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アメリカ大統領選
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「法科大学院、企業にモテモテ 志願者・募集減の中なぜ?」というタイトルで、朝日新聞が法科大学院修了生をめぐる新たな動きとして、注目しています(11月28日付け大阪本社版夕刊、朝日デジタル12月16日付け)。大手企業が法科大学院修了生を対象とした法務部門の説明会を開くなど、採用に積極的な姿勢を示し出したととれる内容です。 正直、ここに出てくる企業はともかく、この動きがどのくらいの広がりを持っている話なのか、判断材料不足であり、多少盛った見出し表現だとしても、「モテモテ」などという状況にあるという現状認識には疑問もあります。しかし、文中に登場する修了生就職支援サイトの運営会社や法科大学院の関係者は、企業が修了生の能力を積極的に評価し、法科大学院養成の人材が役立つと認めたと、この動きを手放しで歓迎しています。 こうした動きがあり、現実的な広がりをみせるということであれば、それ自体は、修了生にとっ
西南学院大学法科大学院の今年度の入学者が、遂に前年を12人下回る3人にまで落ち込んだことが話題になっています。2004年開校時の実に17分の1です。同大学院の入学者は2007年の63人をピークに下降していましたが、それでもなんとか二桁をキープしていました。受験者数も回復することなく、今年度は41人と開校時の約9分の1でした。18人が合格していますが、8割以上の人が併願している他校に行ったか、進路を変更したということになります。 法科大学院の入学者は、一部に下げ止まりもいわれてはいますが、立命館大学(前年比12人減) 、上智大学(同11人減) など、西南学院大学同様、昨年に比べて10人以上の下げ幅で入学者を減らしているところもあります。 「私たちも一生懸命やっている」という法科大学院関係者の声も聞きますが、非常な虚しさを感じます。教育の質や合格率の向上に、この制度を選択させる「価値」を見出し
「弁護士会による人権侵害――許されない暴挙」と題して、横井盛也弁護士が自身のブログで、弁護士会の姿勢を強く批判しています。穏やかでないこのタイトルを見た方の中には、弁護士会は一体、何をしでかした?と思われた方もいたと思います。これは、今、連日マスコミをにぎわしている安全保障法制に絡むものですが、彼が問題にしているのは、弁護士会による弁護士に対する人権侵害なのでした。 直接的に批判の対象となったのは、大阪弁護士会主催、日弁連、近弁連共催で6月7日に大阪市で開かれた野外集会「日本はどこに向かうのか パート3 ~なし崩しの海外派兵を許すな」です。同弁護士会によれば、この集会は昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定と、それに基づく今回の安全保障法制の大幅改正について、改憲手続きによらないなし崩しの法制化と問題視し、同法制化とそれに基づく自衛隊の海外派遣に反対するために企画されたもの。市民・弁護士
国選弁護をめぐり、近年、「奪い合い」とか「群がる」という表現が、ネット上で目についてきました。報酬は少なくても、背に腹は代えられない弁護士たちが、そこに殺到する現象が生まれている、と。こういう話になると、今度は「改革」推進論調のなかから、時々「結構じゃないか」という声が出されます。かつて、「妙味」から見向きもされなかった分野に、否応なく、弁護士を「誘導」できた「改革」の効果だ、と。以前、ここでも書いた典型的な「追い詰め」式をあてはめるものです(「弁護士『追い詰め』式増員論の発想」)。 少なくともこの論調を掲げる人たちには、この問題で弁護士の側からしばしば出される本音、例えば「必ずしも成り立つからやっているわけではない」とか、「全力でやったらば、事務所を維持できない」といった、低廉な報酬と採算性の点での反論は、ほとんど通用しないように見えます。なぜならば、彼らは頭から弁護士の、いわば「心得違
