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池田さんの訃報の第一報を聞いたのは新聞ソースに出る前、月曜の夕方だった。最後の映画を一緒にやっていたスタッフの方からの連絡だった。この一報の中で何が悲しかったというと自殺の場所が「人魚伝説」のロケ地であったと言うことだ。 僕が上京してディレクターズカンパニーで働き始めた頃、丁度「人魚伝説」が仕上げだったのではないだろうか。この作品はディレクターズカンパニーの事実上の1作目であった。白都真理さんが見事な脱ぎっぷりだったが、これは池田さんがカラオケビデオの仕事で一緒になってそこで惚れ込んでということだったと思う。プロデューサーは根岸吉太郎監督と山本勉さん。事実上は勉さんがラインプロデューサーで、根岸さんは日活同期入社の池田さんをサポートする形で、実際に責任分担が何かあったプロデューサーというより自主制作で友人が撮るから現場を手伝いに行く感覚ではなかったろうか?現場からは移動車を敷いたり、助監督
読売巨人が王貞治選手のハンク・アーロンの記録を超える756号ホームランという世界記録達成の折に作られた記念映画である。しかし、なぜか監督は吉田喜重。僕は高校生の時に東映で「新巨人の星」と二本立て封切りで見ていたはずだが残念ながらその記憶がなかった。その後読売との権利問題とか選手会の問題があったのか定かではないが、吉田喜重特集が組まれても外されたり、或いは特集にラインアップされていても急遽上映中止になったりと、もちろんビデオソフト化もされておらず、幻の映画となっていた。それが今回京橋のフィルムセンターで上映されるというので駆けつけた。で、映画だが。 これが読売が門外不出にしたくなるもの頷けるような畸形な記録ドキュメンタリーになっていた。 吉田喜重は、王選手と共に756号を打ったその日にどのようにして家から後楽園球場まで行ったのか仔細に検証していく。ひょっとしたらこの時に王選手の自宅が映り、そ
シネカノンが民事再生法の適用を東京地裁に申請したと言うニュースが出たのはつい先週のことでした。ぼくが最後の助監督をやったWOWOWの「JMOVIEWARS」の最初のシリーズに「月はどっちに出ている」の短篇版があり、これは、その後長編化されて、単館邦画初期の大ヒット映画にもなりました。その後、その仙頭さんと共にプロデューサーの李鳳宇さんは90年代のミニシアター系邦画の牽引役になったとも言えるわけですが、その李さんも仙頭さんも、いま現在の時点で日本映画の表舞台から姿を消してしまう事態になったことは、現在の日本映画の状況を端的に物語っているとも言えます。 僕が監督デビューをした90年代、日本映画の主な収入源はビデオ市場にありました。多少劇場で振るわなくてもビデオで回収出来る。逆にソフト市場はコンテンツ不足なので枯渇することはないとかも噂レベルではよく聞きました。だから劇場上映をしないビデオスルー
いまから10数年前、僕がチーフ助監督だった頃の話だ。 ある映画の制作会社の制作進行尾上(仮名)には、可愛いタイ人の恋人がいた。名前はラムちゃん(仮名)。ラムちゃんは尾上のことが大好きだった。撮影の仕事で尾上の帰宅が遅くなると、ラムちゃんは自分の二の腕をカッターナイフで切り刻んで彼の帰りを待った。それはタイに伝わる呪いの一種で、そうして腕を切ると恋人が帰ってくると言い伝えがあるらしい。だが、尾上はそれを寂しさゆえのリストカットだと勘違いし、ラムちゃんを連れて現場へ来るようになった。僕がラムちゃんに会ったのはそんな時だった。 ある日、僕は冗談がてら「どうせ現場へ来るならタイ料理でも作ってくれよ」言うと、純粋なラムちゃんは上野まで買出しに行き、制作部の炊き出しの道具で、立派なタイ料理を作ってくれたが、それは水生昆虫タガメの塩漬けやナマズのスープなどとても日本人には耐えられない代物だった。ボクは美
