サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
衆院選
kedamatti.hatenablog.jp
すでに1月3日になってしまったけれど、2016年の読書を振り返って、勝手にオススメの本を20冊紹介したい。 ちょうど一年前(2015年に読んだオススメ本(20冊) - @kedamatti's diary)にも書いたように、「以下にあげるものは、今年読んだ本の中で特に印象に残っているものだが、私の本の読み方は適当なので、みんな同じ深さ・頻度で読んだ訳ではない。じっくり一度だけ読んだものもあれば、逆に、ちょこっとずつ何度も読んだものもある。また、今年はじめて読んだものもあれば、以前から読んでいるものもある」のだが、今年はいくつかの点で本の読み方を変えた。そのポイントは以下の3点になるが、このようにやり方を変えたのは、「本単体の内容」もさることながら、「本と本のネットワーク」=「知と知のネットワーク」を蓄積していきたいからという思いがあった。 1. 過去の本の再読 まず、意識的に、過去に読んだ
本稿は、機関誌「行政&情報システム」(一般社団法人行政情報システム研究所)の2016年6月号に寄稿したものを許可を頂いて本ブログにもアップするものです。PDF版は、こちらをご覧ください。 1 はじめに 日本において、はじめて民主主義を制度化したのは、1889年に公布された大日本帝国憲法(明治憲法)である。明治憲法では、第35条において議員を有権者 — それは一定以上の税金を納める25歳以上の男子という限定された有権者ではあったが — による選挙で選出することが謳われた。それから約60年後の1946年。日本は、現在の日本国憲法を制定し、民主主義を新たな形に作り替えた。そこでは選挙が「国民固有の権利」であるとされ、女性も含めて20歳以上の成人全てに選挙権が認められるようになった。憲法を改正する際にも「国民投票」が必要とされるようになり、日本は民主主義を実現したかのように見える。 しかしながら、
記憶は、過去のものではない。それは、すでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。 これは、長田弘さんの詩集「記憶のつくり方」に収められている私が大好きな言葉なのだが、先日、「写真の町シバタ*1」のイベントとして行われた芹沢氏(アサヒアートフェスティバル*2実行委員会事務局長)と吉原氏(吉原写真館館主*3)の対談を聞いて、私は、しばらく忘れていた長田さんのこの言葉を思い出した。 「写真の町シバタで語る、アートとは?」というお題で行われたお二人の対談は、「アート」という枠に収まりきらないもので、地域・社会のあり方、地域・社会と個人の関係、そして、過去から現在の時間の意味というものを本質的に問い直す素晴らしいものであった。 計画 vs アート 現在の社会は、あらかじめ
Code for Niigata の記念すべき第1作が本日リリースされたというタイミングで大変申し訳ないのであるが、こっそり、新潟市のオープンデータを使ってアプリ(新潟市内の農産物直売所マップ)を作ってみたのでご報告。 新潟交通バスの時刻表検索アプリ 本題に入る前に、まずはCode for Niigata の記念すべき第1作のアプリについてであるが、これは「新潟交通」のバスの時刻表を簡単に検索できるスマホ向けのアプリ。Code for Niigata のメンバーの中でも、バスの使いにくさを指摘する人は多くて、バスアプリは Code for Niigata の重要テーマになっている。今回のアプリは、その最終形ではないけれども、とても使いやすいアプリになっているので、新潟交通のバスに乗る人は是非使ってみて欲しい。 バス時刻表サービス リリース案内 | Code for Niigata http
新潟界隈でちょいと話題になっている「加茂本」というフリーペーパーがある。 ざっくり言えば、新潟県加茂市の商店街の若者が地域の魅力を伝えることを目的として作成した無料の冊子で、ジャンルとしてはフリーペーパーになると思われるが、それはフリーペーパーと呼ぶのが失礼なくらいフリーペーパーらしくないフリーペーパーなのである。 (現物を見ればフリーブックと呼びたくなるが、フリーブックというジャンルは無さそうなので、とりあえずフリーペーパーと呼んだ) この「加茂本」。 先日、新潟で行われた「新潟アートディレクターズクラブ」の展示会でその存在を知って、これはすぐに加茂に行って入手しなければ、、、と思っていたのだが、なんと、職場の方がすでに入手されていて、今度この本を企画した方(「きふね」という料亭の佐藤さん)に会いに行くという話を伺い、今日お邪魔させて頂いたという訳である。この本の魅力は、なんと言っても佐
