サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
maru3.exblog.jp
あまたのいい人たちがいる。 電子書籍出版は、紙の本をそのまま電子化して販売することもあるけれど、章単位、目次単位での販売もあり得るんだ。 ひょっとしたら、第一章は無料で、第二章以降が有料…というのも、ありかもしれない。 膨大な大全集も、電子書籍化して、章単位で購入しながら読む…というのも、ありなんじゃないかな。 そう。 電子書籍出版のひとつの方向性として、「小口売り」もあるんじゃないかな。 コミックなんかは、連載の一話分だけを、単行本になる前に販売しちゃうとか。
ここのところ、あらためて「指定管理者制度」について取り組んでいたりする。 もう一度原点に戻り、この制度の本質から考えれば、これからの公共図書館への制度導入のあるべき姿が見えてくるのではないだろうか。 で、なによりもまずは、地方自治法 第244条の2 すべてはここから始まる。 (公の施設の設置、管理及び廃止) 第244条の2 普通地方公共団体は、法律又はこれに基づく政令に特別の定めがあるものを除くほか、公の施設の設置及びその管理に関する事項は、条例でこれを定めなければならない。 2 普通地方公共団体は、条例で定める重要な公の施設のうち条例で定める特に重要なものについて、これを廃止し、又は条例で定める長期かつ独占的な利用をさせようとするときは、議会において出席議員の3分の2以上の者の同意を得なければならない。 3 普通地方公共団体は、公の施設の設置の目的を効果的に達成するため必要があると認める
すでに「大日本印刷」の傘下となり、来年2月には「丸善」との経営統合やら、「ジュンク堂」との提携やらは耳にしていたのですが、このニュースには正直驚きました。 ・TRC、主帳合取次を日販に変更 新文化通信社 何かすごいことが起きているのは感じるのですが、すみません正直言って僕の関心毎は、これから[日販MARC]をあつかって来たところは、[TRC-MARC]に切り替えなくっちゃならないのぉ? …という一抹の不安でした。(そこかよ!)
2009年10月29日木曜日 数年後、数十年後の図書館から振り返れば、あの日確かに何かが大きく変わった。 そんな風に思える日になっていたと思います。 というわけで、東京会場の風景です。 flickr(フリッカー)を使っております。 set ・Future Librarian 全国図書館大会U40プレミアセッション group ・FLU40: Future Librarian Under 40 Premiere Session 2009 in JAPAN Slideshowをブログに組み込んでみました(exciteブログはダメだったので、VOXにて) ・FLU40: Future Librarian Under 40 Premiere Session 2009 in JAPAN
某匿名ブログにあがった内容で、ちょっと気になる記述。 ・図書館の非正規職員が何か言っている2 Hatena::AnonymousDiary 同様の前回Diaryは、単なるツリか?とも思えたのですが、こうして[2]が出てきたことで、そうでもないかも…と思うようになりました。ちゃんと読んでみますね。 斜め読みですが、気になったのはこの記述(以下引用) 異常な非正規化の原因・・。いろいろあるでしょうけど、個人的には先輩方がIT化の流れについていかなかったことだと思います。今、専門性といえるのは、コンピュータをいかに生かせるかという部分でしかありえないと思います。 図書館の専門性については多少異論はありますが、ひとつの事実として 先輩方がIT化の流れについていかなかったこと は確かだと思います。ここに日本の図書館が諸外国の図書館と大きく水をあけられた(欧米だけでなく、韓国や中国やシンガポールなど)