その日、にっかつ撮影所は異様な空気に包まれていた。黒沢清組「女子大 恥ずかしゼミナール」のオールラッシュだったのだ。僕にとっては初めての35ミリ製作の映画のオールラッシュ。「女子大 恥ずかしゼミナール」はにっかつ製作の映画だったが、当時1000万ほどの制作費で水谷俊之監督や磯村一路監督も挑んでいた低予算による外部発注の意欲的な企画を映画化するロマンポルノ枠だった。なので撮影所のシステムではなく、ピンク映画にほぼ近いシステムで作られていた。と、言っても水谷さんや廣木さんたちのようなピンク映画として確立されたシステムであったわけでもない。むしろこの間書いた、立教SPPを中心とした大学映研連合の色合いが強かった。万田邦敏、塩田明彦、暉峻創三、園子温、小中和哉、篠崎誠、ら監督たちの他に、今関あきよしの「フルーツバスケット」で女優をやりその後渡辺文樹の「家庭教師」にも出ていた庄司真由美が制作進行だっ
全世界で2100万部を売り上げたと言うミステリー小説の映画化。つい最近の「このミステリーがすごい」でも堂々の2位だから、小説は情報の楽しみ方も含めて面白いのだと思う。映画はヨーロッパ映画独特の背徳感漂う、サスペンスミステリーを美しい北欧の風景と共に描き出す。だが、病的なサイコを描いているのだがもう一つアメリカ犯罪映画のような怖さがないのは、同時代性と言うことなのだろうか?タイトルの「ドラゴンタトウー」の女は、魅力的なキャラクターだったが、犯罪性の本質に人間の闇がもう一つ描ききれていないのが残念だった。「セブン」や「羊たちの沈黙」以降の難しさを感じる。映画のモチーフにもなっている、ナチの残像と言うのが、きっとヨーロッパではいまだに恐怖の記憶が残っているのかもしれないので、その点で原初的な怖さが僕らとは違うのかもしれない。それは思想的と言うより遺伝的に染み付いてる感情だろうか?見終わった後で、
昨日は昼からFM川崎に出演して映画談義や政治談議。でも本来の目的は「女子大生会計士の事件簿 DVD」の宣伝。あっという間に時間が過ぎてしまった。帰ったら「女子大生会計士の事件簿」の宣伝と言うより、小出早織ちゃんのことばかり誉めていたと妻に指摘される。神奈川県在住の小出早織ファンには喜んでもらえたかな? 帰ったら、レンタル落ちの「スウイートホーム」のVHSが届いていたので、ブルーレイコーダーにダビングしながら観る。ほぼ全カット、どう撮られいたか鮮明に記憶が蘇ってきた。殆ど思い出したくないことも多かったが、やはり面白かった。クランクインの初日ファーストカットどのカットから撮ったとか覚えているもんなあ。あと、削られてしまったカットも。撮影はほぼシーンナンバーに近い順番に撮影されたので、前半ほどに初期の黒沢清監督の映画らしいカット構成になっているのがわかる。トップカットの宮本さんのカットなんか「ド
今日はちょっと苦い打ち合わせ。人に苦渋の選択を伝えるのは辛いが、こういう処理を速やかに行ってくれるプロデューサーには感謝しなくてはいけないかもしれない。ちょっと重い足取りで帰宅しつつ、帰ってからいろいろと連絡事項。立ち止まっている暇はなく、次の段階へどんどん進まないといけないのだ。 世間はお盆休みと言うことで、実は僕としては平日のつもりで打ち合わせに出かけたりしているんだけど、昨日はいつも日曜にやっている家族全員の食事会もあったりしてどうも平日ではない感覚になる。だから夕方のテレビのニュースで山城さん死亡のニュースを見たりして改めて今日が金曜日だったことが思い出される。 山城さんとは88年の夏に、黒沢清監督の「スイートホーム」で3ヶ月ほどご一緒した。僕はサード助監督で、特殊メイク担当だったので、山城さんの関わる特殊メイクにも多少携わった。この時の山城さんの印象は、完全に東映のスターと言う印
