情移入というのは、その世界から抜け出すことを極めて困難にします。それ故、映画のエンドロールや小説の解説やあとがきは、向こうの世界からこの世界へと戻ってくるその困難さを和らげてくれる緩衝材として、極めて重要なものだとぼくは思っています。だから映画館とかで、エンドロールが始まった瞬間に席を立って帰っていくひとを見ると、ちょっとびっくりするのです。あれ、あんなことして、この世界にちゃんと戻ってこられるのかな、と。そんなふうに無理やり自分の心を向こうの世界から引き剥がしてしまったら、ぼくならしばらく混乱してしまうでしょう。そんな感じで、ぼくは小説の解説やあとがきをしっかり読むほうですし、単純に好きなんです。そうして解説も良いけれど、あとがきの方がさらに好きです。それはべつに、作品とは異なるところに現れる作家の素
物語 | 17:36 | まだ薄暗いうちから目を覚ます。独りで暮らすには広すぎる家は夜の間に冷え切り、雨戸の隙間から弱々しく差し込む光のなか、きみの吐く息が白く広がる。気合を入れて布団から這い出し、雨戸を開けて布団をたたむ。コーヒーを沸かし、その間にベーコンエッグを作る。新聞を読みながらコーヒーを啜り、トーストを齧る。真冬でも暖房は入れないが、それでもきみが動きまわるうちに、部屋の空気は少しずつ緩んでいく。食器を洗い、シャワーを浴びる。最初の十数秒は水しか出ず、歯を食いしばって悲鳴をこらえる。それでようやく、目が覚める。シャワーを浴びながら、髭を剃る。――知っているか? 最近の髭剃りは五枚刃なんだぞ。水音を通して、ふいに父親の声が鮮やかに甦る。あれは亡くなる一年ほど前だったろうか、まだ外出する元気のあった父親が、ある日買い物から帰ってくるなりきみにそう言ったのだった。病状の見通しが暗いこと
雑記 | 18:46 | 研究者を目指す若手の学生たちにおいて、自分がなぜ研究をしているのか、いったい何を研究しているのかが分からなくなってしまうということはしばしば起こりえます。ぼくはそもそも研究者を目指しているわけではありませんし、そもそも人類史上五指に入るほど能天気な人間なので研究で悩むということがあまりないのですが、けれど無駄に長い学生生活を送るなかで考えてきたこと、見えてきたことがありますので、今回はそれについて書いてみることにします。さて、ぼくは研究する(あるいは論文を書く)際に、つねに念頭に置いておかなければならないと思っていることが三つあります。それらはすべて研究というものの位置づけに関するものです。まず第一に、その研究が属する領域における位置づけ。第二にその研究の社会的な意義づけ。そして第三にその研究が存在する前提としての社会的基盤に対する自覚です。ではさっそく順番に見て
雑記 | 23:05 | 先日usauraraさんがひさしぶりにブログをアップなさっていて読んでいたとき、ふと心に引っかかるものがあり、何だっけなあと思っていたのだけれどようやく思い出しました。以前、ハコニワをやっていた時期にうささんがこのエントリーをお書きになって、面白かったのでぼくもそれについて書きますよ、と言ったのでした。もう一年以上前になるのか……。けれども、思い出したので書くのです。電子媒体からのインプットもアウトプットもカジュアルになっている現代は、普通の人がごく普通の生活の中で「表現行為を楽しむ」ことができる。私のようなただ絵や文章が好きなだけの人間が、ネットを介してそれらを「外に置く」ことが出来る。いまだに「勘違いして○○気取りで」という非難をする人があるが、その非難の仕方自体古い。○○気取りもなにも、ネットは既に誰でもが取るに足りない日常の断片を置ける場所なのだ。ぼくは結
