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私の「夏休みの自由研究」ということでw (※「春休みの自由研究」で追記しましたw 2023.4.2) 最近、四国新幹線の是非等がネット上を賑わせることがあり、「絶対赤字だ」とか「四国新幹線は地方創生の切り札だ」とか色んな声が出ているところ。 しかし、その中で具体の数字があまり出てこない。 本稿は、現行のJR瀬戸大橋線(本四備讃線)の計画上の輸送量と実際の輸送量のデータや建設の経緯等をご提示することで、皆様の実のある議論の一助になればという趣旨で作成したものである。 これは、国鉄の1972(昭和47)年の会議資料に登場する本州四国連絡橋公団(以下「本四公団」)作成の資料である。 1970(昭和45)年段階では、本州四国連絡鉄道の輸送量は、旅客・貨物とも宇高航路の航送量の7~8倍と想定されていた。 当初の瀬戸大橋線の計画輸送量は御覧のとおりである。 ただし、これはAルート(神戸鳴門ルート)にも
福島市内の、東北新幹線が福島駅を出て北上するとすぐの市街地に「森合緑地」という緑地帯がある。 で、下記のようなツイートが見受けられるところである。 奥羽新幹線用地である(と言われている)森合緑地。 #はにわ旅16夏 pic.twitter.com/3nvHErGgUO — はにわ (@soaringhaniwa) August 12, 2016 今は緩衝帯となっている福島駅北側の森合緑地、あれが奥羽新幹線用地という…… — れいこん (@Series_E3) January 31, 2019 福島駅から北に伸びる新幹線の高架区間の下の森合緑地って奥羽新幹線用だったような — 採 れ た て ( 🍭 ) (@HS14_) September 24, 2014 こういうことを言い出すのは、川島令三だろうと思ったみなさん。ビンゴです。 「【新説】全国未完成鉄道路線」川島令三・著 講談社・刊15
構想以来65年ぶりに西武新宿駅と新宿駅を結ぶ地下道が実現に向けて動き出した~西武新宿線の国鉄(JR)新宿駅乗り入れを整理してみる。(23) 西武鉄道のプレスリリースにいきなりこんなのが出た。 https://www.seiburailway.jp/news/news-release/2020/20210426_shinjyuku.pdf 西武新宿駅の乗換利便性向上による新宿線のさらなる沿線価値向上のため、「西武新宿駅と東京メトロ丸ノ内線新宿駅をつなぐ地下通路」の整備に向けた検討・協議を進めます。 私のブログでもしつこく記事にしているように、ここらあたりには、計画が二転三転というか頓挫した未成計画ばかり眠っている。 ざっと経緯を整理するとこんな感じだ。 ネットでは「マイシティ2階の計画がやっと形を変えて復活」みたいなことを書いている方もいらっしゃるが、実際には、その後の地下複々線化の亡霊の復
東北新幹線は、埼玉で反対されていたなら、上越新幹線新宿ルートを先取りして東北貨物線に建設すればよかったのではないか。何故やらなかったのか?そしてそこに見える国鉄幹部の発言の軽さ、無責任さ。 1976(昭和51)年1月 「交通技術」1976年1月号「”ひかり”を北へ 東北・上越両新幹線建設計画の概要とその現況」から引用 上越新幹線の新宿乗り入れは、上図のように、東北本線の在来線貨物線を活用して建設することとなっていた。当然国鉄としては自社用地内である。多少の追加買収は必要だろうが、今の東北新幹線のように丸々追加買収するよりは遥かに楽だろう。 このルートは武蔵野線に在来の貨物が移転してからという条件がついていたが、工事の遅れから東北新幹線にこの土地を使うのも可能だったはずだ。 しかしそうはなっていない。 その辺の経緯を国鉄関係者が業界誌で述べている。そのものずばり「建設業界」という雑誌だ。 (
《独自》JR東、新幹線に貨物車両 コロナで旅客減…導入検討https://t.co/KiwNIG0Dye 1編成のうち1両の座席を全て取り外し輸送用に特化した車両への改造を検討。400箱程度まで輸送量を拡大する。来年中の導入に向け市場ニーズの調査を進めている。 — 産経ニュース (@Sankei_news) December 30, 2020 すわ、貨物新幹線の実装か!と一部業界では年末に盛り上がっているようだ。 また「島技師長発案の世界銀行のためのダミーだった貨物新幹線が!」というコメントをしている方もいるようだ。 ところで、世界銀行のためのダミーという人もいる貨物新幹線だが、東海道新幹線開通後も国鉄社内では継続して検討され、東北・上越新幹線への貨物新幹線(荷物電車)の導入も決定されていたというネタをご披露したいと思う。 その検討舞台は、国鉄社内に設けられた「新幹線建設委員会」だ。詳細は