twitterである方とやり取りしている中で、こんな言葉になりました。 図書館がなぜ必要なのか。それは、ある一方(往々にして権威・権力・体制側)が持つ情報的優位性を崩し、だれでも情報的に同じ平面に立てるため存在している この国の長〜い歴史の中で培ってきた民族性みたいなものとして、一方に権威・権力を誇示しておきたい体制があり、一方に権威・権力に過剰に依存したい体質がある。その相互依存関係が、現状の姿を生んでいるように思う。これにより権威に過剰依存側は、自分で判断しなくなり、責任を行政に押しつけ、結果として税金の無駄遣いを招いているのでは…と。 日本図書館協会の常世田理事は、「自己責任社会になるから図書館は増々重要になる」とおっしゃっていました。逆に言えば[体制依存の無責任社会]では図書館の重要度は無いのです。この相互依存を断ち切り、自ら情報を得て、考え、判断し、行動するためには、一人ひとりが
長尾国立国会図書館館長の構想「ディジタル時代の図書館と出版社・読者」を受けて、自分なりに考えていることがある。そのなかでイメージしているのがこれ デジタルコンテンツ流通センター Digital Contents Delivery Center(DCDC) デジタルコンテンツ流通センターが扱えるコンテンツタイプ ・電子出版物(書籍、雑誌、新聞、その他の印刷系コンテンツのデジタル版) ・音声系(音楽、朗読、効果音、その他聴覚系コンテンツのデジタル版) ・映像系(映画、テレビ番組、その他視聴覚系コンテンツのデジタル版) 提供形態 ・オンライン視聴 オンライン無料視聴(無期限/期限つき) オンライン有料視聴(無期限/期限つき) ・ダウンロード視聴 ダウンロード無料視聴(無期限/期限つき) ダウンロード有料視聴(無期限/期限つき) レンタル・コントロール(上手い言葉が無い) 同時に視聴できる数はレン
山中湖情報創造館内に、The Big6 Skillsのポスターを掲示してみました。 反響がありやなしや 一般向け 子ども向け
公共図書館においては、その主力商品である「本」がどうなっていくのかは、館の存亡にも関わる問題。それだけに、時流にながされるのではなく、自らがオールを漕ぐ必要もあるかと考える。そんな立場から「この先にある本のかたち」について考察してみたい。 ■印刷・製本されている「本」 基本的にはこの数年で極端な変化はないと考えている。2009年時点で図書館や書店で扱う「本」のカタチはよほどの天変地異でもあって「紙」が無くならない限り続くと思われる。ただ価格は高くなるかな...諸外国の出版物のように、「ハードカバー」と「ペーパーバック」のように「単行本」と「文庫本」は存在し続けるが、価格が今の倍にはなる可能性がある。 ■電子出版による「本」 iPhoneのような携帯電話が他社からも販売されたり、ネットブックPCから電子ブックリーダー型PCへの移行にともなうハードウェア環境の整備、電子書籍フォーマットの国際標
昨日はお休みを使ってお登りさんしてきました。 午前中は国立国会図書館 当館の利用者さんが自費出版した野鳥の写真集を納本したいと送ったようなのですが、肝心の[奥付]がないとの連絡を受け、奥付付きのものを持参。国会図書館の西口通用門から入るのははじめてなので、国会図書館の内部に潜入(?)した感じ。それにしても、たくさんの職員さんがいらっしゃいました。 納本後は、ちょいと調べものがあったので、一般利用者として使わせていただきました。館内には喫茶店とレストランと食堂と売店(コンビニみたいなもの)がありまして、なんか一日中いても楽しい感じ。ただ気になったのはとてつもない数のPCがあるのですが、ほとんどすべてがNDL-OPAC用。インターネットへの接続できるPCを発見できず...でした。 午後はこちら 第1回ARGフォーラム「この先にある本のかたち-我々が描く本の未来のビジョンとスキーム」 http:
