サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
d.hatena.ne.jp/godfrey
雑感, 意見久しぶりにカチンときたので、ダイアリーで書くhttp://blog.tatsuru.com/2010/11/10_1216.php あのね、日本の学校で教える「自分らしさ」というのは、自分らしさを求める理想的な学生像を演じることに失敗するなというメッセージでしかない事がほとんどなんだよ。だから、極端に自己肯定できない一方、自己肯定できない自分を肯定して欲しい、と自虐へ走る人間が量産される。演じる事の綱渡りに意識的な奴ほど学校からドロップアウトする。ええ、そうですよ。自分もそうやって脱落しましたよ。で、脱落して、予備校に通い始めたら、いわゆる昔ながらの不良として学校からドロップアウトしたタイプ自分のように演じる事に疲弊してドロップアウトしたタイプに大きく区分される感じで、なんとも分かりやすい状況になってたwおかげで、いろんな人が居ても良いんだ、という事実にようやく安心することもで
性「女性」に閉じ込められて苦しんだ事のある人が、男性を「男性」に閉じ込めようとするのはどうなの、と思ってしまうことがあるのだが… 現実にある男女の非対称な状況にカウンターしようとすれば、その言葉はセクシズムに受け取られるようなものになるのも仕方ないと思う。もっとも、それをセクシズムと勝手に受け取り混乱し、傷つく人は「健常な男性」というマッチョイズムに閉じ込められる事に傷ついた男性だけれど。マッチポンプはやめろ、というカウンターを冷静にそう読めないのは「たましい」の問題で、「あたまがわるい」からだろうか。いや、たぶん、そのとおりだろう。「健常な男性であれ」という社会の要請に応える事は「たましい」を傷つけ、「あたまをわるく」することだからだ。 現実にある抑圧の非対称性を考えたとき、「男性であれ」という檻に入れられて傷ついた者は、ある程度、自分でどうにかしないといけなくなってくる。「俺を檻に戻せ
雑感, 心理, ネット頭の中を整理する為に、昨日のエントリ、周辺話題に関連して考えた事を書いてみる。http://d.hatena.ne.jp/ululun/20091127/1259298490http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20091129/1259470692周辺話題としては幾つかあったが、今回、特に参考にしたのは上記のエントリ。 ネットにある全ての言葉は表現であるけれど、それはその人自身の存在、この世に在ることでは無い、と思う。それを一致させる覚悟のある強い精神を持つ事が「表現者」に必要だというのは、確かに正論。けれど、現在はネットが生活に入り込み、覚悟が無くても、「表現者」ではなくとも、言葉が自分の一部になる状況が出来上がってしまってる。そんな状況の中でなら、自身の表現を否定されて傷ついてしまう事があっても仕方ないだろう。そこで葛藤しながら
雑感, 心理http://d.hatena.ne.jp/godfrey/20091026/p1前回のボヤキが少し感情的だったので、今回は、それに関連して考えた事を冷静に。で、冷静に書いたら、いろいろ書いてしまって長文になったのでお暇な方だけ、どうぞ。 フレーム問題と呼ばれるものがあります。自分は専門家というわけではないのですが、自分なりに簡単に説明すると、コンピュータが自分が計算すべき領域を決められずに、ただ、ひたすら可能性のある事を計算し続けてしまい、行動の命令を出せなくなる、という問題です。例えば、計算すべき領域が設定されてない超高性能なコンピュータを搭載したロボットがあったとして、買い物に行け、と命令したとしても、具体的にどこに何を買いに行き、その道中で起こる可能性のある事故とその回避方法は…と、些細な事でも起こりうる事象を延々と計算し続けて動けなくなってしまうのです。この計算すべき