雑記 | 19:02 | それで物語が終わるということについてなんですけれども、といきなり書き出してしましましたが、それについて考えています。物語が好きなひとなら同意してくださるかと思うのですが、良い物語というのは、読んでいるときはこの先どうなるのかが気になってどんどん読んでしまう。けれどいざその物語が終わってしまうと、ひどく寂しくなりますよね。それが嫌だから、ほんとうはどんどん読み進めたいのだけれどわざとゆっくり読んだり、途中で読むのを措いたりする。でも物語っていうのは、始まりがあって終わりがあって、そこで初めてその物語世界が完結するものだから、どうしても終わらざるを得ない。というより、終わりまで読まざるを得ないんですね。当たり前です。小説を読んだり映画を観たり音楽を聴いたり、それらはみな物語だとぼくは思うけれど、終わるのが嫌だからって途中でやめてそれっきりにして死んでいくひとは(考えて
雑記 | 21:43 | 今回のタイトルは、最初「美しいものは常にモノクロで記憶される」でした。ひさしぶりに白黒モードで写真を撮って、やっぱりモノクロもいいよねなんて考えているうちに、ふと、相棒と昔観た映画を思い出したのです。もうずっと昔、まだぼくらが最初の大学生だったころ、夜、彼女とふたりでとある映画館へ行ったのです。あれはどこだったでしょうか、もう覚えてはいませんが、どこか小さなところだったと思います。映画のタイトルは「途方に暮れる三人の夜」。どんな内容だったかはすでに忘却の彼方ですが、恋人関係にある男女とその親友であるゲイの男の三角関係を、モノクロフィルムで淡々と追った、事件も波乱もない物語だったと思います。ただ、いまでも覚えているのはその映画のラストシーンで、(いろいろあった夜を越え)相変わらず途方に暮れたまま、けれどどこか吹っ切れたような表情も浮かべつつ、三人が一つのベッドに横た
雑記 | 20:03 | 以前にも何度か書いていますが、ぼくはいま、共生倫理と環境思想を学んでいます。ぼくらの社会が抱えている問題の根本的な要因として、人間‐人間関係の、そして人間‐自然関係の崩壊があります(と言っても、ぼくはいまだかつてそれらが正常であった時代などなかったと思っていますし、そもそも正常って何だというのも胡散臭い話ですけれども)。そこでまずこれらを同一の視点から捉えること、つまり自然をも含めた他者とこの「私」との関係性について考察することから始めるというのが基本的な方針です。とまあこれは相当に乱暴なまとめ方ですが、今回は自分の研究について書くことが目的ではありません。ぼくが学んできた中で、みなさんにぜひ紹介したいと思う本について書こうと思うのです。曲がりなりにも博士課程に身を置いているので、一応それなりに専門書を読むことになります。そして(べつだん全肯定する、ということでは
物語 | 21:18 | 1 射位に立ち、足踏みから胴造りへ。弓構えのまま目を閉じる。周囲からあらゆる音が消え、ぼくにはすでに的をまっすぐ射抜いた矢が見える。ぼくは弓であり、矢であり、同時に的だった。目を開き、打起しから引分け、会へと流れる。会は永遠に続き、離れは意志によってではなく、ただ時が満ちたが故に訪れる。放たれた矢は引き寄せられるように的の中心へ突き立つが、それはすでに起きていたことだ。残心の構えのまま、ぼくはすべてが一致し満たされていたあの永遠を惜しむ。 午前中の準決勝は順調に勝ち残り、結果はどうであれ残る決勝が高校における和弓の締めくくりとなる。勝てば二連覇となるが、不思議と緊張はなかった。もともと勝負にはあまり関心がないのも幸いしているのだろう。とは言え、勝てばそれだけ射られるのは嬉しい。ぼくが一年のころ弓道部はほとんど廃部寸前だったから、同学年はひとりもいない。今年も総体
コンピュータ | 11:26 | 関連記事「くまにも分かる関数の名づけ方教室 基礎編」登場人物くまくん くま先生「きょうは論理演算と情報処理の基本について一緒に考えてみよう。くまくん、用意はいいかな?」「zzz……」「寝ているのかな?」「蕎麦を食べていました」「まぎらわしいですね。それではさっそく始めよう!」「zzz……」「やっぱり寝ている!」 人間死ぬときゃ独りだが、俺はいつでもロンリー(論理)だぜとクマは言う「すべての情報は0と1の組み合わせで表せます」「嘘だ! なら俺の愛を0と1で表現してみやがれってんだコンチクショウ!」「0」「!!!!」「というわけで、あらゆる情報は0と1の組み合わせで表現できます。みなさんがいま読んでいる文字も、たとえば「あ」という文字なら「1000001010100000」に対応させようというルールを、みんなが共有していなければなりません。ところが、世界には多