山中湖情報創造館では、視聴覚資料として音楽CDとDVDを用意し、貸し出しも行っている。 DVDはデジタルだから劣化はしない(少ない)...と、思っていたのは最初の1週間。キズはつくはエラー処理のイージーなプレーヤでは再生できないは...デジタルだって媒体の硬度によっては、取り扱いによっては、予想以上に短命だったりする。 ま、最終的には買い直すことも考えなければならいのだが、図書館で購入するDVDは、館内視聴や個人貸出、館内上映の許諾をいただく分だけ、コンビニなどで売られているDVDよりも割高だ。 ただ...買い直しDVDに対しても、同額を払うのは何故なんだろう。 著作権法 (営利を目的としない上演等) 第38条 5 映画フィルムその他の視聴覚資料を公衆の利用に供することを目的とする視聴覚教育施設その他の施設(営利を目的として設置されているものを除く。)で政令で定めるものは、公表された映画の
ときどき耳を疑うような台詞を公共図書館関係者から聴く 「うちでは、受験勉強やテスト勉強はお断りなんです」 正直言って、それって[どうよ]と思うのです。まぁ大人の都合とでもいいましょうか、理由はいろいろあるかと思います。そもそも席数が少ないとか、昔悪さをした子どもたちがいたとか...そして何よりも強力なのは他の利用者さんからのクレームを優先する体質とか....。公共図書館は社会教育機関なので学校教育である試験勉強は排除する...きわめて縦割り的な対応...が、試験勉強/テスト勉強をしに来た子どもたちにメッセージとして伝わるのです。 児童サービスは手厚いサービスで歓迎しても、結果としてYA/TEENS世代が図書館離れしてしまうのも、こうした明確な理由があるからなんですね。 図書館を建設するにあたって、その設計思想の中に[小中高生の勉強の場としても利用できる]ということを、なぜ盛り込まないのか.
図書館...特に公共図書館の業界では、◯◯支援...が一種のはやりで、なんとなく先端のサービスのように見えるのだが...僕は少し「違うんじゃないかな感(違和感って言うのかな)」を持っている。 ビジネス支援においては、すでに商工会や役所内の産業課などが経営相談にも乗ってくれるに起業へのアドバイスもある。企業の経営診断や会計/経理などのプロフェッショナルの方々もいらっしゃる。そうした人を差し置いて、図書館がビジネス支援をしなければいけない...とは、僕は思えないのだ。 最近では起業だけでなく、就職/就業支援などもビジネス支援として図書館でやるべきだ...論が出ているようだが、それこそハローワークの本分にまで図書館が浸食する必要はない。 また、◯◯◯◯◯カフェなどの名称で、科学などをトークショーを図書館でやるべきだ...論も見受けられるが、「なぜサイエンスだけ?」という疑問も湧く。 ビジネスにし
日本の児童文学や子ども向け読み物の中に、魅力的なキャラクターが絶滅状態である...などとちょっと過激な書き方をしましたが、第二弾は『場所(舞台設定)』についてです。 例えば、「ホグワーツ」「シャーウッドの森」「ネバーランド」「グリーンゲイブルス」...土地の名前だったり建物の名前だったりが混ざっていますが、物語世界の中に存在する『場所』についての記述。 これも、実は日本の児童文学の中には稀少/稀薄なんじゃないか...って、感じているんです。 唯一存在しているのは、「イーハトーブ」くらい。 というわけで... 「日本の児童文学には、行ってみたい『場所』がない!」 と仮説を立ててみたい。 異論・反論・ご意見求む!!