返信, 雑感タイトルは思いついただけで意味は無いです。強いて言うなら、このエントリが戯言かも、とふと思っただけです。 痴漢の被害の話を女性が男性にすると、男性がイラっとしやすい理由上記のエントリのメタブクマに、id:angmarさんとid:lemonbiyoriさんからIDコールをもらったので、ちゃんと応答するためにも考えをまとめてみようか、と思った次第です。はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 痴漢の被害の話を女性が男性にすると、男性がイラっとしやすい理由はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - はてなブックマーク - 痴漢の被害の話を女性が男性にすると、男性がイラっとしやすい理由godfrey メタブ 「一般男性」であろうとすることをやめるのは、別に男性をやめることじゃねーん
心理, 雑感なんか、ちょっとだけ昔の事を思い出したので、忘れないように書いておく。当時の自分は、まあ、とにかく人と接触する事が嫌いで、そのくせ、妙に気位の高い所がある随分と屈折した青年だった。(屈折してるのは今もたいして変わらんがw)それで、以前もここに書いたけれど、その屈折は病的なレベルに達し、毎日、鬱々とした気分で塞ぎこみ、外出もせず、凄まじい自己嫌悪と不安に襲われては、頭痛と吐き気で、トイレに駆け込んで胃液を吐くだけの生活をしてた。精神的にも肉体的にも健康とは言い難い状態だった。しかし、そんな状況でも、いや、そんな状況だったからだろうか。他人に同情されたくない、といつも思っていた。 出来ることなら、誰にも理解されずに生きていたい、自分は自分だけの物にしておきたい他人に自分の感情を横取りされるのが不愉快で仕方ない安易に理解されたような顔をされるより、複雑に誤解されたい自分が死ぬことすら
表現, 雑感, 心理 http://anond.hatelabo.jp/20081214164408 はっきり言うが、彼の主張を処女信仰とは、自分は思わない。処女厨とか、しれっと言っているが、彼は処女厨ではない。こんな奴と一緒にされたら、真摯に自分の処女嗜好と向き合う連中が報われない。 何がそこまで気に入らないかというと、彼の葛藤の無さだ。葛藤という言葉で彼を擁護する意見もあるが、こんな薄っぺらいものは葛藤とは言わない。涙を流し、血反吐を吐きながら、自分の中で自分と向き合う事を葛藤と言うのだ。「もやもや」「ショック」その程度の言葉で表現できる心の動きを理解されない事が悲しい、とか二度と言うな。精神性が大事?精神的揺らぎ?そういう言葉は、自分の精神ともっと向き合ってから言え。 一番気に入らないのは、元増田だけど、と名乗って追記されている意見だ。だから、僕は二次元でいいと思う彼女らには思考はな
ゲーム, 日常不倒城: シューティングの凄さをわかっていない人が結構多い上記のエントリに刺激を受けて、いろいろ考えてみた事をグダグダと書いてみる。ブクマコメントも残したのだけれど、100文字では少し足りなかったので。STG歴が半年程度の自分が、こんなことを書くのもおこがましいが、そこは、つい最近まで興味の無かった人間、という立場の者が、どう思うか書いてみたってことで勘弁して頂きたい。 弾を避けて、撃つ。このシンプルな快感は、確かにSTGの魅力だ。しかし、そこが今時の、大作ゲームが、RPGが、というものでゲームを知った層から敬遠される原因だろうな、とも思う。そういう層からは、シンプルすぎるせいで、STGの面白さが刹那的で持続性に乏しいものに思えてしまうのではないだろうか。試行錯誤をするほどの戦略性があまり無いジャンル、と思われてしまいがちなように思える。 しかし、興味を持ってプレイするように