「東北・上越新幹線の大宮以南の速度が時速110キロに抑えられているのは、「プロ市民」のせいだ。」 と憤るネット正義マンの方は多く見受けられる。 「プロ市民がうるさいので大宮までは湘南新宿ラインより遅い110km/hで運転します」って車内アナウンスするとかしないと、まず状況が周知されない — おりがみ (@ori_gami) September 5, 2012 プロ市民が東北新幹線大宮~上野間建設に大反対したから結局あの区間130km/h運転規制&見返りに埼京線建設だよ まぁ130km/hぐらいどころか200km/hでもあまり新幹線はうるさくない ていうか隣の埼京線103系の方が爆音だったりする。因果応報 — ごるどー@ようやく復活 (@gorudohidu1) June 13, 2013 ところで、畑和埼玉県知事(当時)は、後にこのように語っている。 国鉄からは、大宮-上野間は相当路線が曲
先週の日曜日は雨が降っていて外出する気にならなかったので、ちょいと前回の東京オリンピックとドボクのネタをまとめてみた。 また、前々回の記事の際にTwitterでアンケートをとったところ、「レイアウトを工夫しない読みづらい」との声を結構いただいた。 今後の参考のため、読後感をお知らせいただけますと幸甚です。 — 骨まで大洋ファンby革洋同@CS初日現地 (@FanTaiyo) February 8, 2020 なので、今回はパワポ型式で作ってみたのでどうぞ。 実際にこれでどこかプレゼンするという予定は一切ない。 東京都庁議の詳細はこちら→http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/31228-d1e1.html ここは読みづらいので、テキストを抜き出しておこう ◯首都整備局長(山田正男君) (略) 最後に、三原橋─日比谷間の地下の自動車道路計
来たるJRのダイヤ改正で、中央線の早朝深夜の東京駅までの各駅停車が無くなるという。 そもそもは、東京駅~御茶ノ水駅間の複々線化がコケたから、変則的な運用になっているわけだ。 ということで、その区間を複々線化するために、どのような検討を経てきたかをかいつまんで紹介したい。 ネタ元は、国鉄の「停車場技術講演会記録 第13回」掲載の報文「中央線、中野-三鷹間線増について」(東京工事局線増課 宇野浩彰氏)である。 ルート案は、こんな感じ。 国鉄では、中央線の混雑緩和の対応策の1つとして、急行線と緩行線の分担率を均衡化するために、東京駅までの複々線化を検討した。 国鉄東京工事局は、下記のような案をだしている。 この案の東側は、現在の総武快速線の東京~錦糸町に引き継がれていると思われる。 ---------------------------------------------------------
第三京浜道路の起点、東京側は玉川インターチェンジで途切れていて、首都高速道路等には接続していない。 1960(昭和35)年8月18日付読売新聞に第三京浜道路の着工を報じる記事が掲載されているが、そこには「公団としては、将来玉川野毛町から渋谷までも同様の自動車専用道路を作って結ぶ考え」とある。 また、「東京都道路整備10ケ年計画について」( 「時の流れ・都市の流れ」山田正男・著) 560頁には下記のような路線図も掲載され、首都高速3号線が東名ではなく、第三京浜に接続することとされている。 このあたりについては、過去にもブログで調査結果を整理してきた(末尾参照)。 -------------------------------------------------------------------- ところで、鈴木信太郎氏の「私の都市計画生活」に興味深い話が書いてあった。 著者は、1948(昭