「『士業』崩壊――食えなくなった弁護士 会計士 税理士」。週刊東洋経済8月31日号が、こんなタイトルの特集記事を掲載しています。経済系の雑誌は、士業の経済的な異変・窮状には度々目を向けて、これまでにも各誌何回かそれを伝える特集を組んできました。とりわけ、弁護士については、既に2009年くらいから、「食えない異変」に着目しています。ただ、今回の特集の「三大士業」のうち、冒頭に掲載されている弁護士編の記事を読むと、明らかにそのトーンが変わってきていることに気付きます。 それは、彼らが「改革」の失敗をより強く認識し、打ち出しているということです。当初は、彼らもまた、大方、このテーマでよく見かける、「改革」がもたらした異変と、厳しい現状を伝える一方で、それでも頑張る若手の姿を紹介したりしながら、「まだまだ」頑張れるというイメージ、活躍ができる場はまだあるはず、さらには企業系弁護士の「国際競争力」を
連日、マスコミが報じている橋下徹・大阪市長の、いわゆる日本軍「慰安婦」発言に対して、弁護士・会が対応し始めています。山岸憲司・日弁連会長は5月24日付けで、問題の「制度は必要だった」発言と、「風俗活用」部分を取り上げ、「女性の名誉と尊厳を傷付け不適切極まりない」として、発言の撤回と制度被害者への謝罪を求める会長談話を、さらに、地元・大阪弁護士会の福原哲晃会長も同月27日、「人権を軽視する風潮を助長し、人権侵害を容認するような発言」として強く抗議する声明をそれぞれ発表しました。 一方、大阪弁護士会の複数の弁護士が同月29日、橋下氏の発言が「弁護士の品位を害する行為」に該当するとして、同弁護士会に懲戒請求したことが報じられています(毎日jp) ただ、同じ発言を問題にしたこの二つの対応には、大きく異なるところがあります。前者の日弁連会長談話と大阪弁護士会声明が問題としている発言の主は、「日本維新
国家が「国民」を冠した政策は、要注意といわれます。この言葉が付くことで、あたかもそれが「国民のため」であるように受け取るのは、早計であり、危険であるということです。「国民投票法」などをめぐる議論でもさんざん言われたことですが、この言葉が、実は国民不在の、あるいは軽視の実態を隠す危険をはらんでいるからです。 これは、要するに、「国民」とか「国民のため」と国家権力が規定したり、喧伝するもののなかに、別の政治的な意図を読み取るのか、読み取らないのかで、国民の判断が分かれるところです。そして、それは司法改革、とりわけ裁判員制度についても、そこが重大な分水嶺であるとみることができるのです。 国民が司法に参加する。国民の意思が司法に反映し、さらに国民の当事者意識の覚醒とともに、司法への国民の理解も深まる「民主的」な制度。しかし、そこで行われるのは、憲法にも規定がない国民に対する罰則付きの「強制」。「裁
明石市が任期付き職員として弁護士5人を採用して1年。弁護士が活躍できる「受け皿」を、自治体も含め広く開拓しなければならないとする、日弁連内「改革」推進派の期待を背負い、その積極姿勢が話題を提供してきた弁護士でもある泉房穂市長の姿勢(「弁護士資格職員採用自治体への期待と懸念」 「明石市・顧問弁護士全員解嘱という選択」)に、市民が冷やかな目線を向け始めていることを、地元紙が伝えています(5月4日付け神戸新聞・明石版)。 同市弁護士職員は2人が市民向け法律相談、3人がコンプライアンスや政策法務等を担当。昨年度、法律相談実績は市民センターでの相談等計161件、顧問弁護士に依頼していた市職員の相談333件、訴訟・調停5件もこなし、外部弁護士への報酬・報償費は一昨年度の986万円から昨年度は343万円に。しかし、こうした実績に対し、5人の年間人件費は約4千万円で、相談を県弁護士会に委託し、訴訟は顧問の
「うちの法律相談は、あくまで有料」。こういう弁護士の声を最近よく耳にします。もちろん、そもそも個々の弁護士が行う法律相談は、他の業者が行うような、客からすれば当然の、お見積り段階での相談とは違い、それ自体が、法的指南の提供になり得ますので、有料であることに理はあります。 ただ、弁護士が増え、競争が激しくなるなか、ここを無料化することで顧客を獲得しようという選択も生まれており、現にそれを実践している弁護士もいます。法律相談料そのものの、弁護士の収益全体に占める割合の小ささから考えれば、その無料化によって、より顧客を獲得できればいい、と考えるのも、それまた当然の選択といえます。「敷居が高い」といわれてきた弁護士業にあって、ここが無料化されることが、その解決によい方向に作用する可能性をいう人もいますし、一般的に考えて、市民側がこれを歓迎するのも当然です。 ところが、弁護士があくまで有料にこだわら