その後も、あいかわらず児童文学/子ども向け読み物世界における魅力あるキャラクターを探している。 その中でわかってきたこと... 1.日本人作家の作品では絶滅状態 2.海外作家の作品には、それなりにある 3.ライトノベル/ティーンズ文庫系にも多少はいる 4.一般書には、魅力あるキャラクターはいる つまり...図書館的にいえば9類文学作品においては、すべてにキャラクターが不在な訳ではなく、日本の児童文学作品に顕著にみられる傾向であり、それがかえって意図的に魅力的なキャラクターをつくらない文学として見えてきたりする。 そう、 [(かなり意図的に)日本の子ども向けの小説/読み物は魅力的なキャラクターをつくらない] といえるほどなのだ。 その一方で、ライトノベル系の文庫やマンガ、アニメ、ゲームなどには、そうしたキャラクターをかなり前面に出していたりする。もちろん大人向けの一般書においても、歴史的人物
ことの起こりはこう... ・某助成事業による子ども向け読書環境の充実のパンフレットを眺めながら ・子どもの本といえども俺だったらこういう100冊は選ばないぞ...と思い ・じゃぁ..どんな選び方をするかな...と思ったところ ・昨今の児童文学における[大きな欠落]を発見 ・そんな視点でうちの蔵書をみたら...おぉぉぉぉぉこれは大欠落だ! と思ったまで。 結論からいえば、こうなる 「子どもの本の中に、子どもたち自身があこがれる人物像(キャラクター)が存在していない」 ということなんです。 僕が選ぶ子どもの本100冊があるとしたら、そこには必ずヒーローやヒロインが登場するものを考えたいなぁ...と思ったのです。ウルトラマン、仮面ライダー、ヒーロー戦隊、戦う少女チーム等々。実際には図書なので、直接そういうものだけでなく、読み物としての探してみたところ....無いんです。児童文学/子ども向け作品の
前にも、Googleブック検索と著作権者/出版社との対立の構図は、実は[図書館]がうしろにあることを記述した。 誤解をおそれずにいえば、 図書館が純粋に理想を実現すると、著作権者/出版社と対立する こともあり得ることを、Googleは顕在化させたのではないだろうか。 実はもうひとつ重要なことがある。これは多くの読書好きの方なら気がつかれていることだと思うが、出版されている書籍には、入手できない空白時間がある(もちろん所蔵している図書館があれば、[借りる]ことはできても、手元に置くことはできない...という意味で) それは [絶版]〜[権利消失]の空白時間 絶版の定義が曖昧なので、[重版未定][出版社消滅]としてもいいかもしれない。 までの期間。作品を書かれた作家さんですら、どうしようもできない期間(著者としては出版したいのに、出版社が増刷してくれないと店頭にはならばないし、読者にも届かない
カレントアウェアネスによると ・出版流通対策協議会がGoogleブック検索和解案への反対を発表 カレントアウェアネス ここにあることをよく読んでみると...実は Google 対 著者/出版社の構図ではないんじゃないか...と、思う。対立の構図はむしろ、[図書館]対[著者/出版社]であって、Googleは技術力や資金力があるにしても[図書館側]の代理になっているんじゃないか...そう思えてくる。 上記のカレントアウェアネスの記事中にもある Googleブック検索のパートナーとなっている慶應義塾図書館に対しても質問状を送付している この文を読んで、強くそう思えてくる。 Gooeleブック検索って、実は[図書館がやりたかったけど、技術的にも資金的にもできなかったこと]をGoogle社が挑戦していることなんだと。図書館はこれまで目録カードやMARCでかろうじて検索可能にはしてきたけれど、本音を言
新型インフルエンザ対応のために、休館するなら理解もできます。 新型インフルエンザ感染者に対する入館拒否であれば、いたしかたありません。 ですが[中高生である]という理由だけで、こういう対応はアリなんでしょうか? 感染はすでに中高生だけの問題ではないはずなのに...理解できない。 (支障があるのでリンクはしませんが...図書館の自由を云々する団体は、一言二言指摘されてはいかがですか?) 5.すべての国民は、図書館利用に公平な権利をもっており、人種、信条、性別、年齢やそのおかれている条件等によっていかなる差別もあってはならない。 外国人も、その権利は保障される。 ※年齢=中高生、おかれている条件=休校ということなんだけどね※
正直に言おう。 日本人は「正しい情報による正確な判断と行動」ということに関しては、残念ながら十分なトレーニングがされていない。図書館の使われ方をみていてもそれはかなり感じているし、そうであるから今までの図書館で良かったように思います。 「自分に取って都合のよい情報を、正しい情報として受け取ってしまい、その情報に基づいて判断し、行動を取ってしまいがち...」 であることを肝に銘じておいたいい。 こうした時に、二つの対応がある。 ひとつは、確実にここからの情報は正しいという情報源を決めて、それ以外の情報はノイズとする。 もうひとつは、とにかく多種多様な情報を収集し、その中から取捨選択する。 ま、上記二つのミックスも含めればみっつの対応があるといえる。 今までの図書館のスタイルを考えると....早い時期に「正しい情報提供の戦線から離脱してしまうようだ」。閉館していても、情報提供はできるはず。こう
新型インフルエンザに関する報道が一気に増えてきました。 公共図書館の閉館などの対応がすでに始まっています。 さて、そんな中で図書館として気になるのは...利用者さんの間での感染もさることながら、 貸出図書を介した感染 にも気をつけなければならない。山中湖情報創造館では、返却処理時に表紙だけはアルコール消毒しているますが、中のページまではできていません。フィルムコートもすべてが抗菌ではありません。決して十分とはいえませんが、しないよりはよいと思っています。 返却処理に手間も時間もかかることではありますが、図書館として出来ることには取り組みたいと思っています。 ※他の図書館では、どうしているんだろう?