雑感ペド創作への規制を願う人の気持ちを、男性ヲタが理解できないたったひとつの理由 - 続・腐女子を「萌え」の対象にする、男の“暴力”に堪えられない! - 恋するおとうとはせつなくて お兄ちゃんを想うとすぐ大好きな先生にナイショでおねだりしちゃうの♥ブクマコメントでも書いたんですが、予想通り「検索避けをしろ」に加えて、ポルノ規制の話に関連した補足エントリをアップされたようなので、自分も言及させてもらいます。 自分はBLも、まあ読むし、エロゲもやる男性なんですが、自分の性的嗜好や妄想というものに、そこまで負い目を感じないとダメなんですかね。「傷付いた」と言われて傷付いた人はどうすれば良いのだろう? - 試作型思索と詩作以前に、ポルノ規制の話が出た時に、感じた事を上記のエントリに書いたんですが、そうやって「男性の無自覚な性的消費こそが女性への暴力」とか突きつけられるのはキツイです。だって、男性と
雑感今更だが、パソコンを一台所有しててネットが自由に使えるって、途方も無いことなんじゃないのか、なんて、今日ふと思った。いや、途方も無い、という表現で良いのか、という感じもするが。なんというか、パソコンとネットで出来る事って、ものすごく幅が広くて、一つの要素や機能について突き詰めていくだけでも、底が見えない。それって、初心者には、まだまだ敷居の高い部分がある道具だ、という事でもあるのだけど、そのなんだかよく分からない部分が残っている感じは、知的好奇心が旺盛な人間には、とても喜ばしいものである気がする。まあ、言い方を変えると、なんだか良く分からない難解なものを目にして、自分も分かるようになりたい、と目を輝かせてしまうような、マゾな知的欲求を兼ね備えたオタク気質の人間には、パソコンはたまらない道具だ、という事だ。 パソコンやネットの利用も、以前より一般化してきて、ネットが見れればいいや、という
雑感, 心理sjs7のブログ言及して良いものか迷ったが、あまりにも痛々しい、というか自傷的なエントリだったので、言及してみる。 どーでもいいこと、との事なので、じゃあ自分もそれに反応して、いつものように、どーでもいいことを書く。上記の日記、ネガティブさ満載なわけだが、ここで、ポジティブになれ、とかアドバイスしても無意味だし、届かない。自分が引きこもり状態だった時に、それは何度も経験したことなので。では、何を言えば良いのか。「ネガティブさが足りない、もっとネガティブになれ、もっと絶望しろ」たぶん自分が言えるのはこんな所だ。 悲観的であることを突き詰めていくと、自分が悲観的な思考に至ることすら、疑えるようになる。そして、さらに進むと、希望とか絶望とか、二項対立させる事自体がどうでも良くなる。以前、孤独と絶望というのはジタバタせずに向き合うと向こう側があるって書いたけど、自分がそう思うようになっ
雑感◯◯オタが非オタの彼女に◯◯世界を紹介するための10本まとめ - What is Normal 〜 もはや普通がわからない 〜「非オタの彼女に○○を紹介するための10本」ネタの改変が、次々に出てきているようで、なかなか面白い。あれはオタクが自分の趣味語りをする際のテンプレとして、実に優秀だったということだろう。まず、「非オタの彼女に」という前置きが付く所が大きなポイント。ここで、いわゆる電車男のブーム以後に広まった、「オタク=恋愛弱者の構図を乗り越える」みたいな匂いを見せつつ、オタク嗜好の無い人間もエントリに引き寄せるわけだ。さらに、「10本紹介する」という所が汎用性を高くしている。10本もあれば、その中に起承転結をつけて、内輪ネタを織り交ぜて、きっちりオチがつけられる。ネタにする素材としては、かなり良い感じである。 さらに、メタな形での改変も出てきて、改変としては行き着くところまで行