弁護士の就職難に絡んだ、ちょっと奇妙な新聞記事が出ています。4月3日付け毎日新聞大阪夕刊の「憂楽帳『就職難』」。 紹介されているのは、司法修習を終え、就職難で焦っている20代の女性の話。弁護士志望の彼女は既に10を超える弁護士事務所の門をたたいているが、採用してもらえない。その彼女が、「関西のベテラン弁護士」に相談した、と。いまや、この世界を知っている人ならば、珍しくもない、この女性に限らない「普通」の話です。 ベテランに「弁護士として何がしたいのか」と問われ、彼女は言います。「仕事内容のこだわりは捨てた。とにかく就職したい」。 記事は、修習後の弁護士未登録者過去最多、就職難で弁護士会費が払えない弁護士の現実に触れたうえで、場面を前記ベテランと新人の相談に戻し、こう締めくくります。 「喫茶店でベテラン弁護士と向かい合った女性の目には涙が浮かんでいた。弁護士は熱くなって叱ったという。『泣いて
中小企業の融資での経営者以外での個人の連帯保証禁止、不特定多数との取引に使われる「約款」の新設などが注目されている2月26日にまとまった、法制審議会民法部会の債権法改正について、ネット取引時代に知識や情報が少ない消費者の保護を強く意識しているとくくる報道が見られます(「朝日」2月27日朝刊)。また、前記個人保証原則禁止や、債権譲渡禁止特約の緩和は、中小企業配慮とのとらえ方もされています(「日経」同)。 一方、大企業側には、コストや経済活動阻害といった点での警戒感があり、また、個人保証禁止で、金融機関の貸し渋りの懸念も報じられています。 こうしたなかで、法律実務家や学者の反応を紹介している記事があります(「毎日」同「民法改正:中間試案 国民目線に立てるか 「身近」な約款に対応 経営者側からは異論」)。 「中部弁護士連合会などは昨年12月に全国の弁護士約3万人を対象にしたアンケートを行い、今月
小林正啓弁護士が11月16日に行った福岡県弁護士会木曜会設立40周年記念講演の内容をブロクで分載していますが、先日アップされた第7回目で、弁護士会の進むべき方向として、「紛争解決・予防型司法から、紛争創出型司法へ」を提言する下りが登場します。株式代表訴訟の倍増を目指し、労働事件においても、労働者側弁護士も、使用者側弁護士も、両方応援して、訴訟を増やすべきだ、法的紛争を数多くつくり出すことが、弁護士会の取るべき途だと。 これに対して、弁護士ブログ「黒猫のつぶやき」は、少なくとも建て前として存在していた「社会正義の実現」を目指すべきというコンセンサスが失われてきたこと、弁護士の仕事を増やすことが「司法制度改革の理念」のもとに正当化されていくことを、懸念を込めて指摘しています。 ただ、この中で、小林弁護士は次のような非常に重要な指摘をしています。 「『訴訟社会化など、国民は望んでいない』という意
2期連続の再投票、さらに史上初の再選挙にもつれ込んだ日弁連会長選挙が終わりました。山岸憲司候補が8546票で最多票を獲得するとともに、最多票獲得会も19会と3度目にして、全国3分の1以上(18会)獲得という条件を満たし、当選しました(平成24年度・同25年度 日弁連会長選挙再選挙開票結果仮集計)。宇都宮健児候補は最多票獲得会では、今回も32会と山岸候補を大きく上回りながら、得票数では7673票にとどまり、逆転することができませんでした。 今回の選挙では、はじめて「無限ループ」に陥る可能性が会員間でささやかれました。再投票で決着しなかった段階で、また同一の候補間で再選挙・再投票が争われる限り、投票行動や支持層の大きな変動は見られず、延々と前記最多得票数と最多票獲得会の2条件を各候補者が満たせず、会長を選出できないという状況に陥るのではないか、という話です。 結果は、そうはならずに済みました。
司法はなぜ国の原子力安全行政の不備をチェックできなかったのか、という視点で、1月12日の朝日新聞朝刊オピニオン面が、「原発と司法」というタイトルで、30年以上原発訴訟を闘ってきた海渡雄一弁護士のインタビュー記事を掲載しています。 これを読まれた一般の方は、改めて日本の司法の気持ちの悪い体質を感じられたのではないか、と思います。海渡弁護士が「勝訴」を見込んでいて敗訴した浜岡原発訴訟の一審。弁護団は結審後に起きた中越沖地震での東電柏崎刈羽原発損傷の事実を踏まえた追加立証のための弁論再開の申し立てを、任期中判決の困難さと「中越沖地震に関しては公知の事実として判決に取り上げることも可能」という裁判長の勧めに応じ取り下げます。 結果は、敗訴。しかも中越沖地震での原発損傷は触れられていませんでした。「騙された」と。しかし、これには背景がありました。2003年の「もんじゅ訴訟」名古屋高裁金沢支部が出した