ネット選挙が解禁されることで「政策議論が生まれる」「投票率が向上する」「正しい選択ができる」などと期待されているようであるが、個人的にはそれほど期待していない(もちろん、解禁されること自体は望ましいのですが)。「選挙期間中の候補者は都合の良いことしか言わない」というような指摘は従来からあったが、それはネット選挙が解禁されても変わらないし、そもそも国民・市民の側が、選挙期間中の数週間でどれほど適切な判断が行えるのだろうかという疑問もある。 それより、選挙期間中以外のことを考えた方が本質的である。たとえば地方議会であれば議員の任期は4年で、選挙期間を除いた期間は約3年11ヶ月もある。少なくとも現職議員については、3年11ヶ月をかけてじっくり選択することができるはずである。何も、選挙期間中になってから悩む必要も無い。 今では、多くの地方議会で議事録はWebで公開され、本会議や委員会の様子を動画で
六本木では数多くの有名なジャズライブハウスがあり、毎晩のように熱い演奏が行われている。どのライブハウスも、六本木の喧噪の中で目立たないようにひっそりと佇んでいるが、一足そこに踏み入れれば、騒がしい日常を忘れられる空間が広がっている。演奏者の演奏に観客は酔いしれ、歓声をあげる。 6月30日夜の六本木某所。そこでは、後々「伝説」と語り継がれるような夢のようなセッションが行われた。Twitter議員の橋本岳さん(@ga9_h)、Twitterに大変詳しい山崎富美さん(@fumi)、Twitter実況のプロ津田大介さん(@tsuda)。Twitterプロフェッショナルの3人が集まり行われた「Twitterと政治を考えるワークショップ」。フミさんの詳細なTwitter分析をベースに、津田さんの鋭いツッコミ、そして、岳さんのTwitter政治に対する熱い想い。その様子を見た瞬間に、あるルールを共有しな
本日開催されたモバイル社会シンポジウムに参加してきましたが、「若者×モバイル」という視点で、大変面白い議論でした。 モバイル社会研究所 ≫ Error 404 - Not Found お探しのページが見つかりません 若者の日常生活において、モバイル、ネットというものがどのような意味を持つのか。 コンテンツ消費、コンテンツ作成の意味は、昔の若者とどのように違うのか。 シンポジウムの中での中心的な議論としては、 「若者の中では、コンテンツそのものの価値より、コンテンツのやり取りの過程で生まれるコミュニケーションの価値が高まっている」 というものでした。 「メールが気になって、ケータイを手放せない」 「mixiの足跡が常に気になってしまう」 「自分のプロフィールを、むやみやたらと公開してしまう」 というように、ネット中毒、モバイル中毒の負の側面が強調されますが、これも、現在の流動的な社会において
昨日の群衆の叡智サミット2009をTwitter で実況していたので、せっかくなので、こちらにもまとめてみます。 Twitter にアップしたもののままですので、誤字・脱字、ご容赦ください。。 群衆の叡智サミット2009 ■第一部■ # さて、WOCSスタート1:05 PM May 26th from web # Session1では、情報の流れと社会に見られる大きな変化。群衆の中で起きていること。オバマ、メディアの変化、感覚の集約1:06 PM May 26th from web # Session2は、で、どうするのかということ。イノベーションは民主化?経営への適応、社会への対応。1:07 PM May 26th from web # 佐々木:自分の興味は、マスメディア、インターネット含めて、情報の流れがどう変わっていくのか。今までは一方向だった。メディア空間がどう変わり、情報の流れが
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『@kedamatti's diary』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く