古市憲寿氏「東京五輪“負の遺産” 首都高とモノレール 五輪に間に合わせた急ごしらえの代償」を検証する。 平成31年は、天皇陛下が退位して皇太子が新天皇に即位し、5月からは新しい元号になります。また、翌年には2回目の東京五輪が開催されます。一回目の東京五輪は昭和39年に開催され、それを契機に昭和後半の日本は高度経済成長の波に乗り、経済大国の道を突き進みました。しかし、平成に入ると、バブルが崩壊し、政治や社会の様々な歪みが顕著となってきました。この間、日本の首都・東京はどのように変貌を遂げたのか。 本書は、月刊『文藝春秋』で連載した「50年後の『ずばり東京』」から、主に東京の街の変遷を描いた12本の記事を選んで収録しました。毎回違うノンフィクション作家が自身で取材するテーマや街を選び、リレー形式で執筆したもので、昭和と平成という二つの時代を筆者が行き来するルポルタージュです。 https://
東京オリンピックに向けて建設の槌音が響く1962(昭和37)年1月20日の毎日新聞に、オリンピック後の東京の交通をにらんだ首都高速道路の延伸計画が掲載された。 なんと渋谷川(現在のキャットストリート)等に首都高速道路を通そうというものである。 都心を包む環状高速道路 川から川へ30キロ 高架式 都が40年完成めざす ひどくなる一方の東京都の交通マヒを打開する対策の1つとして都は都心部を包む環状高速道路計画を練っていたが、19日、具体案がまとまった。路線は、ほとんどが川の上を走る高架式なので、補償費の心配がなく、総工費は480億。陸上を走らせる場合の6分の1ですみ、昭和40年完成を目標にしている。 都は都内の交通マヒを打開するため、放射四号線をはじめオリンピック関連道路23路線、首都高速道路8路線の建設を進めているが、いたるところで用地買収とこれに伴う補償問題につき当たって工事は進まない。そ
日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」という特集を組み、一つの論点が、「リニアは公的資金抜きで採算が取れるのか?(採算が取れないからこそ第三のモリカケ案件として財投が投入されたのではないのか?)」ということであったかと思う。 (葛西は)88年、常務に昇格し、その秋に関西経済連合会の会合で講演に立ち、こう話している。 「東海道新幹線とリニアは一元的に経営されなければならない」 「(リニア計画の)全額を民間資金で行うことは難しい。3分の2は民間資金で行ってもよいが、残る3分の1は国のカネが必要ではないか。つまりナショナルプロジェクトとして推進しなくてはなりません」 日経ビジネス2018年8月20日号が「「陸のコンコルド」、リニア新幹線の真実」 国鉄民営化から日も浅い1988年10月。JR東海のリニア対策本部長だった葛西敬之名誉会長は、「中央リニアエクスプ
フジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」の2018年1月4日の放送で、「東京オリンピックをつくった男たちSP 首都高建設に挑んだ男たち」という題名で首都高速道路を東京オリンピックに向けて建設していく取り組みが放送されていた。 http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/180104_2.html 魚拓https://megalodon.jp/2018-0317-1753-33/www.fujitv.co.jp/unb/contents/180104_2.html その中で気になる点が幾つかあったので検証してみたい。 東京オリンピック開催のニュースが駆け巡った直後、東京都庁・都市計画部の職員たちは、青ざめていた。 戦後の目覚ましい復興とともに東京には車が溢れていた。 毎年、3万台近くのペースで増加、都心の道路は、至るところで大渋滞が発生していた。 そこでオリンピ
前回の「佐々木俊尚氏の「高速道路は基本100kmh制限です」ツイートを整理してみる」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/100kmh-4ecd.htmlに続いて、高速道路の最高速度に関する記事である。 【TOKYO発】首都高は「高速」にあらず? 「自動車専用道路」です 「首都高速は『高速道路』ではありません」。警視庁が昨年末から、謎かけのような呼び掛けを道路上やネット上で続けている。名前は「高速」。料金もかかる。違反車を取り締まるのも「高速隊」。それなのに高速道ではないとは? 理由を探ってみた。 文・福岡範行 http://www.tokyo-np.co.jp/article/thatu/list/CK2018012202000159.html 2018(平成30)年1月22日付東京新聞に上記のような記事が載っていた。 東京新聞のウ