たったいま、青山からメールをもらって山田辰夫さんの死を知った。僕にとっては「GO CRAZY」と言う東映Vシネマで一緒に仕事をして、つい最近も、日活のスタジオセンターで山田さんがアフレコの時に若い主役2人に「おいおめーらよお、ちゃんと芝居のこと考えてやれよお、口だけ合わせてんじゃねえよお」と言っていたのを思い出して、若い役者にきちんと怒れる先輩の俳優のは少なくなったなあと思っていたところだった。 山田辰夫さんと言えばなんと言っても石井監督の「狂い咲きサンダーロード」だろう。でも僕にとっては「GO CRAZY」のやさぐれた新聞記者の男だ。最初に日活撮影所で会ったときの山田さんは、「狂い咲きサンダーロード」の人がちょっとだけ大人になっただけの、とっぽい役者に思えた。芝居に対しても厳しく、若い主役の役者を本気で怒ってくれる先輩だった。当時のVシネは時間も予算も少ないのに、カーアクション、ガンアク
川崎・堀の内の風俗街に最近摘発が入って、いわゆる「ちょんの間」と言うやつがターゲットにされたらしい。「ちょんの間」と言うのは表向きは居酒屋とかで営業届けを出して、その実、ガラスの扉の向こうに怪しい衣装を着た女性が座ったり立ったりして客を引くところだ。僕は、7,8年前に「ゾンビ極道」が川崎の裏街道を舞台にした極道の話だったので、隠し撮りで実景を撮りに出かけた時に初めてこのガラス窓の向こうの女性たちの存在を知った。そこには、何か戦後とか昭和とかまだそう言う時代の闇の文化と言うか、森崎東の映画や田中小実昌の小説に出てくるような猥雑な時代の名残を感じた。 堀の内は川崎駅からちょうど川崎競馬場や競輪場へ向かう途中にある。別に堀の内を抜けていかなくても競馬場や競輪場へは行けるが、つまり、競馬であてたあぶく銭をここで使うようにうまく街が作られていたと言っても過言ではないように思える。実は横浜ベイスターズ
ディレクターズカンパニー末期の頃、高橋洋さんや黒沢さんの紹介でディレカンとは縁も所縁もない若手監督がドラマダスと言う関西ローカルのドラマ枠を何本か撮ることになり、しかし、やはり撮影所的気質のディレカンのスタッフは、一応相米組、池田組、井筒組など監督系列の助監督たちが多かったので、インディーズや自主映画上がりの監督の助監督はやりたがらなかったので、自然とこういう仕事は黒沢組の出番となり、黒沢さんがラインプロデューサーをやり僕がチーフ助監督を勤めた「裸でご免なさい」と言うドラマがあった。監督は植岡喜晴さん。殆ど自主映画のような現場作りで、役者もひさうちみちおさんが主演で、かとうけんそうや僕や黒沢さんも自ら出演したりしていた。 そんな撮影が廃墟で、深夜に及んでいた時のことだった。植岡さんの演出で、円筒形の鏡の中に人の顔が覗くと言うカットがあった。サミュエルフラーの演出や黒沢さんの「ドレミファ娘の
仕事はどんな仕事でも手を抜きたくない。テレビでも映画でも、企業用VPでも全身全霊をかけてやってきたつもりだ。だが、25歳の時初めて企業用PRビデオを撮ったとき、大失敗したことがあった。ある外資系のファーストフードチェーンのVPだったが、未熟な演出力しかないのに企業の意向とは関係なく独りよがりな表現に拘って、担当者を怒らせてしまったのだ。その問題で悩んでいた時、黒沢清監督は僕にこう言った。「それは相手が悪いのではなくて、全部自分が悪いんだ。監督の責任なんだよ。僕もカラオケビデオを撮って同じ経験したから言えるが、例えばカラオケビデオは映画とは違う。でもカラオケビデオにはカラオケビデオの論理がある。それを無視して無理やり自分のものにしてしまおうとか、映画的にしようとかして出資者の意向を無視するのは傲慢な考えでしかない。佐々木は今回大失敗したと思うが、それを謙虚に受け止めその経験を生かして今後の糧