雑感わが子を自分探し病から守る 前編わが子を自分探し病から守る 後編上記の自分探しについてのエントリを読んでみた。感想は、「本質的には考え方変わってないよね」と思った。 だって、まとめで「ゆるぎない何かを追求しても不毛」って言っておきながら、「自分の存在価値は…」とか言ってしまってるし。いや、だから、それこそが「自分探し」だよ、と突っ込みたくなった。挫折を知らない人っていうのは、その分、色々とこじらせるものがあるのだろうか。自分は、早々に挫折したので、「自分探し」が嘘っぱちだってことに、割と早く気付けて良かったのかもしれない。 「人間には無限の可能性があるのよ!」とか、「夢と希望で未来を…」とか目をキラキラさせながら本気で子供に向かって言ってるお偉いさんを見ると、イラッとする。そういう教育を真に受けて育った子供には、「人間には限られた可能性しかないし、未来には希望が無いよ!」って一度はっき
日記書きの心得, 雑感インターネット時代の「孤独」 - 琥珀色の戯言上記のエントリを読んで、タイトルのようなことを思った。この日記、ほとんどアクセスが無かったのだろうな、と思われる日も実はあるのだけど、それでも自分が書き続けていられるのは、自分が一人でいる事が嫌いじゃない人間だからなのだろうと思う。昨日、自分が書いたエントリとも関連していると思うが、自分にとってネットに何かを投げかけるというのは、キャッチボールというよりも、ボトルに手紙を入れて海に流すような行為に近いもので、そういう行為が楽しめるかどうかが、ネットで呟き続けるためのコツなのだろう。それは、ロマンチック…というよりも、ネクラなキモイ心性なのかもしれないがw さらに言うと、究極的に突き詰めると、人生において何かを遺すという行為もこれに近い、と自分は思っている。「誰かに届く確証なんて無いけれど、それでも、後に続く誰かがいるかもし
日常変な夢を見た。 石を投げられている身内を必死でかばう夢。「やめろ」と言っているのに、ガンガン石を投げてくる。どうにもならないので、二人で逃げた。追いかけてくる者がいないのを確認して、二人で道をトボトボと歩き始めた。「ごめん」と言いながら自分は号泣している。 「ごめん」というのは何について謝っていたのだろう。恐怖に駆られて、かつて自分も石を投げる側にまわっていたことだろうか。それとも、世の中はこんなことばかりだということを、何かの代わりに謝っていたのだろうか。その両方だろうか。自分が謝っている相手が、どんな顔をしているかは見えなかった。 石を投げ、指をさして笑っていた人々は、そのことを後悔する事も無く、自分の知らない所で、いまもゲラゲラと笑いながら幸せに暮らしているのだろう。そんな事を考えて、人類が全て消えてしまえば良いのに、世界が滅んでしまえば良いのに、と本気で思った。しかし、そんな事
雑感秋葉原の事件の犯人が、携帯電話で書き込む掲示板にいろいろ書いてたっていうのが、多くの人に知れ渡っているわけだが、それを知った時に自分が思い出したのは、自分が携帯サイトを利用していた時期の事。今はもう、携帯電話は電話としてしか使っていない上に、家に置きっぱなしで携帯すらしていなかったりするのだが、一時期、興味本位で携帯専用の掲示板を見ていたりしてたことがあった。それで、思うのが、ケータイとPCでは増幅する孤独の質が違う、ということ。おそらく、インターフェイスの差によるところが大きいと思うのだが、ケータイの小さい画面でカチカチとボタンを押して情報を取り込んでいると、PCとは全く違う形で感情に影響するものがあると思うのだ。手軽で、どこにでも持ち歩けて、どこでも繋がれるけれど、世界と繋がっている窓は小さい。ボタンや画面の小さい携帯電話のインターフェイスはそういう感覚を強調する気がする。 普段か
雑感, 心理マスコミはオタク叩きなんかしてねーって - 解決不能上記のエントリのブクマコメントで書くかと思ったけれど、長くなりそうなので、日記に書いてみる。一部報道に自分も少し冷静さを欠いたかもしれない、という自戒を込めて、いろいろと考えてみたのだが、それでなんとなく思ったことが今回のエントリのタイトル。 当たり前だが、偏見というのは、偏見を持つ側だけでは完結しない。偏見を持たれた側にも強烈なトラウマ、恐怖を残す。それで、持たれた側は防衛手段として、時に攻撃的になったり、偏見を持つ側への偏見を持つようになる。それがさらに、偏見を生む。このように、偏見という奴は、この世に生まれた瞬間に二つの物の間で無限に拡大、再生産され続ける。二十年前に起こった某事件からのマスコミや世間とオタクの関係の構造もおそらく、このような形だと思う。最近の若いオタクまでが、マスコミのオタク叩きに過剰反応するのは、たぶ