ベイスターズの季節が終わってしまった。今年は人生の中で最も多く野球を見、横浜スタジアムに駆けつけることになった。 そのついでと言ってはなんだが、神奈川県内の図書館等にも行く機会が増え、楽しい資料を見つけることもできた。 第四京浜道路だって!? pic.twitter.com/eC5FH8DlJW — 骨まで大洋ファン@レジェンド松原タオル買 (@FanTaiyo) 2017年10月1日 この「第四京浜」等が掲載されていたのは、下記の「横浜自動車道計画調査報告書」であり、1963年に発行されている。 首都高速道路公団が設立されたのが1959年、第三京浜道路が全通したのが1965年、東名高速道路が全通したのが1969年である。 昨今東京オリンピックと首都高速道路の関係が話題になるが、オリンピック前に横浜市内の高速道路計画が考案されていたことは興味深い。当然この時期には、首都高速道路が横浜市内の
明石海峡大橋に鉄道が建設されなかったざっくり理由 〇長大橋で技術的に困難だった。 〇国鉄は瀬戸大橋優先だった(明石海峡大橋は長大橋で貨物列車の荷重に耐えられないので新幹線単独。瀬戸大橋なら貨物列車が走らせられるし、赤字の宇高連絡船も廃止できる。)。 〇国鉄や運輸省は、大鳴門橋の建設段階で既に鉄道を止めるつもりだったが四国の政治家に押し戻された。 〇国鉄の破綻・改革のなかで、四国新幹線建設の目途が立たなかった(本四架橋は、公団が借金で建設し、元本と利息を有料道路収入と国鉄からの使用料で返済する計画だったが、当時は整備新幹線すら凍結されており、その次の順番になる四国新幹線の目途が立たないまま建設しても利子が増えるばかり。)。 〇四国の行政や政治家も、いつまでもアテがつかない新幹線を待つより、道路だけでも早く開通させたかった。 〇四国新幹線自体の採算性が疑問視されていた(瀬戸大橋建設費返済に係る
ここに「都市高速道路網図」と題された地図がある。阪神高速道路っぽいが赤い線は第二京阪もあれば全然見たことのない路線もある。 実は、これは1970(昭和45)年1月に「大阪地区都市高速道路調査委員会」により制定された「大阪地区における都市高速道路に関する答申書」に添付された図面であり、当時の阪神高速道路将来構想といったところなのである。 上記のような基本構想に基づき、下記のようなパターンが作成された。 これだけの路線(約152.6km)を1985(昭和60)年までに整備しようというのだから、流石オイルショック前の高度成長期である。 大阪万博がこの3月に開幕するということで、大阪の道路網はそれにあわせて急スピードで整備されたのだが、万博後に更にステップアップするといった位置付けになるのだろうか。 屁理屈はこれくらいにして、各路線について紹介してみよう。 --------------------
東海道新幹線が架線事故のため岐阜羽島駅等で立ち往生したことを受けて、「岐阜羽島駅が政治駅だ」とかそうじゃないとか新幹線の駅じゃないとかコンビニがあるとかないとかいう話がTwitter等で盛り上がった。 岐阜羽島駅といえば、私なんぞはすぐに大野伴睦がムリクリに誘致した政治駅だと言われた頃を思い起こしますよ。今はもう、そういうことは忘れられてるのかな?>RT — 松井計 (@matsuikei) 2017年6月21日 西村京太郎先生の長編で「岐阜羽島駅は人に知られておらず周囲に何もないので、何十人もの人間を新幹線から拉致してもわからない」というトリックがあって、剛腕やなあと思っていたが、あの作品かれこれ40年前のですよ。全然状況が変わってなかったとは驚いた。政治駅はダメだなやはり。 — 芦辺 拓 (@ashibetaku) 2017年6月22日 怒られるかも知れないが「地元の悲願」という言葉を
赤坂にリキマンションというマンションがある。言わずと知れたプロレスラー力道山が実業家として経営していた(竣工は没後)マンションである。 1963(昭和38)年7月4日付読売新聞に掲載された広告 ここを分譲するときに作成したと思われるパンフレットを早稲田大学が所蔵していたので、ご紹介したい。 現在もマンションの屋上に描かれている「R」は当然「力道山」の「R」であろう。 開発は、力道山と大和土地建物の共同事業ということだ。 イメージパースでは屋上に「R」の文字は描かれていないのだな。 都電が走っている。また「クラブリキ」という文字が見える。力道山が経営していたナイトクラブのようだ。クラブリキについては、このブログに詳しい。http://blog.goo.ne.jp/59ra9do/e/13bbdfe1c8c29ea10f5c0acf238cf5aa 隣接していたリキアパートは、現在は別のマンシ