入館料まで取っている公立ミュージアムは、本当に真剣に考えてますね。 ・more楽:進化するミュージアムショップ おしゃれに「和モダン」 毎日jp それに比べて... 図書館業界も、もちょっと「ライブラリー・ショップ」を真剣に考えていきませんかね。 これからの図書館の持続性/継続性はもとより、利用者さんへの多様な[提供]スタイルとして、「館内閲覧(無料)」「図書館資料の貸出(無料/要利用者登録)」「ブックリサイクル(無料)」だけじゃなく、『販売』という提供方法もあることを、業界として捉えて欲しいんです。 そういう意識を持った方が業界団体にいらっしゃらないと...本気で取り組もうとはしないのでしょうか。せっかく、業者さん側がこういう取り組みを始めたのですから。 ・ALA(アメリカ図書館協会)のポスター販売サイト 【埼玉福祉会】
山中湖情報創造館では、話題性や即時性の高い図書を、装備無しで購入することがある。 素の状態(本屋さんで売っている状態)で納品されるので、請求記号づけや書誌データ作成、フィルムコートなどの装備は自館で行う。そういう時に楽しみ(?)なのが、請求記号(NDC)の付け方だ。 通常の流れでは、日販MARCの書誌データから抽出するのだが、これが県内他館の分類と異なる事例が出てくる。そんな中で今回はこの2冊の違いが面白かったので取り上げたい。 ・断る力 -- 勝間和代∥著文藝春秋2009.2 山中湖情報創造館 他館のほとんどが[159]でしたが、山中湖情報創造館では日販MARCどおり[361.4]としました。 それともうひとつ ・プロフェッショナルたちの脳活用法 -- 茂木健一郎∥著日本放送出版協会2009.4 山中湖情報創造館 こちらも他館のほとんどが[159]なのに対して、山中湖情報創造館では[49
まぁ、なんとなくこんな流れになる事は...予想してますが ・丸善とジュンク堂書店、業務提携へ協議 経営統合も視野に BizPlus NIKKEINET すでに経営統合がすすめられている、丸善と図書館流通センターにジュンク堂が加わり、記事にもあるように、3社統合になる可能性が高まってきました。 となると..まさに指定管理者(すでにTRC、丸善が指定管理者になっている図書館)であれば「ジュンク堂のみたいな図書館サービス」は、そう遠くない将来において実現すると思います。
日本図書館協会発行の逐次刊行物「図書館雑誌」の2009年3月号の特集は、ずばり『指定管理者制度』だ。 それにしても、この手の記事において毎回感じることは、「どうして図書館における指定管理者制度の導入が、これほど目の敵にされなければならないのか」ということだ。まずそれが第1点。 第2点は、指定管理者制度を導入したことによる短所を指摘しているが、では直営による短所は全く無いのか...異動が当然の公務員の人事制度の中で、指定管理者に対して指摘するような時間をかけた人材育成がどれだけで来ているのか。 第3点は、地域の市民活動が制度を反対する理由が、僕にはまったく理解できない。行政がやりたくない(民間でできるものは民間で)というのなら、むしろ「市民が市民自身の手で市民のための図書館運営ができる」チャンスなのだ。「公務員さんには任せておけない。だから地域の私たちが公共図書館の運営を担います」って声が、