日記書きの心得 http://anond.hatelabo.jp/20080527065749定期的に、「ブログなんてものは役に立たないんじゃー、やめてしまえー」という意見を言う人が増田なんかに現れる。それで、そういう意見を見るたびに思うのだが、ブログの定義って何なのだろう。定期的に更新される日記的サイトの総称。そういった感じの説明が検索すると出てくるが、自分の書いてるものがブログかと言われたら、違うような気がする。自分の書いてるものは、日記に近い。強いて言うならweb日記だ。あなたはブロガーか、と聞かれたら「いえ、ただの日記書きです」と自分はたぶん答える。 知的生産が、情報の価値が、なんて話をブログ論として出すような、いわゆるブロガーな人達もいるようだが、そもそも自分が書いてるのは日記であり、自分は日記書きなのだから、そういう話はなんだか自分には無縁の物に思えたりする。大体、この日記の内
エロゲ, 雑感 はてなの一部では、またエロゲ規制に関する論議が再燃したようで、どんな感じになっているか、といくつかエントリを読んでみた。それでなんとなく持った印象が今回のエントリのタイトル。これでは、話がかみ合わないよな、と思った。 しかし、両者に共通しているのは現実に起こってしまうことへの恐怖だと感じた。表現が現実化することを恐怖する一般人。規制が現実化することを恐怖するオタク。面白いのは、一般人の側は「規制を現実化させないためにも表現の自粛が必要」という論理で、オタクの側は「表現を現実化させないためにも規制すべきではない」という論理で武装できる所だ。全く逆のアプローチが同時に成立している辺りに、分かり合うことができない、という深い溝が伺える。 一般人にしてみれば、エロゲオタクの愛好してる表現は暴力に等しいのだが、オタクにとっては一般人が賛成してしまう規制こそが暴力に等しい。この辺が規制
日記書きの心得 毎日、こうやって日記を書くようになってから、チラシの裏のような駄文でもとにかく書き続けると、自分の中で変わるものがあることに最近気付いてきた。書いてアウトプットをするほど、いろんなものを取り込んで、インプットしたい、という欲求が増える。誰かの書いたものを読み、自分も書くことで、日記を書く前よりも自分の興味の対象が広がっているような気がする。その証拠に、日記を書き始めてから、やりたいことが多くて時間が足りない、と思うことが多くなった。 何かを書きたいな、と何気なく書き続けることが、自分の好奇心の源泉の一つになっていることに少し驚いている。吐き出し続ければ、取り込まずにはいられなくなるというのは、自然の摂理としては当然と言えば当然なんだけれど、実際にやってみないと実感できないのだろうと思う。 アウトプットの弊害 - 試作型思索と詩作少し前の上記のエントリで、吐き出すことで良くも
心理 夫に対して猛烈に嫉妬するゼルダ・フィッツジェラルドや智恵子抄、ロダンの愛人であったカミーユ・クローデルなど、そういったものを連想した。どれも、パートナーの才能の重さに耐え切れず精神を病んだ女性の例だ。智恵子抄なんかは、精神を病んだ後の妻への献身的な看病と愛の美談の一つとして語られることが多いし、学校なんかでもそちらにスポットを当てて教えられた覚えがあるが、精神を病んだ経緯を考えれば、才能のあるもの同士が一緒に居ることで起こった悲劇の話とも取れる。 凡人は天才を認識できない、なんて言われるが、認識できないのはその方がみんなにとって都合が良いからなのだろう。中途半端に認識できるだけの才能が凡人にあった場合は間違いなく苦しむ。身の程を知らずにいれる、というのは凡人の特権なのかもしれない。芸術家の奥さんへのインタビューなどで「夫のやっていることは私にはわかりません」という感じのスタンスを目に