物語 | 14:53 | 本を読むのが好きな子供だった。友人はいなかったが、それをさびしいと思ったことはない。世界にはぼくの知らないことが無数にあったけれど、一歩図書館へ入り手を伸ばせば、そこにはすべてに対する答えが、あるいは答えを求めるための手がかりが記された本があった。身体の弱いちっぽけな子供だったけれど、他のどの子供も体験したことのないような冒険に、ぼくは頁を開くだけで旅立てるのだった。学校でも家でも、暇さえあれば本を読んでいた。たまに裏山をひとりで散歩することもあったけれど、見たことがない植物や昆虫をみかけたり、あるいはその生態などにふと疑問がわけば、ぼくはすぐに家に戻り、父の書斎にある百科事典や図鑑でそれを調べた。大学へ進んでもぼくのそんな性格に変りはなく、ただ、知りたいことが増えるのと同時に手が届く本の数もまた一気に増えたことが純粋に嬉しかった。ぼくが本に関してある種の才能を持
雑記 | 21:45 | 先日、ふとした会話の流れで、あるひとにお勧めの本100冊を紹介してほしいと言われました。ひとに何かを薦められるほど本を読んできたわけではないけれど、自分自身にとって、大きな影響を受けた本をまとめておくのも悪くはないなと思ったのです。きょうはひさしぶりに一日かけて本を整理しまして、じゃあついでに100冊リストを作ってみようと思い立ちました。けれども実際にやってみると悩みに悩み、最終的には、1) 1600年以降の作品に限る。2) 文庫に限る。3) 詩集、専門書は除く。という3つのルールのもと、50冊だけ選ぶことにしました。本当は一冊ずつコメントをしたいのですが、さすがに大変なので今回はただ並べるだけで。自分の本棚を晒すというのは恐ろしいことで、自分の生き方や考え方が如実に表われてしまいます。特に自分のもっとも気に入っている本を挙げる以上、言い逃れができないことになりま
雑記 | 01:53 | という訳で何かこうブログというと、その人のカラーとか得意なこととか専門分野とか、そういった中心的なテーマみたいのがあるそうでして、じゃあこのブログって何かあるのかしらというと何もない。自分で書いていて、本当に脈絡がないなあなどと思っていたのですが、きょう凄い発見をしました。これはね、日本全国、ぼくのブログがトップだと胸を張って言えることです。知りたいですよね! ね! うん、あなたが知りたくないことは分っているのですが、寂しいので言わせてください。googleで「デッキブラシ」を検索すると、製品としてのデッキブラシ関連が幾つか出てきた後、このブログが堂々の8位でヒットするのです(2009年2月29日現在)。凄い、ブログとしてはトップですよ!はあ疲れた。精神的に。で、きょうの話題ですが、とても真面目な話です。去年の暮れにぼくの数少ない友人である彫刻家が一時帰国しまして
雑記 | 19:16 | ここまで、ぼくらは罪と赦しについて、神を出発点として考えてきました。我を捨て神との合一に立ち帰るのか*1、それとも我に固執して存在しない神を告発し続けるのか。けれども、それはどちらも、結局のところ鏡に映った自分の姿に過ぎません。どちらが本質ということもなく、それは互いに向き合ったまま口を開き、音もなく何かを叫んでいるだけです。ぼくらの生きるこの日常は、そのような極限的な形を取るわけではないし、また取らなければならないわけでもない。以前、ぼくがブログに書いた、神学を学んでいて気づいてしまった恐ろしいことというのは、実は恐ろしくも何ともない、極自然で、もしかしたら愛すべきでさえあることでした。ぼくは、存在しないにも関わらず、あるいはそれ故、ぼくから大切なものを奪った(わけですらない)存在しない神を憎んでいました。そうして、神を信じる人間もまた、ぼくにとってすれば敵でし