東京都のモノレールといえば、上野動物園か多摩モノレールだし、環状8号線や環状7号線といえば、エイトライナー かメトロセブンである。 yahoo!知恵袋で「環八モノレール」を調べてみてもdisられているだけだったりする。 ところが、東京都首都整備局が作成した「モノレール開発計画報告書」にこのようなモノレール計画の路線図が! じゃーん これは、東京都が昭和44年度から47年度にかけて調査計画を行ったものの報告書なのである。「需要の多い放射方向の輸送は地下鉄を、需要の少ない環状方向にはモノレールを建設することが考えられる」という位置づけだ。 ■昭和44年度:環5モノレール線 北側が都電荒川線、南側が都営大江戸線のような感じか。 渋谷駅の鳥瞰図が掲載されている。 地下鉄銀座線や首都高速道路3号渋谷線を一跨ぎするかなりのハイピアだ。 新宿駅は、新宿3丁目の交差点に作り、伊勢丹百貨店の2階に直結する構
京葉線の新宿乗り入れについては、かつて「京葉線の中央線方面への延伸と新宿駅予定地~上越新幹線の下に準備。そしてバスタとの関係は?~」http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-f4a3.htmlで記事にしたところである。 ところで、京葉線の東京駅はかつての成田新幹線構想に基づく東京駅の空間を利用したものであった。 では、成田新幹線構想が生きていたころの京葉線の都心への延伸はどうなっていたのか?それが分かる資料が国鉄に残されていたので紹介したい。 「第27回停車場技術講演会記録」307頁から引用 まあ、上図をご覧のように新橋駅経由だったわけだが。 出典は国鉄で1976(昭和51)年12月8日及び9日に開催された「第27回停車場技術講演会」における「総武開発線計画について」で、国鉄東京第一工事局調査課の林良一氏によるものである。 この
今週末の圏央道開通にあわせて高速道路のナンバリングが実施される。 2月26日開通予定、東北道と常磐道を結ぶ圏央道 境古河IC~つくば中央IC事前公開 日本初となる「高速道路ナンバリング標識」設置 - トラベル Watch https://t.co/w2TYVb6Ba9 pic.twitter.com/pVtZ5pzXuY — Travel Watch (@Travel__Watch) 2017年2月19日 必要な省令や通達も出そろったようであるが、国土交通省のウェブサイトの非常に深い位置にPDFで載っているだけなので、利用者サービス的には不完全である。 そこで、暫定的に私が国交省に代わってお客様サービスに努めてあげよう。問い合わせの電話やメールが減るかもしれないぞ。 ----------------------------------------------------- 「高速道路ナンバ
「やっぱりバスタ新宿の基礎で上越新幹線新宿駅はできなくなっちゃったんじゃないの?」 http://kakuyodo.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-1df5.htmlがえらいアクセスを頂戴した。ありがとうございます。変人窟さんにもリンクいただいたし。(何年ぶりかなあ) ところで、新宿駅だけではなくて、新宿-大宮間ルートの経緯についても整理してみたい。 というのは、この件を調べていると、川島某とか川島冷蔵庫とかwikipediaとかyahoo!知恵袋とかのウソがはびこっていて、デタラメだし、ネットでも「用地はほとんど買収済です」「プロ市民の妨害で用地交渉が頓挫しています」とか矛盾する話がいっぱい出回っているので、「よっしゃここは俺が整理してやろうじゃないか」と頑張ってみたわけである。 ----------------------------------