法律事務所が回転ずし事業に進出するという話が話題になっています(「Perfect & Complete」 「Schulze Blog」)。その事務所というのは、CМでもおなじみの弁護士法人アディーレ法律事務所(石丸幸人・代表弁護士)です。債務整理分野に特化した法律事務所としてスタートして規模を拡大、全国に18の拠点を持つ、急成長した大手新興事務所です。 もちろん前代未聞のことです。そもそも弁護士が法律事務所の事業として回転ずしをやろう、という発想は、およそこれまでの弁護士の感覚からすれば出てこないものでしょう。奇抜といえばそれまでで、新しいという言い方ももちろんできますが、それ以前の理解不能ととらえてしまう弁護士の方も少なくないと思います。 状況としては、もちろんいわゆる「過払いバブル」の終焉とともに、それに依存していた弁護士たちが新たな収入源を模索し始めていることと結び付けることもできる
先輩たちが驚くような若手の弁護士たちの話が、伝わってきます。 「依頼者に従順な弁護士が増えている」 こう書けば、あるいは市民のなかには、それのどこが悪いんだ、そんなことを先輩がことさらに思うこと自体、これまでの弁護士が依頼者に対して、いかに威張っていたかが分かる、と考えてしまうかもしれません。 しかし、そういう話ではありません。依頼者の意を汲み取る弁護士が増えることが、さすがに先輩が驚くようなトンデモない話のわけはありません。また、残念ながら、逆にそういう正しい姿の若手弁護士が増えた、と先輩方が称賛している話でもありません。 これは、端的にいって、依頼者のおかしな主張に従順な弁護士ということです。つまり、どう考えても、同業者からみて、言い掛かりにしか見えない依頼者の主張を、プロの法律家がそのままなぞっているという形なのです。 以前、どう考えても負ける案件を「ファイティングポーズ」だけで、依
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、「弁護士成仏理論」というのがあるそうです。出典は雑誌「法学教室」2006年4月号巻頭言。これを提唱されたのは、高橋宏志・東大名誉教授。伝聞になりますが、伝えられているのは以下のような内容です。 「問題の捉え方がそもそも間違っている。食べていけるかどうかを法律家が考えるというのが間違っているのである。何のために法律家を志したのか。私の知り合いの医師が言ったことがある。世の中の人々のお役に立つ仕事をしている限り、世の中の人々の方が自分達を飢えさせることをしない、と。人々のお役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。その上に、人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できるというものであろう」 弁護士を含め、法律家は聖職であるということのようです。食べていける
「なぜ、弁護士の出番を増やさなければいけないのか」 「平成の司法改革」の弁護士増員が現実化した後、市民からこうした疑問を異口同音に投げかけられる場面が増えた印象があります。それには、そもそも多くの市民にとって、弁護士は、人生の中の避けたい不幸の場面で登場する、それこそできれば関わりたくない存在である、という実態があることは否定できません。出番が増えるということは、そうした局面が増えることであり、それは少ないに越したことないではないか、ということです。 ここには、やはり市民と弁護士の間の、基本的な意識の乖離があるように感じます。もちろん、弁護士の中にも、この市民感情に寄り添うように、自らを「不幸産業」と認め、できるだけ登場しない社会こそ、市民にとっては有難いことのはずだ、と受け止めている人もいます(「大衆が想定していない『身近な存在』」 「『不幸産業』としての弁護士」)。 しかし、おそらく多
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