雑記 | 13:27 | 原罪とは何か、ということを考えるとき、当然ですが創世記を読み直す必要が出てきます。けれど旧約聖書が成立する過程というのは極めて複雑ですから、ただロジカルに読むだけであれば、そこには多くの矛盾が生じます。けれども、それを単に無意味な論理的破綻と捉えるべきではない、とぼくは思います。いまぼくらの眼前にある聖書を前にして、そこから何かを読み取るということは、決して無駄ではない。いやこれはクリスチャンの方からすれば極当然のことだとは思うのですが、ぼくのように徹底して無信仰な人間からすると、どうしても本文批評して分析してばらばらに解体してラベルを貼って、ということをしがちになる。もちろんヴェルハウゼンだってフォン・ラートだってグンケルだってノートだって、みんな立派な信仰者だったでしょう。けれどもぼくの場合、そこに神のいない分析になってしまう。それはやはり自分自身に対して批判
雑記 | 13:24 | 前回のコメント欄にて「フィギュアスケートが大嫌い」と書いたのですが、これだけで終わってはフィギュアスケートが好きな方々に申し訳ないので、急遽このことについて書いておきます。とはいえ現在会社の昼休み中なので、残り三十分程度でどこまで書けるか分かりませんが、まあ書き終わらなかったらまた家に帰ってから続きを書くことにしましょう。さて、フィギュアスケートが大嫌いとは書きましたが、厳密に言うと、ぼくが嫌いなのは、「まだ幼いと言っても良いくらいの女の子がやっているフィギュアスケートを取り巻く環境」です。ちなみにぼくはもういい年なので、ぼくから見てまだ幼いと言っても良いというと、十六歳以下くらいになるでしょうか。あまり厳密ではありませんが。例えば成人女性や男性の場合であれば、嫌いというよりもむしろほとんど関心がありません。ああ、やっているなあ、という程度の認識でいます。これはフ
異なる視点から | 21:34 | 先日、相棒から演習林実習の追記と写真が届きました。実習はすでに終了しているのですが、今回は彼女の実習報告をお送りいたします。それにしても、いったいいつになったら熱帯雨林調査の報告と写真になるのだろう...。熱帯の動植物の写真は面白いので、みなさんにもぜひご覧いただきたいのですが。ぼくはと言えば、彼女の帰国後、ぼくの苦手な生物の写真を無理やり見せられて泣きました。もちろんこのブログではそんな気持ちの悪いものは載せないのでご安心下さい。なお、前回彼女のエントリーにたくさんのスターをいただきましたことを感謝いたします。以上、嫉妬で歯をギチギチならしているcloud_leafでした。----------------こんばんは、cloud_leafの‘相棒’です。相変わらず演習林からお送りしています。読んでくださった方、ありがとうございます。気恥ずかしさのあまり奇
コンピュータ | 00:12 | 登場人物くまくん くま先生「きょうはプログラミングの基礎中の基礎、関数の名前のつけ方を勉強しましょう。くまくん、用意はいいかな?」「定時なので帰らせていただきます」「じゃあ、さっそく始めよう!」 関数って何だろう「例えばとっても大きなプログラムを考えてみよう。宇宙ロケットの制御ソフトなんて、いかにも複雑そうだよね。訳の分からない呪文が何十万行と書いてあるのを想像したら、先生、もうそれだけで失禁しそうだよ。そんなものを、一人のプログラマが作ったり理解したり、できるはずがないよね。人間、どうせ死ぬときは独りだけど、せめて仕事くらいはみんなで協力してやりたいものです。別に、友達になってとか、結婚してとか、先生そんな無理を言っている訳じゃないじゃないですか! …え〜と、何でしたっけ? そうそう、それならその大きなプログラムを、幾つかの部品に分けて作るといいと思わな
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