麻生太郎財務相、北陸新幹線のダイヤ改善に「新宿から引くとか」 麻生氏は「確か北陸新幹線は1時間に2本しか通っていない。簡単な理由で東京-大宮間が混雑しているから」と問題点を指摘。その上で、「東京に関してはいっぱいなんだから、新宿から(大宮を結ぶ路線を)引くとかさ。そういったものも入れて計算しないと(いけない)。元の元が詰まっているのだから」と持論を展開した。 2016(平成28)年12月13日付産経ニュース http://www.sankei.com/economy/news/161213/ecn1612130015-n1.html から引用 というニュースが流れた際に「新宿駅は何十年と北陸新幹線用に空けてきたスペースを遂に諦めてバスタ新宿作っちゃったんじゃないのか?」なんて書き込みが見られたそうだ。 言い出しっぺは俺だが。 「上越新幹線新宿駅は実際のところどうなっているのか?」http:
国鉄の「新宿駅貨物敷活用基本構想」から、上越新幹線地下ホーム等の図面をブログに公開してから約1年がたった。 その後出版された、「完全版 新宿駅大解剖」(横見浩彦・監修 宝島社・刊)や「東京 消えた! 鉄道計画」 (中村建治 ・著 イカロス出版・刊)においても「新宿駅貨物敷活用基本構想」が引用されており、私のチンケな自己承認欲求も満たされてご同慶の至りである。「完全版 新宿駅大解剖」はインチキだけどね。 とは言っても、「新宿駅貨物敷活用基本構想」は、あくまでもタカシマヤタイムズスクエア等の土地を切り売りするために、「どこまでは国鉄として持っておく必要があるのか」を決めるための仮想設計にすぎないものであると思われるため、あれが国鉄の本音ベースとはとても思えなかった。 そこで引き続き調査していたところ、更に古い図面を発掘したのである。じゃーん。 結果的には、「新宿駅貨物敷活用基本構想」のもの(下
先日、首都高初期のパンフ「首都高速道路公団のあらまし」と首都高初期のパンフ「伸びゆく首都高速道路」をUPしたところであるが、「日本橋の景観が(ry」という点について再度整理してみたい。 首都高が設立され、その「事業のあらまし」を紹介するパンフに「日本橋を高架橋が乗り越えていく箇所」を持ってきたところに、首都高側の「これこそ首都高の象徴となるシーン」とする意向、姿勢が伺い知れる。 @FanTaiyo あいかわらずすばらしい資料発掘してきますね。それにしてもいい絵だなこれ! HEIBON 気になる。 — 大山顕 (@sohsai) 2016年11月23日 大山総裁にもお喜びいただけた。 「完成時にはそのダイナミックなスケールと、そのメカニックな美しさのため東京の新名所となることでしょう。」というあたり、「これこそ新時代の美しさなのだ」という提起をしており、後付けで「オリンピックのために景観を無
佐藤 今度は西梅田のビルなんですが、今の道路法改正後認可されたんですか。 岡山 そうです。 木内 そこはJRのコンテナ用地ですか、引き込み線跡地の西梅田再開発の・・・。 岡山 となりです。 木内 その再開発に関連してランプを作り替えたんじゃなかったですかね。それに関連してそういう問題が出てきたんじゃないかなと思ったんですが。 岡山 そういうことです。あそこは福島区になります。ビルの前の道路で北区と福島区に分れているんです。西梅田の再開発地区というのは10.6haあります。今日現場を見ていただいたときに毎日新聞社ビルがかなり出来ておりましたが、そのとなりはもともとオートガススタンドがあったんです。オートガススタンドとか自動車の整備工場とか、住宅とか社長さんの家とかそういうものがガチャガチャとありまして、そこに阪神高速のランプを架けると。どうしても阪神高速の高架下に建物を入れないことには移転が
そんなにバスタ新宿に売店が欲しければ、とりあえず盛岡バスセンターの売店でも見ておけばええんちゃうのん? バスタ新宿の売店ネタをツイートしたら多くのリアクションをいただいたところである。 「バスタ新宿は、道路だ、国道20号だ」と書いたら「だから売店が無いのか」というレスがあったので、4階のフロア案内に書かれた売店のマークと現在の状況の写真をあげとく。(今日は売店のマークはシールで隠されてたかな?) pic.twitter.com/aaCUBtQ8MM — 骨まで大洋ファン (@FanTaiyo) 2016年4月5日 みんなそんなにバスターミナルの売店が好きなのか。 では、もうすぐ廃止されてしまう盛岡バスセンターの売店でも皆で鑑賞しようではないか。 カッコイイロゴだ。 シンプルな建物である(こっちから見た時は)。 では入ってみよう。 真っ先に目に入る麺類のコーナー(中華そばと南部そば・うどん)
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