嗜好ヲタファッション 革命第一弾 - iGirlオタクもファッションに興味持とうぜ!的なエントリが話題になってるようだが、コメント欄やブクマコメントでは、afterの服装が無難すぎる、とか、色使いが、とか、それでもようやくダサめのにーちゃんレベルとか、なかなか手厳しい意見が混じっている。無難すぎてダメって…。ユニクロと無印良品とジーンズメイトでしか服を買わない自分もダメですか、そうですか、と勝手にダメだしされた気分になってしまった。 でも、はっきり言って無難なダサめのにーちゃんレベルが自分には丁度良い。無理して必死にオシャレやっても疲れるし、毒にも薬にもならない程度の服装が正直言って一番疲れない。巷のオシャレさん達は、そういう無難さを指差して嘲笑してるのだろうが、そんな疲れる争いの中に元々ファッションに興味の無い人間がわざわざ首を突っ込む必要は無いと思う。努力して気を使ってこの程度かって言
エロゲ昨日のエントリで、エロゲとかBLとかについて語ったので、今日もその辺に関連する話をしようかと思う。関連する話というより、疑問なのだが、エロゲを売ってるお店に行くと、たまにこんな状況に遭遇する。カップルでも、女性が複数人でも、どっちでも良いのだが、女性がエロゲ売り場に入ってくると、サーッと波が引くようにそのフロアから、男オタがいなくなる。よく考えると、この現象って興味深いな、と思ったのだ。あの、なんとも言いがたい感覚、後ろめたさ?羞恥心?いや、そのどっちもいまいちしっくりこない。もっと複雑に入り組んでいる感情のような気がする。ただ、あの現象には男オタにとって触れられたくない何かが絡んでるのだろうな、と感じるのだ。うん、まぁ、そういう状況に遭遇する度に、そんなことを冷静に考えながら、自分もひっそりと退避行動に移るんだけど…。 それで、疑問に思ったのは、この現象はBLを専門に扱っているよう
エロゲ, マンガ久しぶりに、いろいろニコニコ関連の話題を見てたら、半年以上前にあがってたという、以下の動画がなぜか今頃、はてなの一部で注目されてたようだ。http://www.nicovideo.jp/watch/sm829126動画というか、男性視点で「腐要素のある動画はタグ付けたりして、自重してね」という意見をアピールしたいためのものらしいのだが…。正直、自分にはいまいちピンとこなかった。自分がBLマンガを読むことに抵抗が無い男オタだから、というのもあるのだが、雑多なニコニコ動画の雰囲気の中で住み分けとかナンセンスな気もする。 自分はBLものを少女マンガの延長でいくつか読んだことがある、というか、自分の部屋には何冊かその手のマンガがある。作家の描写によっては男性の自分でも楽しめるものは結構多い。少女マンガから派生したと思われる、関係性の描写に重点を置いたものは性的描写を抜きにしても、そ
日記書きの心得毎日、何かを書いてると、これを書こう、と不意に思うことがあるのだが、時間が無いから後回しにしてしまうことがある。そうすると、これは書かない方が良いんじゃないか、という気持ちが後から出てきて結局書かなかったりする事がある。また、それが誰かの考え方に異を唱えるものだったり、反発する思いを込めたものだったりすると、その分、多くの気力が必要になるため「そんな気力と時間は自分には無い」と判断して書かないという事もある。そうやって、書かないことが賢明なのか、臆病なのかは、なかなか判断のしづらいところだ。書くことが正しいのか、書かないことが正しいのか。 なんで、こんなことを思ったのかというと、今日の朝、書きたい、と思ったことがあったのだが、それが結構、自分の痛い所に触れる話で、さらに答えのはっきりしてないモヤモヤとしたものだったものだから、帰ってきたら、書く気力が無くなってしまっていたのだ