快晴の中で「東京少女 真野恵里菜編 第1話」クランクアップ。中々難しい役どころだったけど、恵里菜ちゃんはがんばっていたと思います。特に昨日夜に撮ったお父さん役の千葉哲也さんとの長回しのカットは、千葉さんが上手だったのでどんどん引っ張られて新人らしからぬ芝居で素晴らしかったです。今回はいつもの「東京少女」より、ちょっと苦い展開になっていきますが、僕はこういう物語りも結構好きです。子供の頃の自分の家庭環境が複雑だったせいもあって、今回のような家族の行き違いが生むドラマには思いいれがあるのかもしれません。いずれにしろ、この三日間で恵里菜ちゃんはずいぶん成長したんじゃないかと思います。この後は、僕よりも若い監督が続くのでもっと細かいことを要求されることはあっても、基礎的なことを現場で教えたりする人はあまりいないだろうから、悩んだ時はいつでも原点に立ち返って、今回現場で知ったことは忘れないで臨んで欲
朝早くから新木場公園でロケ開始。冬は家を出る時まだ暗いうちに家を出て行くのが何か裏稼業に勤しんでみるみたいで嫌なんですが、1月にともなると6時30分頃から薄明るくなってきて少しはましです。新木場公園のロケは結構北風が強くて寒かったけど、撮影自体は順調でした。午後からは代官山のロケセットで日が暮れるまで撮って終了。今回も早撮りで、明日の予定も今日少しこなせてしまいました。これがフィルムだとこの4倍くらいの時間がかかるんじゃないかと言う感じです。真野恵里菜ちゃんは、お芝居は殆ど新人ですが、親の教育が本当にちゃんとしていると言うか、人間としてとても躾が行き届いた立派なキャラクターを持った女の子で、一緒に仕事をしていてとても気持ちいい人です。このまま曲がらないで、いつまでも真っ直ぐ育って行って欲しいなあと。芸能界の気風に染まらないで行って欲しいなあと思いました。明日は今日より芝居が難しいシーンがあ
朝から夜まで東京国際映画祭で上映されるキム・ギヨン監督特集を観に六本木へ。映画は「下女」と「水女」と「火女82」の3本。「下女」は今から12年ほど前に高橋洋さんに誘われて観て以来。「発狂する唇」を撮るきっかけにもなった映画です。「下女」は12年前からさらに修復されていると言うことだったが、さすがに長い年月観ていなかったのでどこが修復されているのかはわからなかったが、再見して、もう鳥肌立つ迫力ある演出に脳内ノックアウト。続く「水女」は児童国際なんたら用の映画のようだが、途中までの醜悪なメロドラマと突如始まる児童憲章の大合唱でなぜか映画的感動を誘う奇跡の演出。この「水女」の何とも言えない貧乏臭いセンチメンタリズムこそアジアンドメスティック映画の醍醐味。ローカル映画でないと味わえない、アジアの田舎の食堂で味の濃い料理を食べさせられている感じ。「火女82」は「下女」の2回目のリメイク。「下女」がど
山田辰夫さんの命日が7月26日であったことを石井岳龍さんのツイートで思い出した。 山田さんとは96年「GO CRAZY」という東映Vシネマでご一緒させて頂いた。製作費は1500万程度で当時の東映Vシネマの中でも破格の安値だった。しかも、16ミリフィルムで撮影だった。低予算である代わりに主役は新人で、内容的にも自由でいい。但し、東映作品なので銃撃戦、カースタント、エロは必ず入れること、段取は責任持ってセントラルアーツが行うから全て短時間で撮るようにというものだった。 高橋洋さんと一緒に組んだ最初の一本でもあった。 かなり厳しい現場であったが、無名ばかりのキャストの中、山田辰夫さんが主人公たちの無実を信じるちょっとやさぐれた新聞記者の役で参加してくれた。初めて会ったのは日活撮影所の第一衣装だった。 「なあ、監督、これどうやりゃいいのかな?」最初にそう言われた。 「サンダーロードの男があのまんま
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