「これからの“図書館”像」は? なんていう話をしはじめると...いつも気になるのは「図書館とは」論...が最初に出来上がってしまって、その壁の中での議論に終始してしまうことが多い。これを称して『図書館の壁』とでも言おうか。 この壁をどうとらえるか...という課題はあるのだが、「図書館」であることを誇示することにどれほどの意味があるのか...むしろ現在から将来にかけて、学校や地域に必要な「情報・知識・記憶をテーマにする機関」に何が求められるのか像を描き、それが現在の図書館のあり方の延長線上に置けるのか/置けないのか(全く別の施設なのか...)を考えてもいいように思う。 米国の学校図書館が、のきなみ“メディアセンター”としての変容を見せている。国内では大学図書館がメディアセンターに変わり始めている。これはたぶん子どもたち(大学生を子供というんは抵抗があるが)を取り巻く情報通信技術の進歩に対する
これまで、指定管理者として地域の図書館運営に関わってきた(現在進行形)。 来年度が、第二期目の協定期間の3年目(最終年)ということもあり、未来の山中湖情報創造館の姿をイメージすることが少なくない。 そんな中で、僕が一番懸念することがある。それは 「将来にわたり山中湖情報創造館に対して義務と責任を負うのは誰なのか」 ということ。指定管理者である私たちは、その協定期間において仕事をまっとうすればいい。行政においても、公務員さんは異動という制度があるのでそれを越えてまで義務や責任を負うものではない。議員さんにしても、首長さんにしても、任期があり、選挙によって選ばれる...という制度である。 そんな中で、立ち上げから関わってきた僕たちとしては、かりに継続しないことになったとしたら、いったい《誰》に《山中湖情報創造館》の《将来》を託したらよいのか....を考えたら...実はどこにも存在していないこと
図書館の蔵書が、パソコンなどのコンピュータを使って検索可能になっているのは、すべてこのMARC(マーク)のおかげといっていい。 MAchine Readable Catalog(機械可読目録)の略である。 しかし、これがなんともはや...事細かいフィールド(項目)設定がされており、ほとんど使っていない/使わなくても日常業務には支障がない...ものまでとにかくたくさんある。 でも、よく考えてみて欲しい。 なんでそれらのフィールド(項目)が必要なのかを.... どうして、ひとつのフィールド(項目)に、書名から著者名、出版社にはじまって、大きさやらページ数やら価格やらのすべての情報を入力してはダメなのか...を。 これって、ウェブの検索を考えてみればわかることだけど、 ホームページのタイトルで検索するとか、作者で検索するとか...そんなことはいちいちしていないよね。していないけど、ほとんど事足り
僕の中では、ちょっと大き目のテーマになりそうです。 公共図書館への寄贈図書とひとつとして「追悼文集」があります。 これはその土地に生きて亡くなった方を偲ぶ記録集ですが、これをもうちょっと積極的に地域の図書館が扱う事を考えてはどうだろうか...と、思うようになっています。 もちろん、個人情報保護の大原則は守らなければなりませんが、生前に面識のある方だけでなく、面識のない方(特に若い方たちへ)に対して「語り継げる環境」を、公共図書館が担う必要があるのではないか...と。 その際には、物理的な製本された図書をいただくこともよいのですが、デジタル化して保存・提供する事で現物は永年保存資料として保管させていただく...そんなイメージ。 前の記事でも書いたように、北杜市高根町にいらっしゃった故木村二郎さんを、今の若い人たちに語り継ぎたい...というプロジェクトとしてスタートしたのですが、語り継ぐべき人
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『丸山高弘の日々是電網 〜ときたまPodcast〜』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く