日記書きの心得 日記のネタが無いと嘆く人たち - 遥か彼方の彼方から これについては、書き方の部分も大きいかな、と思う。その日の出来事を羅列するだけなら、ネタなんてものは必要ない。本来の日記というのはそういう部分もある。ただ、せっかく書くなら、いろいろと自分の考え方や雑感を入れて書きたい。それに対して、コメントなんかの反応という外からの刺激がたまにあれば嬉しいな、という淡い期待もあって、それなりのものが書きたくなるのだろう。自分の場合、はてなのアカウントを取ってからは毎日ここで日記を書いているが、最初はそんなつもりはなかった。数日置きの更新にでもして、自分のプライベートな日記の方を毎日書くようにしようと思っていた。ところが、プライベートの日記をベースに、こちらを更新ということをやってるうちにメインがこちらの日記になってしまった。公開を少し意識した日記の方が書き続ける意欲が湧いた、というのも
心理, ネット昨日のエントリに、こんなに反応があるとは思わなかった。自分の小心者な所を丸出しにして、何気なく書いたエントリだったので恥ずかしいというか、注目のエントリに入ってるのを見て、うおっ!とビックリした。ブクマコメントでも、いろいろとアドバイスしてくれる人達がいて、ありがたいなー、と思ったのだが、それらとは少し毛色の違うコメントにちょっと考えるものがあった。2008年03月07日 Wafer はてなスターを使ってるヤツもネガティブブックマーカーと同じで上から目線のクソ野郎、オレはちがうぜヒャッハーだけどそっちも楽しそうだな、と読んだ。このコメントを読んで、「ああ、なるほどなぁ」といろんな意味で納得したというか、自分が引っ込み思案になりがちな一因がちょっと分かった気がした。それは、上から目線や優越感のトラウマだ。かつて、自分が挫折した時に、以前は普通に接していた知り合いくらいの相手が、
ネットはてなスターは、気軽に使えるツールという話が言われたりするけど、自分はなかなか積極的に使うことが出来ずにいる。スターをつけるというのは、良いな、と思った瞬間のときが多いと思うのだが、それが自分には難しい。他人のものを評価する、という行為に尻込みしてしまう。自分には、ブックマークを付けて言及する、という事のほうが心情的には気楽にできる気がする。言及する、という行為よりも、評価してこれは良い、と表明する行為の方が自分の思考の傾向がモロに出てしまうのではないか、と思ってしまうのだ。また、自分の勉強不足が原因で見当違いな評価を付けてしまうんじゃないかと、ちょっと心配になってしまう。さらに、自分は誰かを褒められるほど、見識があるのか、という思いもある。誰かを評価するというのは、自分の中では結構ハードルが高い、勇気のいる行為なのだ。 でも、ここまで書いて思ったのだが、スターって評価という側面もあ
心理精神状態の健康がピンチになった時の3つの対処 - koeだめ上記のエントリを読んで、自分の場合はどうだったかな、と考えてみた。 1.信頼の置ける人を頼るこれについては、自分は両親だった。一人暮らしで、しばらく外に出れない状態が続いていて、どうしたものかと苦しんだ末に、最後は親に電話をかけた。心配をかけたくないという思いが強くて、かなり抵抗もあったが、誰かにSOSを出さないことには自分が苦しんでいるという状況すら認識されない、と思ってみっともないのを承知で助けを求めた。精神的に鬱な傾向の人間ほど、実は他人に迷惑をかけることに強い抵抗を感じるのではないか、と思う。自分も実際そういう所があった。精神的に弱っている自分が両親の精神状態にまで悪影響を及ぼすことが怖くて、治療を受けている期間も両親から距離をとって暮らしていた。自分の精神状態に他人を巻き込みたくなかった。結果的にそれは良かったと自分
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『d.hatena.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く